キリアン/中村恩恵「ブラックバード」
(日経新聞 01/10/16)

 ここ数年、埼玉県にある彩の国さいたま芸術劇場に足を運ぶことが少なくない。素晴らしい舞踊公演を独自に企画・実現しているからである。今回の作品は、同劇場が昨年に発動させた「彩の国キリアン・プロジェクト」が生みだした作品で、キリアンが愛弟子の中村恩恵のために振り付けたソロ作品である。
 会場に足を踏み入れると、舞台中央の天井から、まるで円柱のように、ストッキングのような細い紗のチューブが下に伸びていて、その基底にダンサーが立っている。ダンサーは上半身、そのチューブをかぶっているのだ。ベケットの詩をつぶやくように朗読するキリアンの声が聞こえてきて、ダンサーが動き始める。魔女のような黒い衣裳の女が登場し、チューブを断つ。臍の緒あるいは羊膜を連想させるそのチューブが作品全体のイメージを規定している。
 中村は、スピーカーから流れるキリアンの語りに合わせて、パントマイムでダンサーの半生を演じ、絶叫し、刀をふりかざして迫る「魔女」から逃げ回る。その合間に、キリアン作品独特の流れるようなダンスを見せる。
 いうまでもなくキリアンは二十世紀を代表する振付家のひとりだが、独特の叙情性によって、たとえばフォーサイスのような形式主義者とは一線を画している。だが同時に方法意識も鋭敏で、舞台美術においても音響に関しても他の追随を許さぬところがある。映像を用いた作品も多いが、今回も、映像がひじょうに重要な役割を演じる。
 スクリーンには、おどけてみせる中村の顔、彼女の身体の細部、そして男性ダンサーとのデュエットが映し出される(このデュエットはドイツですでに舞台上演されている)が、その映像のどれもが息苦しいほどに美しい。
 愛弟子に対する師の深い愛情と、師に対する弟子の深い敬愛の念にあふれ、最後、全裸で舞台を去っていく中村の姿には、全宇宙を身体ひとつで受け止めようとするダンサーのけなげで痛々しい決意が見え隠れし、思わず涙が頬を伝った。6日。