訳書 愛するということ

愛するということ

紀伊国屋書店

1991年3月25日発行

  

 旧訳が誤訳だらけで、翻訳雑誌にも取り上げられて
しまったので、私が改訳することになった。 

     


 

 <このページの内容>

抜粋(第1章「愛は技術か」より)

目次


    

第1章「愛は技術か」より 

 愛は技術だろうか。技術だとしたら、知識と努力が必要だ。それとも、愛は一つの快感であり、それは経験するかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちる」ようなものだろうか。この小さな本は、愛は技術であるという前者の前提のうえに立っている。しかし、今日の人びとの大半は、後者のほうを信じているにちがいない。
 だからといって、人びとが愛を軽く見ているというわけではない。それどころか、誰もが愛に飢えている。楽しい、あるいは悲しいラブ・ストーリーを描いた数え切れないほどの映画を観、愛をうたった流行歌に聞き入っている。ところが、愛について学ばなければならないことがあるのだと考えている人はほとんどいない。
 この奇妙な態度は、いくつかの前提のうえに立っている。それらの前提が、個別に、あるいはいくつか組み合わさって、この態度を支えているのだ。
 まず第一に、たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。この目的を達成するために、人びとはいくつかの方法を用いる。おもに男性が用いる方法は、社会的に成功し、自分の地位で許されるかぎりの富と権力を手中におさめることである。いっぽう、主として女性が用いる手は、外見を磨いて自分を魅力的にすることである。また、自分を魅力的にするために、男も女も共通して用いる方法は、好感をもたれるような態度を身につけ、気のきいた会話を心がけ、他人の役に立ち、それでいて謙虚で、押しつけがましくないようにする、ということである。愛される人間になるための方法の多くは、社会的に成功し、「多くの友人を得て、人びとに影響をおよぼす」ようになるための方法と同じである。実際のところ、現代社会のほとんどの人が考えている「愛される」というのは、人気があることと、セックスアピールがあるということを併せたようなものなのだ。


目次

 はじめに

第1章 愛は技術か

第2章 愛の理論
1 愛、それは人間の実存の問題にたいする答え
2 親子の愛
3 愛の対象
 a 兄弟愛 b 母性愛 c 異性愛 d 自己愛 e 神への愛

第3章 愛と現代西洋社会におけるその崩壊

第4章 愛の習練

 訳者あとがき