自由連想的キエフ・バレエ考

(キエフ・バレエ来日公演プログラム 1998/6)

 キエフというと、まず「古い」というイメージがある。実際、キエフは「ロシアの都市の母」と呼ばれ、旧ソ連の都市の中でダントツに古い。1982年に「キエフ建設1500年祭」というのが盛大に祝われた。ということは4世紀に建設されたわけだ。モスクワが初めて文献に登場するのは12世紀のことだから、いかにキエフが古いかがわかる。ペテルブルクなんて、できたのは18世紀になってからだ。
 キエフ・バレエはその町のシェフチェンコ劇場(シェフチェンコ記念ウクライナ国立オペラ・バレエ劇場)を本拠にしているが、シェフチェンコはウクライナのバンドゥーラ奏者であり国民詩人。ロシアのプーシキンに相当する人物だ。キエフでは19世紀半ばからすでにバレエが上演されていたから、ロシアに比べてそれほど遅れていたわけではない。キエフ独自の発展において重要な作品は1899年に初演されたニコライ・アルカスのオペラ『エカテリーナ』だが、このオペラの原作はシェフチェンコの詩だ。そしてこのオペラのためにバレエを振り付けたのがポーランド人のフォーマ・ニジンスキー。かの伝説的舞踊家ヴァーツラフ・ニジンスキーの父親である。
 そのヴァーツラフはキエフで生まれている。
 そしてその妹ブロニスラヴァはロシア革命が起きる少し前にキエフに舞踊学校を開いて、バレエ・リュスの演目を紹介している。
 そして彼女の教え子のひとりがセルジュ・リファールである。彼は最初、キエフの音楽学校でピアノを勉強していた(クラスメートに、かのホロヴィッツがいた)が、革命の動乱で勉強を続けられなくなり、バレエに転向することにし、ニジンスカの学校に入ろうとしたが、基礎教育を受けていなかったためにニジンスカに断られ、別の学校でニジンスカが担当していた舞踊のクラスに参加した。ニジンスカは革命後、かつて所属していたディアギレフのバレエ・リュスに再入団して、『青汽車』『結婚』などの名作を手がけるが、その際、キエフからかつての自分の学校の生徒を5人呼び寄せた。そのうちの一人が参加を取りやめたため、代わりに行ったのがリファールだった。彼はバレエ・リュスのスターとなり、バレエ・リュス解散後はパリのオペラ座に入った。今日のオペラ座の隆盛の礎を築いたのはこのリファールである。
 バレエ学校というと、山岸涼子の名作少女漫画『アラベスク』はキエフ・バレエ学校から話が始まる。主人公ノンナはこの学校の生徒なのだ。
 バレエを題材にした少女漫画というと、もうひとつ、『スワン』という有吉京子の作品が思い出されるが、その最初のほうに、かつてキエフ・バレエが十八番にしていた『森の詩』が出てくる。最近バレエを見始めたという人は知らないかもしれないが、以前は日本でも人気ある演目だった。
 かつては「キーロフ、ボリショイと並ぶ、ソ連三大バレエの一」というのがキエフ・バレエのキャッチフレーズだった。ソ連は崩壊し、ウクライナも独立国となったので、キエフ・バレエはキーロフやボリショイとは「別の国」のバレエ団になったのだが、どうもわれわれ日本人はなかなか頭が切り替わらないようで、ロシアのバレエ団とは違うキエフ・バレエの特徴というのがいまひとつ明確に捉えられないのだが、それを解くひとつの鍵は「森」だと思う。バレエ『森の詩』は森の精と人間との恋を描いているが、同時に自然と文明との対立の寓話にもなっている。キエフは森の都だ。数ヶ月間キエフで暮らし、最近帰国した友人が「キエフにはまだ西洋文明が届いていない」と言っていた。この「後進性」がこれから逆に強みになって、ロシアのバレエとはまたひと味もふた味も違う独特のバレエを発展させていくのではなかろうかと期待している。