「生きよ、そして踊り続けよ」

ニジンスキーからベジャールへ受け継がれるダンス魂/『生=ダンス』21世紀への伝言
 (東京新聞 1998/7/17)

 モーリス・ベジャール率いるバレエ団が来日公演中である。いうまでもなくベジャールは二十世紀のバレエにおける最大のコレオグラファー(振付家)である。やはり今世紀を代表するコレオグラファーと称されるバランシンが十九世紀古典バレエを現代的に洗練させただけなのに対し、ベジャールは真の意味で「二十世紀のバレエ」を生み出し、一九五〇年代から現在に至るまで世界のバレエを牽引してきた。
 彼は一九五九年に『春の祭典』によって一躍世界的名声を得たが、つい先日、東京バレエ団によって再演されたこの作品を見て、その完成度の高さにあらためて感心した。彼の初期作品は、二十世紀芸術の最大のテーマである「性」を真正面から見据え、その濃厚な官能性は今なお観る者を酔わせる。
 だが一九八〇年代になって時代が「ポストモダン」の様相を呈してくるとともに、ベジャールもまた自分が作り上げたスタイルをみずから脱構築していった。純粋に舞踊的な部分が減り、作品は断片化していき、難解と言われるようになった。そのために離れていったファンも少なくない。だが、今回の公演を観て、ベジャールは七十一歳にしてまた新たな境地に達したという印象を受けた観客が多かったのではなかろうか。
 他の上演作品『突然変異X』および『バレエ・フォー・ライフ』からも観客に強烈に伝わってくるもの、それは「ダンスへの愛」である。前者は核戦争を、後者はエイズをテーマにしているが、前者ではかつて「ダンス音楽の王者」と呼ばれたジャッキー・グリースンの曲で、後者は「クイーン」のロックを用いて、生きる歓びとしてのダンスを見せてくれた。
 その意味でも、フレディ・マーキュリーとジョルジュ・ドンという、ともにエイズで早世した二人のアーティストに捧げられた後者の幕切れ近くで、スクリーンに映し出されたのが、ニジンスキーを演じるドンであったことは、まことに意義深い。
 そしてベジャール公演と時を同じくして<東京の夏>音楽祭とセゾン美術館が、セルゲイ・ディアギレフをクローズアップしていることもまた意義深い。ディアギレフは、ニジンスキーを発掘し、世界一のダンサーに育て上げ、さらに前衛的な作品を振り付けさせた人物である。ディアギレフ率いるバレエ・リュスはバレエ史上最も重要なバレエ団であり、今日のバレエの世界的隆盛も、元を正せばこのバレエ団のおかげであるが、そのバレエ・リュスで仕事をしたコレオグラファーたちの中で最も革命的だったのがニジンスキーである。
 彼はその代表作『春の祭典』において、いまや二十世紀の古典となったストラヴィンスキーの革命的な音楽に、それに劣らず革命的な振付をほどこしたが、不幸なことにその振り付けは長いこと忘れられていた。最近になってアメリカの舞踊学者が復元を試み、いまではそれがオペラ座のレパートリーにもなっているが、先日、都内で開かれた講演会でベジャールがその試みを「偽作」と言い切ったことは興味深い。
 学者による復元の試みが本当に偽作かどうかはともかく、ベジャールは、重要なのは『春の祭典』の「魂」を蘇らせることだ、ということが言いたかったのだろう。自分の『春の祭典』こそニジンスキーの精神を正しく継承したものだという自負が彼にはあるのだ。実際、ベジャールには『ニジンスキー 神の道化』と題する長大な作品もある。
 ニジンスキーは若くして精神を病み、生きながらにして伝説となったが、彼にとって生とはダンスであり、ダンスとは生であった。ベジャールはその精神を受け継ぎ、いま、二十一世紀を目前にして、核戦争の脅威はいまだ去らず、エイズ、環境ホルモンといった問題を抱えた私たちに向かって、「生きよ、そして踊り続けよ」というメッセージを発信し続けている。