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バレエと音楽
(あんさんぶる 2001/1)
音楽を伴わないバレエはない。音楽とバレエとは切っても切れない関係にあるのだ。だから、楽譜をちゃんと読めないようなバレエ教師は教師の資格がないといっても過言ではないし、音感のわるいダンサーは名ダンサーにはなれない。
十九世紀の版画をみると、教師たちはバイオリンを弾きながら教えている。バレエのレッスンの伴奏というと、今ではピアノがふつうだが、昔はバイオリンのほうがふつうだったのである。
また、過去の名バレエ教師・振付家たちのなかには、優れた音楽家だった人も少なくない。『コッペリア』の振付家アルテュール・サン=レオンは名バイオリニストでもあり、舞台で踊りながらバイオリンの腕前を披露した。
こんなエピソードもある。ロシアの作曲家で有名なピアニストでもあったアントン・ルビンシテインが、あるとき、帝室舞踊学校で自作のバレエ曲を弾いた。彼が部屋を出ていった後、ひとりの少年がピアノに歩み寄って、全曲をそらで弾き、周囲を仰天させた。彼は初めて聞いたその曲を一度で全部覚えてしまったのである。その少年の名はレフ・イワノフ。後に『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』の振付家として後世まで名を残すことになる人物である。
ジゼルからコッペリアへ
バレエと音楽は切っても切れない関係にあると書いたが、十九世紀にはバレエの音楽は軽視されていた。たいていはそのバレエ団の指揮者が、振付家の「三拍子のアレグロ、明るいメロディで三十二小節」といった指示に従って適当に曲を書いた。要するに、踊れさえすればそれでよかったのである。だから、そのバレエが上演されなくなると、曲もすぐに忘れられてしまった。優れたバレエ、優れた曲だけが残ったのである。
今でも愛されているバレエの名曲の中でいちばん古いのは『ジゼル』(一八四一年初演)だろう。作曲者はアドルフ・アダン。この曲はライトモチーフを用いている点でたいへんユニークだ。村の娘ジゼルはロイスという青年を愛しているが、このロイスはじつは領主の息子アルブレヒトで、村の若者になりすましてジゼルとの恋を楽しんでいたのである。だが彼には婚約者がいた。それを知ったジゼルは失意のあまり発狂してしまう。この「狂乱の場」が見どころのひとつなのだが、これはドニゼッティの有名なオペラ『ランメルモールのルチア』からヒントを得たと言われている。
気が狂ったジゼルは幸せだった日々を回想するのだが、そのとき、恋人と戯れていたときに流れていたのと同じメロディが流れ、観客の涙をそそる。
次なる名曲が生まれるのは、『ジゼル』から三十年ほど後のこと。ドリーブの『コッペリア』である。可愛らしいワルツも、マズルカも、聞いたことがないという人はいないはずだ。同じドリーブの『シルヴィア』も美しい曲である。
チャイコフスキー
しかし、アダンもドリーブも、バレエ界以外ではあまり知られていない。いわゆるクラシック音楽ファンたちからは二流の作曲家と見なされている。最初にバレエ曲を書いた大作曲家、つまりバレエ以外でも有名だった作曲家は、ピョートル・チャイコフスキーである。「チャイコフスキーの三大バレエ」と呼ばれる『白鳥の湖』『眠れる森の美女』『くるみ割り人形』を残している。
作曲年代は『白鳥の湖』が早く(一八七七年初演)、あとの二作が書かれたのはそれから十年以上後のことである。作風も、『白鳥の湖』だけは変わっている。というのも、後の二作はマリウス・プティパという、いわゆるクラシック・バレエの様式を確立した振付家の細かな指示に従って書いたもので、全体が細かい組曲になっているが、『白鳥の湖』はいわばチャイコフスキー自身が自由に書いたもので、ひじょうにシンフォニックである。この曲を聴くと、当時、チャイコフスキーがワーグナーの影響下にあったことがよくわかる。有名なソードレミファソーミソーミというテーマは、ワーグナーのオペラ『ローエングリン』の中のいわゆる禁止のテーマとよく似ている。
ところで、演奏会で、組曲の順番を入れ替えて演奏するということはまずないだろうが、バレエの場合は話が別で、『白鳥の湖』の場合、売られているCDはほとんど「原典版」だが、実際にその曲順で使っているバレエ団はない。使う曲もバレエ団によって違うため、「おや、この前みたときは、同じ場面に違う曲が流れていたが」という経験をすることも多いはずである。
ロシアではチャイコフスキーの他に、プーニ、ドリゴ、ミンクスといった作曲家たちがバレエ曲を書いていたが、チャイコフスキーと比べるとかなり落ちるといわねばならない。
バレエ・リュス
二十世紀のはじめ、バレエが盛んだったのはロシアとデンマークだけで、イギリス、フランス、イタリアなどでは、バレエは死に瀕していた。それが復活し、今日の世界的なバレエ・ブームを迎えることになったのは、ひとえにバレエ・リュスのおかげである。バレエ・リュスは、バレエ史上最高のバレエ団といわれる一座で、ロシアからパリにやってきて、パリジャンたちを仰天させたのである。
セルゲイ・ディアギレフという人物が結成したのだが、彼はバレエを総合芸術と捉えた。先に述べたように、それまでバレエの音楽は二流の作曲家たちが書き、舞台美術はその一座の装置係がデザインしていたのだが、ディアギレフはそれをあらためて、音楽も美術も一流のアーティストに頼むことをモットーとした。
バレエ・リュスが活動したのは二十年ほどだが、その間に、ラヴェル『ダフニスとクロエ』、ドビュッシー『遊戯』、リヒャルト・シュトラウス『ヨゼフ伝説』、エリック・サティ『パラード』、ファリャ『三角帽子』など、数多くの名曲が生まれた。
ちなみに、バレエ・リュスの美術を担当した画家たちのリストも壮観で、ピカソ、ブラック、シャネル、ローランサン、ルオー、ユトリロ、デ・キリコらがいる。
作曲家のなかでバレエ・リュスにもっとも貢献したのはイーゴリ・ストラヴィンスキーだろう。じつは彼はバレエ・リュスによって世に出た作曲家である。『火の鳥』『ペトルーシュカ』によって一躍国際的名声を勝ち得て、さらに『春の祭典』『結婚』『アポロ』などを書いている。
『春の祭典』がもともとバレエ曲であることを知らない人も多いだろう(ラヴェルの『ボレロ』も同様だろう)。しばしばコンサートで演奏されるからである。音楽だけで聞く曲としても優れているという証拠であろう。
『春の祭典』が名曲中の名曲であることは、私なんぞがあらためていうまでもない。二十世紀を代表する曲といってもいいだろう。西洋音楽は伝統的に一定のリズムにもとづいて書かれている。四拍子とか、三拍子とか。それが速くなったり遅くなったりすることはあっても、また、部分的に拍子が変わることはあっても、基本的に全体を貫くリズムは一定である。ところが『春の祭典』はいわゆる変拍子で書かれていて、聴いてもすぐにはリズムがつかめない。しかも二つの異なるリズムが同時に進行したりもする。この曲にはロシア民謡が何曲も織り込まれているのだが、簡単にはわからない。じつに複雑な曲である。にもかかわらず、ひじょうに親しみやすいところもあって、何度聞いても飽きない名曲である。
この曲をきくと、振付家は創作意欲を掻き立てられるらしく、現在までに百を超えるヴァージョンが作られている。もっとも有名なのは、ニジンスキーによるオリジナルの他、モーリス・ベジャール、ピナ・バウシュのものだろう。
バランシン
ストラヴィンスキーの名が出たら、ジョージ・バランシンに触れないわけにはいかない。彼はバレエ・リュス最後期の振付家だが、その後アメリカにバレエを定着させた。バレエ・リュス時代の『アポロ』以来、バランシンとストラヴィンスキーは生涯固い友情で結ばれ、『アゴン』をはじめ、いくつもの名作バレエを残している。
バレエと音楽の関係を考えるとき、バランシンの作品はとりわけ興味深い。十九世紀のバレエはどれもストーリーがあるが、そのなかに独立したダンスが挿入されていて、それらはかならずしもストーリーと関係がない。極端な話、『眠れる森の美女』のグラン・パ・ド・ドゥと、『くるみ割り人形』のグラン・パ・ド・ドゥを取り替えても、初めてみた人にとっては違和感はないはずである。どちらもストーリーとは無縁だからである。
だとしたら、ストーリーなんか捨ててしまって、ダンスの部分だけで作品をつくればいいではないか、とバランシンは考え、抽象バレエをつくりあげた。その際、彼は音楽をダンスで表現しようと考えた。つまり彼にとってバレエとは「目で見る音楽」だったのである。
ロミオとジュリエット
私がバレエ音楽の最高傑作だと考えているのは、『春の祭典』と、もうひとつ、『ロミオとジュリエット』である。作曲者はセルゲイ・プロコフィエフ。彼は若いころ、パリで実験的な音楽の作曲にいそしみ、バレエ・リュスのためにも『放蕩息子』などを書いているが、革命後、ロシアに戻り、古典主義的な作風に回帰した。
彼はチャイコフスキーのことをすごく意識していて、自分も名バレエ曲を書いて「二十世紀のチャイコフスキー」になりたいと願っていたのだが、その願いを実現させたのが『ロミオとジュリエット』である。
いうまでもなく、シェイクスピアの芝居のバレエ化である。シェイクスピアでは「セリフが命」であるが、バレエはそのセリフをいっさい使わずにストーリーを進行させる。そのときに力を発揮するのが音楽である。街の雑踏を表現する民謡風の曲、舞踏会のシーンでの「剣の踊り」、そして二人の若者が死んでいくラストシーンでの壮麗な曲。
個人的好みをいわせてもらえば、私はチャイコフスキーの三大バレエよりも『ロミオとジュリエット』のほうが好きである。ラストの曲を聴いているだけで、恋人たちの悲劇が思い浮かんで、目頭が熱くなる。
昨年、モスクワ音楽劇場バレエが来日し、ワシーリエフ版『ロミオとジュリエット』を上演したが、これは面白かった。舞台後方の高いところにもうひとつ舞台があって、両者の間は階段になっており、オーケストラはその階段に配置されているのである。バレエは両方の舞台で演じられ、ダンサーたちはオーケストラの間を縫って、二つの舞台の間を往復する。最後、ロミオとジュリエットが死ぬと、指揮者がおりてきて、二人の手をしっかりと結び合わせる。
今年の四月には、リトアニア国立バレエ団が日本で同じワシーリエフ版『ロミオとジュリエット』を上演するが、ロストロポーヴィチが指揮をする。これは見逃せない(聞き逃せない?)。
ロストロポーヴィチは最近、モスクワ・ボリショイ劇場の芸術監督に就任したが、彼はどうやら二流の音楽を使ったバレエをレパートリーから締め出そうとしているらしい。だが、その方針を貫くことは難しいのではなかろうか。そんなことをしたら、レパートリーの大半がお蔵入りになってしまう。
バレエの名曲というのは、それくらい少ないのである。
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