澁澤龍彦における精神分析とエロティシズム
(「ユリイカ・別冊/澁澤龍彦」、1988/6)

 はじめて読んだ澁澤の作品は『エロスの解剖』だった。七八年に出た函入りの単行本ではなく、六五年に桃源選書の一冊として出たソフトカバーの白っぽい本だ。
 といっても、読んだのは出版されてから数年後のことである。荒俣宏氏は『夢の宇宙誌』が出版されたとき、中学だか高校だかを抜け出して新宿紀伊國屋まで買いに行ったそうだが(「みずゑ」澁澤龍彦追悼号)、万事に晩稲であった私が初めて澁澤の書いたものに出会ったのは大学に入ってからのことだ。中学、高校をともに過ごした四方田犬彦(この名前は明らかに龍彦のパロディだ)が大学までの六年間に万巻の書を読み尽くしたのにたいし、こちらは中学のときに書を捨てて街に出たまま出っぱなし、まともに読んだのは三島とバタイユだけだった(それでどうして澁澤を読まなかったのか、今から考えると不思議でならないが、とにかくその二人の他には関心が広がらなかったのだ)。『エロスの解剖』より前にトロッキーの『わが生涯』を読んでいたはずだが、訳者のひとりである澁澤龍彦の名に注目した記憶もないから、名前すら知らなかったのかもしれない。
 どうして『エロスの解剖』なのかというと、私の文学の師である高橋たか子さんが貸してくれたのである。
 読後感は今でもよく覚えているが、あまり芳しいものではなかった。文章が味気なく思われたのだ。あの端整な文体が、なにか物足りない、ぶつ切りの、平板で乾いた文章にみえたのだ(と思う)。卓抜した知性のみが明快な文章を書くことができるのだということを当時は知らなかった。いま読み直してみると、どうして当時そんな感想をもったのか、自分でもわからない。こちらが三島の文体にどっぷり浸かっていたせいでもあろうし、重厚で難解な文章を好み、自分でもそうした文章を書きたがる時期だったということもあろう。だが、読み直してみてわかったのだが、そうした悪印象にもかかわらずほとんど内容を覚えていた。本全体をそっくり覚えていたというのではなく、部分部分が、本そのものとは切り離されて記憶に残っていて、読み直してはじめて、ああこの本に書いてあったのかと思うことが多かった。ということは、どこか深いところで何かを刻印されたのに違いない。
 最初の印象にもかかわらず、その後次々と澁澤の書いたものを読むようになるのだが、長いこと澁澤を読むことは私にとってお勉強であった。オカルティズムについて、異端文学について、幻想美術について学ぶために読んだのである。ということは、澁澤を、外国の文献をネタにして文章をものす凡百の似非学者と同じような、外国の文学・評論・研究の紹介者として見ていたわけで、彼の卓抜した知性に感嘆の念をおぼえるようになるまでに十年くらいかかった。
 著名人じゃあるまいし、どうしてこんな私的な体験を書いているのかといえば、一時期の私同様、澁澤をたんなるディレッタント、あるいはたんなる紹介者として見ている者がまわりに大勢いたし、いまもいるのではないかと思うからだ。私も一時期、澁澤や種村の時代は終わったなどと嘘ぶいていたものだ。それがとんでもない誤解だったことを知ったのはわりに最近のことだ。
 何年前だか、右に名前を挙げた四方田犬彦がしみじみとした口調で、「ポストモダンだ何だといって猫も杓子も騒いでるけど、こんなことみんな澁澤がずっと昔に書いているんだよな」と言っていたが、同感である。ポストモダン云々を別としても、私にとって澁澤の書いたものは、初期の著作ですらけっして過去のものではなく、尽きることのない読書の快楽をあたえてくれる。
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 澁澤が最初に出版したのは『大胯びらき』の翻訳で、彼が大学を卒業した翌年に出版されているが、これを読めば彼が二十代半ばにしてすでに文章の達人であったことがわかる。翻訳は話が違うというのなら、『サド復活』でも『神聖受胎』でも読んでみればいい、彼が二十代にすでに自分の文体を確立していたことがわかる。文体というものがどの程度その書き手の生理に根差すものなのか、私にはわかりかねるが、少なくとも澁澤の場合には文体と彼自身とが一心同体で、その文体は晩年まで変わることがなかった。しかも、評論も、もっと軽いエッセーも、翻訳も、小説も、澁澤の文体としかいいようのない文体なのだ。ごく僅かであれ文章をものす身からすると、これはなかなか凄いことだ。
 澁澤のなかで評論、小説、翻訳というのがそれぞれどんなふうに位置づけられているのだろうかということが知りたくてたまらなかったこともあるけれど、小説や翻訳を読んでみれば、それらがあまりに自然に「澁澤龍彦」なので、ただただ納得してしまう。じつはこの機会に澁澤の翻訳について書くつもりだった。それは私が澁澤と同様、「翻訳という作業が好きだと公言して憚らない人間」(「翻訳について」)だからだし、私にとって澁澤は、京都の隠者、生田耕作先生と並んで、翻訳の師と仰いでいた人だからだ。自分の散文への翻訳の影響とか、彼の翻訳の癖とか、じつに月並みなテーマを考えつつ、彼の若い頃の翻訳を読み直してみたのだが、そこにすでにして澁澤の世界があることを思いしらされ、何も書くことがなくなってしまった。読者に「翻訳について」というエッセーをお読みになることをお勧めしておくだけにしておこう。このエッセーは、細かいところにはいろいろ問題があるし、理路整然としているわけではないが、「翻訳の美徳は、私にとっては正確であり、簡潔である」という澁澤の言葉が胸に滲みない翻訳家はいないだろう。澁澤龍彦の翻訳と生田耕作のそれとの間にはいろいろ違いがあり、たとえば両者による『イギリス人』の翻訳を比べてみるとよくわかるが、翻訳にたいする姿勢に関しては、まったく同じといっていい。
『エロスの解剖』を貸してくれた高橋さんは私に向かって口癖のように、はやく自分の文体をもたなくてはいけない、澁澤さんのように、と繰り返し言っていた。『エロスの解剖』にしても、これを見習えというつもりで貸してくれたのかもしれない。ちなみに、「私はインモラル、澁澤さんはアモラル。あんたもアモラルだ」というのも、高橋さんの口癖であった。じつはアモラルとは澁澤が自分自身について使った言葉で、たとえば「『血と薔薇』宣言」には、「ここではモラルの見地を一切顧慮せず、アモラルの立場をつらぬく」とある。
 文体は終生一貫していたといっても、また、彼が最初から自分の宇宙をもっていたといっても、書かれた内容は時代の刻印を受けている。澁澤自身はこういう言い方をひじょうに嫌ったが、六〇年代に書かれたものは六〇年代の、七〇年代のものは七〇年代の香りを発している。
「みずゑ」の澁澤追悼号に載った、篠山紀信撮影による澁澤の書棚をみると、サド全集の上に『エロスの涙』とかデスノスの『エロティシズム』とか、エロティシズムに関する原書が並んでいる。澁澤が探求したテーマは、ユートピア、オカルティズム、畸型、幻想文学、幻想動物、植物など多岐にわたる。多岐にわたるといっても、拡散しているわけではなく、それらすべてが「夢の宇宙」を形成しているわけだが、エロティシズムが重要なテーマのひとつであることには異論はないだろう。
 というわけで、話は冒頭にあげた『エロスの解剖』に戻る。このタイトルは、澁澤にとって重要なテーマであったエロスと、彼の姿勢、すなわち解剖・分析の精神をよくあらわしている。先に述べたように私が最初に読んだのは人から借りた本だったので、『エロスの解剖』を含め、『澁澤龍彦集成』第三巻に収録されたエッセーを通して読み直してみた。
 ほとんど六五年前後に書かれたものだが、フロイトの引用あるいは援用の多いことにあらためて気づいた。後にはユングも引かれるようになるが、この時期はもっぱらフロイトだ。日本において文学者・芸術家が精神分析に寄せた関心を歴史的に辿ることは私にはできないが、おそらく澁澤の精神分析への関心も時代の流れと無縁ではあるまい。もちろん、澁澤が流行などとは無縁なところで生きていたことは忘れてはならないが。
「『血と薔薇』宣言」にはこんな一節がある。「心理学の領域ではアプリオリに正常あるいは異常のレッテルを貼りつけるべき、何らの根拠もないことを確信している私たちは、フロイト博士の功罪を正しく見きわめ、何よりもまず、コンプレックスという言葉にまつわりついた貶下的なニュアンスを取り払わんとするものである。また同様に、倒錯とか退行とかいった言葉も適当ではないと判断する。〔〕私たちは、あらゆる倒錯者の快楽追求を是認し、インファンテリズム(退行的幼児性)を讃美する」。インファンテリズムとはいうまでもなく、繰り返し澁澤に貼られてきたレッテル(讃辞)である。
 彼はこの本に収められている多くのエッセーで、メルヘンから現代文化までのさまざまなイメージを、フロイトを使ってばっさばっさと斬っては楽しんでいる。いま読んでみると、「シャルル・ペロオの童話『シンデレラ』の小さなガラスの靴は、申すまでもなく、こわれやすい処女の性器の象徴である。大きな足(男根の象徴)を乱暴に突っこめば、小さなガラスの靴は割れてしまうのだ。毛皮のスリッパとは違って、くれぐれも大事に扱ってやらねばならない」(「エロティック・シンボリズムについて」)といった、読んでいてこちらが赤面してしまう箇所がたくさんあるが、後にも述べるように、彼はけっして精神分析を振りかざして何かを断罪しようというのではない。精神分析によって何かを下位のものに還元し貶めているのではなく、ひたすら面白がっている。
 澁澤龍彦の宇宙とは、幼児が縁の下に隠す宝の箱のように、自分の好きなものだけを集めてつくった宇宙であり、彼にとってもっとも重要な価値基準は好き嫌いである。その次にくるのが、先にも触れた分析・解剖の精神だ。その澁澤が精神分析にとびついたことは当然といえよう。また、精神分析のある意味の明快さが彼を魅了したであろうことは想像に難くない(岸田秀『ものぐさ精神分析』の帯に印刷された、「快刀乱麻を裁つごとく」という讃辞を誰もが覚えていよう。ちなみに岸田氏の明快な文章には澁澤と相通ずるところがある)。
 たとえば「ホモ・エロティクス」のような、精神分析理論の紹介はその後書かなくなるが、精神分析は依然として彼がいちばん身近に置いていた武器だった。『エロスの解剖』の十年ほど後に書かれたものにも、たとえば、「虫めづる姫君とは、私の意見では、少女期(精神分析学のいわゆる「クリトリス段階」)のなかに閉じこもったまま、なかなか女(蝶)になることのできない娘をあらわしているのである。近代小説ならばともかく、いまから八百年も昔の平安時代(あるいは鎌倉時代)の物語に、そんなソフィスティケーテッドな心理学解釈をくだすのは納得できない、と反論するひとがあるならば、それに対して私は次のように答えるだろう。すなわち、作者もはっきりしない近代以前の説話のような物語であればこそ、そこには夢や神話におけると同じく、私たちの精神のもっとも奥深い表現が透けて見えるのだ、と」(「幻鳥譚」)といった文章がある。
 ただし、右にも述べたように、彼はけっして精神分析にのめり込むことなく、つまり引きずり回されることなく、自分に都合のいい部分を自分の宇宙に取り込んだのである。彼はけっして精神分析を万能だなどとは思っていない。後にユングの錬金術解釈について、「否定しがたい魅力がある」としながらも、「このように錬金術も宗教も夢も芸術も一緒くたにした、無意識の投影という理論が万能の性質を帯びてくると、やはり何か眉唾物ではなかろうかという疑いが生じてくるのはやむをえまい。ユングの元型理論は、物質界にも人間の心的内容が投影されているという、重大な指摘によって価値を有するが、それ以上に濫用すべきものではあるまい」(「錬金術夜話」)と述べているが、これはフロイトにもあてはまるだろう。
 彼のフロイトにたいする関心が時代とどう関係しているのかは先に述べたように推測の域を出ないが、ライヒの紹介となると、これは明らかに時代の影響だろう。彼はたとえば「オルガスムについて」というエッセーで、ライヒの「オルガスムの理論」を紹介している(二、三年前にコリン・ウィルソンのライヒ論を訳したときにはこの文章のことはまったく思い出さなかった)。このエッセーは思わず笑ってしまうエピソードが枕になっているので、そこだけ引用しよう。「ついこのあいだ、埴谷雄高、栗田勇、大江健三郎の三先生と顔を合わせ、酒を酌み交わしながら、互いに性科学の蘊蓄を傾け合ったことがあった。栗田先生は実践家をもって任じ、理論の面には興味のなさそうな顔をしている。さしあたって、こういう人物は敬遠しよう。彼はいずれ回想記でも書けばよろしい。〔〕埴谷先生はしきりに有名な自伝の作者フランク・ハリスを持ち出して、いかにも『不可能性の作家』らしく、男性の能力の限界を探ろうと試みる。〔〕若い大江先生は、今を時めくアメリカの作家ノーマン・メイラーの使徒よろしく、ビート・ジェネレーションの聖書と目されているところの、ウィルヘルム・ライヒの『オルガスムの理論』をしきりに振りまわす。しかし、先生自身の告白するところによると、彼は、このライヒの本を実際に読んではいないのだそうだ。わたしが、その本ならば持っていると答えると、彼は目を輝かせて、ぜひ自分に譲ってくれと迫る。むろん、わたしは断った。わたしは書物に関しては、おそろしくけちん坊なのである」
 澁澤と精神分析を結びつけたものは、明晰さへの指向や分析の精神と並んでもうひとつある。性の問題である。いや、澁澤の場合は、性というよりも、エロティシズムといったほうがいいだろう。
 彼はエッセー「性とは何か」において、ロジェ・ロスタン『愛の動物誌』から、ゾウリムシの「愛の行為」について書かれた部分を引いている。ゾウリムシは分裂増殖とは別に、二匹が接合して実質を交換しあい、また分離する。彼はこのゾウリムシの行為から、「愛の行為と繁殖の現象とは、直接に何の関係もない」という結論を引き出すのだが、これが彼のエロティシズム論の基底となる、というか、それは彼のエロティシズム論にとって格好のメタファーとなる。サド裁判との絡みもあって、猥褻とは何か、エロティシズムとは何か、といったテーマのエッセーがいくつもあるが、彼は繰り返し、性とエロティシズムの相違を説いている。簡単にいえば、セクシュアリティが生物学的概念であるのにたいし、エロティシズムは心理学的概念であり、きわめて個人的なものである。「性の解放」(なんと懐かしい言葉だろう)が叫ばれた頃、彼はスウェーデンにおけるようなフリーセックス、ポルノ解禁を擬似ユートピアとして繰り返し非難している(ちなみに性とユートピアとは、精神分析を媒介にして結びつくが、これについては別の機会に述べたいと思う)。彼の理想は、『イギリス人』の主人公モンキュの射精のような、強烈なエロティシズム体験である。が、どうもそのエロティシズムも彼にとっては何か面白いからくりのようなものだったように思われる。『機械仕掛けのエロス』というタイトルは、澁澤自身が書いているようにデウス・エクス・マキーナのパロディであるけれども、あえてこれを誤読して、澁澤にとってはエロス自体がぜんまい時計のような機械仕掛けだったのだと考えても、そう見当はずれではないような気がする。
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 私は一度も澁澤に会うことがなかった。だからこの一文でも、澁澤さんとは書けない。会えなかったことを惜しいとは思わないが、その人がもうこの世にいないということはなんとも悲しい。一度、編集者から、あなたの書いたものを澁澤さんが褒めてましたよ、と言われたことがある。そのときの嬉しかったことといったらない。ものを書くとき、ぜひとも読んでもらいたいという特定の人が頭にあるものだ。私にとって澁澤はそういう人の一人だった。