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バレエの革新、そして現代へ〜それぞれの白鳥を探して
(あいちダンス・フェスティバル・プログラム 2004/2/28)
20世紀が幕を開けたとき、バレエ芸術は危機に瀕していた。
フランスでは、バレエは1830年代、40年代のロマン主義時代に最初の隆盛を迎えたが、1850年を境に衰退の一途を辿り、世紀末に至っては安っぽい見世物に堕落していた。
1880年代から90年代にかけてクラシック・バレエ様式を確立したロシアにおいても、1890年の『眠れる森の美女』初演からわずか十年しか経っていないというのに、マリウス・プティパが完成させた様式に対する反撥の声が早くも高まっていた。
タマーラ・カルサーヴィナは自伝『劇場通り』の中で、プティパのバレエについてこう書いている。「主題はもはや、種々雑多な踊りがそこにぶらさがっている、壁の釘みたいなものになってしまいました。プティパは[……]舞踊の内的動機を見失ってしまったのです」。
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その内的動機の復活を唱え、バレエ改革の先頭に立ったのがミハイル・フォーキンである。彼の代表作のひとつ『瀕死の白鳥』(1905)はアンナ・パヴロワのために即興的に振り付けた作品だが、いうまでもなく『白鳥の湖』で広まったバレリーナ=白鳥というイメージにもとづいたバレエである。平たくいえば、『白鳥の湖』の衣装をそのまま使って作ったバレエだ。だが、この作品と『白鳥の湖』を比べてみると、前者が「19世紀バレエ」、後者が「20世紀バレエ」だということに気づかされる。バレエは基本的に脚のダンスであり、脚に比べればポール・ド・ブラは二の次である。ところが『瀕死の白鳥』では、バレリーナの脚は床の上をポワントで小刻みに滑っていく(パ・ド・ブレ)だけなのに対し、腕は白鳥が羽ばたくように終始大きく動き、何かを語ろうとしている。これはイザドラ・ダンカンの影響だ、とパヴロワはいう。フォーキン自身はダンカンの影響を否定しているが、『瀕死の白鳥』を振り付ける少し前に、彼はロシアを訪れたダンカンの公演を見て、衝撃を受けていたのである。『瀕死の白鳥』にモダンダンスと相通じるところがあるのはそのためである。
フォーキンのもうひとつの代表作『レ・シルフィード』は別の意味で20世紀バレエの嚆矢の一つとなった。これは両面的なバレエで、ロマンティック・バレエへの郷愁にみちていると同時に、19世紀にはありえなかったプロットレス・バレエのはしりとなった。
フォーキンのバレエはやがてディアギレフという天性のプロデューサーの手で西欧に紹介される。「私を驚かしてくれ」というのが口癖だったというディアギレフの率いるバレエ・リュスの前衛主義・実験主義は20世紀バレエの方向を決定づけることになる。
バレエ・リュスの最大の功績は、ほとんど娯楽になっていたバレエをふたたび芸術のレベルに引き上げ、その表現の幅を大きく広げことである。だが反面、ダンス・アカデミックでしかできない高度な身体技術をフルに利用できなかったという欠点も指摘できよう。たとえばニジンスキーの作品はバレエの本質に対する根元的な問いかけをした作品として、数十年後のコンテンポラリー・ダンスの時代になってはじめてその真価が広く理解されるようになるが、『牧神の午後』にしろ『春の祭典』にしろ、いわゆるクラシック・バレエのテクニックをまったく用いていないので、クラシックの訓練を受けたダンサーが踊る必要があるだろうかという疑問が残る。
いずれにせよ、1910年代から30年代まで、人びとがバレエと聞いて思い浮かべたのはバレエ・リュスが演じるエキゾチックでアヴァンギャルドなダンスだった(当時、『白鳥の湖』や『眠れる森の美女』はソ連以外ではほとんど知られていなかった。第二次大戦後にそのイメージは一変する)。
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バレエ・リュス以降、バレエは大雑把に言って、三つの方向に進む。ひとつは劇バレエである。基本的にクラシックのテクニック(とその変種)を使って、物語をかたるもので、ダンスによってストーリーを進行させるという点で、クラシック・バレエよりもロマンティック・バレエに近い。劇バレエは第二次大戦前のソ連で盛んになり(何しろ抽象芸術は禁じられていたので)、後に英国ロイヤル・バレエのアシュトンやマクミランによって発展させられ、クランコによってシュツットガルト・バレエやナショナル・バレエ・オブ・カナダに輸出される。
二番目は抽象バレエ。その代表はいうまでもなくバランシンである。先にも触れたように19世紀にはストーリーのないバレエというのは考えられなかった。だがじつはプティパのクラシック様式においてはすでにストーリーはただの「枠」のようなものにすぎず、筋とは直接無関係のダンス部分に重点が置かれている。それならばいっそストーリーなんかなくしてしまえばいい、ということで生まれたのが抽象バレエである。その意味でバランシンは20世紀におけるプティパの後継者といえる。そしてその後継者が、クラシックの語彙と文法を脱構築してみせたウィリアム・フォーサイスであろう。
三番目が、バレエ・リュスの祝祭性を継承するモダン・バレエ(いい加減な呼称だが)であり、その代表はいうまでもなくベジャールである。バランシンの形式主義に対して、こちらは表現主義といえよう。ここでいう「モダン」とは現代という意味ではなく、やがてポストモダンにいたって崩壊し断片化することになる(愛、憎しみ、死、病といった)大きな物語を信じているという意味である。ベジャールが半世紀にわたって語ってきたのはそうした大きな物語である。また一方、モダンダンスの動きを大々的に取り入れているという見方もできよう。
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以上、ストーリーのあるものからないものまで、その表現形態は様々であるが、三つの大きな流れに共通しているのは、ダンスの語彙と文法の拡大である。簡単にいえば「新しい身体の動きを生み出す」ということである。基本的にクラシック・バレエというのは、決められた語彙と文法を使って作る、順列組み合わせのようなものである。20世紀バレエはそれを超えるところから始まったのである。
仮に、ダンス・アカデミックの基本的なパだけで新しい題材の作品、たとえば『源氏物語』を創作したとする。そしてそれがじつに出来のいい作品だったとする。それはレパートリーを増やしたという点で、歴史的に意義がないわけではないだろう。何しろバレエはオペラと比べてもレポートリーがあまりに少なく、おかげで観客は『ドン・キホーテ』やら『白鳥の湖』ばかり観させられているから。しかし、それは古文で現代小説を書くようなものであって、時代が求めているものに答えることはできない。そうした作品は、同じ古い語彙を使うのなら、別に新しい作品を作る必要はないのではないかという問いに答えられないだろう。
20世紀のバレエを振り返ってみると、バランシンの形式主義バレエはもちろんのこと、マクミランの全幕物のようにストーリーを語ることに重点が置かれているバレエであっても、名作として歴史に残っている作品のなかで、新しい動きへの探求のないバレエはない。
現在われわれが観ているような近代バレエの形式は19世紀の初めに生まれ、その基盤となるテクニックの体系はそれから100年ほどかかって、いわゆるワガノワ・メソッドとしていったん完成した。この体系を全部やめてしまったら、それはもうバレエとは呼ばれない。だが一方、それをそのまま継承するだけでは、バレエ公演はただの古典芸能の保存でしかなくなり、今を生きる芸術とは呼べないだろう。バレエが今後も長く生きのびていけるかどうかは、100年前に完成された語彙と文法にどれだけ新しい血を注ぎ込んでいけるかにかかっているのではなかろうか。
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