永遠のハイスクール・ブギ
 (樹輪 2000/3)

 長いこと忘れていて、最近ふと思い出したことがある。中学一年のとき、級友三人で「映画・演劇研究会」という同好会を結成した。後に、そのうちのひとりは京劇の研究者となり、もうひとりの四方田剛己(犬彦)はご存じのように映画評論家となり、明治学院大学の文学部芸術学科で主任教授をつとめている。ぼくはといえば、気がついたら舞踊評論家になっていた。世に「三つ子の魂、百まで」と言うが、そこまではいかずとも、「中一の魂、とりあえず五十まで」といったところか。中一の頃に抱いた興味がいまだに持続しているわけだ。
 もっともぼくは舞踊評論家だけを仕事にしているわけではない。大学では英語教師であり、文学と精神分析とグリム童話と舞踊学を研究していて、本を書いたり翻訳したりしている。「ご専門は?」と聞かれるのはすごくいやだ。「いろいろとっちらかっておりまして・・・」とかなんとかブツブツ答えるほかないからだ。
 どうしてこんなに「気の多い」人間になってしまったのかと考えるうちに、十代のことがいろいろ思い出され、冒頭の「映画・演劇研究会」のこともふと思い出したのだった。十代と現在とで何が違い、何が変わっていないのか、考えてみて、いくつかのことに気がついた。
 その一。ぼくの行った学校(中高一貫の男子校)は、いろいろ教育実験がおこなわれていた(らしい)。学年ごとに「この学年は勉強させる」「この学年は遊ばせる」という方針があったらしいが、幸いなことにぼくの学年は「遊ばせる」という方針だったようで、まあよく遊んだものだ(そのせいかどうか。ぼくの学年は上や下よりもずっと近視が少なかった)。授業中もほとんど「内職」をしていた。フォーク・バンドをやっていたぼくはせっせと楽譜を書いていた。将棋盤をひっくりかえして教室中の大爆笑を買った級友もいるし、授業中だけでトルストイの『戦争と平和』を読破したと自慢していた級友もいる。先生方にはまったく申し訳のないことをしたと思うが、いつのまにか、「勉強は自分でするもの」という習慣が身について、これは大学に入ってからも、卒業後も役に立った。今でも一応「勉強」が商売だから、高校時代についた習慣が将来を決定したともいえる(反面、内職のくせが抜けず、会議でもつい内職をしてしまう)。ただし、内職がいいはずはないから、娘には「授業だけは真剣に聞けよ」と真剣に言い聞かせている。
 その二。ぼくの学年はどのクラスでも、成績に関してはじつにオープンだった。テストの成績を隠すということがなかった。良い成績をとったやつは精一杯自慢したし、赤点をとったやつもなぜか自慢した(娘のクラスもそういうクラスだそうで、ぼくとしては仲間が増えたようでうれしいが、赤点でも恥ずかしくない生徒は必死に努力しなくなるという危険があるから、先生方にはお気の毒だ)。
家でこそこそ勉強するということもなかった。それどころか、「おれはもうあの参考書を一冊あげたぞ」とか「もう問題集を三冊片づけたぞ」と自慢しあっていた。このことはいまだに影響しているようで、人よりもちょっと努力すると、すぐ自慢するくせがある。しかも自分の欠陥や失敗まで、ついつい自慢してしまうのだ。
 その三。これは気がついたというより、むかしから痛感していることだが、それは男子校育ちのために、いまだに女性と付き合うのが苦手だということである(「おかげで人生で、ものすごく損をした」と言ったら、カミさんから殴られた)。高二のとき、ガールフレンドができた。手をつなぐなんていう「大それた」ことは考えもしなかったが、ちょっとくらい手を握りたいと思って一週間考えたあげく、名案を思いついた。会うときに腕時計をしていかず、「いま何時?」と言って彼女の手首をつかむ、という作戦である。実行に移したが、心臓が破裂しそうだった。何を隠そう、中三のとき、「男子校にいると偏った人間になってしまいそうだから、高校は共学校を受験する」と親に言ったのだが、一笑に付された。だから、「学校が楽しくてしようがない。日曜も学校があればいいのに」と言っている娘がうらやましくてならない。学校は共学に限る。
 ここで最初の話に戻る。よく人から「好きなことをやって暮らせるなんていいですね」と言われる。自分でも「好きなことをやっている」と思っている。でも、最初に言ったことと矛盾するかもしれないが、十代の頃は、将来、学者になるなんて夢にも思っていなかった。歌手か俳優になりたいと真剣に考えていた。歌や芝居が好きだったのだ(だから芸能界に入りたいという子どもたちに「ばかなこと言うな」とは言えない)。自分が本当に好きなこと、つまり現在やっているようなことを発見したのはずっと後になってからのこと。よく高校生に向かって「自分の好きなことを早く見つけろ」という人がいるが、好きなことなんてそう簡単に見つかるもんじゃない。だから高校生の諸君にはひとこと、「あせるなよ」と言いたい。