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イザドラ・ダンカン
(北海道新聞「タイムカプセル」 2000/12/1)
二〇世紀初頭、欧米のダンスの主流はバレエだった。そこへ颯爽と登場したイザドラ・ダンカン(一八七七−一九二七)は、「バレエは動きも、コスチュームも、トウシューズも、みんな不自然で人工的だ」と批判し、自然を讃え、古代ギリシャへの回帰を唱え、体を締めつけないゆったりとした古代風のチュニックをまとい、はだしで踊った。全裸で踊ったこともあった。
ダンカンはアメリカ出身だが、アメリカでは受けず、ヨーロッパに渡ってから注目を集め、一世を風靡した。彼女の踊りは、バレエのように決まったパターンを繰り返すのではなく、内面から沸き上がってくる感情に忠実な、まったく自由奔放な踊りだった。その舞踊スタイルは、やがてモダン・ダンスと呼ばれるようになり、二〇世紀舞踊の主流となる。
彼女は女性解放を唱えた先駆的フェミニストでもあり、私生活でも恋多き女として自由恋愛を実践し、新しい女性像を体現した。
自動車が川に落ちるという事故で愛児二人を失い、自身もスカーフが自動車の車輪にからまって首の骨が折れるという事故で死んだ。その点でも、じつに二〇世紀全体を先取りした人物であったといえよう。
彼女の創始したモダン・ダンスは、次々に後継者があらわれ、それとともにスタイルも変化していったが、急速に世界中に広まり、学校教育にも広く取り入れられた。幼稚園のお遊戯はその一例だ。また、器械体操や新体操、シンクロナイズド・スイミングといったスポーツにも取り入れられている。
日本でも、モダンダンスは第二次大戦前に輸入され、「洋舞」として定着し、やがては日本舞踊をはるかに上回る数の人びとを惹きつけるようになる。
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