著書1 グリム童話

グリム童話/メルヘンの深層

講談社現代新書

1991年1月20日発行

    

最初の著書。

1990年の12月に2週間で書き上げた。
じつは執筆前から発売日がすでに
決定していた。思い出すとぞっとする。

 

 <このページの内容>

抜粋(「はじめに」より)

目次


「はじめに」より

 本書の目的は、グリム童話の面白さを大人の読者に知ってもらうことである。
 ただし、本書がこれから語ろうとするグリム童話の面白さは、「グリム童話の面白さ」と聞いたときに読者がおそらくイメージするであろうものとは、ちょっと違うのではないかと思う。
 ふつうメルヘン(昔話、おとぎ話)の面白さというとき、私たちはメルヘンを、古い時代から世代を超えて語り継がれてきた人類の文化遺産と捉えている。本書と同じ現代新書の相沢博『メルヘンの世界』のカバーには、「メルヘンは、長い歳月を通して磨きぬかれた美しい表現で、庶民の夢・心・知恵の結晶を私たちに語りかける」というキャッチフレーズが書かれている。確かにその通りである。私たちがメルヘンを面白いと思うのは、何よりもそれが「庶民の夢・心・知恵の結晶」だからである。
 グリム童話も長いこと、ゲルマン民族の文化遺産として、ほとんど神聖視されてきた。ドイツ人はそこから「ゲルマン的なるもの」を汲み取ってきた。グリム兄弟が童話集を出版した意図もそこにあった。
 日本人の場合は、グリム童話を別にゲルマン民族の文化遺産として、読んで(聞いて)きたわけではないが、「古くから伝わる外国の昔話」として読んできたことは確かだ。
 確かに『グリム童話集』の「核」をなす部分は、いつの時代かを特定することはむずかしいが、とにかく古い時代から語り継がれてきたものである。ここで「核」というのは、童話集に収録されている全二百話のうちのいくつかという意味ではなく、個々の話の「核」となる部分のことである。
 というのも、グリム兄弟は古くから伝わる話を集めてそのまま本にしたわけではない。彼らは口伝てに聞いた話だけでなく、書物からもメルヘンを集めているし、そうして集めた話にかなり手を加えているのである。つまり、彼らは『グリム童話集』の「編者」というより、実際には「作者」に近いのである。
 したがって、グリム兄弟(より正確には弟のヴィルヘルムのほう)が、自分たちの集めた話をなぜ、どんなふうに書き換えたか、つまり彼らがメルヘンに何を盛り込んだのかを調べてみれば、彼らの、そして彼らを取り巻いていた社会的・文化的環境の、道徳観・社会観が明らかになってくる。
 本書が語ろうとする「面白さ」とはそのことである。つまり、十九世紀ドイツのブルジョワジーの価値観を示すものとしても、グリム童話はじつに面白いのである。 グリム童話の書き換え過程から浮かびあがってくる、十九世紀ブルジョワジーの価値観は、私たちの価値観からそれほど遠いところにあるわけではない。いや、彼らの価値観と私たちの価値観はほとんど同じだといってもいい。この価値観は現代までしぶとく生きのびてきたのだ。
 現在、私たちの価値観はさまざまな面で大きく変動している。この変動期にあって、新しい方向を探るためにも、十九世紀から現代にいたるまで綿々と生きのびてきたこの価値観が生まれつつあった頃に成立した『グリム童話集』を考察することによって、この価値観がどれほど私たちの心に染みついているかを見極めることも、まんざらむだではあるまい。なぜなら、この価値観を私たちの心に植えつけるのに、グリム童話は大きな役割を演じてきたのであるから。
 私たちの多くは―いや、ほとんど全員は、と言ってもいいだろう―幼い頃にメルヘンを聞いて、あるいは絵本で読んで、あるいはディズニーの映画で観て、育った。メルヘンが子どもの心にあたえる衝撃は、測り知れないほど大きい。それが証拠に、私たちは幼い頃に聞いたメルヘンをほとんど一生忘れることがない。メルヘンにはさまざまなメッセージがこめられている。だとすると、私たちがそのメッセージの影響を受けていないはずがない。
 たとえば、「いつの日か、白馬にまたがったハンサムな王子さまが迎えにくる」という夢を抱いている若い女性は多い。若い女性が理想の男性を夢みるのは当然だとしても、その男性が「白馬にまたがった王子」としてイメージされるのは、メルヘンの影響を抜きにしては考えられない。さらに、そうした理想の男性を自分のほうから探しにゆくのだとは考えず、王子さまが迎えにくることを夢みるのは、やはりメルヘンの影響だろう。
 問題は、白馬の王子が迎えにくるというイメージが、太古の昔から伝えられた、人間の本質を象徴するイメージなのか、それとも、ほんの百五十年ほど前にメルヘンに盛り込まれたメッセージなのかということである。つまり、若い女性がこのような夢想に耽るという事実は、女性が本質的に受動的であることを意味しているのか、それとも、「女性は受動的に待つべきだ」というメッセージによって「洗脳」された結果なのか。
 ヴィルヘルム・グリムがなぜ、どんなふうにメルヘンを書き換えたのかを細かく見てゆくことによって、右のような疑問にたいする答えを見つけることができるだろう。


    

目次

第1章 グリム童話とは何か


1―グリム童話とは何か
メルヘンの代名詞/残酷な話/「メンドリの死」/みんな死んでしまいました/世の中ってこんなもの/コルベス氏は悪い人?/三回殺される白雪姫/ヤ−コプとヴィルヘルム


2―グリム兄弟とは誰か
幸福な幼年時代/勉学と貧困と/「ゲッティンゲン大学七教授追放事件」と『ドイツ語辞典』/類まれな兄弟愛/二つのユートピア


3―童話集成立の背景
劣等感と民族意識/もう一つのグリム童話/『少年の魔法の角笛』/二つのメルヘンから/出版時の状況/最初の日本語訳

第2章 メルヘン学入門


1―メルヘンのかたち
日本語論批判/メルヘン研究の出発点/アールネの分類/プロップの話型/魔法昔話の構造/三十一の機能/プロップの結論/昔話の起源/七人の登場人物/形態学の発展


2―メルヘンの意味
歴史資料としてのメルヘン/太陽神話としてのメルヘン/夢とメルヘン/メルヘンと心理的問題/ヘンゼルとグレーテル/フロイト派による「赤ずきん」の解釈/不思議な箇所/ユング派による「赤ずきん」の解釈/「白雪姫」と三滴の血/狩人と七人の小人/殺害、そして眠り/新フロイト派による「赤ずきん」の解釈/「赤ずきん」の原型/赤いずきんはペローのアイデア/精神分析的解釈の欠点/イデオロギー分析の視点

第3章 グリム童話をめぐる神話


1―グリム兄弟は誰から話を聞いたのか
ドイツの昔話とグリム童話/取材源をめぐる神話/フィーマンおばさん/語り手のイメージ/架空の「マリーおばさん」/話を提供した人びと/学問的価値と嘘/フランス起源の話/グリム童話とナチス/レレケ論文の衝撃/グリム愛好者たちの願い


2―グリム兄弟は手を加えなかったのか
兄弟自身による神話/話の長さ/「カエルの王様」における書き換え/あくまでも文化遺産として

第4章 グリム童話の面白さ


1―性とエロティシズム
性的ほのめかしの扱われかた/「ラプンツェル」における書き換え/嫌われた妊婦/カエルが王子に戻る場面/「手なし娘」「千枚皮」の近親相姦/父親の影/裸体描写/鼻と尻尾/グラマーな白雪姫


2―暴力と残虐性
メルヘンらしい「星の銀貨」/グリム版「血肉の華」/人肉食の場合も/肉を食べ血を飲むことの意味/刑罰も残酷嗜好/ユダヤ人への偏見も/エスカレートする描写/現代との違い


3―女は黙っていろ
女の子の大好きな話/しゃべる女は悪い/沈黙を強いられて/男の沈黙/思いをつらぬく「マレーン姫」/『アリーテ姫の冒険』登場/フェミニズムとメルヘン


4―厳しいしつけ
教育書としての「赤ずきん」/わがままな子どもには死刑を/さまよう「恩知らずの息子」


5―『グリム童話集』のイデオロギー
キリスト教/男女の役割分担/現代へのメッセージ/社会とメルヘン