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モスクワ音楽劇場バレエ団/ロメオとジュリエット
(日経新聞 00/7/13)
ふつうバレエ上演では、オーケストラはピットの中に入っていて、観客からは指揮者の頭しか見えない。モスクワ音楽劇場の「ロメオとジュリエット」では舞台上に作られた階段状の斜面に、中世風の長いローブを着た演奏者たちが並んでいる。
死へと向かって疾走する若い男女の運命を操っているのは、じつはオーケストラであり、そのオーケストラの奏でるプロコフィエフの珠玉の名曲が、ダンサーたちを操り人形のように踊らせているのだ、と言わんとしているのだろうか。
しかも、そのオーケストラを挟んで、前方に大きく張り出した舞台と、後方の高い所にあるもう一つの舞台とが両方使われる。舞台を二層にしたことで、重層的な表現が可能になり、たとえば下で群衆が乱舞し、上でロメオとティボルトが決闘する。あるいは、下の舞台にジュリエットの亡骸が横たわり、上では市民たちが浮かれ騒ぐ。ダンサーたちはオーケストラの間を縫って、舞台から舞台へと駆け上がり、駆け下りる。
演出振付のワシーリエフはマイムとダンスをほとんど分離せず、全編を「演劇的ダンス」によって進行させる。『白鳥の湖』の改訂ではわれわれを失望させたワシーリエフだが、この作品は傑作として長く上演されつづけるだろう。
ジュリエットというと、いたずら盛りの女の子が瞬く間に女として成長していく、という演出が多いが、完璧な技術ときめ細かな演技力で定評のあるレドフスカヤは、終始感情を抑制した「純白のジュリエット」を演じ抜いた。耳障りな音をまったく立てないポワントに感銘を受けた。ロメオ役のディクはやや一本調子だったが、ロメオというのはそういう役柄だろう。
肝腎のオーケストラが、音は明快だが、金管がやたら響くわりには弦が鳴らず、ミスも多かったのは残念。終幕、指揮者が段から降りてきて、死んだロミオとジュリエットの手を結び合わせる、という結末が意表を突いた。7日、東京文化会館。
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