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ブックガイド
本書を読んでグリム童話の面白さに目覚めた、という読者のために、本書で述べたようなことをもっと詳しく論じている本を紹介することにしよう。本書もこれらの本に多くを負っている。 原則として、日本語で読めるものだけを取り上げることにする。 まずは最近の研究書。ヤーコプ・グリムは一七八五年生まれ、ヴィルヘルムはその翌年の生まれなので、一九八五年から翌年にかけては、世界各地でグリム兄弟生誕二百週年が祝われ、それを契機に数多くの研究書が出版された。そのほとんどは、本書で論じたような、グリム童話の新しい面白さをテーマとしている。 ハインツ・レレケは、最近のグリム・ブームの火付け役となった人物だが、彼の『グリム兄弟のメルヒェン』(小澤俊夫訳、岩波書店)は、グリム童話という一つの新しいジャンルが成立した背景について簡潔に論じている。入門書ながら、内容は濃い。 そのレレケが、「マリーおばさん」がじつは若いマリー・ハッセンプフルークであることを証明した論文は、谷口幸男・他『現代に生きるグリム』(岩波書店)に収録されている。なお、この論文集には、本書の冒頭で触れた小澤俊夫「グリムのメルヒェンと現代」や、河合隼雄「グリムの昔話における『殺害』について」といった論文も収録されている。 ジャック・ザイプスの『グリム兄弟/魔法の森から現代の世界へ』(鈴木晶訳、筑摩書房)は、最近のグリム・ブームのアメリカにおける火付け役ともういうべきザイプスの、グリム童話をめぐる論文集で、収録されているどの論文もたいへん示唆に富む。同じザイプスの『赤頭巾ちゃんは森を抜けて』(廉岡糸子他訳、阿吽社)は、ペロー、グリムから、現代のフェミニズム作家にいたるまで、三十一人の作家による「赤ずきん」物語を集めたもの。赤ずきんの話が社会の変化にともなってどのように変遷してきたかがよくわかる。 マリア・タタール『グリム童話/その隠されたメッセージ』(鈴木晶・他訳、新曜社)は、アールネ=トムソンの昔話分類から、プロップの形態学、精神分析学、歴史学、さらにはフェミニズム批評まで、さまざまな視点を縦横に駆使して、グリム童話集の全貌と本質に近づこうとしている名著。グリム童話集をめぐるありとあらゆる問題点を残らず拾い出しているという感じ。 ルース・ボティックハイマーの『グリム童話の悪い少女と勇敢な少年』(鈴木晶・他訳、紀伊国屋書店)は、フェミニズム批評の一つの優れた実例。論文調で、ちょっととっつきにくいが、論旨は明快。モチーフを話のプロットと関連させ、さらには「語り」の問題をも論じ、グリム兄弟がその童話集に盛り込んだ道徳観・社会観、とくにその女性差別的傾向を明らかにしている。本書第四章の「女は黙っていろ」は、この本に多くを負っている。 グリム兄弟の伝記はいくつも出ているが、やはり高橋健二『グリム兄弟』(新潮選書)が「定番」だろう。この本にはこれまでずいぶんお世話になった。 本書五十三ページで紹介した、グリム童話の最初の日本語訳についてもう少し詳しく知りたいという読者は、野口芳子「グリムのメルヒェンの最初の日本語訳『西洋故事神仙叢話』について」(日本児童文学学会編『グリム童話研究』所収、大日本図書)をお読みになるといい。 本書の第二章で紹介した、メルヘンの研究方法に関して、どんな本があるかというと、まず分類学の考え方については、スティス・トムソン『民間説話――理論と展開』(荒木博之・石原綏代訳、社会思想社)がある。メルヘンの構造については、プロップの『昔話の形態学』(北岡誠司・福田美智代訳、白馬書房)が何よりも重要。日本語で読めるプロップの著作にはこの他、『ロシア昔話』『魔法昔話の起源』(いずれも斉藤君子訳、せりか書房)、『口承文芸と現実』(斉藤君子訳、三弥井書店)などがある。プロップ以後のメルヘン構造論について、本書では触れなかったが、興味をもった読者のために、一例としてA・J・グレマス『構造意味論』(田島宏・鳥居正文訳、紀伊国屋書店)を挙げておく。ただし相当に難解。 精神分析学者によるメルヘン解釈はたくさん出ているが、筆頭に挙げなければならないのは、やはりブルーノ・ベッテルハイム『昔話の魔力』(波多野完治・乾侑美子訳、評論社)だろう。「赤ずきんの赤は月経の血の象徴である」としたエーリッヒ・フロムの論文は、『夢の精神分析――忘れられた言語』(外林大作訳、東京創元社)に収録されている。 ユング派によるメルヘン解釈はじつにたくさん出ている――M-L・フォン・フランツ『おとぎ話の心理学』(氏原寛訳、創元社)、同『メルヘンと女性心理』(秋山さと子、野村美紀子訳、海鳴社)、同『おとぎ話における悪』、同『おとぎ話における影』、S・ビルクホイザー=オエリ『おとぎ話における母』(いずれも氏原寛訳、人文書院)、ヴェレーナ・カースト『おとぎ話にみる男と女』(松代洋一訳、新曜社)、テオドル・ザイフェルト『おとぎ話にみる死と再生――『白雪姫』の深層』(入江良平訳、新曜社)、河合隼雄『昔話の深層』(福音館書店)、山中康裕『絵本と童話のユング心理学』(大阪書籍)その他。 カール・ハインツ・マレ『首をはねろ!――メルヘンの中の暴力』(小川真一訳、みすず書房)は、精神分析の立場から、グリム童話における暴力の意味を考察している。あまり理論的でなく、首をかしげるような穿った解釈が多いが、なかに鋭い指摘がないわけでもない。 歴史学者ロバート・ダーントンのメルヘン論「農民は民話をとおして告げ口する――マザー・グースの意味」は、『猫の大虐殺』(海保真夫・鷲見洋一訳、岩波書店)に収録されている。 本書の第三章で論じた、グリム童話集をめぐる神話については、先に挙げたレレケ、タタール、ボティックハイマーのいずれもが詳しく論じているが、本書でも紹介した、ジョン・エリスの『一つだけ余計なおとぎ話』(John M. Ellis : One Fairy Story Too Many. The University of Chicago Press. 翻訳はまだない)が、問題点をいちばん簡潔に整理している。ただ、この本の欠点は、グリム兄弟による出典隠蔽と書き換えを、グリム兄弟の個人的な悪意によるものだと結論づけている点である。 オーソドックスなメルヘン論として、マックス・リューティの著作を落とすわけにはいかないだろう。『昔話の本質』『昔話の解釈』(いずも野村_訳、福音館書店)、『ヨーロッパの昔話』(小澤俊夫訳、岩崎美術社)、『昔話――その美学と人間像』(小澤俊夫訳、岩波書店)。 雑誌では、『ユリイカ』(青土社)が一九八六年七月号で「民話の誕生/物語の根源を求めて」という特集を組んでおり、『現代のエスプリ』(至文堂)は第二五六号(一九八八年十一月)で「メルヘンの心理学」を特集している。 フェミニストたちによる創作メルヘンの例として、本書ではダイアナ・コールス『アリーテ姫の冒険』(ウィメンズ・プレイス訳、学陽書房)しか挙げなかったが、英語やドイツ語ではアンソロジーがたくさん出ている。 |