山海塾「かげみ」
(日経新聞 01/5/17)

  パリ市立劇場を本拠地として、二十年以上にわたって国際的な活動を続けている山海塾が、一九八六年以降の六作品を首都圏で連続上演している。ここに取り上げるのはその冒頭を飾る新作(昨年暮れにパリで初演)。
 舞踏手たちはいずれも丸坊主で全身厚い白塗り、長い衣をまとっている。初めて見た人は僧侶を連想するだろう。他の作品と同じく、いくつかの章に分かれていて、リーダーの天児牛大(あまがつうしお)のソロと、他の舞踏手による四人あるいは六人の群舞とが交互に繰り広げられる。そのスタイル、すなわち「舞踏」は他のいかなるジャンルのダンスとも異なる。膝を曲げて重心を低くした身体をたえずひねりながら、まるでスローモーション映画のように腕を空中に漂わせ、時として指先に神経を集中させる。身体のうねりを宇宙の律動に合体させようとする、と言ったらいいだろうか。
 また、山海塾の作品はどれをとってみても、舞台美術が強烈な印象を与えるが、今回は、高さ一メートルほどの蓮の葉が舞台一面を覆っている。舞台が水面なのかと思って見ていると、開幕早々、天児の最初のソロが終わると、蓮は上昇していき、蓮の天井になる。今度は舞台が深い水底に見えてくる。その舞台を見ると、まるで死んだようにうずくまっていた舞踏手たちがゆっくりと動き出す。最後には、蓮がゆっくりと降下してきて、うずくまる舞踏手たちを覆い、舞踏手たちが差し伸ばした両手の指がゆっくりと開いて蓮の花を咲かせるうちに幕が下りる。その洗練された美には眩暈を覚えるほどだ。
 舞踏は六〇年代から七〇年代にかけての時代の濃厚な雰囲気の中で生まれた。その時代を懐かしむ人びとは時として山海塾を「きれいすぎる」と批難するが、彼らは時代の産物から夾雑物を捨て去り、時代を超越した独自の様式を作り出したのだ。世界的に評価が高いゆえんである。12日、世田谷パブリックシアター。