2008年11月の日記(↑時間軸)
 
11月30日(日)
 
 またあっという間に1週間がすぎてしまった。この1週間に何があったのか、ほとんど記憶の彼方である。
 
 水曜日。
 昭和音楽大学で会議。太刀川瑠璃子先生に久しぶりにお目にかかる。
 文科省の「私立大学戦略的研究基盤形成支援事業」に応募して、採択されたのである。これは以前、オープン・リサーチ・センターと呼ばれていたものの新しいヴァージョンである。事業名は「バレエ教育現場との連携による日本におけるバレエ教育システムに関する研究」。
 これから5年間、ここでもご奉仕しなければならない。バレエのためだから仕方がない。
 
 木曜日。
 ゼミで製作した映像の試写。昨年は劇映画を製作したが、今年はニュース番組を作った。ニュースと言っても法政大学のニュースである。ちゃんとオープニング、エンディングがあり、グルメ・レポートなどもあり、コマーシャルまで入っていて、ちゃんとした30分番組になっている。上出来。
 
 昨日の午後はアリオンコール創立80周年記念演奏会。夜はその祝賀パーティ。アリオンコールは、80年の歴史を誇る法政大学の男声合唱団である。私はそこの部長教授なのである。
 法政大学に就職して早々、ジョージ・ガーシュインの伝記(の翻訳)を出したのだが、そのとき、同僚になった木島始先生に本をお送りした。木島先生は黒人文学の研究者でもあったからである。それが縁で、木島先生が健康上の理由からお辞めになったとき、それまで先生がつとめていたアリオンコールの部長を引き継いだのである。
 アリオンコールは、学生の合唱の世界では名門として知られ、昔はロシア民謡とかを歌っていたらしいが、いまでは武満徹、一柳慧、高橋悠治、池部晋一郎といった現代音楽の作曲家たちに委嘱した難しい曲を歌っている。
 指導をしてくださっているのは、合唱の世界で知らぬもののない田中信昭先生。ご存じ、東京混声合唱団の創立者である。今回も田中先生が指揮して下さり、またパーティにも出席して下さった。
 ピアノ伴奏は、なんとあの有名な美貌のピアニスト、中嶋香さんである。中嶋さんもパーティに出席して下さった。近くにいると、まぶしいほどのオーラを発している方である。
 私はただのカラオケおじさんで、合唱ととくに縁があるわけではない。木島先生から打診されたときも、「年に何度か、学生が印鑑をもらいにくるから、そのときに印鑑を押す」だけの仕事だからというのでお引き受けしたのであった。
 が、まんざら合唱を知らないわけではない。学生時代はもっぱらいわゆる現代音楽ばかり聴いていた。当時、武満徹、林光、一柳慧、高橋悠治、湯浅譲治といった作曲家たちが集まってトランソニックというグループを結成して、講演会などを催していたが、私は洩らさず出席していた。またパルコで催されていた、武満徹がプロデュースしていた音楽会にも通った。だから、田中信昭という名前もその頃から存じ上げていたのである。学生のときは、まさか自分がやがて合唱団の部長になるとは夢にも思っていなかったのだが。
 かつては50人以上の団員がいたが、現在はなんと11名。これ以上少なくなるとクラブとしての存続が難しいが、平たく言えば、いまの時代、男声合唱などというものはあまりはやらない。混声合唱のほうは、熱心な女子学生が多いらしく、繁栄しているようだが、「硬派」の男声合唱は低調である。
 昔は体育会のノリで、「本日はおめでとうございます」と挨拶すると、すごい声で「ごっつぁんです!」という返答がかえってきたものである。舞台上でも学生服を着ていたし。
 いまはずいぶんソフトになったが、バンドを組んでロックをやっている学生に比べると、合唱に興味のある学生はほとんどおらず、団員勧誘に苦労しているようだ。
 
 ちなみに、私は舞踏研究会の部長もつとめている。舞踏といっても暗黒舞踏ではなく競技ダンス、つまりいわゆる社交ダンスのクラブである。
11月22日(日)
 
 世間様は三連休だそうで、鎌倉は信じられないくらいの人出である。東京の人口の半分くらいが鎌倉に押し寄せたのではないかと思われるほど。駅まで行くには人を掻き分けていかねばならない。道路も渋滞して、バスも来ないので。
 
 川上弘美さんが新作短編集を送って下さったので、さっそく読み始める。たちまち川上ワールドに没頭してしまう。
 
 彩の国さいたま芸術劇場まで、ナチョ・デュアトの『ロミオとジュリエット』を観に行く。
 私にとってこの劇場は、彩の国というより最果ての国と呼びたくなるくらい遠い。東京を縦断していく。ちょっとした旅行である。湘南新宿ラインなるものができて、ずいぶん楽にはなったが、片道で映画が1本観られるほどである。神奈川県民が埼玉の劇場に向かって「遠い」というのがお門違いでることは承知しているが。
 ナチョ・デュアトはイリ・キリアンの弟子である。『ロミオとジュリエット』は10年前の作品だが、初演当時から好評で、「面白い」という噂をかねてより耳にしていたので、長らく観たいと思っていた。噂に違わず、名作である。舞台美術もすごくいい。
 有名なバルコニー・シーンでは、ロミオとジュリエットが一度もキスをしない。これは意識的にそうしたのだが、とデュアト自身が語っている。ジュリエットの母、つまりキャピュレット夫人がよく踊るのも特徴だ。
 
 アフター・トークを聞いた後、駅前の「王将」のカウンターで、生ビールを飲みながら餃子を食べていたら、隣の席の青年から「鈴木先生ですか」と声をかけられ、思わずビールを吹き出しそうになった。神戸大学の英文学の先生で、バレエ評論も書いている青年であった。「魚をさばく話を日記で書いている先生が王将で餃子とは・・・」と言われてしまったが、私、王将の餃子、大好きなんです。
 
 『最高の人生の見つけ方』を観る。ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンという二大名優が共演している(というだけの)映画。ニコルソンはいつものニコルソン、フリーマンもいつものフリーマンだ。こんな映画、誰でも作れるんじゃないのかしら。
 
 『ミスト』を観る。なかなか面白かった。いかにもスティーヴン・キングらしい作品。ジジェクなら「この霧は現実界である」と言うだろうか。その霧からいろんな怪物がでてくるところが、じつにキングらしい。キングは「得体の知れない恐怖」というのが苦手で、かならずそれに形を与える。そのほうがまだ怖くないからだ。
11月21日(土)
 
 商売柄、夕方にバレエを観に行くことが多い。当然、その日の夕食はたいていサンドイッチである。これは外国までバレエやオペラを観に行くときも同じで、公演がある晩は有名レストランで舌鼓を打つことはできない。食うか観るか、どちらかなのである。
 これは昔からのことらしい。パリ・オペラ座で上演するオペラにはかならず第2幕にバレエを入れること、という規則があった。ワーグナーはこれに逆らって『タンホイザー』の第1幕にバレエを入れ、そのために評判が悪かった。
 オペラ座を牛耳っていたのは「ジョッキー・クラブ」という貴族青年たちで、彼らは集まっていっしょに食事をしてから、オペラ座に繰り出した。食事をしてからだと開演には間に合わず、ちょうど第2幕が始まる頃なのだった。彼らのお目当てはオペラではなくバレエだった。つまり若い女性の肉体美の鑑賞がお目当てだったのである。
 今でもレストランの営業時間とオペラやバレエの上演時間は重なっているから、どちらかを選ぶしかない。
 というわけで、バレエを観に行くときはたいていサンドイッチか、行く途中の駅で立ち食いそばとなるのでる。立ち食いそばを食べてからバレエというのは、なんとも風情がないが、いたしかたない。
 一昨日、アイスショーを観に行ったときはちょっと時間の余裕があったので、厚生年金会館の地下の食堂にいった。すっかり忘れていた、というより、もとより関心がないのだが、たまたまボージョレー・ヌーヴォーの解禁日で、ウェイターが熱心に勧めるものだから、1杯だけ飲んでみた。今年は悪くはないようだ。一昨年に比べると劣るが。
 私はめったに肉を食べないため、ワインは白の辛口と決まっている。最近は、おでんのときに熱燗を飲む以外は、和食でも中華でも洋食でも白ワインで通している。自宅にも、白は2ダースくらい常備しているが、赤は2、3本しかストックしていない。では赤もさっぱりした品種が好きかというと、そんなことはなくて、フルボディのこってりした赤が好きである。だから、ボージョレーにも、ヌーヴォーにも関心がないのだが、一昨年、資生堂で内田先生と対談したとき、終了後にご馳走が出て、いっしょにボージョレー・ヌーヴォーが出た。このときばかりはその芳醇な味と香りに感動したのであった。文字通り、「おいしい」お仕事であった。
 
 昨日はテレビ収録の後、娘のマンションに寄ってみた。娘は、テレビのスタジオの隣の隣に住んでいるのである。むろん偶然である。娘の部屋がどのような状態であったかは、娘のプライバシーにさわるので、ここにはとても書けない。
 
 きょうは横浜まで、「エリアナ・パブロバを偲んで/バレエ名作集」という公演に出かける。いくつかのバレエ教室の合同発表会というべきものだが、日本バレエ協会会長の薄井憲二先生がパブロバの思い出話をなさるというので、聞きに行ったしだい。
 終わった後、薄井先生と、エリアナ・パブロバについて博士論文を執筆中のK島K子さんと3人で中華街の、私の知っている「穴場」中華料理屋に食事にいく。
 エリアナというのは変な名前で、日本にしか存在しない。もとの名はエレーナである。が、ロシア語でエレーナを厳密に発音すると、イェリェーナとなる。それにより近い形、というのでエリアナになったのであろう。
 日本バレエの母といわれるロシア人である。グルジア人かもしれない。
 薄井先生は「先生と呼ぶな」と仰るのであるが、バレエ史に関して私が「先生」と呼べる日本人は薄井先生ただひとりなので、「先生」と呼ばないわけにはいかないのである。
11月21日(金)
 
 麻生首相は国民全員にお年玉をくれるそうである。きっと子どもたちは「何を買おうか」と楽しみにしているであろう。だとしたら消費拡大の効果は多少あるかも知れないが、しっかり貯金する子どもだっているだろう。いずれにせよ、歴史的愚行として末代まで語り継がれることはまちがいない。
 
 「シアター・アイスショー『眠れる森の美女』」を観に行く。昨年の「氷の上の『白鳥の湖』」が素晴らしかったので、今度も期待したが、残念ながら期待はずれであった。プログラムによると、『眠れる森の美女』のほうが先の作品なのだそうだ。
 踊る(滑る)のは「インペリアル・アイス・スターズ」であるが、ほとんどはロシア人。最近、フィギュア・スケートにロシアからスターが出ないが、ご存じの通り、フィギュア・スケートはかつてロシアのお家芸であった。現在もその裾野は大変広い。アーティスト(選手)たちのプロフィールをみると、フィギュアの国際大会への出場歴はあるが、上位入賞はできなかったというレベルの選手が並んでいる。
 じつは日本では知られていないのだが、ソ連時代のロシアでは「氷上バレエ」というものがたいへん盛んだった。昨年から来日するようになったアイスショーは、じつはそれなのである。ただしソ連ではスケートリンクでやっていたが、現在の演し物は劇場の舞台の上に即席のリンクをつくる(最新技術で、一晩でできるのだそうだ)。
 『ロミオとジュリエット』で有名なラヴロフスキーという振付家がいるが、彼は1960年前後に数年間、氷上バレエ団の仕事をしていて、いくつか作品を振り付けている。アメリカで、ブロードウェイ・ミュージカルとバレエが近接ジャンルだったのと同様、ソ連ではアイス・ショーとバレエが隣接していたのである。(アメリカにもアイスショーがあったようであるが、詳しいことは知らない)。
 バレエのもうひとつの隣接ジャンルはシンクロナイズド・スイミングである。ロシアが強いのも頷けるというものである。
 
 「ドイツ・ハルモニア・ムンディ創立50周年記念ボックス」が出たので、申し込んだのだが、すでに売り切れていた(何しろ、私は反応が遅い)。その後、ヴァージン・ストアだったかタワー・レコードだったか忘れたが、「少部数だけ入荷した」というメールがきたので、翌日に申し込んだら、もう売り切れていた。なにせCDが50枚入っていて、値段は5000円である。
 仕方がないので、アマゾンに英語版を申し込んだら、これは簡単に買えた。値段は日本語版の2倍の1万円だが、50枚入っているから、1枚あたり200円である。
 ところが、数えてみたら1枚足りない。いや正確に言うと、リュリを聴こうとしたら、そのジャケットの中身が空だった。
 新品に交換してもらったのだが、アマゾンの商品交換はひじょうに良心的で、こちらが欠陥商品を送る前に早くも新品が届く。おまけに500円のギフト券をくれる。
 以前、アメリカのアマゾンで買ったDVDのボックスが欠陥商品だったので、交換して欲しいと申し込んだら、すぐに新品が送られてきて、「テロ対策のせいで、欠陥商品をアメリカまで変奏してもらうことは困難なので、送らなくていいです」という返事が添えられていた。
 さて、ハルモニア・ムンディって何? という方も多いであろう。古楽器演奏によるバロック音楽を専門とするレコード・レーベルである。いまはソニーの傘下のはずである。
 私が学生の頃、つまり70年代はバロック音楽ブームで、FM東京では毎朝バロック音楽を放送していた。当時はまだCDは発明されておらず、LPレコードの時代であるが、クラシック・ファンの間ではFMで放送される曲を録音するというのが「日常業務」であった。これを「エアチェック」といった。CDの出現によって、エアチェックという語も死語になってしまった。
 すでにテープはオープンリールからカセットに変わっていた。ナカミチとかの高級カセットテープ・レコーダで録音するのであった。むろん家の屋根にはFM専用アンテナをたてる。だが、レコーダにはタイマーがついていなかったので、朝6時からの放送があれば(ほとんど毎日あったのだが)、6時に起床して録音する。夜8時から放送があれば、その時間までに帰宅して録音する。毎週、FMなんとかという雑誌を買って番組表に印をつけ、そのスケジュールに従って生活していた。録音のための奴隷生活である。
 またたくまに数百本のテープが部屋に並ぶことになった。ジジェクが書いているように、片っ端から録音するのはいいが、それを聴く時間はないのである。
 やがてCDが出現して、テープを聴くこともなくなり、膨大なテープは、引っ越しするときにまとめて捨ててしまった。録音に費やしたあの膨大な労力は一体なんだったのかと思わないこともないが、過去は振り返らない。無駄のない人生はないのである。
 LPレコードも数百枚あったが、置き場所がないので、全部処分してしまった。惜しいことをしたと思う、いわゆる名盤もたくさん含まれていたが、私はコレクターの素質ゼロなので、べつに後悔はしていない。だいたい引っ越しのたびに、いっさいがっさい処分してしまうタチなのである。
 そして今、ビデオテープの処分に直面している。秋葉原に行ってみればわかるが、DVDとの併用機を除いて、ビデオデッキなるものはもう売っていない。ダンスのビデオは商売上「まとめて処分」というわけにもいかないので、暇を見つけてはせっせとDVDに焼いているが、その暇がほとんどないのが問題である。DVDへの移し替えが終わることには、世の中はすっかりブルーレイに移行しているかもしれない。
11月19日(水)
 
 1234567番をゲットした方からの連絡がないな、気づかずに踏んでしまったのかしらと思っていたのだが、「ゲットしました」という連絡を頂いた。やはり、気づかずに踏んでしまうということはないようである。これまでもなかったし。
 
 先週末は、土曜日は大学院の修論中間発表。どこの大学院でも、そういう季節のようである。
 日曜は分野別優秀者入試。
 土日に休めないと、月曜の授業がつらい。おまけに数年前から、授業回数を確保するために、ほとんどの月曜休日は「振り替え平日」になり、授業がある。文科省から「1学期15回やらないと助成金をカットするぞ」と脅かされているのだから、仕方がない。でも、国民の祝日に休まないということは、大学教師と大学生は国民ではないということか。
 
 きょうは新国立劇場へ新作『アラジン』を観に行く。過重労働とぎっくり腰のせいで、バレエを観るのはずいぶんと久しぶりだ。
 批評は日経新聞で読んで頂くとして、「アラビアン・ナイト(千一夜物語)」は17世紀フランスのアントワーヌ・ガランの翻訳でヨーロッパに初めて知られたのだが、「アラジンと魔法のランプ」はガランが別の情報源から採って収録した話で、したがって元の「アラビアン・ナイト」には入っていない。しかもそのガランの原話では、中国の話ということになっている。前にも何度かどこかで書いたが、イギリスにはパントマイムというものがあって、これは無言劇のことではなく(アメリカではパントマイムといったら無言劇のこと)、クリスマスの時期に上演される家族向けの娯楽芝居のことである。いちばん人気のあるのは「ピーター・パン」とか「アラジン」だが、今でもその舞台は中国だ。日本では昔からアラビアの話として流布しているようだが。
 ちなみに、こすると願いが叶うというのは、マスターベーションを象徴しているというのが、俗流精神分析的解釈だ。
 
 手帳をみると、12月の中旬まで1日たりとも休日がない。やれやれ。
11月14日(金)
 
 ぎっくり腰になってからちょうど1ヶ月たつが、まだ痛みがとれない。困ったもんである。
 
 誰からも「1234567番をゲットした」というお知らせがないので、どうやらどなたかが知らないうちに踏んでしまったようである。
 
 『スイング・ガールズ』を観る。おお、こりゃあ文句なしに面白い。同じ監督の『ハッピー・フライト』もきっと面白いにちがいない。
 
 かみさんが出かけているので、自分用の夕食を作る。自分用だから、手抜きである。例によってサンマの塩焼き。ぶりのあらを買ってきたので、それでぶり大根を煮る。せりのごまあえ。釜揚げシラスと大根おろし。
 送って下さる人がいるので、魚沼産こしひかりの新米を食べているが、正直なところ、白米、つまり銀しゃりはあまり好きではない。玄米とか、雑穀を混ぜたご飯のほうがずっと好きである。グルメではない証拠である。
 最近は電気炊飯器の能力が向上したので、玄米が楽に炊けるようになったが、結婚以来、これまでは基本的に胚芽米を食べてきた。そのせいか、娘には「子どものころに白米を食べさせてもらえなかった」という恨みがあるらしく、白米が大好きである。
 
 今更ながら、自分に関する大発見をした。私は相当に鈍い人間であるということを。映画はだいたい1年か2年遅れで観ているが、新しいものが嫌いなわけではない。まわりが騒いでいても、おそろしく反応が鈍いのである。どうも固くて厚い殻に覆われているらしく、そこに浸透していくのに時間がかかるのである。そしてあるとき突然、その層をようやく超えて、刺激が中枢に達し、夢中になる。そのころには、まわりの人はもう忘れている。
 だから、何かにすぐに感化されるということがない。その意味で、相当な保守派ともいえる。
 というわけで、いま毎日聴いている歌は平原綾香の Jupiter である(笑)。アナクロ人間と呼んで下さい。
11月9日(日)
 
『ボーン・アイデンティティ』『ボーン・スプレマシー』『ボーン・アルティメイタム』をまとめて観る。第一作は前に観たが、ほとんど忘れてしまったので、あらためて3本まとめて観た。格闘とカーチェイスがほとんどの時間を占めているので、年寄りは疲れる。主人公の記憶喪失が鍵になっているものの、記憶に関する新たな知見は何もない。美人が出てこないのも、気に入らないね。といいながら、モスクワやロンドンやパリやニューヨークの風景をなつかしく思いながら、楽しんだのであった。そうか、このシリーズは観光映画だったのか。
 
 ベトナム映画『1735キロ』を観る。若い男女がハノイからサイゴンまで旅をする話。ベトナムに行ったときに初めて知ったが、誰もサイゴンをホーチミンとは呼ばないようだ。
 素人っぽい映画だが、ベトナムの風景が楽しめる。ベトナムではお見合い結婚が主流で、いまでも親が子どもの結婚相手を決めるのだそうだ。本作はそれに反撥する若者を描いた映画で、日本でいえば昭和30年代の青春映画に相当するだろうか。
 ベトナムには日本の文化にあこがれている若者たちがいるようで、主人公のガールフレンドはスッチーをしていて、渋谷でショッピングをするのが最高の楽しみだという。途中、日本語を話す若者たちも出てくるが、これはどうやら、ベトナムのハンサム歌手にあこがれてベトナムまできた日本人の女の子たちという設定らしい。ベトナムの女の子は日本にあこがれ、日本の女の子はベトナム(の男)にあこがれるということか。
 それにしても、ずいぶんリッチになったことに驚かされる。若者たちはワインを飲みながら、フランス料理を食べている。
 が、考えてみればフランス料理もワインも、ベトナムの方が日本よりもずっと先輩なのだった(ベトナム料理がおいしいのも、同じ理由による)。ベトナムというと、ベトナム戦争のイメージしかないために、地下壕とか枯葉弾とかしか連想しないのだが、むろん古い伝統のある国である。この映画にも、僧侶がしばしば登場する。
 日本はアメリカに負けたが、ベトナムは負けなかった。この事実だけで、私はベトナムにひじょうに興味があるのだが、ベトナムがその歴史上おかした最も愚かな過ちは漢字を廃止したことだろう。ご存じのように、ベトナムでは現在、クォックグーという、アルファベットにいろんな記号をくっつけた文字を使っており、漢字の読める人はほとんど皆無といっていい。これはフランスのせいばかりでない。ある意味、ベトナム人自身がとった政策である。ベトナム語(越語)というのは、東南アジアでは珍しく中国語の影響が強く、極端にいえば中国語の方言みたいなもので、辞書の単語の70%は漢語であるから、むろん漢字で表記できる。クォックグーにしても「国語」である。それをいっさいやめてしまったのだから、韓国と同じく、もったいないことをしたものである。
 
 フィリピン映画『アナック(母と娘)』を観る。母親が香港に出稼ぎに行っている間に家庭が崩壊し、子どもたちは悲惨なことになる、という話である。タイもそうだが、フィリピンでも、男(夫、父親)たちは全然働かないようだ。
 かみさんが香港に行ったとき、もっとも印象的だったのは、休日に公園に集まるフィリピン人メイドたちのおしゃべりの声だったという。この映画にも出てくるが、何百何千というフィリピン人女性が集まって、じつによくしゃべる。まるで雀の大群がいるような音がする。そもそもタガログ語というのは「ピーチクパーチク」と聞こえる言語である。私が聞いた話では、香港ではフィリピン人メイドを雇うのがごく一般的で、奴隷のようにこき使い、人間扱いしないという。
 私の知り合いが住んでいる地域(東京の下町)には、保育園にも小学校にもたくさん日本人とフィリピン人のハーフがいるそうだ。日本の男がフィリピーナを好む理由はわかる。日本の男のほとんどは「かわいい、子どもっぽい」女を好むからだ。「おとな」の女は敬遠される。いっぽう、フィリピーナからみれば、ちゃんと働く日本の男は「男っぽく」見えるのだろう。でも離婚率も高いようだから、それだけではうまくいかないのだろうが。
 
 この季節は忙しい。入試が多様化したせいで、この時期、しばしば週末に出勤しなければならないからである。
 入試の多様化とは、受験生に対する評価の多様化ということである。すべての受験生を一度の試験でふるい分けてしまう方がずっと簡単であるが、それはよくないという反省から、AO入試など、全国のどの大学でも複数の入試をおこなっている。
 
 いっぽう、大学以外の世間一般においては、この入試の多様化とは正反対に、人間を評価する際の基準が画一化してきた。いうまでもなく、金が単一基準となった。
 「ぼろは着てても心は錦」という水前寺清子の歌があったが、いまや「たとえ心は錦でも、ぼろを着てちゃあ・・・」である。すべての人間が経済的価値で評価される。困った世の中である。
 かつては、物質的豊かさよりも精神的豊かさの方がずっと大事だといことを、誰もが知っていた。いや今だって、ホリエモン型人間を除けば、誰もがそのことを知っているはずだ。
 しかし、かつては確信だったものに、いまや疑いが忍び込み、その疑いを拭い去ることができないでいる。「精神的に豊かでも、物質的に豊かでないと・・・」
 私が、いわゆる貧しい若者たちにどうしても同情できないのは、私には彼らが本当に貧しいとは思えないのだ。私が子どもの頃は日本全体がまだ貧しかった。給食費を払えない、修学旅行の費用も払えない、という子がクラスにかならずいた。アパートの一室に家族全員で暮らしている子もいた。いまやジョークのネタに使われるが、バナナなんて、本当にまれにしか食べられなかった。
 「3丁目の夕日」の世界は、私のような世代にとっては現実だったわけだが、若者たちにとっては「どこの国?」という感じだろう。
 私は、日本全体があの貧しい時代に戻ったとしても、平気だという自信があるが、若者たちは無理だろう。
 若者たちがいま悲惨なのは、貧困=悲惨という価値観が染みついているからだ。それは若者たちのせいではない。問題はべつに「心の持ちよう」ではないからだ。この価値観が蔓延しているなかで、自分だけ「ぼろは着てても心は錦」を信条にして生きていくことは難しいだろう。だから若者たちを責めるつもりはないが、この価値観に浸かっている限り、悲惨な状態、というより悲惨だという意識から逃れることはできないのだ、という意識くらいもってもらいたいものである。
11月8日(土)
 
 腰痛のせいで、あいかわらずバナナ・ボートの日々である。「いてて、いてて、いてて、いててーよ」。
 
 私はかつて大学に語学教員として採用され、いわゆる教養部という部署に所属していた。私の専門はロシア語だが、最初に得た仕事はフランス語の非常勤講師だった。でもその後、英語教師になった。
 教養部というところは小田島雄志、高橋康也、渡辺守章、蓮見重彦といった人たちを排出した東大教養学部をみればわかるように、、異才がごろごろいる場所であった。何しろ、私を法政大学に入れてくれたのは柄谷行人先生である。「専門学部の教授たちは馬鹿ばかり」というのが、柄谷さんの口癖であった。
 ご存じのように、90年代に文部省(文科省)の主導で、ほとんどすべての大学で教養部が廃止された。そりゃあそうだ、「教養部をつぶさないと補助金を出さない」と文部省から脅迫されたのである。
 「ゆとり教育」の例ををみればわかるように、文科省の方針というのは朝令暮改である。最近になって、「教養教育の重要さを見直す必要がある」と言われはじめている。そのうちにこういうことを言い出すだろうということは、ずっと前からわかっていたことである。
 教養教育はひじょうに重要である。というか、大学というのは教養教育のために存在している機関である。専門教育などしょせん無理なのである。
 アメリカの大学では、新米教師は、専門の授業はもたせてもらえるが、教養科目はもたせてもらえない。教養課程の講義は大先生だけしかできない。専門科目の方が易しいからである。専門科目というのは、ジャーゴン、つまり「うちわの言葉」で話せばいい。また、自分の知っていることだけを講義すればいいのである。教養科目となると、そうはいかない。理系の学生に文学の醍醐味をわかってもらい、文系の学生に数学の面白さを知ってもらわねばならない。それは新米教師にはなかなかできないことである。
 だから教養教育の廃止には反対だったが、教養部の廃止には賛成だった。なぜなら、先に述べたように、教養部というのは優秀な人材がごろごろしている場所であったが、同時に、困った人のたまり場でもあった。いや実際、梁山泊みたいな場所だった。
 教養部は、業界用語では「大部屋」と呼ばれていた。週5コマの授業をこなせば、あとは自分の好きなことをしていればいいのだった。それでたくさん本を書く人もいたが、いっぽう、「何も生産しない」人もごろごろいた。
 学生を送り出す、就職させる、といったことにはいっさい関係していなかったので、じつに無責任な集団であった。
 その意味で、教養部が廃止されて本当によかった。
 研究業績のない教授を十把一絡げにして批判するつもりはない。大学も企業であるから、当然ながら行政あるいは経営の仕事もある。理事とか学部長とか学生部長とか、激職はいろいろあって、それを引き受ける人がいなかったら、大学は崩壊する。そういう職務についていたら、自分の勉強なんかできやしない。
 しかし、「授業以外何もしない」教授がいるというのが、大学の恐ろしい事実なのである。もっと恐ろしいのは、そういう人が批判されることがないということである。就職したてのころ、びっくりしたのだが、大学というのはじつに寛大な人の集まりで、何もしない人がいても、誰もその人を責めない。誰かが黙ってその人のぶんも引き受けて働くのである。役職がまわってくると、「私は病気ですから」といって逃げ回り、でもサバティカルの順番がまわってくるとさっさと外国に出かけていった教授もいた。教養部というのは、その意味では「愛の集団」だった。
 論文も本もいっさい書かないが、「あの人は大学者だ」と尊敬されている教授もいた。おかしな話である。私などは、いくら大学者だろうと、生産しない人間は給料をもらうに値しない、と思っていたが、それを口に出せるような雰囲気ではなかった。
11月3日(月)
 
 内田樹先生が選挙で入試部長に選ばれたとのこと。ご愁傷様としか言いようがない。大学の役職がいかに大変かは、経験者でないとわからない。私は教授会主任をやっただけで大学をやめたくなった。ビジネスマンのかたは「なまぬるい」とおっしゃるかもしれないが、そこはそれ、業界によって大変さは違うのであって、単純には比較できないのである。
 これで当分のあいだ内田先生の新著が読めなくなるとお嘆きの諸氏もおられるかと思うが、その心配はない。ふつうの人間ならありえないことだが、内田先生の書物製造ペースは落ちることはないだろう。スーパーマンなんだから。
 
 『ナショナル・トレジャー』『ナショナル・トレジャー2/リンカーン暗殺者の日記』を続けて観る。ダイアン・クルーガーは文句なしに世界一の美女のひとりであろう。ブラッド・ピットがアキレスを演じた『トロイ』を観る前、いったい誰がヘレナを演じるのだろうか、何しろトロイア戦争を引き起こしたほどの美人である、その役を演じられる美女なんてこの世にいるのだろうか、などとあれこれ考えていたのであるが、クルーガーを観て即座に納得。
 それにしても、このシリーズとか『インディ・ジョーンズ』のようなジェットコースター映画を愉しむにはいささか年をとりすぎてしまったようだ。ちっとも面白くない。スローフード、スローライフなどという言葉が巷に氾濫している。あまり興味を惹かない言葉だが、少なくとも映画はスローなほうがいい。私のようなじいさんには。

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