猥雑なスペクタクル
大駱駝鑑「泥芸者」
 (日経新聞 2002/11/21)

 暗黒舞踏の創始者である土方巽に師事し、六〇年代には唐十郎とともに状況劇場を立ち上げ、アングラ演劇界で異彩を放った「怪物」、麿赤児。大駱駝艦は、麿が一九七二年に旗揚げした舞踏集団である。その創立三十周年公演。
 舞台は急傾斜で屹立する半円形の石段で囲まれており、ローマの闘技場、あるいは闘牛場を連想させる。ここで野蛮な儀式が繰り広げられるのだ。二十五人の男女は全身白塗り。女たちの髪は長く、男たちはスキンヘッド(眉も剃っている)。男女とも褌で、白く光る尻を見せ、白目を剥く。七人は大きな牛の頭をかぶっている。 
 その動きは「ダンス」という一般概念とは相容れない。指を細かに動かし、体をくねらせ、スローモーションのように動いたかと思うと、痙攣し、ぶっ倒れる。少なくとも手足が伸び伸び広げられることはなく、リズムに乗った踊りもない。
やがて長いテーブルを引きずりながら、真っ赤な襤褸をまとい、髪を逆立てたミノタウロスのような怪物(麿)がゆっくり登場する。その存在感は圧倒的である。怪物は生贄の若い男をむさぼり食い、石段の上に消えていく。
 舞踏全体が衰退していくなかで、スペクタクル性を重視した山海塾と大駱駝艦だけがいまだ広汎な観客に支持されているが、同じスペクタクル性でも、いわば仏教的な侘び寂びを志向する山海塾に対し、大駱駝艦はあくまでも猥雑さに執着する。
この踊りはどこから来たのだろう。日本の伝統舞踊から派生したものではない。かつて日本人は、光の世界から放逐され抑圧されたものをひとまとめにして鬼と命名したが、大駱駝鑑というか、麿赤児は鬼の生き残りなのではあるまいか。
 舞台は終始一定のリズムで進行する。これが彼らのこだわるスタイルなのだろうが、もう少し変化をつけ、緩急自在に踊って欲しかったという気がしないでもない。9日、世田谷パブリックシアター。