「コッペリア」はどういうバレエか

 (スターダンサーズ・バレエ団「コッペリア」プログラム 1996/7)

オートマトンとマッド・サイエンティスト
 バレエ「コッペリア」の特徴としてまず思いつくのは、人形が登場することでしょう。何しろその人形の名前が題名になっているほどですから。人形が登場するバレエというと「くるみ割り人形」が思い浮かびますが、これも「コッペリア」と同じく原作はE.T.A.ホフマンです。「ペトルーシュカ」ではついに人形が主人公になってしまいました。
 コッペリアは正確にいうとオートマトン(自動人形)、すなわち人間みたいな動きをする時計仕掛けのカラクリ人形です。小説やバレエの中だけの話だと思っている人がいるようですが、じつはコッペリアみたいな自動人形は実際にもたくさん存在しました。すでに18世紀には、ヴォーカンソンというフランスの技術者が、指や唇を動かしてフルートを吹く人形や、排泄までするアヒルを作って、パリ科学アカデミーから賞を受けていましたが、「コッペリア」が初演されたころ、ロンドンのミュージックホールでは、マスケリンというマジシャンが、絵を描く女の人形や楽器を演奏する人形で観客を喜ばせていました。ある会社は最盛期には年に500も自動人形を生産していたそうです。第一次世界大戦後、自動人形は急速に廃れてしまいますが、「コッペリア」が初演されたころにはまだ観客にとって身近な存在だったのです。
 自動人形の理想的な姿は人造人間でしょう。コッペリウス博士の家に忍び込んだスワニルダと友人たちはたくさんの人形を発見しますが、フランツを酔わせて魂を抜き取ろうとするところから察するに、彼はたんなる人形ではなく人造人間、すなわち「魂をもった人形」(ペトルーシュカはまさにそれだ)を作ろうとしているようです。こういうタイプの科学者=技術者=魔術師を、マッド・サイエンティスト(狂気に憑かれた科学者)といいます。私たちにとって一番身近な例は映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でタイムマシンを作る「ドク」でしょうか。「コッペリア」の原作であるホフマンの「砂男」に出てくるコッペリウス博士は不気味で醜悪な人物ですが、バレエでは滑稽な、そして少々哀れを誘う老人として描かれています。

ピュグマリオニズム
 スワニルダがコッペリアになりすますところからすると、この人形はスワニルダに似ているらしい。コッペリウス博士はスワニルダに気があって、それで彼女に似せた人形を作ったのかもしれません。それを強調している演出もあります。恋する女そっくりの人形を作る、あるいは自分の作った人形に恋してしまう、こういうのをピュグマリオニズムといいます。キュプロス島の王様ピュグマリオンは彫刻家で、自分の彫った象牙のアフロディーテ像に恋着し、女神ヴィーナスに懇願して、象牙の像を人間にしてもらいました。近代になると、もう神様がいないので、人間が自分の手で人形を人間にするしかありません。そういう小説がいくつも生まれました。一番有名な、リラダンの長編「未来のイヴ」は、かの発明家エディソンが人造美女を作る話です。ホフマンの「砂男」もこのジャンルの代表的な例の一つです。アンドロイドに恋してしまうという映画「ブレードランナー」もこのテーマの変奏といえるでしょう。
 人形に恋するという点では、男女が逆ですが、「くるみ割り人形」も同じテーマを扱っています。その点がわからないと、どうしてマリー(クララ)が不細工な髭もじゃのくるみ割り人形を可愛がるのかが理解に苦しみます。

「若さ」がテーマ
 コッペリウスは村の若者たちにからまれて鍵を落としてしまいます。その鍵を使って彼の家に忍び込んだスワニルダたちはさんざんイタズラをして、コッペリウスを困らせます。若者たちの無邪気なイタズラが、老いぼれコッペリウスとは対照的に描かれているのです。
 別の面でも「若さ」が描かれています。フランツがコッペリアにモーションをかけるのは、若者が一度は通過しなければならない一つのイニシエーションです。彼にはスワニルダという恋人がいるのですが、刺激を求める若者らしく、他の女にも目がいってしまいます。その女が外見だけのつまらない女だということがわかったとき、スワニルダの魅力を再発見し、彼女のもとへと帰ってくるのです。これを一度経験しておかないと、結婚してから浮気する羽目になる、と言ったら言い過ぎでしょうか。
 いずれにせよ、スワニルダをはじめ、村の若者たち(を演じるダンサーたち)は若々しく、溌剌として、お茶目で、ちょっぴり意地悪でなくてはなりません。コッペリウスにたいするイタズラが陰湿に見えたらこのバレエは台無しです。

フランツはもともと女性が演じた
 初演のときにフランツを演じた(踊った)のは、ウージェニー・フィオークルという女性でした。まるで宝塚みたいですが、当時は珍しくなかったのです。だから、フランツがスワニルダを持ち上げるところなどは、後から付け加わった振付だということがわかります。パリ・オペラ座では第二次世界大戦後まで、女性がフランツを踊っていました。
 「コッペリア」(1870)は、いわゆるロマンティック・バレエの最後期の作品の一つです。「ラ・シルフィード」(1832)、「ジゼル」(1841)によって大流行したロマンティック・バレエは、一口でいえば「女のバレエ」でした。観客の目は、ポワントで踊るバレリーナの美しさに集中し、男性ダンサーはもっぱら後ろでバレリーナのピルエットを支えていたのです。それどころか舞台に出る男性はますます少なくなり、男役も女性がやるようになったのです。踊り手が女性ばかりでは、当然ながら表現の幅が限定されますから、このことが西欧のバレエ衰退の原因となりました。西欧でバレエがふたたび盛んになるのは20世紀になって、ディアギレフがロシアのバレエを紹介してからのことです。

エキゾティズム
 「コッペリア」の舞台はポーランドということになっています。当時のパリの観客にとっては、東欧はまだ遠い異国でした。エキゾティズム(異国趣味)というのもロマンティック・バレエの一つの大きな特徴でした。それが証拠に「ラ・シルフィード」の舞台はスコットランド、「ジゼル」の舞台はドイツです。「コッペリア」でも異国情緒を高めるため、東欧ふうの衣装や装置だけでなく、チャルダッシュとかマズルカといった民族舞踊が取り入れられています。第二幕に登場する人形たちからもエキゾティズムが感じられます。

エナメルの眼をした娘
 では、このバレエは誰によってどのように作られたのでしょうか。
 原作は先にも触れたように、ドイツの幻想作家E.T.A.ホフマンの「砂男」です。なかなか恐い怪奇小説です。台本作者ニュイッテル、この人はオッフェンバックのオペレッタの台本をたくさん書いている人ですが、彼は「砂男」の一部だけを借用して、しかも恐いところ、不気味なところを払拭して、悲劇を喜劇に変えました。ちなみに、「ラ・シルフィード」や「ジゼル」の頃には悲劇が好まれたのですが、「コッペリア」の頃になると、バレエは軽い娯楽になっていましたから、かならずハッピーエンドだったのです。「コッペリア」には「エナメルの眼をした娘」という副題がついていますが、じつは「砂男」では眼球が重要なモチーフになっています。主人公ナタニエルは子どものころに怪人コッペリウスに眼をくり抜かれそうになるし、彼が恋する自動人形オリンピアは人間の眼を使って作られ、最後には眼をくり抜かれます。そもそも題名になっている砂男というのは、伝説で、人間の眼に砂をかけて眠気を誘う「睡魔」の象徴です。眼をくり抜くというグロテスクなイメージを払拭するために、わざわざ「エナメルの眼の娘」という副題を付けたのでしょうが、かえって台本作者の眼にたいするこだわりを露呈しています。

音楽と振付
 「コッペリア」の音楽は誰でも知っていると思いますが、作曲者はレオ・ドリーブです。彼の曲はチャイコフスキーに多大な影響を与えたという点で大変重要です。いってみれば、チャイコフスキーはドリーブのような曲が書きたいと思って、3大バレエを書いたのです。
 「コッペリア」は制作に何年もかかりました。いちばんの原因は、夏休みにしかリハーサルができなかったことです。振付のサン=レオンが、「ジゼル」の振付家であるジュール・ペローの後継者として(そしてプティパの前任者として)ロシアのマリインスキー劇場で働いていたためです。サン=レオンは若い頃は名ダンサーで、ファニー・チェリート(パ・ド・カトルを踊った一人。サン=レオンと結婚し、後に離婚)と共演しました。ヴァイオリンの名手でもあり、その優れた音楽性は振付にもあらわれています。ペローが、パ・ダクシヨン(演劇と舞踊の一体化)というロマンティック・バレエの理念に忠実だったのに対し、サン=レオンはディヴェルティスマンを多用し、筋と踊りをかなり分離させました。その特徴は「コッペリア」にも見られます。

悲劇のバレリーナ
 当初、サン=レオンの弟子、アデーレ・グランツォフがスワニルダを踊ることになっていたのですが、彼女は重病に倒れてしまいました。サン=レオンは、児童バレエの教師として有名だったドミニク夫人のクラスで、ジュゼッピーナ・ボツァッキという15歳の少女に目をつけ、主役に抜擢することにしました。
 1870年5月、ついに「コッペリア」は上演の運びとなりました。すぐさま大評判となり、ボツァッキは絶賛されました。ある批評家の言葉を借りれば、彼女は「カルロッタ・グリジを忘れずに嘆き続けてきたバレエファンたちの涙を乾かせた」のでした。
 ところが7月に普仏戦争が勃発し、パリ・オペラ座はその歴史始まって以来初めて閉鎖されました。開花しかけたボツァッキのキャリアも中断されてしまいました。それからしばらくして、サン=レオンがオペラ座近くのカフェで心臓発作を起こして急死しました。パリが包囲され、市民が窮乏生活を強いられるなか、ボツァッキは天然痘にかかり、ちょうど17歳の誕生日に世を去ったのでした。

その後の運命
 1884年には、かのマリウス・プティパの振付による版がペテルブルクで上演され、これは10年後の1894年にエンリコ・チェケッティとレフ・イワノフによって改訂されました。革命後、ニコライ・セルゲーエフがマリインスキー・バレエの主要21演目の舞踊譜をもって亡命し、マリインスキーのバレエを国外で広めましたが、「コッペリア」は1933年にヴィック・ウェルズ・バレエ団によって上演されました。経済学者ケインズの夫人としても知られるリディヤ・ロプホーヴァ(ロポコワ)とニネット・ド・ヴァロワがスワニルダを踊りました。今日、フランスとデンマーク以外で上演されている「コッペリア」のほとんどは、このプティパ=チェケッティ版がもとになっています。デンマーク・ロイヤル・バレエ団では、1896年に初演されたグラゼマンとベックの版が継承されており、当時のスタイルを見る上で参考になります。
 1970年代には3つの重要な版が上演されています。73年にパリ・オペラ座バレエ団が上演したラ・コット版は、オリジナルの振付をできるだけ復元しようという試みでした。74年には、ニューヨーク・シティ・バレエのために、バランシンと、かつて名スワニルダ役として讃えられたアレクサンドラ・ダニロヴァが共同で演出しています。75年には、ローラン・プティの斬新な「コッペリア」がマルセイユ・バレエ団によって初演されました。プティ版はフランスふうのエスプリのきいた、しゃれた現代風「コッペリア」として定評を得ています。
 もちろん、ピーター・ライト版も忘れるわけにはいきません。ライト版の特徴は、「ジゼル」の場合でも「くるみ割り人形」の場合でも、劇的構造がしっかりしていて合理的だということですが、「コッペリア」にもそれがあらわれています。彼は伝統的な演出を尊重し、大きな変更はあまりしないほうですから、プティ版とは対照的なあの印象的な幕切れは、「白鳥の湖」の冒頭の葬列と並んで、ピーター・ライトとしてはかなり大胆な試みといってもいいでしょう。