4 厳しいしつけ
教育書としての「赤ずきん」
グリム兄弟は『子どもと家庭の童話』を、はじめはメルヘンの研究書として出版したのだったが、版を重ねるにつれ、ヴィルヘルムはしだいに子どもの読者を意識するようになり、個々のメルヘンを子ども向けに書き換えた。もっと正確にいえば、彼の目からみて「子ども向け」と思われるように、書き換えた。
これには二つの意味がある。一つは、性的なほのめかしのような、子どもの目に触れさせたくないと彼らが考えたものを取り除くということである。第二版(一八一九年)の序文には、「この新版では、子どもにふさわしくない表現はすべて注意深く削除した」と書かれている。
もう一つの意味は、子どもがそこから教訓を読みとれるようなものにするということである。同じ第二版の序文に、「われわれの狙いは、この本が教育書として役立つようにすることである」と書かれている。
したがって『グリム童話集』には、子どものあるべき姿についてグリム兄弟がどんなふうに考えていたかが示されている。
ペロー版の「赤ずきん」では、母親は赤ずきんにこう言う。
「おばあさまがご病気のようだから、お見舞いにいっておくれ。ガレットとこのバターの壺をもっていってちょうだい」。
この母親のセリフは、グリム版では次のようになっている。
「さあ、赤ずきんや、ここにあるお菓子とぶどう酒をおばあさんのところへ持っていっておくれ。病気で弱っていらっしゃるから、きっとこれでお元気になるよ。暑くならないうちにお出かけ。外に出たらお行儀よく歩いて、道草を食ってはいけませんよ。そんなことすると、転んで、びんをこわして、おばあさんに何もあげられなくなってしまいますからね。おばあさんの部屋に入ったら、忘れずに『おはようございます』と言うんですよ。先に部屋の中をきょろきょろ見回したりしてはいけませんよ」。
ここには、行儀よく歩けとか、ちゃんと挨拶(あいさつ)をしろという、しつけの言葉が盛り込まれている。また、道草を食ってはいけないという警告が発せられている。これは、親の言いつけに背くとひどい目にあうことになるぞ、という警告である(ちなみに、エーリッヒ・フロムはこの「道草を食ってはいけない。道草を食ったりすると、転んで、びんをこわしてしまう」という警告を、「うっかり男の口車にのると処女を失うことになる」という意味だと解釈した)。赤ずきんが危ない目にあったのは、親の言いつけを守らなかったからだというわけである。
このように、グリム兄弟が考えていたような「良い子」とは、親の言いつけを守る従順
な子どもであった。
わがままな子どもには死刑を
「わがままな子ども」〔一一七〕というメルヘンでは、親の言うことをきかないのは死に値する罪だとされている。
昔、一人のわがままな子どもがいました。その子はお母さんの言うことをききませんでした。それで神様はその子をこころよく思わなくなり、病気にしました。医者にもどうすることもできず、まもなくこの子は小さいベッドの上で死にました。
わがままな子はこのように「死刑」にされただけでなく、死んだ後もなお罰せられる。
その子はお墓に入れられ、上に土がかけられましたが、突然、子どもの小さい腕が一本、にょきっと出てきて高く上にのびました。みんながそれを中におしこみ、新しい土をのせましたが、小さい腕は何度も飛び出してきました。そこで母親が自分でお墓に行き、鞭でその腕を叩きました。すると腕は引っ込み、子どもはやっと土の下で安らかな眠りにつきました。
「くすねた銅貨」〔一五四〕でも、親の言いつけに背いた子どもが、死後も「成仏」できずにさまよう。
ある家で、毎日昼の十二時になると、戸があいて、真っ白な服を着て、真っ青な顔をした小さな子どもが入ってくる。その子の姿は、その家に滞在している客には見えるが、家族には見えない。その子は隣の部屋に入ってゆくと、床にすわり、指でせっせと床をほじくるのだった。客が自分のみたものをその家の家族に話すと、母親が「それはひと月前に死んだうちの子だ」と答える。その子は、「貧しい人に恵んでやりなさい」と言われて、母親から銅貨を二枚もらったのだが、それでお菓子を買おうと思って、床板の隙間に隠したのだった。その子は死んでも「成仏」できず、昼になると家に帰ってきて自分の隠した銅貨を探していたのだ。
第三版で初めて収録された「トルーデおばさん」〔四三〕でも、わがままな子どもは「死刑」に処せられる。この話はこんなふうに始まる――
昔、一人の小さな女の子がいました。わがままで、おせっかいで、親が何か言っても、聞いたためしがありませんでした。そんなことで、どうしていいことがあるでしょう。
ある日、女の子は「トルーデおばさん」の家に行きたいと言い出す。そこの家にはいろいろ不思議な物があるそうだから、ぜひともそれが見たい、というのだ。両親は絶対に行ってはいけないというが、娘はその制止をふりきって出かけてゆき、「トルーデおばさん」によって丸太に変えられ、暖炉の火にくべられてしまう。
さまよう「恩知らずの息子」
このように、親の言うことをきかない子どもにたいするグリム兄弟の目は冷たい。当然、親不幸な子どもも厳しく罰せられる。「恩知らずの息子」〔一四五〕の結末は相当グロテスクだ。短い話なので、全文を引用しよう。
昔、一人の男が妻といっしょに玄関前に腰かけ、焼いたニワトリを食べようとしていました。そのとき、年とった父親がやってくるのが見えたので、男はあわててニワトリをつかみ、隠しました。父親に少しでも分けたくなかったのです。
老人はやってくると、水を一杯飲んで、行ってしまいました。そこで息子は焼いたニワトリを食卓の上にのせようとしましたが、ニワトリをつかもうとすると、大きなヒキガエルに変わっていて、息子の顔にとびつき、ぴったりはりついてしまいました。
誰かがどけようとすると、ヒキガエルは毒々しい目で睨みつけ、とびかかろうとするので、誰も手出しができませんでした。恩知らずの息子は毎日ヒキガエルに餌をやらなくてはなりませんでした。そうしないと、ヒキガエルは息子の顔をちぎって食べるのです。息子は落ち着けず、そこらをうろうろさまよいました。