チャイコフスキーの謎

ダンスマガジン 2003年5月号

 バレエ史上最も重要な作曲家であるチャイコフスキーの生涯にはいくつかの謎がある。
 その謎に触れる前に、簡単に彼の生涯を紹介しておこう。チャイコフスキーは一八四〇年にウラル地方で生まれた。幼い頃から卓抜した音楽的才能を示し、四歳のときにはもう歌を作曲している。ペテルブルクで法律学校を卒業し、役人になったが、四年で辞職して音楽学校に入学し、本格的に作曲を勉強し、作曲家として出発した。遅いスタートではあったが、その後は順調に名声を高めていった。
 順調とはいえ、暮らしは楽ではなかった。それを安定させてくれたのはフォン・メック夫人である。チャイコフスキーと彼女との関係も、謎といえば謎である。最初、夫人はチャイコフスキーに作曲を依頼したのだが、一九七六年、チャイコフスキーに「あなたを援助したい」という手紙をよこした。彼女は大富豪の未亡人で、子どもが十一人いたが、「こんな素晴らしい才能の持ち主が生活に苦しむなんて」という純粋な気持ちから援助を申し出たらしい。チャイコフスキーは喜んで申し出を受けた(ちなみに、若き日のドビュッシーも一時期フォン・メック夫人の援助を受けている)。
 二人の一風変わった関係は十四年続くが、その間に二人は一度も会っていない。文通だけの交際だったのである。そして十四年後、突然、夫人は「破産したので、援助を打ち切る」という手紙を送ってきた。チャイコフスキーが手紙を出しても、梨の礫。どうして夫人が突然に援助を打ち切ったのかは謎である。というのも破産は事実ではなく、一方的断絶はどうやら夫人の精神的な発作によるらしい。いずれにせよ、突然の夫人の心変わりはチャイコフスキーに深い傷を与えた。
 フォン・メック夫人からの経済的援助の申し出があった翌年に書かれたのが『白鳥の湖』である。このストーリーを誰が書いたのかは謎に包まれている。いかにもどこかの国の昔話にありそうな話であるが、そのような昔話は存在しない。おそらくチャイコフスキーの創作だろうと考えられている。むろん彼の頭には、白鳥が登場する昔話の記憶があったのであろう。
 あまりにも有名な「ソードレミファソーミソーミ」というテーマ旋律と、ワーグナーの歌劇『ローエングリン』の「禁止のテーマ」の類似はしばしば指摘される。チャイコフスキーはワーグナー批判をいろいろ書いているが、『白鳥の湖』を書いた頃にはまだワーグナーに心酔していた(バイロイトではじかに会っている)。たった二小節だけでは影響関係云々は問題にならないが、頭のどこかにワーグナーの旋律がこびりついていたことは考えられる。それに、騎士ローエングリンは白鳥に乗ってやってくるのである(ちなみにヨーロッパではギリシア以来、白鳥は主に男性の象徴である)。
 ボリショイ劇場で初演された『白鳥の湖』は数年後にはレパートリーから外されてしまうが、このことについて旧ソ連では、初演は不評だったとされていた(そのためにチャイコフスキーは落ち込み、バレエ音楽を書く気がなくなった、とされていた)が、ワイリーの研究によって、不評どころかむしろ好評だったことが現在では明らかになっている。とはいえ、数年でレパートリーから外される程度の評判ではあったのだが。
さて、チャイコフスキーの生涯最大の謎はその死である。彼は一八九三年に五十三歳で世を去ったが、その死因は明らかではない。生水を飲んでいたせいでコレラに感染した(実際、コレラが流行していた)、というのが有力な説で、ほぼ定説になっているが、自殺説もある。
 チャイコフスキーは二十八歳のときにフランスのオペラ歌手に恋をし、結婚まで約束しながら裏切られている。三十七歳のときにはアントニーナという精神不安定な女性と結婚している。だがその一方で、彼には同性愛傾向があったことが、弟モデスト宛ての手紙などから、わかっている(それをクローズアップしたのがケン・ラッセル監督の伝記映画である)。どうやら結婚はそれを隠すための偽装結婚だったらしい。しかし、若いときの恋愛は本物だったようだから、おそらく彼はバイセクシュアルだったのであろう。彼が作曲家としては成功をおさめながら、なんとなく暗い人生を送ったような印象を与えるのは、たえずこの同性愛傾向をめぐって悩んでいたためだと考えられる。
 そのために、彼が曲を捧げている甥ウラジーミルとの同性愛関係について悩んだ末に自殺したのだ、という説や、その関係が発覚して友人たちから自殺を勧められた、という説がある。
 チャイコフスキーの訃報を聞いて、ある遠縁の青年がチャイコフスキーの家に駆けつけた。彼は、居合わせたリムスキー=コルサコフ、ニコライ・フィーグネル(歌手)といっしょに、ソファに横たわっていたチャイコフスキーの遺骸をテーブルの上に横たえたというが、この青年はコレラ説に疑問を呈する。コレラの流行はほぼ終息していたし、もし本当にコレラだったらチャイコフスキーの家は立入禁止になったはずだし、当時は誰もが瓶詰めのミネラル・ウォーターを飲んでいたから、生水を飲んだとは考えられない、と(しかし弟のモデストは兄が生水を飲んでいるので心配だったと証言している)。
 この青年は自殺説も否定する。「私はチャイコフスキーのまわりにいた人びとをひとり残らず知っており、彼の死の原因ではないかと疑われた人物とは親密な友人どうしだったが、この自殺説を裏づける証拠は何ひとつないと思う」。
 だが、この意見にも注意して耳を傾ける必要がある。というのも、この青年もまた同性愛者だったのである。この青年の名はセルゲイ・ディアギレフである。