バレエ・リュスの衝
(北海道新聞「タイムカプセル」 2001/1/26)

最近、世界的なバレエ・ブームである。だが二十世紀に入った頃、それまでバレエの本家であったフランスでは、バレエは死に瀕していた。エッチなおじさんたちのためのエロチックな演芸に堕落していたのである。
ところが東方の「後進国」ロシアではバレエが栄えていた。そこで、ある人物が、その高水準のバレエをフランスにもっていって、パリジャンを驚かしてやろうと考えた。セルゲイ・ディアギレフというロシア人である。
彼は最初、フランスの新しい絵画をロシアに紹介する仕事をしていたのだが、そのうちに今度はロシアの芸術をパリに紹介するという事業に乗り出した。最初は美術展、次はコンサート、その次はオペラ、そしてその次に、ペテルブルクのマリインスキー劇場のバレエをパリにもっていったのである。一九〇九年のことである。
それまでバレエをお下品な芸能と思い込んでいたパリの観客は、ロシア・バレエの高い芸術性と、パヴロワ、ニジンスキーらの鮮やかな技巧を目の当たりにして仰天し、瞬く間にヨーロッパ中に熱狂的なバレエ・ブームが巻き起こった。
この成功に気をよくしたディアギレフはバレエ団を組織した。これがバレエ史上名高いバレエ・リュスである。フランス語で「ロシアのバレエ」という意味だが、皮肉なことにロシアではただの一度も公演することはなかった。
 バレエ・リュスは二〇年間活動し、ディアギレフの突然の死によって、一九二九年に解散したが、残された団員たちは各国に散らばって、バレエの種を蒔いた。それによってバレエは世界中に普及したのである。もしバレエ・リュスの大成功がなかったら、今ごろバレエは消滅していたかもしれない。