| 2008年9月の日記(↑時間軸) |
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9月26日(金)
一昨日は東中野の梅若能楽学院にある能舞台まで、「復活の日」を観に行く。イプセンの最後の芝居「私たち死んだ者が目覚めたら」を現代能にしたものである。 この公演をプロデュースした名取事務所は1999年から「イプセン現代劇全作品上演」を続けている。やはり現代能仕立ての「ふたりのノーラ」はノルウェーでも好評だったそうである。 昨日は、バレエの講義とゼミという「楽しい日」だったのだが、夕方から突然、原因不明の鬱に襲われ、それ以来、今日になっても、まったく何もやる気が起きない。困ったものである。それでもちゃんと日記だけは書くのだから、まだ深刻な状態とは言えないのかもしれない。 |
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9月24日(水)
昨日は後期最初の教授会。世間では国民の休日だが、うちの大学だけはそうではない。 ご存じのように、いや知らないでしょうね。大学では週に1コマの授業を1年間受けると4単位もらえる。この単位を、サービス券のように貯めると卒業できるという仕組みである。ただしそれは講義の場合で、語学や体育は2単位、すなわち半期ならば1単位である。 講義の場合、この4単位の中身は、文科省の大学設置基準によれば、90時間の授業を受けること、と定められている。どうして90時間なのかは、週45時間労働というのを基準にしているからなのだそうだが、どうして週の労働時間と1年間の授業時間が関係あるのか、よくわからない。 いずれにせよ、半期ならば45時間。これを15週で割ると週3時間ということになる。だが、先に週1コマと書いた。1コマは3時間もない。90分である。どういうことかというと、週3時間のうち、1時間は自宅での予習復習とする。あとの2時間、大学で講義を受けるのだが、大学における(いや小中高でも)1時間は実際には45分である。これも、どうしてそうなったのか、寡聞にして知らない。 というわけで、45分×2=90分の講義を受ければ、半期で2単位もらえるのである。 ところが、これまでうちの大学では、いやどこの大学でもそうだろうが、半期に15回も授業をやってこなかった。12回くらいのものだった。私が大学に就職したときには、先輩諸先生から「半期に10回やればいいですよ」と言われ、私はそれを信じて、半期に一度くらいは休んでいた。 それが最近、15回やらないと文科省から叱られる(具体的には大学基準協会から厳しい評価を受ける)、ということになり、「ちゃんと15回やりましょう」ということになった。教師にしてみれば、回数が増えるのだから給料が増えてもよさそうなものであるが、これが本来の回数なのだから、もちろん給料が増えるという話はまったく出ない。 で、話は戻るが、国民の祝日をかなりつぶさないと、夏休みや冬休みを大幅に削らなければならないのである。ゴールデン・ウィークに授業をやるという案まですでに出ている。 毎年書いていることだが、問題は入試である。だいたい2月の一ヶ月間は入試でつぶれる。そのあいだ、授業はできないので、学生たちは1月から3月まで休みということになる。それを見ている親たちは、「高い授業料を払っているのに、休みが多すぎる」と怒鳴り込んでくる。でも、しつこいようだが、休みなのは学生たちだけであって、私たち教員も事務員も、入試で超多忙なのである。 学生たちが休めないのでは、「国民の祝日」ではないではないか、と私などは思うのだが。 大学も長居するところではないな、と感じているのは私一人ではないだろう。 話はまったく変わる。ちょっと事情があって、アメリカンの古ビデオ屋から、ポール・ニューマン主演の The Outrage という映画を取り寄せ、見ている(DVDは出ていないようだ)。この映画は高校生の時に見た。3人でフォークソングのバンドを組んでいたのだが(男子校だから3人とももちろん男子である)、そのひとりに、映画会社か何かに勤めているおじさんがいて、そのおじさんが毎月、あちこちの映画館のタダ券をくれるのだった。 なぜか、そのおじさんがくれるのはロードショーのチケットではなく、2番館、3番館の券だった。そのおかげで、ずいぶんいろいろな映画をみた。 ところで、笑いすぎてお腹が痛くなる、という経験は誰にでもあるだろう。が、そう頻繁にあるものでもない。私はひどく記憶力が悪く、子どものころのこともあまり覚えていないのであるが、私にとって、笑いすぎてお腹が痛くなった最初の記憶は、「雲の上団子郎一座」であった。あんなにおかしい喜劇はその後一度も見たことがない。とくによく覚えているのは「お富さん」だ。三木のり平が切られ与三を演じていたことをよく覚えている。「ご新造さんへ、女将さんへ、」と言って、玄関の格子戸をがらりとあけると、その格子戸が外れてしまって、懸命にそれを直そうとするところを、いまでもよく覚えている。 ただしこれはナマで見たのではなく、テレビで見たのである。 話を戻すと、この雲の上団子郎一座の次に覚えている、私にとっての「お腹が痛くなる」経験は、友人のおじさんにもらったチケットで見た谷口千吉監督の「カモとねぎ」だった。 3人組の詐欺師の話だが、そのボスである「貴族詐欺師」をなんと森雅之が演じている。彼の出演している珍しい喜劇なのである。あとの2人は若き日の高島忠夫と砂塚秀夫だ。 さきほど、あらすじを読んでみたが、ほとんど覚えていなかった(あらすじはこちら)。米軍向けにナパーム弾を製造し、ベトナム特需で大もうけしている化学工場が廃液を垂れ流し、水俣病のような病気が発生しているという設定には、あの時代を感じる。 このあらすじには書かれていないが、詐欺師たちがPTAのおばさんたちに恥をかかされる場面があって、彼らはその復讐に、おばさんたちを招待して、教育映画を上演すると騙して、ピンク映画を見せるのである。すると、おばさんたちがだんだん悶えてきて・・・というシーンを今でも覚えている。というより、おかしくてお腹が痛かったことをよく覚えている。 ここでようやく The Outrage という映画の話に戻るのだが、The Outrage も、そのおじさんからもらったチケットで観に行った。場所は渋谷の全線座である。渋谷駅の原宿寄りの改札を出て、ハチ公とは反対の宮益坂方面に出るとすぐに大きな交差点がある。それを原宿方面にわたると、その角は現在、ビックカメラで、その隣に東急イン・ホテルがある(東横インではない)。その東急インのビルはいまでも全線座ビルというのだが、ここに大きな映画館があった。最初はロードショー館だったのであろう。私が高校生のころはすでに裏びれた2番館だったが(学校帰りの時間だと、いつもがらがらだった)、2階席まである巨大な映画館だった。 あの日も、学校の帰り、仲良し3人組で観に行った。タダ券はもらったものの、「ぴあ以前」の時代であるから、何をやっているかは知らない。つまり、特定の映画が観たくて行ったのではなく、映画ならなんでもよかったのである。だが、映画館についたわれわれ3人はびびってしまった。まじめな男子高生だったからである。 The Outrage の邦題は「暴行」だったのである。 3人で、「どうしよう。まずいかな。でも成人映画じゃないよ」と、合議の結果、見ることにした。で、感想はといえば、こんな面白い映画はめったにないと思った。それもそのはず、そのときはまだ黒澤の「羅生門」を見ていなかったのである。そう、「暴行」は「羅生門」のリメイクである。「荒野の用心棒」や「荒野の7人」ほどはヒットしなかったようだが。 前にも書いたけれど、小学校4年生のときに女の子と映画を見に行って、祖母にこっぴどく叱られたのを唯一の例外として、小学生時代はひとりで、あるいは子どもだけで映画を見に行ったことは一度もなかった。中学になったら電車通学となり、しかも渋谷で乗り換えるので、毎週、学校の帰りに東急名画座に通った。親にはもちろん内緒だが、見終わって帰ると、ちょうど夕飯に間に合うのだった。当時、チケットは100円だった。でも、いまから考えると、学生服を着て、学生帽をかぶり、白い肩掛けカバンをかけていたのだから、けっこう勇気があったのである。東急名画座は週替わりだったから、ずいぶんたくさんの映画を観た。 でも、とくに映画少年というわけでもなかったので、何を見たか、メモをしていない。いま、隣の隣に住んでいるご老人は、ものすごい読書家なのだが、映画狂でもあって、中学時代から、何を見たか、ずっとノートに記録している。私は十代を通じて、年間に見た映画は平均50本くらいだが、そのご老人は毎年100本以上見ているからすごい。 |
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9月22日(月)
先週の土曜日。劇団四季の『夢から醒めた夢』を観に行く。赤川次郎原作のミュージカルで、もう20年もロングランしている。どうしてそれを観に行ったかというと、今シーズンは、晶ゼミ一期生の真家瑠美子が主演しているのである。 この子は高校時代から演劇をやっていて、分野別特別入試、いわゆる一芸入試で入学したのだが、在学中は学業優先ということで、ちゃんと4年で卒業した。顔が小さく、すらりと背が高く、スタイルのいい子である。 もともと彼女はつかこうへい劇団にいた。一度、つかの芝居を見に行ったのだが、そのとき彼女は準主役を演じていて、その芝居のうまさ、歌のうまさ、踊りのうまさに私は感心したのであったが、今回もまことに素晴らしい舞台であった。 さすが四季に数年いただけあって、台詞はすっかり「四季節」になっている。つまり、声の出しかたが野村玲子とそっくりである。ちなみに、批評で「四季節」という言葉を使うと5年間出入り禁止になるそうな。贅沢を言えば、歌、とくに高音部であろうか。 劇団四季は、オーディションが厳しく、入団するのはなかなか難しいようだ。そんななかで、わが教え子が、立派に主役をはって、カーテンコールでは出演者全員を従えて出てくるのをみていて、思わず目頭が熱くなった。 開演前から、劇場内やロビーや劇場の外で、ヴェネチアのカーニバルのような、というか、シルク・ド・ソレイユのような、というか、そういう衣裳と仮面をつけた役者たちがお客さんにサービスしている。子どもだましといえばそれまでだが、なかなかいい趣向である。始まる前から、劇場がやや異空間のような雰囲気を醸し出している。 このミュージカルは、ひとりの少女が霊界を体験するという話である。浅田次郎にもそんな小説があったし、森絵都の『カラフル』もそんな話だったと思うが、死後に成仏するかどうかというのは、現代を代表するテーマの一つなのですね。 子ども向けといえば、子ども向けだが、両隣にすわっていた若い女性たちはふたりともぼろぼろ泣いていた。 日曜日は朝から晩まで大学院の入試。私が大学院の入試を担当するのも今年が最後である。 帰りがけ、大学の近くにある宮崎尊さんのオフィスで宴会をやっているというので、顔を出す。 月曜日。つまり今日。朝6時に母からの電話で起こされる。足が痛くて動けないという。妹の家族が同居しているのだが、全員仕事や用事があって病院に連れて行くことができないという。だが私も一日中仕事なので、かみさんに頼み、私は仕事の後、顔を出す。 さいわい、入院ということにはならなかった。 今度、こういうことはしばしば起こるであろう。 午前中は、テレビの収録。これまで世田谷のほうにスタジオがあって、たいへん不便だったのであるが、田町のスタジオに変わり、ずいぶん楽になった。なんと、娘の住んでいるマンションの近所だった。皮肉なことに、今朝は娘は鎌倉で爆睡していたのであるが。 その後、大学へ。講義がふたつ。「映像文化論」と「身体表象論」。今年は思い切りマイナーなテーマにしたので、受講者数は例年の半分以下。ありがたい。 |
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9月18日(木)
数日前、NHKで興味深いドキュメンタリーをやっていた。イラクで戦ったアメリカの若い母親たちの話である。知らなかったが、イラクに派遣されたアメリカ兵の10%以上が女性だったそうである。彼女たちは、帰国後、子どもをかわいがることができなくなったり、対人コミュニケーションがうまくできなくなったり、というさまざまな後遺症に苦しめられているという。 たぶん、ほとんどは田舎の人たちである。というのも、みんな一様に太っている。それまで、毎週末に州兵として訓練を受けたり、災害救助をしたりして、毎月30万円くらいの報酬をもらっていたそうだ。スーパーのレジよりも割のいいパート仕事と思っていた人もいただろうし、「お国のため、みなさんのため」と思ってやっていた人もいただろう。 いずれにせよ、ある日突然、彼女たちにイラク派遣命令が下る。拒否したら処罰される。 こういうことを言うとフェミニストに噛みつかれるかもしれないし、反対に歓迎されるかもしれないが、男性と女性の違いの一つは女性の方が平和的だということである。子どもに好きなことをやらせたら、男の子は戦争ごっこをし、女の子はままごとをするだろう。「女は作られる」というのは正しいが、戦争ごっことままごとの差異が社会的に作られた差異だとは思われない。 だから女性は戦争には向かないのである。ということは、戦争にいった女性たちの心の傷は男性よりも深いかも知れない。 でも、番組を見ながら考えたのは、たしかにPTSDで苦しむ女性たちも気の毒だが、彼女たちに殺されたイラクの人たちはもっと気の毒だということである。 リーマン・ブラザーズという証券会社が経営破綻して、世界中で大騒ぎをしている。 私はまったくの経済オンチで、リーマン・ブラザーズという会社の名前も知らなかった。で、「みんなの知恵蔵」で調べようと思って、アクセスしたら、「リーマン・ブラザーズ」が「本日のアクセス第1位」だそうであるから、私みたいに「みんなが騒いでいるリーマンって何?」という人は意外に多いにちがいない。うちのかみさんなんて、サラリーマンの略称だと思っていたらしく、「サラリーマンが破綻したって、どういうこと?」と首をかしげていた。 新聞の一面に大きな字で出ていた「バンカメ」というのも、バンク・オブ・アメリカであることを知るには時間がかかった。最初はデジカメの同類だと思っていた。 そもそも証券会社がどうしてあんなに巨大になるのか、まるで見当がつかない。製造業のことはよくわかる。1億円の材料を買ってきて何かを作り、それを2億円で売れば1億円儲かる。これは明快だ。商業はもっと簡単で、1億円で仕入れ、2億円で売れば1億円儲かる。たとえ商品でなくとも、おばあちゃんの肩を叩けば100円お小遣いがもらえる。これもよくわかる。 リーマン・ブラザーズのような会社がやっていることは、要するに金を金で買うことだそうだが、金で金を買ってどうして儲かるのかが、私にはまったくわからない。 何しろ私の経済感覚というのは、誰かが儲かれば誰かが損をする、というこれに尽きる。「金を儲けるのはわるいことだ」という、若いころに頭にたたき込まれたことも、どうしても頭から抜けない。 とはいえ、多少とも新聞を読み、テレビを見ていれば、外資系の証券会社というのが若者たちにとって「憧れの職業」のひとつであることくらいは知っている。そういう会社の社員は、パソコンをバチバチ叩いたり、電話で英語で怒鳴ったりして、毎日数千万、数億の金を動かし、自分も年に数千万の収入があるらしい(そういう人はきっと世の中をなめているにちがいないが、それはまた別の話)。 リーマンの就職試験に落ちて、仕方なく他の会社にいった若者は、「一夜明けたら失業者になっていた」というリーマンの元社員たちをみて、「ざまあみろ」と思っているのか、それとも「同病相憐れむ」という心境なのか。 私は、たんに理解できないだけで、証券会社の仕事をしている人にとくに恨みもないから、「ざまあみろ」とも思わないが、なんとなく「あの人たちはまともな仕事をしていない」ような印象を漠然と持っているので、同情心も起きない。 株とか証券の取引というのは、たぶんギャンブルみたいなものなんだろう。何せまったく知らないので、想像するだけなのだが。 だとしたら、いっぺんに全財産を失ったとしても、あまり不思議ではない。パチンコや競馬で暮らしている人を、「あのひとはいい仕事をしている」とは誰も思わないだろう。それと同じで、証券会社のどこが社会の、あるいは世界のためになっているのか、理解ができない。 話はとぶが、世の中には宗教を仕事にしている人たちがいる。金儲けをしている寺などは別として、宗教に人生を捧げている人たちは、金になる仕事はできないので、寄付や托鉢で生活しているわけである。鎌倉に住んでいると、時々、建長寺や円覚寺から托鉢僧たちがやってくる。タイなどでは、僧侶に食べ物や何かを寄付することや、寺院に寄進することは日常茶飯事である。 私も、僧侶にはお布施をさしあげるし、寺院や教会に行けば、かならずお賽銭をはずむ。どんな宗教でも同じである。 どのくらいか、わからないが、人口の何パーセントかは祈りを捧げる人が必要である。私たち一般人は毎日祈っている暇がないので、代わりに祈ってもらうわけである。人口の何パーセントかの宗教者がいない国は繁栄できない。 祈りの生活をしている人が日本にどれくらいいるのか、見当もつかないが、その人たちが毎日祈っていてくれるおかげで、それほどの大災害も不幸も起きずに済んでいる、と私は考えている。一種の詭弁であることは承知の上で言うのだが、昨年大災害が起きなかったのは、祈りの効果があったからである。 「どこかで、だれかが、私のために祈ってくれている」というのは、私にとって心の支えである。繰り返すが、宗派は関係ない。 国の安全と繁栄のためには、人口の何パーセントか(たぶん0.01%くらいかしら)は、祈る人間が必要なのである。つまり社会がその人たちを養う必要がある。ドライな言い方をすれば、一種の保険である。 どうしてこんなことを書いているかというと、先日テレビで、デイトレーダーを紹介していた。カップ麺をすすりながら、一日中パソコンの前に座って、年に数千万円も稼ぐ若者が紹介されていた。きっと、ここまで成功した人は少ないかも知れないが、全国に相当数、この手の若者がいるのであろう。 祈ってくれている人とは対照的に、デイトレーダーたちについては(いや、証券会社の社員たちもそうだが)、どうしても「彼らがいてくれてよかった」と思うことができない。 |
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9月16日(火)
東京まで「ジョゲッ・ピンギタン」を観に(そして聞きに)いく。 「ジョゲッ・ピンギタン」と言われたって、読者の99%は「なんのこっちゃ」と問われることであろう。私も今回初めて知ったダンスである。 バリ島にはレゴンというダンスがある。これは宮廷舞踊を起源とする女性のダンスである。いろいろあるが、このジョゲッ・ピンギタンは少々変わっている。たとえば、チャロナランという有名な舞踊劇がある。魔女が国じゅうに疫病をはやらせ、悪魔が赤ん坊の死体を掘り起こして食ったりするのだが、最後には魔女ランダと聖獣バロンが闘う(面白いことに、善が悪に勝つわけではなく、ランダとバロンの闘いはいつまでも続く)。バリの人びとは安易な勧善懲悪を信じておらず、譬えは突飛だが「悪貨は良貨を駆逐する」みたいな話で、善のほうが脆弱だと考えている。 さて、ジョゲッ・ピンギタンでは、このチャロナランをひとりのダンサーが踊る。つまりすべての登場人物を演じ分けるのだ。 今回はイブ・チュニックというおばあさんと、その孫娘(40代)と、曾孫娘(18歳)の3人が踊った。おばあさんの踊りは、なかなか渋かったけれど、かなり動きが鈍くなっていて、曾孫娘の踊りを観ていて、本来はこういうもんなんだろうなと思った。もちろんこのおばあさんは稀代の名手といわれる人なので、他の人には真似のできない独特の魅力があるのだろうが。 私には、車椅子に乗った大野一雄がちょっと手を空に差し出しただけで、「おお」といって涙を流して感動する人の神経が理解できないところがある。大野一雄が素晴らしいことは否定しないが、「老い」はそれだけで人を感動させてしまうというのも事実である。 さて、ジョゲッ・ピンギタンは、伴奏のガムランも小編成で、しかも私たちの聞き慣れている青銅ゴング中心のガムランとはちがって、竹の楽器ばかりの地味で素朴なガムランであった。 このジョゲッ・ピンギタンはバリ島でもたった2カ所で伝承されているだけで、伝統を受け継いでいるダンサーは実質上このおばあさんただひとりだそうである。それで「幻のバリ舞踊」と呼ばれるしだいである。 バリ島にいくと、その舞踊文化の奥深さに心から感動するが、若者の多くはバリ島のことをもっぱらリゾート地としてしか知らず、泳いで、ダイビングをして、帰ってくるそうな。べつにそれはみなさんの勝手だが、つい、ああもったいない、と思ってしまう。 今年もサンマの季節が到来した。スーパーにいけば、1尾90円で買える。メインディッシュが90円で食べられる、と考えただけで、涙が出てくる。さいわい、原油代も下がった。 私は有名なサンマ・フリークなので、この季節になると、3日サンマを食べないと、体からサンマ成分(って何だ?)が抜けて、手が震えてくる。 問題が二つある。ひとつは、かみさんもサンマは嫌いではないのだが、週に一度でたくさんだという。もうひとつの問題は、外で食事するときもサンマを食べればよさそうなものだが、安い居酒屋でも400円とか500円するので、考えてしまうのである。家で食べれば90円で食べられるんだもの。 アパートやマンションに住んでいる人はお気の毒である。なかなか盛大にサンマを焼くというわけにはいかないであろう(同様の理由で、日本の飲み屋からクサヤが姿を消して久しい)。 ところで、アメリカでは鮨が完全に市民権を得て、ニューヨークなどではおしゃれでヘルシーな食事として定着している。そのおかげで鼻が高いという日本人も多いようだ。たしかに、アメリカ人から「日本人? あの、なまの魚を食べる野蛮な国民ね」と思われるより、「日本人? あのヘルシーでおしゃれなものを食べている国民ね」と思われたほうが、気分がいいかもしれない。 でも、ちょっと待ってもらいたい。 私は、鮨の国際的人気がこのまま上昇し続けることに対しては、強い抵抗感がある。正直にいえば、欧米人に鮨なんか食べて欲しくない。アメリカ人はハンバーガーを食べておればよろしい。 世界中の人びとが肉よりも魚を好むようになったら、いったいどうなるか。誰が考えてもわかる。魚の争奪戦が激化するであろう。すでに築地市場では、極上のトロは香港の金持ちがばんばん買っていくそうである。 そうなると、欧米から「日本人は魚を独占している。魚の食べ過ぎだ。もっと肉を食べろ。魚をよこせ。すでにさんざん食べたのだから、あとはこちらによこせ」という声があがってもおかしくない。 いや、その兆しはすでにある。 いつだったか、世界各国の「エコ度」ランキングというのがあって(どこの国で作ったのかは忘れた)、日本はたしか世界9位とかで、中国よりランクが下だった。その理由がふるっている。「魚を食べ過ぎる」、つまり天然資源を無制限に消費しすぎる、というのである。 たしかに、養殖を除いて、魚というのは生産するものではなく、ただひたすら資源を消費するだけだ。食べた分、なんらかの形で自然界に還元する、ということがない。 でもね、魚を食べるのをやめて、漁業を廃止したからといって、魚が無限に増え続けるわけではないのだ。どんな生物でも増えすぎたらまた減るのだ。だから、ひどい乱獲は別として、毎年大量のさんまを食べたからといって、さんまがいなくなるわけではない。 欧米人はクジラをかわいがるけど、クジラがどんどん増えたら、魚を大量に食い、魚が減るのですよ。欧米が魚食中心になったら、捕鯨反対運動もやめるのだろうか。 というわけで、世界の諸国民に向かって、「日本食はヘルシーだ」などと宣伝するのはもうやめていただきたい。そうしないと、近い将来、魚が食べられなくなる。「なまの魚なんかを食べるクサイ国民」と思われても、痛くもかゆくもない。 |
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9月15日(月)
ようやくバンコクの非常事態宣言も解除されたが、民主主義市民連合はまだ首相府を占拠しているらしい。私たちは非常事態にもかまわずにノーテンキに出かけていったが、ヨーロッパからの旅行キャンセルは、一説によると10万人を超えたという。観光にかなり頼っている国としては、経済的に相当な痛手だったはずだ。 これまでタイには10回近く行ったが、毎回かならず、3日もすると暑さと過剰な冷房に嫌気がさして日本に帰りたくなる。だが1ヶ月もするとまた行きたくなる。不思議な国だ。 私は路上の屋台とか市場が好きなのだが、バンコクでは毎日、おびただしい数の人がせっせと働いている。もちろん東京だって、数百万の人がせっせと働いているのだが、どこかが違う。 毎朝、屋台に安い土産物を並べ、一日に何個売れるのか知らないが、一日じゅうその屋台にへばりついて、昼も夜も近くで何かを買って食べ、深夜になれば屋台を片付ける。次の日も同じことの繰り返しだ。なんだかそこに人間のいちばん基本的な営みがあるような気がする。 日本共産党のスローガンに「貧困のない平和な国を」というのがあるが、世界を見渡してみれば、日本に深刻な貧困があるようには思えない。日本で餓死する人がどれだけいるのであろうか。 一昨日は久しぶりにバレエ。東京バレエ団の「ジゼル」を観に行く。今回は男性主役をマラーホフとルグリが踊っているが、私はマラーホフの日を選んだ。思わず「うまい!」と心の中で叫んでしまう場面がいくつもあった。さすがである。吉岡美佳はなんとも日本的なジゼルだったが、それはそれでよかった。 大相撲のロシア人力士3人が解雇された。若ノ鵬は諦めたようだが、露鵬と白露山は解雇処分に抵抗しているようだ。ちょっと可哀想な気がする。むろんこの日本では、たとえマリファナであろうと、麻薬はいっさい御法度である。ロシアの場合、正式な法律はどうなっているのか、知らないが、事実上、マリファナは合法である。多くのヨーロッパ諸国でも(オランダは別として)、いちおう違法にはなっているが、事実上は誰でも吸っているといっても過言ではない。だから日本も倣えというつもりは毛頭ないが、ロシア人力士たちがあまり深刻に考えていなかったであろうことは、想像に難くない。監督者が処分されるのは当然であるが、当人たちには再起のチャンスを与えてもいいんじゃなかろうか。 というのも、この問題の背景にはどうも外国人力士に対するくすぶった感情があるような気がしてならない。朝青龍の場合もそうだが、いまや外国人を招かなくては大相撲の人気を維持していけないという現実がある一方で、外国人力士が活躍すると、どうもすっきりしないという人たちがいるんじゃなかろうか。だいたい、相撲協会の態度はいつも煮え切らない。今後どうすべきか、自分たちがまるでわかっていないんじゃないかという気がしてくる。 近くにある逗子ハイランドのスーパーまで買い物に行き、ついでにその前にある園芸ショップで少々苗を仕入れてくる。 花のない生活というのは考えられない。家に花を生けていない人の生活は、相当にすさんでいると思って間違いない。独身女性の部屋を訪ねて(いまやそういう機会は絶無であるが)、もし部屋に花がなかったら興ざめである。 若いころ、独り暮らしをしていたときも、買い物に行くたびに何か花を買ってきた。ただし忙しくなると、花ではなくて、あまり世話をしなくて済む観葉植物を置いていた。生活がすさんでくると、花のことまで頭がまわらなくなるのだった。 いまのうちは陽当たりがわるいので、植えられる花の種類が限られているのだが、それでもかみさんが毎日世話をしてくれるので、花を絶やさずに済んでいる。きょうは青いサルビアと、ちょっと変わったコスモスを買ってきた。 近くの道路の脇に花壇がある。誰が世話をしているのだろうかと思っていたのだが、昨日散歩をしているときに、どこかのおじさんが世話をしているところに行きあわせた。おじさんはバイクに2リットル入りのペットボトルを20本積んで、毎日水をやっているのだそうだ。しかも、水道水ではよくないというので、山から湧き出る水をくんでくるのだそうだ。ありがたいことである。 休みの間は原則的に庭で朝食をとるが、きょうは夕食も、庭でBQQ。久しぶりだ。2ヶ月ぶりだろうか。夏の間は夕方になってもけっこう暑いので、なかなか庭で食事をしようという気にならないのである。 BBQでいちばん面倒なのは、炭をおこすことである。とくに備長炭なんぞを使おうものなら、容易には火が起きない。食べ始める30分は前におこしはじめないと、間に合わない。が、先日、例の「ためしてガッテン」で炭の上手な起こし方を教わったので、きょうは大丈夫だろうとタカをくくって、食べる直前に始めたら、これがうまくいかない。何しろまず着火剤に火がつかない。2ヶ月も間があいたので、湿っていたのである。当たり前だが、火のつかない着火剤というのも、役に立たないものである。 夏休みもあと1週間。この夏休みには2冊翻訳を終わらせる予定だったのだが、終わったのは1冊だけ。必死に2冊目をやっているが、あと1週間で終えるのは不可能だ。とほほ。 |
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9月10日(水)
「非常事態宣言」下のバンコクから帰国。ゼミ旅行である。 出発の数日前に非常事態宣言が出たため、行くかやめるか、出発ぎりぎりまで迷いに迷った。独り旅なら全然問題ないのだが、学生がいっしょとなると、そうはいかない。親御さんも心配するだろうし、万が一のことがあったら、私は大学に辞表を出さなくてはならないので、私としては、できればキャンセルしたかったのだが、学生たちが無邪気に「行きたい!」というので(キャンセル料がかかるし)、結局、行くことになった。 とくに危険はないことはわかっていた。タイの「非常事態宣言」は、不満を抱える大衆のガス抜きのためのお祭りみたいなものである。PAD(民主主義市民連合)に占拠されている首相府前には舞台が設営され、ロック・コンサートが開かれたり、お土産を売る屋台が出たりしている(行ったわけではない。行く前に新聞で読んだ)。 しかし、プーケットのように空港が閉鎖されてしまうと、帰国できなくなるかもしれないし、公共交通が止まってしまうと、身動きができなくなる。外出禁止令が出ると、ホテルから出られなくなってしまう。それで迷ったのである。 で、行ってみると、案の定、バンコク市内はいつもと何も変わらなかった。 むろん首相府の占拠は続いているので、学生たちをワット・ポーとワット・アルンには連れて行ったが、王宮やワット・プラケオの見学はやめることにした。へたに官庁街に近寄って、軍隊の出動にぶつかって怪我をしたりすると困るからだ。 帰国して新聞を読んだら、憲法裁判所が首相の解任判決を出したという。しかし、その理由には笑ってしまう。首相に就任してからもテレビの料理番組に出演してギャラをもらっていたというのが判決理由なのである。 そもそもはバリ島に行くはずだった。というか、それが私の希望だった。何しろ20年以上行っていない。だが、学生たちの懐具合の関係で、結局バリ島ではなくバンコクになったのであった。2万円くらい費用が違うようである。 ゼミでタイに行くのはこれで三度目である(タイ以外では、ハワイ、ベトナム、カンボジアに行った)。一回目はバンコク、スコタイ、ピーピー島などに行き、二度目はチェンラーイ、メーサイ、メーホーソン、チェンマイを回った。10万円以上旅費がかかったはずである。そう考えると、日本の経済の停滞が影響しているのか? 私のゼミ生だけの経済水準が下がったのか? 一期生と行ったときは現地集合で、全員ばらばらのルートで来た。泊まるとことも各自ばらばらであった。親のマイレージで高級ホテルに泊まっていた学生もいれば、カオサン通りの安ゲストハウスに泊まっていた学生もいた。それでもゼミ旅行はゼミ旅行である。 参加したのは女子ばかり。男子学生に何度も「誰か、ボディガードとして行ってくれないか」と呼びかけたのだが、反応はなかった。参加する女子学生たちに「誰か彼氏を連れてこい」と言ったのだが、返事は「彼氏、いませ〜ん」。 最近の学生のいちばんの興味はショッピングらしい。いや、とくにショッピング好きの学生が参加したのかも知れない。しかし、いまや、とくに衣料品に関しては、日本が世界一安い。 私は昨日の朝に、学生たちは一足早く一昨日の午後に帰国した。 いつも書いているように、私は暑さ大好き人間なのだが、さすがにバンコクの暑さには負ける。5分も街を歩くと、もう全身びしょびしょ。着替えてもきりがないので、一日同じシャツを着たまま。あの強烈な冷房にも参る。東南アジアはどこでもそうだが、冷房がやたらに強い。台湾で国際学会があったとき、アメリカ人たちがみんな風邪を引いていた。とにかく冷房を強くしないと感じないらしい。しかも来客には冷房の風を当てるのが礼儀だとか。とにかく、どこもかしかもぎんぎんに冷えている。おかげで街を歩いては汗だくになり、冷房の中に入って体の芯まで冷える、の繰り返し。たぶんタイの大衆はエコという言葉を聞いたこともないであろう。 冷房ができる前はどうやって生きていたのだろうか、と思わず考えてしまう。もちろん冷房無しで生きていたのである。エジプトだって、インドだって、みんなそうだ。数千年間、冷房なしで苦しんでいた恨みで、盛大に冷房を使うのかも知れない。 先月末、日本では「ゲリラ豪雨」が続いたが、ちょうどあれとそっくりの雨が毎日降った。バンコクはまだ雨期なのだ。これが降っている間はとても歩けない。あちこちが海になる。それを見ていて、ついに日本も熱帯の仲間入りだなあと思った。 前にも書いたが、タイのトイレには手動ウォッシュレットがついている。日本のウォッシュレットはおそらくタイのトイレを真似したものであろう。日本のものは便器そのものに付属しているが、タイでは便器の横にホースがついていて、先がシャワーになっており、用を足した後、そのホースで洗うのである。水圧は場所によって違うので、ものすごい勢いで水が出てくることもある。 世界のトイレに関していえば、水で洗う文化圏と紙で拭く文化圏があるようだ。日本や欧米は昔から紙派だが、インドや東南アジアは水派だ。20年以上前にバリ島に行ったとき、民宿に泊まったが、壁に水道の蛇口が付いていて、そこからみずがちょろちょろ出る。それがシャワーだった。床は土間である。トイレは、便器の横に手桶がおいてあって、それを使って自分で流すのだった。 バンコクは、いまだに下水道が完備されておらず、トイレから流れ出たものは地中に吸収されるようになっている。だからトイレには「紙を流すな」と書いてある。街中にどことなくトイレの臭いが漂っているような気がする。 それと同時に、バンコクはさまざまな食べ物の臭いで充満している。路上でいろいろなものを揚げたり焼いたりしているからだ。一度、学生たちと待ち合わせた場所に行ってみたら、学生たちがいない。あたりを探すと、少し離れた場所で待っていた。理由を聞くと、私が指定した場所は臭くて耐えられなかったのだそうだ。 バンコクにいく最大の楽しみはマッサージだ。あまり大きな声では言いたくないのだが、私はマッサージが大好きなのだ。だが日本ではあまりに高いので(1時間6000円くらいする)、ほとんど行かない。日本で行くくらいなら、その分を貯金してバンコクに行った方がいい。というわけで、毎日2時間はマッサージを受けていた。半年分まとめて、という感じ。 もうひとつの楽しみはフカヒレ。私が常宿にしているサーヴィスト・アパートメント(日本でいえばウィークリー・マンション)のすぐ横の路地に、有名なフカヒレ屋がある。 フカヒレといえば、スカラという店が昔から有名だが、スカラに行くとひとり5000円以上する。わがフカヒレ屋だと、その半額で食べられる。ただし、路上の屋台である。いつ行っても、おやじさんが黙々と、ではなく、大声でわいわい言いながら、強力な火でフカヒレを煮ている。きっと彼は365日同じようにフカヒレを煮ているのであろう。 こういう店には、学生は連れて行かないのである。高いし、きっと「臭い」と言うに決まっているからだ。何カ所も蚊に食われるし。でも、ここのフカヒレは本当に旨い。 私はショッピングにはおよそ興味がないが、バンコクに行くたびに買うものがある。老眼鏡である。あちこちで売っているのだろうが、私はいつも、最初に買ったのと同じ路上の屋台に行く。そのあたりはなぜか老眼鏡を売っている屋台が3つも4つもあるのだ。老眼鏡というのは、落としたり、なくしたり、壊したりするので、いつも複数必要なのである。新聞を読むときも、電車の時刻表をみるときも、もちろん仕事をするときも、必要なので、家中に置いておかねばならない。 今回初めてみたのは、フレームがカラフルな老眼鏡である。これは日本ではお目にかかったことがない。4つ買ってきた。 最後の日、バンコク・シティ・バレエを訪問して、平田昌子先生にお昼をご馳走になる。元・牧阿佐美バレエ団の美人バレリーナである。 前にも書いたが、タイは「おかま率」が非常に高い。デパートの店員にも、ホテルのフロントにも、化粧した男性がいるし、町でもよく見かける。「おねえ言葉」は万国共通である。どうしてこの国はこんなに「おかま率」が高いのか、ひじょうに興味深い。女性が強い国だからだろうか。いずれにせよ、彼らに対する差別がまったくないところがすごくいい。日本ではまだゲテモノ扱いである。根強い差別感がなくなれば、もっと多くのおかまさんたちがカミングアウトするにちがいない。 何事もなく無事帰国したが、やはり学生と一緒に旅行をするのは、責任感がのしかかっているので疲れる。待ち合わせの場所に学生があらわれなかったりすると寿命が縮む。 というわけで、海外ゼミ旅行は今回をもって終了とします。 ↓ワット・アルンの着せ替え人形。 ![]() ↓ サイヤム・ニラミットにて。 ![]() ↓こういう背景があるわけではなく、上と同じようにエントランスで撮ったのだが、出来上がったときには合成されているのである。 ![]() |