3ーー女は黙っていろ
女の子の大好きな話
一九七〇年頃から、欧米、とくにアメリカとイギリスのフェミニストたちは、メルヘンが幼い女の子にあたえる悪影響を問題にするようになった。その悪影響とは、具体的には、メルヘンが子どもに「女は本質的に受け身の動物だ」という観念を植えつけるということである。
女の子の多くは「灰かぶり」や「白雪姫」や「いばら姫」の話が大好きだ。これらの話
のヒロインに自分を同一化し、そのヒロインたちのような幸福な未来を夢みる。
これらのヒロインに共通しているのは、受動的だということである。灰かぶりはじっと家にいて、王子が探しにくるのをひたすら待つ。白雪姫やいばら姫にいたっては、眠って待つ。眠るというのは、いわば「究極の受動態」(マーシャ・リーバーマン)である。
男の子が自分を同一化できるような話においても、女性はひたすら受動的だ。ヒーローたちは、その才覚によって無理難題をこなし、美しい王女を手に入れる。そこでは、女性は「褒美(ほうび)」「賞品」なのである。
『グリム童話集』には、自分の意志にしたがって行動する強い女性はほとんどいない。たとえば、「がちょう番の娘」〔八九〕を見てみよう。美しい王女が、遠い国の王子と婚約し、腰元を連れて旅に出る。別れのとき、老婆は自分の指を切って白い小布に血をたらし、
その布を娘にもたせる。
城を出てしばらくすると、王女は喉がかわき、腰元に水を汲んできてくれと命じるが、腰元は「自分でやりなさい」と答える。この腰元の反抗に、王女はすっかり面食らってしまい、おろおろし、小布を川に落としてしまう。すると王女は「力を失って、弱くなってしまい」、腰元に奴隷のようにこき使われることになる。白い布は王女のステイタス・シンボルだったのである。それを失ってしまうと、王女はまったく無力になってしまう。
しゃべる女は悪い
ヴィルヘルム・グリムは、ほとんど童話集が版を重ねるごとに筆を加えたが、その際、登場人物たちの発話にも手を加えた。
ヴィルヘルムはできるだけ直接話法を増やし、それによってメルヘンに臨場感をあたえ、より生き生きとしたものにした――というのが長年の通説だった。
だが、個々のメルヘンを詳しく調べてみると、話はそう単純でないことがわかる。すなわち、ヴィルヘルムはかならずしも単純に直接話法を増やしたわけではない。それよりも重要なことは、彼が明らかにある一定の方針にしたがって話法を転換しているということである。彼が意図的にそうしたのか、それとも無意識的だったのかはわからないが、その方針の一貫性からすると、意図的だったと考えざるをえない。
「彼女は男に『いっしょに連れていって下さい』と言った」というのが直接話法、「彼女は男に、いっしょに連れていってくれるよう頼んだ」というのが間接話法である。直接話法とはつまり、ある人物が自分の言葉で話すことであり、それにたいして間接話法の場合、語っているのは第三者である語り手(筆者)である。すなわちグリム童話の場合ならばヴィルヘルムである。
では、ヴィルヘルムはどんなふうに話法を変えたのだろうか。「灰かぶり(シンデレラ
)」〔二一〕を例にとると、主人公の灰かぶりは、一八一二年の初版では直接話法で十四回しゃべっているが、一八五七年の決定版ではそれが六回に減っている。しかも、一回だけ、旅のみやげに何がほしいかという父親の質問にたいして、「お父さん、帰り道に帽子にさわった最初の小枝をわたしに折ってきてちょうだい」と答えるだけで、あとの五回は小鳥や木に向かって口にする呪文である。
死んだ母親のメッセンジャーである鳩は、初版では直接話法で十回しゃべっているが、決定版ではそれが三回に減っている。
それにたいして、父親は、初版では一度もしゃべらないが、決定版では直接話法で三回しゃべっている。王子は、初版では直接話法で四回しゃべっているが、決定版ではそれが八回に増えている。明らかに、ヴィルヘルムは女から言葉を奪い、それを男にあたえたのである。
だが、継母の場合は、直接話法でしゃべる回数が四回(初版)から七回(決定版)に増えている。これは継母が邪悪だからである。「悪い女はよくしゃべる」、あるいは「しゃべる女は悪い女だ」という理屈だ。
沈黙を強いられて
ヴィルヘルム・グリムが「女は黙っておとなしくしているべきだ」と考えていたことは明らかだ。それが証拠に、童話集の中には、女が沈黙を強いられる話がいくつもある。
まず「十二人の兄弟」〔九〕を見てみよう。ある王に十二人の息子がいた。王は「十三人目に女の子が生まれたら、息子たちを全員殺してしまおう」と決心する。それで后は息子たちを森に逃がす。十三人目に生まれた女の子は、兄たちをしたって森へ行くが、兄たちは魔法でカラスに変えられてしまう。
この末の妹は兄たちを救うために、七年間沈黙を守らなければならない。口をきいても笑ってもいけない。もし彼女が一言でも口にしたら、兄たちはその一言で殺されてしまうのだ。そのために彼女はあやうく火あぶりにされそうになるが、杭に縛りつけられた彼女の服を「火が赤い舌でちょろちょろなめだしたとき」、ちょうど七年間の最後の瞬間がすぎ、兄たちが救出にくる。
類話「六羽の白鳥」〔四九〕の主人公の少女も、魔法で白鳥に変えられた六人の兄たちを救うために、六年間沈黙を守り、そのあいだに雛菊を縫いあわせて六枚の肌着を作らなければならない。
「鉄のストーブ」〔一二七〕では、森で道に迷った王女が鉄のストーブを見つける。ストーブの中から、「わたしを救い出し、結婚すると誓うならば、無事家に帰してやろう」という声がする。王女はその通りに誓い、無事に城に帰るが、父親に事情を話し、またストーブのところに戻ってきて、王子を救い出す。
王子は彼女を自分の国に連れていこうとするが、彼女は一度だけ父のもとに帰らせてほしいと頼む。すると王子は「父親に向かって三言以上しゃべってはならない」と命じる。ところが彼女が三言以上しゃべってしまったために、王子は行方不明になり、王女は九日間飲まず食わずで王子を探さなくてはならない。
やがて彼女は王子の住む城を捜し出し、女中として住み込む。王子にはすでに婚約者がいた。王女は王子の部屋へ行き、自分が結婚を約束した相手であることを大声で訴えるが、王子は婚約者に飲まされた睡眠薬のせいで熟睡しており、聞く耳をもたない。
「マリアの子ども」〔三〕では、聖母マリアが貧しい樵(きこり)の夫婦から幼い娘を引き取り、天国に連れていって育てる。あるとき、マリアは「十三番目の扉だけは開けてはいけない」と言い残して出かける。少女はその禁じられた扉を開けてしまう。帰ってきたマリアが三度、「あの扉を開けなかったか」と詰問するが、少女はそのたびに「いいえ」と答える。マリアは激怒して少女を下界へ追い払う。少女は声を出すことができなくなっている。
あるとき、彼女は王に拾われ、その后になるが、子どもができるたびにマリアがあらわれ、「本当のことを白状すれば、また口がきけるようにしてあげよう」と言う。だが、彼女がそのたびに意地をはって「わたしは禁じられた扉を開けませんでした」と答えるので、マリアは赤ん坊を連れ去ってしまう。子どもが生まれるたびに姿を消してしまうので、「后は人食いだ」という噂がたち、彼女は裁判にかけられ、火刑を宣告される。
杭に縛りつけられた彼女のまわりで火が燃えはじめたとき、彼女は「死ぬ前に本当のことを言いたい」と願う。と、その瞬間、急に声が出るようになり、彼女は「わたしはあの扉をあけました」と叫ぶ。それでやっとマリアに許される。
男の沈黙
男が沈黙を強いられるという話もないわけではない。
「金の山の王様」〔九二〕の主人公が、魔法によって蛇の姿に変えられた王女に、「どうしたらあなたを救うことができるのか」とたずねると、王女はこう答える。「今夜、鎖でつながれた男が十二人きて、あなたに、ここで何をしているのかとたずねるでしょう。でも、じっと黙っていなさい。返事をしてはなりません。その人たちのするようにさせておきなさい。あなたをこづいたり、ぶったり、突いたりするでしょうが、どんなことがあっても口をきいてはいけません。十二時にはみんなきっと引き上げます。二日目の夜にはまた別の十二人がきます。三日目には二十四人がきて、あなたの首を切り落とすでしょう。でも、その人たちの魔力は十二時でおしまいです。我慢して一言も口をきかなければ、わたしは救われます」。
「三人の黒いお姫様」〔一三七〕の主人公、貧しい漁夫の息子は、三人の黒い姫から「まる一年間、わたしたちと話をしてはいけない。わたしたちの顔を見てもいけない」と言われる。
「何も怖がらない王子」〔一二一〕の主人公は、真っ黒な少女から「(わたしを救うためには)三晩、この呪われた城の大広間で過ごさなければなりません。怖いなどという気持ちを起こしてはいけません。どんなにひどい目にあっても、声を出さずに我慢するのです」と言われる。
これらの例をみると、男たちが強いられる沈黙は女性の主人公たちよりもずっと短い。「十二人の兄弟」の主人公は七年間沈黙を守らなければならないが、「金の山の王様」や「何も怖がらない王子」の主人公たちが沈黙を強いられる期間はたったの三晩だ。「三人の黒いお姫様」の場合は一年間だが、主人公は姫たちとの間でのみ沈黙を強いられるにすぎない。
それに、男の主人公と女の主人公とでは、明らかに沈黙の意味がちがう。「十二人の兄弟」「六羽の白鳥」の主人公たちは、兄たちを救うために沈黙を守る。彼女たちの沈黙は「男への献身」なのである。「マリアの子ども」の場合は、嘘をついたことへの罰である。それにたいして、「金の山の王様」や「何も怖がらない王子」の主人公たちの沈黙は彼らの勇気をしめすものであり、しかも彼らは自分の利益のために沈黙を守るのである。
自分の言葉で話すということは、自主性のあらわれである。ヴィルヘルムは書き換えの過程で、女たちから言葉を取り上げることによって、彼女たちの自主性を奪い、女を、男性に依存し、男性に保護されなければならない存在におとしめたのだといえよう。
思いをつらぬく「マレーン姫」
『グリム童話集』の中には、自主性をもった女性主人公の登場する話が一つだけある。「マレーン姫」〔一九八〕である。
主人公のマレーン姫は、愛する男性への思いをつらぬくために、他の男に嫁がせようとする王の命令に背き、「太陽の光も月の光も差し込まない、暗い塔」に、七年分の食料とともに、閉じ込められる。食料が底をつきはじめた頃、マレーン姫は自力で脱出しようと決心する。
もうわずかしか食べ物がなく、みじめな死を迎えることになるのは目にみえていたので、マレーン姫は「最後のこころみに、壁が突き破れるかどうか、やってみましょう」と言いました。姫はパンを切るナイフで壁石を突いたり掘ったりしました。くたびれると、おつきの娘がかわってやりました。
マレーン姫に課せられた罰は、『グリム童話集』の他の話で女性主人公が罰せられる場合ほど過酷ではない。たとえば、「なでしこ」〔七六〕の后も、マレーン姫と同じように七年間塔にとじこめられるが、彼女の場合は――
王は、日も月もささないような奥深い塔を作らせ、后を入れさせ、壁で塗りこめてしまいました。后はそこに七年間いることになっていました。食べ物も飲み物もないので、飢え死にするはずでした。
さて、マレーン姫は塔から脱出するが、国は荒れ果てていた。姫は他国へさすらってゆき、ある城に皿洗いとして雇われる。その城の主はかつて彼女が愛した王子だった。彼はマレーン姫はすでに死んだものと思い、邪悪な花嫁をめとる。その花嫁によって、マレーン姫は殺されそうになる。
花嫁は召使たちに、あの女中は嘘つきだから、中庭に引きずりだして首をはねよ、と命じました。召使たちは女中をつかまえて、引っ立てようとしましたが、女中が助けてと大声で叫んだので、王子がその声を聞いて駆けつけました。
『グリム童話集』の中で、無実の罪に問われた女性が抗議の声をあげたり助けを求めて叫んだりする話はこれが唯一で、他にはない。
このメルヘンは第六版(一八五〇年)ではじめて童話集に収録された。誰かから口伝に聞いた話ではない。ヴィルヘルムはこの話を、ベルリン大学教授のカール・ミュレンホフが一八四五年に出版した『シュレースヴィヒ、ホルシュタイン、リューネブルク公国の伝説、メルヘン、歌謡』からとったのである(すでに述べたように、童話集が版を重ねるごとに、ヴィルヘルムは話の数を増やすために、本から話を集めることが多くなった)。
すなわち、この話はドイツのメルヘンではなく、デンマークのものなのである。デンマークに限らず、北欧の民間伝承には、自主性と行動力をもった女性主人公が数多く登場する。だからこの話は『グリム童話集』の中では異色なのである。
『グリム童話の悪い少女と勇敢な少年』の著者ルース・ボティックハイマーは次のように
書いている。
ヴィルヘルム・グリムが長生きして、この後も引き続いて改訂版を出したとしたら、このマレーン姫もまた、グリム童話の他のヒロインの多くがたどったように、力をそがれ、孤立させられる運命を忍ぶことになったのではないかと考えずにはいられない。
『アリーテ姫の冒険』登場
フェミニストたちは、メルヘンが女の子にあたえる深刻な影響に危機感をおぼえ、女性が受動的ではないようなメルヘンを創作し、それを女の子に読ませれば(聞かせれば)、その子は男性に依存しない自立した女性に育つのではないかと考えた。
かくして数多くの「フェミニスト童話」が生まれた。最近わが国でも評判になったダイアナ・コールスの『アリーテ姫の冒険』(学陽書房)は、そうしたフェミニスト童話の中でも、かなり成功したものの一つである。
アリーテ姫は、宝石に目がない父親の王と二人で暮らしている。彼女は、メルヘンの主人公たちとは違って、「美しい」とは形容されず、「賢い」と形容されている。本を読むのが大好きで、「十五歳のころには、王さまの書斎にある本をぜんぶ読みおえてしまいました」。アリーテ姫と従来のメルヘンの主人公との最大の違いは、彼女が自分の頭で考える能力をそなえ、はっきりと自分の意見を主張することである。それで、乗馬やダンスのレッスンは大好きだが、話し方のレッスンは大嫌いだった。話し方の家庭教師が、「まあ、ほんとうでございますか」「なんて興味深いお話なんでしょう。もっとお聞かせください」といった話し方ばかり教えこもうとするからだ。彼女はいつでも「私はこう思います」とか「私の考えでは――」と言ってしまうのだ。
娘が「賢い」ことを知った王は仰天し、「もし、賢いなんていうことが世間に知れたら、おまえは一生、結婚できない」「賢い妻を求める男など、この世にいるわけがない。女はやさしく、かわいいのがいいんだ」と言い、アリーテ姫が賢いということが世間に知れる前に結婚させてしまおうと考えて、姫の結婚相手を探すお触れを出す。
早速、ハンサムな王子が求婚しにやってくるが、彼はドラゴンや人食い鬼を退治した手柄話ばかりして、アリーテ姫にチェスで負かされると、怒って帰ってしまう。
次にやってきたハンサムな王子は、「あなたの瞳は深い森の湖のようだ。あなたの髪はしなやかな絹糸のようだ」といった美辞麗句を連ねてアリーテ姫をほめちぎるが、アリーテ姫は自分が他人にどんなふうに見えるかなどということにはまるで関心がなかったので、御馳走をお腹いっぱい食べて寝てしまう。それで、この王子も怒って帰ってしまう。
次にやってきたのは魔法使いだった。彼は宝石で王を誘惑し、姫を嫁にもらう。じつは、「あなたはアリーテ姫に殺される」という予言があったため、この魔法使いは姫を殺そうと考えていたのだ。それで姫に難題を課すが、姫は他の女性たちの助けを得て、魔法使いに打ち勝つ。
フェミニズムとメルヘン
『アリーテ姫の冒険』はなかなか優れた作品になりえているが、これはむしろ例外で、フェミニスト童話の多くは今一つ面白味にかける。それで、フェミニズムに反感を抱く人びとから、「それみたことか。女性の本質をえがいた伝統的メルヘンには敵(かな)わないのだ」と耶揄(やゆ)されている。確かに、長い時間をかけてできあがった伝統メルヘンよりも面白いメルヘンを創作することは容易ではない。
だが、そのことと、伝統メルヘンに描かれている女性が女性本来の姿かどうかという問題とは、まった別のことである。少なくとも、メルヘンに描かれた女性の姿に不満を抱く女性たちが増えつつあることは事実である。