ニジンスキーの魅力とは

(ルジマトフ「ニジンスキーの肖像」プログラム 1998/5)

 世の中にはニジンスキー・ファンという人たちがいる。私自身もその一人だが、たぶんルジマートフ・ファンよりも数は多いだろう。しかし、考えてみると、これはちょっと不思議なことだ。
 ルジマートフ・ファンがファンになったきっかけは様々だろう。たいていの人はルジマートフの踊りを見て魅せられたのだろうが、写真を見て一目惚れしたという人だっているだろう。しかし、いずれにせよ、ルジマートフの踊りを見たことがないという人はまさかいないだろう。
 ところが、ニジンスキー・ファンの中には、ニジンスキーの踊りを見たという人はただの一人もいない。ニジンスキーの踊りは映像で見ることもできない。これって、ヘンだと思いません? 「踊りを見たことがないのに、どうしてファンなのよ!」という声があがっても不思議ではない。でも、私自身がそうだから断言できるが、ニジンスキー・ファンというのはちゃんと「ファン」なのだ。
 映像は一つも残っていないが、写真はある。ニジンスキー・ファンはその写真を見て一目惚れしたのだ。そして、実際に踊りを見ることができなくとも、ニジンスキーは私たちの頭の中で踊ってくれる。彼の写真にはそれだけの力があるのだ。『シェエラザード』にしろ『ジゼル』にしろ『薔薇の精』にしろ『ペトルーシュカ』にしろ、ニジンスキーの写真は「ただならぬもの」を発散していて、静止画像であるにもかかわらず、尋常ではない動きが察せられる。私たちはその写真を見ているだけで、心臓の鼓動が速くなるのだ。
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 これほどまでにファンを虜にするニジンスキーの魅力とは何だろうか。
 彼は美男子ではない。少なくとも西洋的な美男子ではない。彼の両親はポーランド人だから、血筋からいえばポーランド人だが、ロシアで生まれ育ったから、その意味ではロシア人である。が、顔はどこかアジア的で、そのために少年の頃は「日本人」という綽名がつけられていた。
 身長は低いし、スタイルもけっしてよくない。写真を見ればわかるように、他の部分に比して腿だけが異様に発達している。私は長野オリンピックでスピードスケートの清水宏保君の太股を見たとき、「わっ、ニジンスキーだ」と思わずつぶやいてしまった。清水君はあの太股で金メダルを獲得したが、ニジンスキーはその太股で世界中の(といっても当時は欧米だけが「世界」だったのだが)バレエ・ファンの度肝を抜いた。そもそもニジンスキーが、一流のバレエダンサーになるための登竜門であったマリインスキー劇場付属舞踊学校に入学できたのは、ある教師が彼の太股に注目したからだった。その教師は断言した。「この少年は偉大なダンサーになる!」と。
 薔薇の精は最後に窓から外へ飛び出して行くが、「そのまま夜空高く飛んでいったように見えた」と当時の観客は書いている。空中に静止しているようにも見えたらしい。当時の新聞記事を読むと、「どうして空中に静止していられるんですか」という記者の質問に、ニジンスキーは「ええと、それはですね、思い切り跳び上がって、そこでしばらくじっとしているのですよ」と答えている。
 ちなみに、ごく稀だが、本当に空中に静止して見えるダンサーがいる。たとえば、熊川哲也がそうだ。言ってしまえば眼の錯覚にすぎないのだが、その錯覚を起こさせるダンサーとそうでないダンサーとがいるのだから、空中で静止して見えるダンサーというのは、やはり稀にみる「秘技」の持ち主なのである。
 ニジンスキーは熊川と同じく、稀にみる跳躍力によってスターの座についた。しかし、ニジンスキーの魅力は跳躍力だけではなかった。
『ペトルーシュカ』におけるニジンスキーの演技に、観客は感動して涙を流した。ペトルーシュカというのは、いつもポカポカと殴られてばかりいる、頭がからっぽの、だが純粋な魂をもった人形である。クラシック・バレエの王子役から見たら、じつにカッコわるい役だ。だが、ニジンスキーはその人形の悲しみを通じて、現代の抑圧的な社会に生きる人間の悲劇を訴えたのだった。人形だからぎこちない動きしかできないのだが、クラシック・バレエでは「醜」とされていたものを、ニジンスキーは現代的な異形の美へと高めた。つまり、観客はニジンスキーのおかげで、それまで「醜」とされていたものの中に、すぐれて現代的な美を発見したのだ。残念ながら、熊川哲也にはまだその力がない。私はコヴェントガーデンで熊川の『ドン・キホーテ』を見たとき、「日本人がロイヤルで主役をはっている」という誇らしさで目頭が熱くなったが、『ペトルーシュカ』を見たときには、彼の演技力不足に無念の涙が出た。
 ニジンスキーの魅力はまだまだ他にもある。『薔薇の精』の写真を見よ。薔薇の精は、少女が胸につけていた薔薇の花の化身だから、もちろん人間ではないが、男性である。男性にたいする少女の淡い想いが具現化したものなのだ。しかし、そこには19世紀的な明確なジェンダーはなく、薔薇の精は男らしい男ではない。脚が短く、見ようによってはまるで農業労働者みたいな体つきのニジンスキーが、ここでは両性具有的な魅力を発散している。すっと頭上にあげた両腕を見よ。手首から先はだらりと下がっている。19世紀の男性バレエダンサーはけっしてこのようなポーズは取らなかった。ニジンスキーは性の境界線をも乗り越えてしまったのだ。
 『シェエラザード』のニジンスキーの踊りも、見ている者の全身に鳥肌が立つほど素晴らしいものだったらしい。彼が踊ったのは「金の奴隷」、つまり奴隷たちの中で最も魅力ある奴隷だ。その体は豹のようにしなやかで、全身からフェロモンを発散していた。クラシック・バレエの男役は「お行儀」がよく、「性的」なところを巧みに隠している。19世紀のバレエでは「性」は「愛」に包まれていたのだ。だが、ニジンスキーの踊る奴隷は、性的な魅力を全身から発散する「美しい野獣」であった。
 『牧神の午後』ではその特徴がさらに明確になる。牧神は上半身は人間の姿をしているが、下半身は野獣だ。だから半獣神とも呼ばれる。彼は野獣の性欲そのものとなってニンフに迫る。他方、この作品もまた、ニジンスキーが「跳躍だけのダンサー」でなかったことを示している。『ペトルーシュカ』『シェエラザード』『薔薇の精』などはミハイル・フォーキンが振り付けた作品だが、『牧神の午後』はニジンスキー自身が振り付けたものだ。恐るべき跳躍力でスターになったにもかかわらず、彼は自分が振り付けたこの作品では(たった1回だけちょこっと跳ぶだけで)まったく跳躍を見せない。それによって、彼は狭いバレエの世界を超越し、真の現代舞踊への道を切り開いたのだった。ニジンスキーが凡庸なダンサー・コレオグラファーでなかったことがよくわかる。
 では、ニジンスキーには19世紀的なダンスールノーブルの役はまるでダメだったかというと、そんなことはない。『ジゼル』の写真を見れば、その美しさにはっとするはずだ。
彼は「完璧」なアルブレヒトを演じたに違いない。
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 ニジンスキーの悲劇的な生涯もまた、ニジンスキー・ファンを増やした一因だろう。彼は、いわばルジマートフとデュポンとドンとルグリとマラーホフを合わせたくらいの人気を誇る大スターだったが、国際的大スターの地位にいたのはわずか数年間だ。彼が国際的なアイドルになったのは1909年のことだが、その4年後の1913年には24歳の若さでバレエ・ファンの前から姿を消した。その後、一時的には舞台に復帰したものの、1919年以降は二度と舞台に立つことはなく、以後、1950年に61歳で亡くなるまでの30年以上の間、精神病者として療養生活を送ったのだった。彼は生きながらにして伝説になったのである。
 ルジマートフの公演『ニジンスキーの肖像』で重要な役割を演じる有名な『ニジンスキーの手記』は、ニジンスキーが正気と狂気の狭間で書いたものだ。彼はそのとき正気の世界の崖っぷちに立っていた。崖の下には狂気の闇の世界が広がっていた。『手記』は精神分析の自由連想のように書かれている。つまり彼は、連想から連想へと移ろいながら、幼年時代の記憶やスター時代の思い出を語る一方で、現在の悩みを吐露し、空想を述べ、ディアギレフ、主治医フレンケル(ルジマートフの公演では「グライベル」と呼ばれている)、妻ロモラ、そして妻の母といった、自分にとって最も重要な意味をもった人びとへの愛憎を書き綴っている。
 彼は自分を利用したディアギレフを憎んでいながら、自分を教育してくれたディアギレフへの愛を失っていない。妻ロモラのことは心から愛していたが、彼女との結婚によって舞踊界から追放されたことを後悔していた。またニジンスキーは主治医フレンケルを敬愛しつつも、フレンケルと妻ロモラとの関係を疑っていた(彼らには実際に不倫関係があったらしい)。フレンケルとロモラとがぐるになって自分を精神病院に追いやろうとしている、という不安と恐怖に怯えてもいた。
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 ルジマートフとニジンスキーには大きな共通点がある。それは、たとえばマニュエル・ルグリのような優等生的ダンスール・ノーブルにはない、どこか野獣を思わせる、体の奥底から湧いてくるエネルギーと、猫族に特有のしなやかな体の動きだ。そのルジマートフが『ニジンスキーの肖像』を踊る。しかも、ジョルジュ・ドンがベジャールの『ニジンスキー 神の道化』を踊った(それは私たちにとってドンの最後の舞台となった)のと同じ劇場で。20世紀が終わろうとしているいま、世紀末を代表する男性バレエダンサーが、20世紀という「男性バレエダンサー」の時代の幕開きを告げたニジンスキーを踊るのだ。それが観客を興奮させないわけがない。