子どもの終焉
 (is47号 1990)

子どもの誕生と消滅
 子ども論が盛んである。文化人類学者、心理学者、教育者、文学研究者、評論家、等々がこぞって子ども、少年、少女について書いている。とくに目立つのは子どもの歴史に関する著作である。この傾向はわが国だけのことではない。ある調査によると、アメリカでは一九七一年から七六年までの六年間に、子どもの歴史に関する重要な著書や論文が九百以上発表されたという。これにたいして、一九三〇年代には著書論文合わせて毎年十点程度しか発表されていないそうだ。
 この「ブーム」の火付け役となったのは、いうまでもなくアリエスの『<子ども>の誕生』(一九六〇年)である。アリエスの本はまさに画期的なものであったが、それがこれほどまで影響力をもったということは、受け入れる側にそれなりの理由があったということに他ならない。
 ある社会の人工的産物が廃れると、その産物は憧憬と考察の対象と化す。これはマクルーハンの言葉だが、だとすると、子ども論の隆盛は子どもが「廃れつつある」ことの証左だということになる。実際、本稿ではこの点を繰り返し強調することになるが、ルネサンス期に「誕生」した子どもは、いまや消滅しつつあるようだ。
 このことは、たとえばオーピー夫妻の仕事を見てみると納得がゆく。夫妻の労作『路上や運動場における子どものゲーム』は、毎日、学校の運動場や子どもの遊び場に通ってはゲームやプレイを丹念に書き留めるというオーピー夫人の情熱的な作業の結実だが、その情熱を支えていたのは「子どもが失われてゆく」という危機感だったに違いない。
 実際、子どもの遊びをみてみても、ついこの間、自分が子どもだった頃にやっていた遊びはいまやすっかり廃れてしまい、子どもたちはTVゲームに興じている。子どもが眠った後、その同じTVゲームに父親が夢中になる。子どもの読むコミックと通勤電車の中で大人が読み耽るコミックとの間に大差はない。服にしても、「子ども服」、すなわち子どもという集団に属していることを明示するための制服の時代は終わり、子どもたちは母親と同じDCブランドの服を着ている、いや着せられている。かつて、生活に余裕のできたブルジョワたちは、子どもを「発見」し、余った金を投じて子どもたちに「子ども服」を着せた。いま、親たちは余った金を投じて子どもを「小型のおとな」に飾りたてる。
 ファッション・モデルの年齢も年々低下している。いわゆるアイドルについては言うまでもなかろう。アメリカその他ではアルコールや麻薬が急速に子どもの間に浸透している。そして、ストリートキッズたちは早くから親もとを離れ、自分たちだけで生きている。

ファンタジー
 子どもの「誕生」のもっとも大きな動因となったのは印刷術である。活版印刷の発明は口承伝統を廃れさせ、文字による知識の習得を広く一般の人びとに義務として課し、その新たな形態の知識によるヒエラルキーを出現せしめた。それによって新たな大人の概念が生み出され、同時に子どもが発見されることになった。いま、音と映像によるメディアがおとなと子どもとの間の障壁を取り払いつつある。活字というメディアが子どもを「誕生」させ、いま、映像メディアが子どもを消滅させようとしているのだ。
 映像メディアの大きな柱である映画(ヴィデオ)について考えてみよう。いまや大ヒットするのは「おとなも子どもも」楽しめるような映画である。「おとなの恋」を描いたフランス映画など、はやらない。「E.T.」は、「バットマン」は、子ども向けなのか、それともおとな向けなのか。いや、もはやこんな問いを立てること自体が無意味になってしまった。旧世代に属するおとなたちだけは映画の幼稚化を嘆いているが、そんなおとなたちが姿を消すのも時間の問題だろう。「風の谷のナウシカ」や「魔女の宅急便」は、お子様向け映画ではなく、いまや日本の映画界を代表する作品なのである。
 元来子どもはおとなよりもずっと空想の世界の近くにいる。言い換えれば、現実界と空想界との壁がおとなよりもずっと薄い。映画「レインマン」で、トム・クルーズが幼い頃に大切にしていた「レインマン」のような空想上の友達との交流は、子どもたちにとってまことに自然なものである。あるいは、一時期日本中の子どもたちを夢中にした「怪獣」を思い出していただきたい(現在、怪獣は機械化され、ゾイドやトランスフォーマーとなったが、これまた興味深い問題である)。
 従来の発達の図式にしたがえば、子どもはやがて空想界を遠ざけ、現実的な、地に足のついたおとなになってゆくということになるが、この図式もまた崩壊しつつあるといえよう。子どもたちはネバーランドとの繋がりを断ち切れないまま、おとなになってゆく。おとな向けとも子ども向けともつかない映画群がそれを示している。

学校
 大雑把に言ってしまうと、ギリシアには学校はなかった。ローマにはあった。それが中世になると姿を消し、近代になって再生し、十九世紀にほぼ完成された。
 ある言語が社会を支配するとき、その言語の習得の場として学校が生まれる。アテネのアカデミアは学術機関ではあっても、近代的な意味での学校ではなかったが、ローマ時代にはラテン語の習得の場として学校が存在した。それはローマ文明が何よりも書き言葉、すなわち文字と、言論、すなわち雄弁術を重視したからである。人間は学校に行って、ラテン語を習得し、偉大な著作家の作品を読むことを通じてそこに述べられた思想を吸収し、教養を身につけるべきだ、と考えられていたのである(これは今日の大学の一般教育課程における語学教育の理念とほぼ同じものである。アラン・ブルームが『アメリカン・マインドの終焉』でしきりに主張するのもこの考え方である)。そうした考え方は中世になると姿を消す。中世の学校もまたラテン語文化の習得の場であったが、もっぱら聖職者を養成するための限られたものであった。知識は、アリエスの言葉を借りれば「学校という検疫所でそれだけ切り離されて」習得すべきものではなく、「実社会」「実生活」で身につけるものであった。子どもは(たとえば徒弟奉公のような形で)大人にまじって直接に社会的活動に加わり、一定の役割をあたえられて経験を積んでいったのである。
 ラテン語の権威が失墜し、各国語が優勢に立つと、今度はそのための学校が生まれるのは必然である。そうした学校は十九世紀に向けて徐々に規模を拡大していく。それと平行して活字印刷術によって口承伝統が廃れてゆく(たとえば民話はかつては大人と子どもがいっしょに作業に携わる仕事場で語られ、聞かれた。それがしだいに「おとぎ話」となって子どものものとなってゆく)。そして子どもたちは集団で学校に隔離される(これが子どもの発見あるいは誕生ということである)。
 学校は子どもたちを集団で隔離して管理し(その典型例が十九世紀に生まれる寄宿学校だ)、社会化・文明化する装置であるから、その原理からして、子どもたちの自由を認めるはずがない。逸脱・脱落する子どもたちは、ロバの帽子を被せられて辱められたり、鞭を浴びたりする。それが許されるのは、子どもが大人の所有物だと見なされるからだ。子どもは「発見」されたとき、すなわち子どもという身分に囲いこまれたとき、人格・人権を大きく限定されたのである。
 現在もなお、子どもたちは学校では規則にがんじがらめに縛られている。髪が校則で決められたよりも五センチ長ければいきなりハサミで切られ、髪を染めていれば殴られ、始業時に五分でも遅刻すればコンクリートの上に土下座させられる。
 しかし現代、ひょっとしたら学校はしだいに機能しなくなってきているのではあるまいか。「学校では何も勉強しなかった」「学校では何ひとつ見につかなかった」という発言のいかに多いことか。子どもたちはその知識の大部分をメディアから吸収しているのではあるまいか。すでに学校は収縮を始めているような気さえする。たしかに、学校を嫌って社会に出てゆく子どもが増えている一方で、受験戦争は激化している。しかし、これも学歴社会の最後の足掻きなのかもしれない。

子ども部屋
 子どもへの関心は基本的に「余剰」である。自分の胸を突き破って子どもを養うというペリカン神話は文字通り神話である。生きるのに精一杯というとき、親は子どもには関心を払わない。かつての家族がそうだった。アリエスのいう「多産型」家族である。どこの家でも子どもは大勢生まれ、大勢死んでいった。生き残った子どもたちは労働力であり、その意味で大人と基本的に差のない、家族の一員であった。
 やがて子どもが親たちの関心を惹くようになり、家族の中心となってゆく。家庭は労働の場とは別の、憩いの場となり、それにしたがって、ビーダーマイヤー時代には室内装飾が発達する。そして子どもが家庭内で特殊な地位を獲得した一つの結果が子ども部屋である。
 住宅事情のわるいわが国の家庭状況をみても、父親の書斎はない、両親の寝室すらないという家でも、子ども部屋はある。だが子どもは、家庭内で大切にされ、子ども部屋をあたえられたことで、ある意味で家族と切り離された。八九年に起きた、女子高校生殺人コンクリート詰め事件と、幼女連続誘拐殺害事件とは、どちらも子ども部屋を舞台としており、きわめて象徴的な事件だったといえよう。どちらの場合も子ども部屋は、親が入ることのできない「聖域」になっていたのである。とくにコンクリート詰め事件の場合、親は入れなかったが、友人たちは自由に出入りしていた。親との縦の関係よりも強い横の関係ができていたわけである。この、子どもだけの、横の繋がりによる新たな「家族」的関係は、今後ますます増えてゆくにちがいない。子ども部屋はその拠点となるはずである。

無垢と性
 ルネサンス以降、とくにロマン主義以降、子どもは無垢の代名詞となった。天使が美しい子どもの姿として描かれるようになったことが、それをよくあらわしている。子ども時代はエデンであり、成長は失楽園と同義になる。子どもは子どもというだけで「可愛い」存在となり、子どもを可愛いと思わないおとなは鬼だと言われる。この子ども観はいまだに根強い。
 無垢とはおとな社会の権力・虚偽・打算などを知らないということだが、そのいちばんの意味は「性」と無縁だということであろう。ただし、性と無縁と考えられたのは幼児であって、いわゆる少年・少女期に関してはまた問題が別だった。性的な事柄を徹底的に抑圧した、言い換えれば性的な事柄ばかりに関心が向けられていたヴィクトリア朝には、今日の目からみると異常と思われるほど厳格に、子どもがマスタベーションをしないよう監視された。寄宿学校では、生徒たちは両手を毛布から外に出して寝なければならなかったし、局部に触れるといけないというので、ズボンにはポケットがなかった。性的な事柄から遠ざけておけば「性」を知らずに育つと信じられていたわけである。
 この種の信仰はいまだ根強いが、われわれの文明が性差別にもとづいているために、処女性が強調されるわりには童貞は尊重されない。
 いうまでもなく、「無垢な子ども」という観念に痛打を加えたのはフロイトの幼児性欲説である。しかし現実には、幼児における性の問題は性の問題としては認識されない。「性」は少年・少女の段階になって浮上してくる。
 少年・少女といっても、少年における性の問題と少女におけるそれとは対称関係にはない。しばしば指摘されるように、少年は性的な存在であり、少女は本質的に性を拒否するものである。が、話はそう簡単ではなく、どちらも、こと性に関してはきわめてアンバランスで危なっかしい存在である。それゆえに、おとなたちは観念としての少年・少女に魅惑されつづけてきたのだ。
 子どもが成熟を拒否するようになったのは、子どもが発見されて以後のことである。子どもが発見される以前はそうではなかったはずだ。「子ども」の発見以後、少年・少女はひたすら成熟を拒否するようになった。しかし成熟に抵抗しながらも、時間には勝つことができず、おとなのほうへと押し流されてゆく。それゆえに彼らは不安定で危なっかしいのだ。
 だが、幼児がこの危ない不安定な時期を経て成熟してゆくという図式も、もはや当てはまらなくなってきつつあるのではなかろうか。「成熟」「大人」という言葉は、かつては誉め言葉だったのかもしれないが、いまやそうではない。肉体はともかく、心的側面ではもはや成熟という概念はこわれつつある。
 「子どもの消滅」にともなって、子どもからおとなへの通過儀礼はなくなってゆき、小さいおとな、大きな子どもがどんどん増えている。中年女性が子どものファッションを取り入れるという最近の流行も、そうした傾向が表面に浮上した一例といえるかもしれない。成熟を拒否しつつおとなになってしまったおとな=子どもと、電子メディアによって早くからおとなになってしまった子ども=おとなとが出現することによって、「子ども時代」は消滅しつつある。