フロイト〜意味生成の批評へ
(文学界 2000/1)

 若きフロイトにとって文学とは古典、すなわちゲーテでありシェイクスピアでありセルバンテスであった。さらに彼は早くからギリシア、ラテンの古典にも親しんでおり、それら膨大な「教養」からやがて精神分析学が生み出された、と言いたいところだが、事実はそう単純ではなく、フロイトはギムナジウムを卒業して進路を決める頃、「自然はすべてだ」云々というトプラーの文章(フロイトはゲーテの文章だと信じていた)から「啓示」を得て医学に進み、十九世紀自然科学の洗礼を受けてから、生理学と訣別して心理学に向かい、それを乗り越えて精神分析学を構築したのだった。だが、彼の論文には古典文学からの引用が散りばめられており、やがては彼自身も精神分析という武器を携えて文学や芸術の森へと入っていくことになる(フロイト自身、自然科学は回り道だったとすら告白している)。文学から出発し、ふたたび文学に帰っていったといっても過言ではないのかもしれない。
 とくに、二十世紀文学の幕開けとなった「意識の流れ」小説とフロイトの自由連想法との類似性・同時代性を考えると、フロイトと小説家たちはそれぞれ独自の方法で、似たようなことをめざしていたといえる。精神分析を憎悪し、激しい批判を繰り返したD・H・ローレンスとフロイトの関係についても同様のことがいえよう。
 その意味で、フロイトが文学を変えた、とはいいがたいだろう。フロイトを使って小説を書く作家なんていないだろうし、もしいたとしたらそれは二流の作家だろう。だが読む側からみれば、フロイトが文学を変えたとはっきりいうことができる。フロイトが文学に対するわれわれの見方を変えたことは間違いない。読者代表として批評を考えてみると、文学批評が「フロイト以前」に戻ることは、まああるまい。
 さてその文学批評だが、「ファリック・シンボル狩り」という言葉がある。精神分析批評を揶揄した言葉である。かつて(通俗的)精神分析批評が大流行した時代があり、その反動で、流行が過ぎるとともに評価の針は反対の極に振れ、精神分析批評と聞くと、大方の人はまず眉に唾をつけるようになってしまったようだ。
 精神分析批評の原型は、一八九九年末というまことに象徴的な時期に出版された『夢の解釈』における夢の解読法であるが、実際にこの本を読んだことのない者はこの本を、「傘は男性性器の、井戸は女性性器の、象徴である」といったカタログだと思い込んでいる。そこから、精神分析批評というのは男根やオイディプス・コンプレックスを探し回る(あるいはでっちあげる)ことに終始し、批評にはなっておらず、文学の本質には到底迫ることなどできないものだという思い込みが蔓延する羽目になった。そうした誤解はとくに、大学の文学部に精神分析批評の講義がほとんどない我が国において顕著であるように思われる。欧米では精神分析は文学研究者のそなえるべき教養あるいは常識の一つであるのに。
 しかし文学の精神分析とは、文学のいったい何を精神分析するのか。
 精神分析批評を最初に実践したのはフロイト自身だが、彼も、またその後「精神分析批評ブーム」の中で大量生産された批評も、登場人物と作者を分析することに終始している。たとえば、フロイトの「『グラディヴァ』論」。ノーベル賞作家と同名のマイナー作家が書いたこの小説の主人公である若い考古学者は、歩く女の浅浮き彫り【バ・ルリエフ】に惚れ込み、この女はポンペイで死んだ実在の女性だと確信し、ポンペイに旅し、そこで幼なじみの女性と出会う。フロイトは小説の細部をことごとく明快に分析し、主人公の「妄想」がじつは幼なじみに対する抑圧された欲望から生まれたものであることを「証明」する。
 レオナルド論は文学批評ではないが、方法論は同じで、作品には作者の無意識的欲望が投影されているという基本前提のもとに、『モナ・リザ』や『聖アンナと聖母子』を、レオナルドの出生と幼年時代から「説明」する(かなり間違っているのだが)。
 その後の「ブーム」の中でさかんに書かれた批評のなかで、まず思い出されるのはエドマンド・ウィルソンの「『ねじの回転』論」だ。ウィルソンは、この物語に出てくる亡霊が女家庭教師の性的抑圧が生んだ妄想であることを「論証」し、この作品が、ヘンリー・ジェイムズが繰り返し描いた「挫折したアングロサクソンの独身女性」というテーマのヴァリエーションだと結論する。
 マリー・ボナパルトの長大なポー論は、父への憎しみと母への愛慕、つまりオイディプス・コンプレックスが、ポーの生涯と作品の底にあることを証明しようとしたものである。
 こうした方法論は、ユング流の「元型批評」よりは有効性が高いだろう。ユング流の、と言っても、これはユング自身が実践したという意味ではなく、ユング心理学に依拠した、という意味だが、そこでは文学作品が「元型」のあらわれとされる。しかし本来、元型は神話文学から遡及的に仮定されたものであり、したがってユング流の「元型批評」は堂々巡りに陥る。
 しかし、文学というテクストに対して、登場人物あるいは作者の精神分析カルテというサブテクストを生産して対置したところで、それで「作品の何がわかったのか」という疑問は残り、その疑問が、精神分析批評はこじつけが過ぎるのではないかという疑念と相俟って、人びとを精神分析批評から遠ざけることになった。実際、そうした精神分析批評は歴史的生命を終えたといっていい。しかしだからといってフロイトの限界が見えたというふうに言い切ってしまうわけにはいかない。マーク・スピカの言葉を借りれば、「フロイト的批評家たちがじゅうぶんにフロイト的であったためしはない」のである。
 そもそも精神分析批評は、そうした「男根象徴狩り」的分析に尽きるわけではない。登場人物(さらには作品の個々の内容)と作者の精神分析に明け暮れる分析は終わったけれど、いまだ顕在な精神分析批評もある。それは「テクスト生産」の精神分析である。
 テクスト生産の分析の原型は、やはりフロイトの夢分析である。ふつうわれわれは夢分析というと、顕在内容を暗号のように「解読」して潜在思想を明らかにすればそれで分析が終わって一件落着と思い込みがちである。「分析家ですらそういう誤解をしている」とフロイトは繰り返しこぼしている。重要なのは潜在思想ではなく、潜在思想を顕在内容に変えた「夢の作業」なのだ、とフロイトは強調する。
 もっともフロイトにいわせれば芸術家は神経症者と本質的に同じで、芸術作品は現実から幻想への逃避である。ただ、ふつうの神経症者と違って、芸術家は自分の幻想に人びとに受け入れられるような形式を与える技術をもっている。だがフロイト自身はこの「形式を与える技術」(それは夢の作業に相当する)を精神分析的に追求しなかった。それを引き継いだのはずっと後の世代である。いうまでもなく、文学作品の独自性はその形式に由来するのであり、その形式の生産を探求することの方が、神話的元型に回収してしまうことよりもずっと重要だ。
 いま念頭にあるのは、たとえば、ジュリア・クリステヴァがロートレアモンとマラルメを論じるにあたって、ル・サンボリック(これはラカンのいう象徴界みたいなもの)に対するものとして導入したル・セミオティックなる概念である。ル・セミオティックの混沌の中で意味が生成され、ル・サンボリックに取り込まれていくが、それと同時に「生みの親」であるル・セミオティックは抑圧されていく、だがル・セミオティックはつねにル・サンボリックを脅かす、という関係にある。個々の作家について、こうした意味生成の過程を探求することは、個別の作品の批評にとってきわめて有効なような気がする。そしてそれは精神分析を抜きにしては不可能だ。
 クリステヴァのような考え方は、ラカンがいなかったら出てこなかったろう。ラカンを使った文学批評のなかでは、ショシャナ・フェルマンが思い浮かぶ。彼女の「『ねじの回転』論」をエドマンド・ウィルソンと比べてみると、同じ「精神分析批評」でもいかに違うかがよくわかる。フェルマンの主張をうまく要約することはとてもできない。ゴチャゴチャ説明しているスペースもないのでごくごく大雑把にいうと、彼女がここで問題にしているのは、クリステヴァ的な意味生成の過程よりはむしろ、生産されたテクストがいかなる抗争の場になっていて、テクストみずからがいかに語り、いかにわれわれを罠にかけ、いかなる読解を誘うか、という問題である。
 また、昔話や創作童話に対して無邪気に精神分析を適用していた批評家たちに対してジャクリーヌ・ローズが叩きつけた挑戦状(『事例ピーターパン』)も思い出される。ピーターパン論を展開しつつ、ローズは「児童文学」なる概念がいかにいかがわしいものであるかを明らかにしようとする。この本のサブタイトルは「児童文学の不可能性について」である。
 いずれにせよ、かつて流行したようなものを思い浮かべて「精神分析批評なんか」と思っている人は相当に時代遅れなのである。