Problematique bakhtinienne
(現代思想 1990/2)

 桑野隆氏はその『バフチン』の中で、「昨今ではバフチンへの関心は急速に高まっており、バフチンの仕事に直接間接を問わず触れた文献は相当数にのぼる」、「バフチンに特別にあてられた雑誌等の特集号や著書も、アメリカ、イタリア、カナダ、フランス、ポーランド等、ここにきていくつか公刊されている、あるいは公刊の予定にある。各言語への翻訳となると、もはや数え切れない」(1)と書いているが、まことにその通りで、バフチーンをめぐる論文集あるいはバフチーンを用いた文学批評は、少なくとも英米では、その後も(桑野氏の著書は一九八七年刊)ますます盛んに出版されている(2)。その中で、英米におけるバフチーン受容の現段階を知るのに最適なのはモーソン、エマーソン編集の『バフチーン再考』である(そこには本号に収録したド・マンの論文も収められている)が、そのモーソンとエマーソンによると、「アメリカにおけるバフチーン受容は、無批判的な熱狂的英雄崇拝から、いささか機械的な適用を経て、現在、相当の混乱に陥っている」(3)という。いま私たちは「バフチーン問題」をめぐる一つの転機を迎えているといっていい。それは英米のみならず、わが国にもあてはまる。
 バフチーンの応用に関していえば、なんといってもバフチーンはまことによく切れる「刀」であるから、対象をなんとかきれいに切りたいと考えめぐらす者がバフチーンを使いたがるのも無理はないが、バフチーンもまたフロイトやユングと同じ運命を辿ってきた。つまり、『夢判断』に述べられたさまざまな象徴のリストやエディプス・コンプレックスの概念が文学作品や夢にたいして図式的に適用されたり、アニマ‐アニムス、集合的無意識などがユングの思想全体とは離れて独り歩きしているように、バフチーンの概念もまた過度の拡大適用にさらされてきた。桑野氏の『バフチン』も、その点を問題にした論文の例としてハーシュコプの「ミハイル・バフチン・フォーラムへの応答」、マルツジンスキの「ミハイル・バフチンと現代の物語理論」、デイヴィド・グロスの「文化の否定性──カーニバル理論へのノート」などを挙げている(4)。
 バフチーンの「濫用」に関して一番の問題となっているのは、バフチーンのカーニバル論の現代小説への適用である(5)。すなわち、カーニバルは本来民衆の現実生活と切っても切れないものであり、きわめて社会力動的なものであるのに、そうした繋がりをまったく欠いた現代小説の「テクスト内のカーニバル」を論じることの是非である。たしかに、「バフチーンが特別に焦点をあてているのは、もちろん文学におけるカーニバル化carnivalizationである」(6)のは確かだし、バフチーン自身も『ドストエーフスキイ論』の中で、中世・ルネサンスのカーニバルは近代においてすっかり廃れ、ドストエーフスキイに典型的に見られるような文学におけるカーニバルが重要になってくるのだといっている。実際、『ドストエーフスキイ論』はいわゆる「文学批評」の枠にはまっているようにも見える。しかし、バフチーンの思想の特徴は詩学と日常生活(における倫理)の繋がりを絶対に切り離すまいとする一貫した姿勢であることを忘れてはならない。その繋がりを保証するものはいうまでもなく言葉である。バフチーンは小説に特権的地位をあたえた。ただし、このことは彼が小説を詩よりも上に置いたことを意味しない。詩人は、言葉にまとわりついた社会的・歴史的しがらみをできるだけ削り落とし、新たな意味を吹き込もうとし、極端な場合には、バフチーンと同時代の未来派のように意味を超越した言葉を創出しようとする。それにたいして小説の言葉は、歴史的・社会的・日常生活的なしがらみをすべてまとっている(バフチーンのいう多言語混交)。バフチーンが終始一貫して関心を向けていたのはその小説の言葉である。
 さて、ここではバフチーンの適用をめぐる問題よりもむしろ、バフチーンの思想そのものをめぐる議論に目を向けたい。
 バフチーン・ブームなるものがあるとしたら、アメリカにおいてその火付け役となり、さらに拍車をかけることになったのが、英訳論文集『対話的想像力』(一九八一)とクラーク/ホルクイストの『ミハイル・バフチーン』(一九八四)である(本号が出る頃、後者の邦訳が本屋に並ぶはずである)(7)。わが国では、『ラブレー論』の邦訳(一九七二)によってバフチーンの「適用」が始まったといえよう。その後、『バフチン著作集』全八巻(一九七九─一九八八)が出て、バフチーンの著作のほとんどが日本語で読めるようになった。その間、バフチーンの適用は続いていたが、バフチーンの思想をめぐる論議はけっして盛んに行なわれたとは言いがたい。桑野氏は自著について、「バフチンを今日の文学や文化の説明に応用していこうとするものがかなりふえてきている〔〕。ことに英米圏ではその傾向が目立つ。その点からすれば、拙著のようにバフチンの仕事そのものを直接のテーマとしたものはもはや遅きに失したということになるのかもしれない」(8)と書いているが、そんな心配は無用だ(桑野氏も本気でこう書いているのではないだろうが)。むしろ、今こそバフチーンの思想を洗い直し、その難解な諸概念を検討し直し、その適用範囲と限界を見極めるべきであろう。この『現代思想』の特集もそうした企ての一つといえよう。ある対象にたいして、ある方法論を適用するとき、その方法論もまた再検討されるべきであることはいうまでもない。そうでなければ、かつて流行した精神分析的文学批評のように、方法論そのものが矮小化してゆき、批評の作業も硬化してしまう。
 この『現代思想』の特集と、同じ時期に出るクラーク/ホルクイストの『ミハイール・バフチーンの世界』(以下『バフチーンの世界』と表記)とが、バフチーンの思想そのものをめぐる議論の叩き台になることだろう。先にも述べたように、私たちはバフチーン研究における一つの曲がり角に来ているといってもいい。では今、そして今後、バフチーンの何が問題になるのか。そのことについて考えるとき、『バフチーンの世界』が提出したバフチーン像とそれにたいする批判とが、私たちの課題のいくつかを示しているように思われる。
 『バフチーンの世界』は十五の章からなり、そのうちの六章はいわゆる伝記的な章で、残りの九章が著作の解説あるいはバフチーン論となっているが、著者たちは私たちがこれまで知らなかったバフチーンの側面を見せてくれる。たとえば晩年、KGB長官アンドロポフのコネで入院してから以後のバフチーン夫妻の暮らしぶりは感動的としかいいようがないが、そうした伝記的な叙述はともかくとして、クラーク/ホルクイストの描き出す思想家としてのバフチーン像にはいくつかの際立った特徴がある。そしてその特徴が、すでに批判の的になってきた。原書が出版されたのは八四年だが、八六年春には、『フロイト主義』の英訳者であり、『マルクス主義と言語哲学』の共訳者でもあるティテュニクが、クラーク/ホルクイストにたいしていくつかの重要な批判を行ない(9)、それを受けて、モーソンとエマーソンも『バフチーン再考』においてクラーク/ホルクイストを批判している。何が問題にされているのだろうか。
 まず第一に、クラーク/ホルクイストは、バフチーンの哲学・言語学・文学の著作が同時にまた宗教的著作にもなっていることを強××××××××××××××××××××××××××××××××××××の伝統の影響を指摘する。バフチーンとロシア正教との関わりは、これまでまったく私たちの関心に入ってこなかったテーマである。むろん私たちはバフチーンの生前から、彼が敬虔な正教徒であることは知っていたけれども、正教そのものについての知識が乏しいこともあって、たとえば一九二〇年代における彼の宗教活動についてはほとんど何も知らなかったし、ましてや彼の著作に宗教思想を読みとるといった試みはまったくなされてこなかった。バフチーン思想と正教思想との関連はバフチーン研究者にとって今後の大きな課題の一つとなるだろう(ティテュニクはクラーク/ホルクイストの読みは強引で無理があるとして批判している)。
 第二に、著者たちは、初期バフチーンにたいする新カント派、とくにコーエンの影響を重要視する。実際、『バフチーンの世界』の核心的部分、というか著者たちがもっとも力を注いでいる箇所は、初期バフチーンの思想を扱った第三章「責任の構築学」である(ちなみに訳者たちが一番苦労したのもこの章である)。このテーマも今後の課題の一つである。
 第三に、クラーク/ホルクイストは、バフチーンの思想は生涯一貫しており、したがって後期に提出される概念もすでに初期作品の中に萌芽の形で認められる、と主張する。ティテュニクはこの点をも批判しており、また桑野氏も『バフチン』において「社会学的視点」の導入によるバフチーンの転機を強調している。モーソン/エマーソンは、八六年に初めて活字になったバフチーンの論文(の草稿)「行為の哲学に向けて」をもとに、まだ「対話」も「カーニバル」も登場しない初期バフチーン像を提出している。首尾一貫か、それとも変化発展かというこの問題をめぐる議論は今後ますます盛んになるだろう。というのも未だ活字になっていないバフチーンの原稿が相当あるらしく、それらが少しずつ公刊されてゆくにつれ、私たちはすでに手元にあるバフチーン像を少しずつ修正してゆく必要に迫られるにちがいないからである。
 最後に、いわゆる他人名義の著作をめぐる議論について触れておきたい。これはバフチーンがマルクス主義者か否かという問題と深く係わっている。
 いわゆる他人名義の著作とは、「日常生活の言説と詩の言説」、『フロイト主義』、『マルクス主義と言語哲学』、『文学研究における形式的方法』、その他いくつかの小さな論文である。それら小さい論文はひとまず措くとして、右の四つの著作は、わが国ではすべてバフチーンの著作として出版されている。だが、最初の三つの著者はヴォローシノフであり、最後の著者はメドヴェージェフである。桑野隆訳『マルクス主義と言語哲学』旧版の著者は「ヴォロシノフ、バフチーン」となっているが、改訳版ではたんに「バフチン」となっている。「バフチーン」から「バフチン」への表記の変更をも含めて、これは一つの態度表明である。一つの戦略であるといってもいい。一般の人びとは、ヴォローシノフやメドヴェージェフの名を冠した右の著作の著者がバフチーンなのかどうかという問題に、すでに決着がついたのだという印象を受けるかもしれないが、ティテュニク、モーソン、エマーソンが強調するようにけっしてそうではない。モーソン、エマーソンによると、いわばバフチーン・キャンペーンの時期には、ヴォローシノフ、メドヴェージェフの著作をもバフチーンのものとし、バフチーンの規模の大きさを強調し、バフチーンを「売り出す」必要があったかもしれないが、いまやそのような必要はないのではないか、という。その図式に従えば、わが国の状況はいまだバフチーン売出しの時期といえようか。
 これら「疑惑のテクスト」をめぐる論争について、ごく大雑把にこれまでの経過を振り返ってみる(10)。
 「問題」の発端となったのは、記号学者ヴャチェスラーフ・イヴァーノフの論文「バフチーンの記号・発話・対話論の現代記号学における意義」(一九七三)の註である。イヴァーノフは次のように書いている──
 
著書氓ゥら」までと・の基本テクストは、M・M・バフチンに属するものである。バフチンの弟子、V・N・ヴォローシノフとP・N・メドゥベーヂェフ──この二人の名前でバフチンの著書は公刊されていた──とは、これらの論文や著書に、ささいな挿入と個々の部分の変更を加えたにすぎない(」の様に、若干の場合には、表題も変更した)。これらの著述が一人の著者に属するということは、目撃者たちの証言によっても確認されているが、テクストそのものからも明瞭である。(北岡誠司訳)(11)

著書氈`」、・とは、ヴォローシノフ「日常生活の言説と詩の言説」、同『フロイト主義』、メドヴェージェフ『文学研究における形式的方法』、ヴォローシノフ「西欧の言語学思想における最近の傾向」、同『マルクス主義と言語哲学』、同「言表の構造」である。
 このイヴァーノフの発言は衝撃を呼んだが、同時にいくつかの疑問を生じさせた。第一に、イヴァーノフによれば、ヴォローシノフ、メドヴェージェフ名義の著作の「基本テクスト」がバフチーンのものだという。つまり、たんにバフチーンが書いて、他人の名で出版したというわけではなく、ヴォローシノフとメドヴェージェフが手を加えたという。となると、著作のどこがバフチーンの手になる箇所でどこが他人の手が加わった箇所なのか、という問題が生じる。
 第二に「目撃者」であるが、イヴァーノフはその目撃者の名を挙げておらず、その後もこの目撃者については口を閉ざしているので、その信憑性が疑われる。
 第三に、これらの著作がバフチーンの手になるものであることは「テクストそのものから明瞭」だというが、後にまた触れるように、じつは少しも明瞭でないのである。
 第四に、イヴァーノフはヴォローシノフ、メドヴェージェフをバフチーンの弟子だったとしているが、モーソン、エマーソンは、彼らの関係はそうした一方的な関係ではなく対話的な関係だったのではないか、したがって相互影響的関係を考慮に入れなければならないのではないかという。
 イヴァーノフは同じ時期に、ポーランドの雑誌のインタヴューで、「バフチーンにとって、友人であり弟子であったヴォローシノフとメドヴェージェフの依頼に応じて、自分の著作を彼らの名前で発表することは、たやすいことだった(そのために必要な変更は二人が加えた)」と発言している。
 その後、バフチーンがこれらの著作を書いたことの証拠となりそうな証言が二つ三つ公表された。どうやらバフチーンが私的な場で「あれは私が書いたのだ」と発言したことは確かにあったようだ。だが重要なことは、彼が公的な場では一度も「自分が書いた」とは言わなかったということである(いや、一度言ったのだが、公的書類に署名することは拒んだのだった)。今後、このことに関して決定的な証拠があらわれる可能性も乏しい。そこで、私たちは推論に頼る他ないわけである。
 推論には二つの道がある。一つは、当時(一九二〇年代)のバフチーンおよびその友人たちの置かれていた状況から、偽名出版の背後にあった事情を推測するという方法である。クラーク/ホルクイストはかなりこの方法に依拠しており、ティテュニク、モーソン、エマーソンはそれを批判している。結局この推論によって得られるのは、バフチーンが問題のテクストを書いた可能性は否定できない、ということにすぎない。
 いま一つはテクスト・クリティークによる方法である。問題のテクストを、一方ではヴォローシノフ、メドヴェージェフの他の著作と、他方ではバフチーンが自分の名で発表した著作と、比較検討するという方法である。
 結論からいうと、「疑惑のテクスト」が、バフチーン独りの手になるのか、バフチーンの書いたものにヴォローシノフ、メドヴェージェフが加筆したのか、それともバフチーンとの議論をもとにしてヴォローシノフ、メドヴェージェフが書いたのか、を決定することはきわめて困難である。テクストそのものに対する評価は研究者によって違う。たとえばトドロフは、問題のテクストとヴォローシノフ、メドヴェージェフの他の著作との差よりも、問題のテクストとバフチーンの他の著作との差のほうが大きいとみる。たとえば『文学研究における形式的方法』は構成がしっかりしていて、バフチーンの他の著作よりもはるかに出来が良い。後者は繰り返しが多く、構成が乱れていて、抽象化の傾向がある、と。また、誰でも気がつくことだが、バフチーンの名で発表された、トルストイ全集への二つの序文は、バフチーンの他の著作とはおよそ異質で、マルクス主義的批評のパロディと見なさないことには、それがバフチーンの著作であるとは到底認めがたい。それらに比べたら、『マルクス主義と言語哲学』や『形式的方法』はずっとバフチーンらしいのである。いずれにせよ、バフチーンの思想体系なるものを想定して、その枠におさまるか否かという判断はできない。バフチーンの思想には体系というものがない。彼自身、何よりも体系化を嫌っていた。
 というわけで、クラーク/ホルクイストは問題のテクストのほとんどをバフチーンの著作と見なしている。桑野氏も、また邦訳バフチーン著作集の編者たちも同様である。それにたいして、ティテュニク、モーソン、エマーソンらはあくまで『フロイト主義』『マルクス主義と言語哲学』はヴォローシノフの、『形式的方法』はメドヴェージェフの著作だとする。トドロフはといえば、「協力関係なのか、置換関係(偽名あるいは仮面)なのか、それともコミュニケーション関係なのか(バフチーンが発信者でヴォローシノフ、メドヴェージェフが受信者)、といった疑問を保留する」(12)意味で、メドヴェージェフ/バフチーン、ヴォローシノフ/バフチーンといった表記を提案している。
 先に触れたように、この問題は、バフチーンはマルクス主義者だったのか否かという問題と関係してくる。しばしば、バフチーンは当時の「公式的」「正統派」マルクス主義とは対立するような、真のマルクス主義者だったのだと主張される。そう主張する人びとが論拠に用いるのは主に『マルクス主義と』である。この著作がもっともマルクス主義に近いようにみえるのである。しかし、バフチーンのどこがマルクス主義的なのかに関して説得力ある議論はいまだまったくなされていない。問題のテクストの著者はバフチーンだと考えるクラーク/ホルクイストは、『フロイト主義』『マルクス主義と』に見られるマルクス主義は権力の目をごまかすための装飾あるいは仮面だとする。その証拠に、冒頭など目立つ箇所にはさかんにマルクス主義の用語が使われているが、ページを繰るごとにそれは急速に姿を消す、と。これにたいして、ティテュニク、モーソン、エマーソンは、右の二著にみられるマルクス主義はたんなる見せ掛けではなく、この二著は実際にマルクス主義的だとする。バフチーンをマルクス主義者と見ない点については、クラーク/ホルクイストもティテュニクらも同意見である。したがって、トルストイ全集の序文はバフチーンの思想をそのまま表現したものではない、という点についても彼らは同意見である。
 先に述べた、(1)正教との影響関係、(2)新カント派の影響、(3)思想の一貫性、などに加えて、この(4)マルクス主義との関係もまた、バフチーンを研究する者にとって今後の大きな課題である。
 最後に、わが国におけるいささか特殊な事情について述べておかねばならない。バフチーンの思想は、まずクリステヴァによってフランスに導入され、それからアメリカに入った。バフチーンの死後、ソ連でバフチーンの著作が出るようになってからは、アメリカがフランスの後を追うということはなくなり、むしろフランスにおいてよりもバフチーン受容は盛んになった。わが国はというと、比較的早い時期に『ドストエーフスキイ論』『ラブレー論』が邦訳され、その後も欧米ルートとは無縁な形でバフチーンの著作が次々に邦訳されてきた。が、桑野氏の『バフチン』が出るまでまとまった紹介の仕事がなく、また構造主義、ポスト構造主義と絡めた形で論じられることがほとんどないまま、クラーク/ホルクイスト『バフチーンの世界』やトドロフの『ミハイール・バフチーン/対話原理』が邦訳出版されようとしている。こうした欧米語で書かれた著作を通したバフチーンと、ロシア語から直接訳されたバフチーンとの間に、微妙なズレが生じるのは避けられない。代表的な例を挙げると、右の二著の著者たちは、slovoをdiscours, discourseと訳している。この二著の邦訳者たちはこれを通例にしたがって「言説」と訳している。が、邦訳著作集では「言葉」と訳されている。スローヴォという語はひじょうに広い意味をもつ語で、たとえば『イーゴリ軍記』の軍記もスローヴォである。クラーク/ホルクイスト、トドロフの邦訳者たちはそれを承知で、バフチーンをめぐる議論を、構造主義以降の欧米の、あるいは日本における英文仏文系の批評家の議論と結びつけるために、あえて「言説」と訳したのである。問題は違うが、バフチーンの提唱する超言語学における中心的概念であるvyskazyvanie(仏語ではenonce, enonciation、英語ではutteranceと訳される)が、バンヴェニスト以降の言語学における「言説」「言述」「談話」とどう重なり、どうズレるのか、という問題もある。
 これから盛んになるであろう(と私は希望する)バフチーンの思想をめぐる議論の中で、そうした問題も一つ一つ具体的に検討されることになろう。


(1) 桑野隆『バフチン──〈対話〉そして〈解放の笑い〉』岩波書店、一九八七、三、二五五ページ。
(2) 代表的なものをいくつか挙げておく。Morson, G. S. (ed.) ; Bakhtin : Essays and Dialogues on His Works(1986, The Univ. of Chicago Press), Berrong, R. M,; Rabelais and Bakhtin : Popular Culture in Gargantua and Pantagruel(1986, Univ. of Nebraska Press), Patterson, D. ; Literature and Spirit : Essays on Bakhtin and his Contemporaries(1988, The Univ. Press of Kentucky), Kershner, R. B. ; Joyce, Bakhtin, and Popular Literature : Chronicles of Disorder(1989, The Univ. of North Carolina Press), Hirschcop, K and D. Shepherd(eds.) ; Bakhtin and Cultural Theory(1989, Manchester Univ. Press), Morson, G. S. and C. Emerson(eds.) ; Rethinking Bakhtin : Extensions and Challenges(1989, Northwestern Univ. Press).
(3) Morson and Emerson(eds.) ; op. cit., p.49.
(4) 桑野隆、前掲書、二五五ページ以下。
(5) Cf. Stallybrass, P. and A. White ; The Politics and Poetics of Transgression(1986, Methuen).
(6) LaCapra, D, ; Rethinking Intellectual History : Texts, Contexts, Language(1983, Cornell Univ. Press), p.296.
(7) Bakhtin, M. M. ; Dialogic Imagination : Four Essays, Ed. by M. Holquist, Tr. by C. Emerson and M Holquist(Univ. of Texas Press), Clark, K. and M. Holquist; Mikhail Bakhtin(1984, Belknap).(邦訳は『ミハイール・バフチーンの世界』川端香男里・鈴木晶訳、せりか書房)。
(8) 桑野隆、前掲書、二五五ページ。
(9) Titunik, I. R., メThe Bakhtin Problem : Concerning Katerina Clark and Michael Holquistユs Mikhail Bakhtinモ in Slavic and East European Journal, vol. 30, no. 1(Spring 1986).
(10) 詳しくは、クラーク/ホルクイスト『ミハイール・バフチーンの世界』(註(7)参照)、トドロフ『ミハイール・バフチーン/対話原理』(註(12)参照)、モーソン、エマーソン編『バフチーン再考』(註(2)参照)、桑野隆『バフチン』(註(1)参照)および『マルクス主義と言語哲学』(旧版・改訳版とも桑野隆訳)あとがき、等を参照されたい。
(11) イワーノフ「文化の記号論とバフチン──記号・発話・対話に関するバフチンの考えが、今日の記号論に対してもつ意義」北岡誠司訳、『現代思想』一九七九年三月号、一九八ページ。この長い論文は二月号、三月号の二回にわたって分載されている。
(12) Todorov, T.; Mikhail Bakhtine : Le principe dialogique(1981, Seuil).(邦訳は近く法政大学出版局より出版される)。