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死を意識させる舞踏を偲ぶ
土方メモリアル
(日経新聞 2002/8/29)
ダンスは一般に舞踊とも舞踏とも呼ばれるが、ダンスの世界で舞踏といえば、それは四十年ほど前に土方巽が創始した暗黒舞踏を指す。土方が世を去ったのは十六年前だが、その十年以上前から自身では踊らなくなっていたので、彼の踊りを生で見た人も年々少なくなっている。映像もわずかしか残されていない。
その土方巽を偲ぶ催しが二日間おこなわれた。会場は二日とも超満員であった。
土方と親交のあった人びとの座談会、踊る土方巽の(断片的で不鮮明な)映像の上映の後、一日目は元藤火華子、大野慶人らによる「大鴉」、二日目は大野一雄と笠井叡による「病める舞姫」が上演された。演者はいずれも土方のすぐ近くにいた人たちである。
舞踏は日本の伝統から直接生まれたものではなく、土方がヨーロッパのダンスを吸収し、それと対決していくなかで生み出されたものだが、その特徴を明確に説明することは容易ではない。
がに股で胴長短足という日本人の体型を肯定し、時には頭髪を剃り、全身を白く塗る。バレエのように天上を志向せず、ぐっと腰を落とし、スローモーション映像のように緩慢に動いたり、反対に、暴れているように痙攣的に激しく動き回ったりする。
「命がけで突っ立っている死体」という土方の言葉があるが、肉体の躍動感・生命感よりも、死を意識させるダンスである。
「大鴉」も「病める舞姫」も土方の作品ということになっているが、むしろ主演者たちが自分の「内なる土方」を表現したといえよう。「大鴉」では、元藤の長い衣裳に投影された、踊る土方の映像がじつに美しかった。二日目の笠井は、七〇年代を彷彿とさせる耽美的・アングラ的な雰囲気を醸し出し、車椅子にすわったままの大野(彼は九十五歳である)は手を花びらあるいは枯葉のようにひらひらと動かし、宇宙と交感していることが、観る者にもたしかに伝わってきた。20日、21日、スパイラルホール
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