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チェルノブロフキナの魅力
(ゴールデン・バレエ・ガラ・オブ・ロシア公演プログラム 2000/9-10)
かつてバレリーナというのは、今よりもずっと小柄で太っていた。いや太っていたというより、筋肉がたっぷりついていた、といったほうが正しいのかもしれない。それが、ナタリア・マカロワあたりからだろうか、すらりと背が高く、手足が細くて長いバレリーナの時代になった。
小柄のバレリーナがいいのか、それとも手足の長いバレリーナのほうがいいのかは、作品によって、また役柄によって違うだろうが、長身で手足が長い方が、舞踊空間が広がり、クラシック・バレエのもつ魅力がいかんなく発揮されることは確かである。まわりの空気を優しく包み込むようなロマンティック・バレエに対し、クラシック・バレエは鋭い角度で空間を切り裂き、垂直水平に極限まで身体を伸ばすものだからである。
21世紀に入った今、シルヴィ・ギエムをはじめ、ザハロワ、ロパートキナ、ラカルラ、ヤンヤン・タンといった、手足のすらりと長いバレリーナが世界のバレエをリードしている。手足の長いバレリーナは、その手足を自由自在に扱うためには、小柄なバレリーナ以上のテクニックを要求されるが、上に挙げたバレリーナたちのテクニックはみなさんご存じの通りである。タチヤナ・チェルノブロフキナも、そうした世界のトップをいくバレリーナたちのひとりである。
チェルノブロフキナが初来日したのは1986年。今から15年前のことだ。「プリセツカヤとソビエト・バレエのスターたち」の一員としてである。そのはっとするような美貌はいうまでもなく、スタイルの良さ、とくに脚の長さと美しさに驚かされた。
言い訳ではないが、クラシック・バレエの美は女性の脚の美しさと切り離しては考えられない。バランシンは、「私は女性の脚の美しさに魅せられて振付をしたいと思うようになった」と告白しているし、ローラン・プティもまた女性の脚線美に魅せられた振付家のひとりだ。20世紀を代表する振付家たちがそうなのだから、私が脚線美に魅せられたって、「間違った見方」ではないのだ。
いま手もとに当時のビデオがあるが、チェルノブルフキナはまことに初々しい。フョードロフとの『眠れる森の美女』のグラン・パ・ド・ドゥでは、アダージョでのアチチュード、ヴァリアシオンでの第2、第4アラベスク、そして最後を締め括るアチチュード・クロワゼ・ドゥヴァンのなんと美しいこと。
それら美しいポーズを繋げるテクニックも完璧である。ダイナミックでありながら、その動きがじつに軽いことが、チェルノブロフキナの特徴である。先にも述べたとおり、その軽さは高度な技術によって支えられている。
ローラン・プティの「ショールス・ギター」というモダン作品では、そうした特徴がよくあらわれている。しかも注目すべきは、動きに無駄がないということだ。そのために全体にとても端正な印象を与える。だが同時に、脚を蹴り上げるところでは瞬間的に力が入り、踊りを迫力あるものにしている。
さて、チェルノブルフキナといえば、なんといってもオデット=オディールである。彼女は、ネミロヴィチ=ダンチェンコ、スタニスラフスキー記念モスクワ音楽劇場バレエのプリマだが、この劇場は何よりもブルメイステル版『白鳥の湖』で知られる。
『白鳥の湖』の演出振付は数多くあるが、私に言わせれば、ブルメイステル版が最も優れている。これまで何人ものバレリーナがこの作品を踊ってきたが、私の場合、ブルメイステル版はチェルノブルフキナと切り離しては考えられない。
プロローグでは、湖畔で花を摘んでいる王女が魔法で白鳥に変えられる。そして終幕では白鳥がふたたび人間の姿に戻る。いずれの場面でも、チェルノブロフキナの上品で優雅な美しさは胸に染みる。
彼女のオデットもすばらしい。脚の美しさに加えて、上半身がやわらかく、きれいにしなるので、グランド・アダージョは眼がとろけるほどだ。その上半身の美しさには、ロシア・バレエの良き伝統があらわれているといえよう。
一方、舞踏会の場では、黒鳥オディールとして、妖艶でダイナミックな踊りを見せる。ロットバルトのマントの陰から出てくるとき、彼女は実際以上に大きく見える。その動きが大きいから、空間がぐっと広がるのだ。しかも彫りの深い顔立ちの彼女は、「魔性の女」にぴったりだ。回転の正確さは、あらためていうまでもない。
昨年もまた彼女の『白鳥の湖』を観ることができたが、近年、彼女の踊りには円熟味が加わった。身体の軸がしっかりしているために、その踊りはけっして崩れることがないが、要所要所に丸みと深みが加わった。今回はどんな踊りを見せてくれるか、楽しみである。
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