2008年7月の日記(↑時間軸)
 
7月31日(木)
 
 さあ、あとひとつ試験の採点が終われば、ようやく夏休みだ。気分的にはもうすっかり夏休みモードなのではあるが。そろそろ編集者の怖い顔を夢にみて、うなされる日々がやってくる。
 
 朝起きたら海に直行、という日々を送っているので、東京に住む娘は呆れている。鎌倉に越したとき、娘は小学校1年生だった。鎌倉に住む私の先生が「海は汚いから子どもはプールにしか連れて行かない」とおっしゃっていたし、実際、初めて行った材木座海岸の人工砂は水着に食い込んでとれなかったりしたので、娘はほとんど海には連れて行ってやらなかった。バリやニューカレドニアやプーケットやハワイには何度も連れて行ったのに、鎌倉の海ではほとんど泳がなかった。偏見というのは恐ろしいものである。毎日、連れて行ってやればよかったと、悔やまれてならない。娘には本当に済まないことをしたと思う。
 
 由比ヶ浜に「遊泳注意」の旗が立っている。ということは波が荒いということなので、さっそく波乗りならぬ波遊びにいく。ここ数年で最高のサーフィン日和である。が、けっこう波の力が強いので、3回ほど、思い切り海底に打ち付けられる。去年から左肩が痛くて動かず、しかもフィンを忘れたので、沖までパドリングしていくのが大変。明日は全身筋肉痛であろう。
 
 むかし、アメリカの映画やテレビドラマで、郊外の巨大なショッピングセンターとその広大な駐車場を見て、「へえ、アメリカって、こうなんだ」と思っていたが、いまや日本もすっかりアメリカ化している。
 古いスノーケルを捨ててしまったので、新しいのを買おうと、大船のフラワーセンターの隣りにあるホームセンターに買い物に行く。家の近くだというのに、これまで一度も行ったことがなかった。なんとも巨大なショッピングセンターで、スーパー、100円ショップ、回転寿司、KFCなども併設されている。しかも驚いたことに、平日の昼間だというのに、広大な駐車場がほぼ満車である。最近は大工さんたちもこういうショッピングセンターで工具や材木を買ったりしている。
 
 庭で朝食をとりながら、ふとまわりの木の幹を見ると、セミの抜け殻が無数についている。東京育ちだから、子どもの頃はセミの抜け殻なんてひと夏に一つか二つしか見たことがなかったように思う。いまの家ではひと夏に何十何百と見かける。
 脚の先の尖ったかぎ爪まで、しっかり形が残っているし、眼もきれいに残っている。なんときれいにすっぽり抜けるものだ。『風の谷のナウシカ』を思い出す。冒頭で、ナウシカが腐界の森でオウムの抜け殻を見つける。オウムの原型はオウム貝だろう。どこかの水族館に、オウム貝がたくさんいたのを思い出す。油壺だったか、八景島シーパラダイスだったか。
 でも、あの抜け殻は、明らかにセミの抜け殻をもとにしている。
 ちなみに、イチゴ模様のテーブルクロスは、娘が小学校の家庭科の時間に作ったものだ。
 
 
  
 
 わが家は日当たりがわるいので、花壇が作りにくい。それで、プランターに植えて、午前と午後で場所を移動したりするのである。どうしても、日当たりが悪くても元気に育つインパチェンスが中心となる。暑い日が続いているので、一日水をやらないと、ぐったりしてしまう。
 
 
 
 
 
 
7月24日(木)
 
 2年前から使っていたボディボードが、なんと真っ二つに折れてしまったので、オフ・ハウスまで行って、かなり色あせたボードを1000円で買ってくる。折れたといっても、べつに岩に激突したわけではない。これまで使っていたボディボードは、発泡スチロールを布でくるんだだけの、娘の呼び方では「なんちゃってボード」だったのである。少し強い波を押さえ込んだら、ぼきっと折れてしまったのである。
 しかもそのボード、2年前に娘がビーチで拾ってきたものである。「拾いもの」生活。
 オフ・ハウスは、その名の通り、ブック・オフと同じ経営で、同じ場所にある。本がブック・オフ、中古パソコンや中古ソフトがハード・オフ、それ以外のものがオフ・ハウスである。つまり、リサイクル・ショップ、早い話が古道具屋だ。
 リサイクルはもっと推進されるべきだ。どこの家でも、不要になった者が押し入れに突っ込まれているはずだ。わざわざ売りに行くのは面倒くさいから、そのままになっていたり、粗大ゴミの日に棄ててしまったりするわけだが、それを必要としている人がいるかも知れない。
 イギリス生活を経験した者からみると、日本のリサイクルはまだまだである。ロンドンに着いたとき、まずテレビとビデオデッキをリサイクル・ショップに買いに行った。とても安かった。それ以上に驚かされたのは、日本に帰るとき、同じ店に引き取ってもらったのだが、買ったときの6割くらいで引き取ってくれた。日本だと、値段は中古でもそんなに安くないのに、引き取ってもらうときには二束三文である。
 車も、中古を20万円くらいで買って、帰国するときに10万円くらいで売ったように記憶している。つまり10万円で1年間乗り回したのである。イギリスではほとんど毎日車を使った。古いニッサン・サニー1000ccだったが、二度スコットランドを一周した。あちこち修理しながら(郊外のタイヤ屋までタイヤを買いに行ったのがなつかしい)、1年間頑張ってくれ、元気に、次の持ち主に引き取られていった。住んでいた家の前の通りは路上駐車オーケーだったので、駐車場代はまったくかからなかった。
 リサイクル・ショップがいまいちなのは、日本人の「新品好き」と関係があるだろう。
 
 NHKの大河ドラマ「篤姫」が高視聴率を獲得しているそうな。そりゃあそうだろう、すごく面白い。大河ドラマというのは、毎週観る年と一年中全然観ない年がある。観ない年の方が多い。私は三谷幸喜が好きでないので、「新撰組」は全然観なかったし、昨年の「風林火山」もまったく観なかったが、今年は毎週観ている。
 まず、宮崎あおいがすごくいい。私は美形好みなので、最初のうちは侍女の松坂慶子の顔ばかり観ていたが、慣れてくると宮崎あおいのファニーフェイスもすごく可愛く見えてくる。
 病弱で知能に問題があった家定を、「ばかのふりをしていた」という設定に勝手に変えたのも成功したようだ(脚本家が変えたのか、宮尾登美子が変えたのかは知らない)。堺雅人は「新撰組」でブレイクした俳優だが、今回も「家定ブーム」を巻き起こしたとか。
 要するに、歴史ドラマを思い切り現代ドラマにしてしまったところが味噌だったのだ。
 天璋院篤姫については、一般向けの歴史読み物を通して知っている程度だが、印象に残っているのは、明治維新後、自分はつつましい暮らしをしながら、かつて大奥で働いていた女性たちの再就職に奔走し、そのために死んだときの所持金は、今の金で6万円だったということである。明治維新前後の動乱期が生んだ、数多くの立派な人物たちのひとりであることは間違いない。
 歴史上の人物は、小説やドラマによってあれこれ脚色され、ヒーローになったり悪役になったりする。山本周五郎の「樅の木は残った」で、原田甲斐のイメージが180度変わったことはあまりに有名だ。篤姫も、皇女和宮の物語では、怖い姑となる。今回の「篤姫」では、堀田正睦は、辰巳琢郎が演じていて、ちょっと「抜けている」人物に設定されている(順天堂の創始者である)。阿部正弘は草刈正雄が演じていて、「いい役」だが、昔は無能と評価されていた人物である。井伊直弼といえば、第一回NHK大河ドラマ「鼻の障害」、じゃなかった「花の生涯」の主人公であるが、今年は中村梅雀が演じていて、「悪役」である。
 
 私は十代の頃、かなり重症のテレビっ子だった。
 小学校低学年まで、家にはテレビがなかった。毎週、「赤胴鈴之助」が始まる時間になると、お隣の人が塀越しに「始まるよ」と呼んでくれ、隣の家で見せてもらった。お隣は病院の院長で、お金持ちだったのである。
 家にテレビがやってきた晩に観た番組は今でも覚えている。「ダイヤル110番」という警察ドラマで、家に強盗が入り、子どもがそっと抜け出して近所の家から警察に電話する、というストーリーだった。そういえば、私が小さい頃、家には電話がなく、やはりお隣の電話を借りたりしていた。
 幼い頃に家にテレビがなかった反動で、テレビっ子になってしまったのであろう。
 で、小学校の5年生のときに一年間「花の生涯」をみて、井伊直弼に興味を持ち、いろいろ本を読んだ。かくして中学時代、井伊直弼は私の理想像となった。
 彼は剣術、弓、槍の達人で、砲術にも秀で、居合の新しい流派を興している。茶人としても有名で、茶道の新たな流派を興すいっぽう、歌人としても一流だった。能面作りとしても、狂言作者としても名を残している。文武両道の趣味人だったのである。渾名は「チャカポン(茶・歌・鼓)」。金持ちの道楽といってしまえばそれまでだが、IT長者の中にこれほど教養をもった人が一人でもいるだろうか。
 
 かみさんがかねてから「ひらめの昆布じめ」を食べたいと言っていたので、漁港にいって大きなヒラメを買ってきて作る。といっても至極簡単。昆布にはさんでおくだけ。3日目に食べてみたが、おお旨い! 挟んでおいた昆布も細切りにして食べると美味。
 
 次の日はイタリアン。残ったひらめの刺身をカルパッチョにして、メインはイサキの香草焼きにする。庭のローズマリーが少し繁りすぎたので、使いたかったのである。
 
 ABTの「白鳥の湖」に行く。オデット役のジリアン・マーフィーは、DVDですでに見ていたが、32回フェッテのとき、トリプルを混ぜるだけでなく、両腕を白鳥のようにばたばたさせる動きを挿入していた。こんなフェッテは生まれて始めて見た。
 
 ご近所に、よくボディボードを干してある家があるので、かみさんがビーチの情報などを教わりに行ったのだが、和田長浜(なはま)がいいというので、行ってみる。うちから30分かかる。が、かなり深くえぐれた入江なので、波はない。ひょっとしたら聞き違えたのかもしれないと言って、かみさんがふたたびご近所に聞きに行くと、たしかにふだんは波がないが、波が高いときもあるのだそうだ。波があればボディサーフィンをやり、波がなければスノーケリングをやるのだそうだ。なるほど。
 サーファーたちは、「台風が接近している」という天気予報を聞くと、「それっ」とばかりにビーチに急行するのだそうだ。で、高波で遭難したりするので、注意報が出たらサーフィン禁止という条例ができたそうである。
7月20日(日)
 
 世の中全体が個人情報の保護に関して非常に神経質になっていることは、みなさんも日々感じておられることと思う。事態はすでに冗談ではなく「過保護」の様相を呈している。
 昨日、所属している学会の名簿が送られてきた。開けてみてびっくり。3年前に送られてきた名簿とはがらりと変わって、ほとんどの会員が氏名以外の情報(住所、電話番号、メールアドレス、所属など)をいっさい公表していない。つまり、氏名以外の欄はすべて空白であるから、名簿全体をぱらぱらと見ても、あちこち空白だらけ。遠からず「紙の無駄だから、会員名簿は廃止しよう」という声が挙がるにちがいない。
「こんな名簿、役に立たん」と立腹しながら、自分のページをみたら、私自身の欄も名前以外はすべて空欄になっていた。やれやれ。これは個人情報を公開したくないのではなく、名簿作成の際のアンケートを出し忘れていたのである。これのほうがもっと罪が重いね。
 
 今年もうちの大学で何人か新しい先生を募集することになった。ご存じのように、現在、ひとを募集するとき、国籍・性別・年齢などの制限を設けてはいけないことになっている。
「うちの会社は全体に高齢化しているから、若い人を採用しよう」としても、あるいは「この職場は女性が少なすぎるから、女性を採用しよう」としても、募集要項に「35歳未満求む」とか「女性求む」と書いてはならないのである。もちろん、35歳未満の社員を欲している会社が35歳未満を採用してはならない、という法律があるはずがないので、その会社は当然、35歳未満の人を採用するであろうが、募集要項にはそのように書かれていないから、40歳の人も50歳の人も応募してくるだろう。彼らは最初から不採用と決まっているのに、それを知らずにせっせと履歴書を書いて応募してくるのである。お気の毒である。受付の女性を募集している会社にも、大勢の男性が応募してくるだろう。最初から不採用だと決まっているとも知らずに。
 これって、ちょっとおかしいんじゃありません?
 
 アメリカン・バレエ・シアターが来日している。先週、初日の公演に出かけた。ガラ公演で、第一部の小品集の最後にニーナ・アナニアシヴィリが登場し、ホセ・カレーニョと「ドン・キホーテ」のパ・ド・ドゥを踊った。衰えは隠せないが、それでも他のダンサーとは「格がちがう」。小柄なのに、舞台でははるかに大きく見える。偉大なバレリーナだ。
 第二部はトワイラ・サープの新作「ラビット・アンド・ローグ(紳士とならず者)」。ダンサーたちは45分間ノンストップで踊り続ける。
 終演後、ロビーでレセプションがあった。A吉K子さんにお目にかかったので、ハワイ生活についていろいろお尋ねする。A吉さんは毎冬ハワイで過ごされるのである。
 レセプションは1時間半ほどだったが、終わって外に出ると、楽屋口にはまだ数十人の「出待ち」のファンたちが待っていた。ご苦労さんなことである。
 
 土曜日は、午後、新宿でワガノワ・アカデミーの来日公演をみた後、急いで上野に移動し、ABTの「海賊」を観る。
 昼の会場が新宿文化センターだったので、東新宿から大江戸線で御徒町へ。あとはタクシーで文化会館まで行こうと思っていたら、なんと上野周辺では「エイサー祭り」をやっていて、車が通れなくなっていたので、仕方なく歩く。開演10分前に到着。
 男性陣が充実している。ゴメス(コンラッド)、ラデツキー(ビルバント)、カレーニョ(アリ)、サヴェリエフ(ランケデム)、いずれも素晴らしい。
 ゴメス、カレーニョ、ニーナのパ・ド・トロワはなんともゴージャスであった。また洞窟でのメドーラとコンラッドのアダージョが絶品であった。
 
 まだ大学が終わらない。大学の講義というのは本来、年間30回、つまり半期15回ずつやらなければならないのだそうだが、これまではほとんどの先生が12回くらいしかやっていなかった。1学期に2、3回休む先生もいたものである。私も若い頃は時々疲れて休んでいた。1学期に2回休んだこともあったように思う。某有名作家教授は年間3回くらいしか授業をやらなかったそうだ(うちの大学ではない。念のため)。優雅な時代だったのである。
 最近、いろいろうるさくなって(などという物言いはタブーなのであるが)、ちゃんと(試験を含めて)15回やらないと「当局」に叱られる。1回病気で休んだら、ちゃんと補講をしなければならない。
 昔は休講にすると学生が喜んだものである。ところが最近の学生は全然喜ばない。それどころか、「先生、先日休んだ分、いつ補講をやるんですか」と言ってくる。権利をはっきり主張することは(授業料を払っているんだから)大変よろしいことであるが、こちらはつい「自習しておきなさい」と言いたくなる。昔の学生と比べると最近の学生はたいへん勤勉だが、学力は明らかに下がっている。どういうことだ?
 というわけで、前期の授業が終わるのは正式には8月4日である。やれやれ。
 
 ようやく「梅雨明け宣言」がでた。1週間ほど前からセミがいっせいに鳴き始めたので、もうじきだろうとは思っていた。
 振り返ってみると、ここ1ヶ月、ずっと調子が悪かった。体はだるいし、気分がすぐれない。湿気のせいだ。その暗い日々もやっと終わった。長いトンネルを抜けた気分だ。
 というわけで、わが家は一夜にして夏モードに切り替わる。
 物置の奥から「夏セット一式」を引っ張り出す。パラソル、ボディボード、ござ、デッキチェア、ビーチサンダル、浮き輪。そうそう、シャベルを忘れてはならない。パラソルのポールを埋める穴を掘るのだ(パラソルのレンタル屋はドリルを使っている)。これを全部、車のトランクに放り込む。夏中、トランクに入りっぱなしだ。
 けさは、3連休の中日なので、9時前にビーチに行ったら、どこの駐車場も満車。でもサーファーは9時に帰るので、10分ほど待っただけで、駐車できた。ちなみに駐車場代はひと夏で数万円かかる。荷物が多いから、自転車というわけにもいかない。
 一泳ぎしてから、例によって小坪漁港で鮮魚を仕入れ、鎌万スーパーで野菜を買い、家に帰ってシャワーを浴びると、まず今年初の「かき氷のサイダーがけ」を食べる。How happy I am!
 一服してから、まずナスとニンジンとオクラを油で素揚げし、それをおかずに素麺を食べる。
 で、今夜のおかずは・・・太刀魚を買ったので、三分の一を刺身にし、三分の二を塩焼きにする。サザエは1個を刺身にし、あと3個は壺焼き。オクラと梅干しとおかかのあえもの。サラダ(釜揚げシラス、水菜、大根、ニンジン、貝割れ、ミョウガ)。かぼちゃの煮物。ナスとミョウガと油揚げの味噌汁。玄米。
 この程度だと1時間以内でできる。大量の野菜が食卓にのぼるところが、他家と違う点であろう。
 ちなみに私はフードプレセッサーというものを愛用している。ただし電気製品ではない。鰹節削り器みたいなもので、スライス用、千切り用などの歯の付いたプラスチックの板が5枚セットになったものである。これで野菜を削るのである。私は刺身も好きだが、ツマも大好きである。大根だけだと味が単純すぎるので、キュウリ、ニンジン、ミョウガなどを混ぜるのだが(そのため、ツマというより和風サラダになる)、ツマを作るとき、このフードプレセッサーが大変重宝である。以前はたまにしか使わなかったので、かみさんが邪魔くさいといって捨ててしまったのだが、私がゴミ箱から拾ってきて、また使っているのである。
7月13日(日)
 
 コッドピースという語をご存じだろうか。バレエ・ファンには馴染み深い言葉だろう。辞書をみると「股袋」という訳語が書かれているが、そんなふうに呼んでいるのを聞いたことはない。
 男性のバレエダンサーはふつうタイツ姿だが、股間がもっこりふくらんでいる。あれがコッドピースである。
 現代バレエの場合にはあまり詰め物をしないので、××の形が透けて見えたりする。
 中世英語で袋のことをコッドといい、それが陰嚢を指すようになったのだそうだ。コッドピースはルネサンス時代にはやったものだが、それ以前にも以後にも例がない(いわゆる原始的な裸族では、ペニスを筒(さや)に収めている部族もいる)。後代になると、男性はズボンをはくようになるのだが、バレエにだけこのルネサンスのファッションが残ったわけである。踊るのに都合がいいからであろう。
 ホルバインの描いた有名なヘンリー8世の肖像画があるが、あれにもコッドピースが描かれている。ちなみに、ヘンリー8世はタイツにも詰め物をして、脚の筋肉を誇張している。
 さてコッドピースは小物入れや財布にもなっていて、貴重品はここにしまっていた。
 いうまでもなく、男性の一物を誇示・誇張するためのファッションである。股間は男性を示す記号であるので、男はそれをどこかに表示したいのですね。コッドピースが廃れると、ネクタイがその代役を果たすようになったといわれる。なるほどたしかに体の真ん中にぶらさがっている。俗流精神分析にしたがえば、太くて長いネクタイをする人はペニスコンプレックスがあるということになる。
 どうしていきなりコッドピースの話になったかというと、「バレエはちょっと苦手」という人に話をきくと、たいてい「男性のあのタイツ姿が気持ち悪い」という答が返ってくる。そんなことがあるので、かねてより一般社会におけるバレエのイメージに関する調査をしたいと思っていて、いまその質問項目を考えているのである。
 
 さて、この一週間私は何をしていたんでしょうねえ。すでに記憶が曖昧である。
 覚えているのは、就職に関する全学的な会議がひとつあり、学部代表としてこれに出席したことくらい。
 
 金曜日は夜、ロイヤル・バレエの『眠れる森の美女』を観に行く。アンソニー・ダウエルが芸術監督だった時代には、『オペラ座の怪人』の装置で有名なビョルンソンが装置を手がけた、かなり斬新なプロダクションだった。私はたまたまロンドンにいたので、その初演を観た。監督がメイスンに変わって、古いヴァージョンに戻った。ロシア革命に際して、マリインスキー劇場のレパートリーの舞踊譜をもって西側に亡命したニコライ・セルゲーエフが指導した版であるから、20世紀初頭にマリインスキー劇場で上演されていた版とほとんど同じものである(はず)。ただし、このバレエは1890年初演だが、10年以上の間にすでにかなり変わってしまっていたことは、数年前の、ヴィハレフらによる初版復元によって明らかになった。
 さて、楽しみにしていたコジョカルは怪我で来日せず。代わりに踊ったロベルタ・マルケスには失望させられた。けっしてわるいダンサーではないが、オーロラには向かないようだ。バランス、すなわちポワントでアラベスクをして静止を続けるというのが得意技らしい。たしかにバランスは優れているが、そんなものだけを売り物にしていてはいけない。オーロラという役はテクニックでできる役ではない。マルケスの踊りを観ていると、「お、なかなかいいな」と「あれあれ、なんだこれ」がほとんど1秒ごとに交替する。
 それに対してパートナーのコボーは、全身に鳥肌が立つような、神々しい踊りを見せた。いやあ、感心した。これまで彼の踊りは何度も観ているが、こんなにすごいダンサーだったとは。見直した。
 
 翌日は文京シビックホールまで、井上バレエ団を観に行く。ここには島田衣子という素晴らしいプリマ・バレリーナがいる。デビューしたころからずっと観ているが、彼女は真の天才である。井上バレエ団の看板バレリーナだから、バレエ団のほうで手放すはずもないが、彼女がたとえばロイヤル・バレエで『眠れる森の美女』のオーロラを踊る姿を、思わず夢想してしまう。現在のロイヤルの主役陣にけっしてひけをとらないことは明らかである。
 休憩時間にロビーで、山岸凉子さんにお目にかかる。とても腰の低い方なので、こちらが恐縮してしまう。
 
 きょう日曜日は娘の誕生日。逗子のレッド・ロブスターまでロブスターを食べに行く。運転手がいると、酒が飲めるのでありがたい。
 
 『愛の神 エロス』を観る。3部からなるオムニバス映画で、第1話の監督はウォン・カーワイ、第2部がソダーバーグ、第3部がなんとアントニオー二である。発案者はアントニオー二だそうだ。第1部「若き仕立て屋の恋」は大して面白い話ではないが、映像が凝っている。とくにカメラ・アングルがいい。しかも主演がコン・リーとチャン・チェンだから、それだけで見せてしまう。やはりコン・リーは大女優だ。第2部「ペンローズの悩み」はよくある、精神分析をからかった話だが、今ひとつ出来が良くない。第3部「危険な道筋」は意味が全く分からない。アントニオー二はこのとき92歳(その3年後の昨年に亡くなった)。老人の妄想?
 
7月9日(日)
 
 毎度お馴染みの話題で恐縮だが、本日もまた「ためしてガッテン」を観ながら「へえー」を連発。
 本日の特集は「氷」。みなさんもそうだと思うが、私も冷凍庫で作る氷に、かねてより不満を抱いていた。冷凍庫の氷は濁っているし、まずいし、何よりも解けるのが早いので不便だ。私はきんきんに冷えた白ワインが好きなのだが、気が短いので、冷え方が足りないと氷をぶちこむ。ところが、家の氷はすぐに解けてしまうのである。
 バーで出されるような透明な氷が家庭でもできるというふれこみだったので、興味津々で観る。
 いちばん驚いたのは「ムペンバ効果(Mpemba Effect)」。タンザニアの中学生だか高校生だかのムペンバ君が発見したとされる現象である。水は20度を超えると、温度が高い方が速く凍るのだ。20度の水は凍るのに1時間かかるのに、100度の熱湯は30分しかかからない。ということは、急に氷が必要になったら熱湯を冷凍庫に入れればいいのだ。冷凍庫内の温度上昇は大したことはないそうだ(2分で元に戻るそうだ)。現代の科学をもってしても、どうしてお湯の方が早く凍るのかはいまだ不明だそうである。
 40年前に発見された現象だが、私が面白いと思ったのは、それまで世界中の誰も気づかなかったということである。お湯の方が水よりも早く凍るなんて、誰も夢にも思わなかったのである。なんでも実験してみるもんですねえ。
 おいしい氷に関しては、要するにゆっくり凍らせれば透明な氷ができ、解けるのも遅い。プロの氷屋さんは50時間もかけて凍らすのだそうだ。家庭でゆっくり凍らせるには、製氷皿をタオルでくるめばいいのだという。くっつかないようにまずビニール袋に入れ、それからタオルにくるむ。なるほど、さっそくやってみよう。
 「過冷却水」も取り上げられていた。これは前から知っていたが、水はゆっくり冷やしていくと、0度より下がっても「氷になることを忘れていて」、-5度くらいになってもまだ水のままなのである。が、ちょっと衝撃を与えると、「氷にならなくてはいけないということを思い出し」、瞬間的に凍る。
 これは「自然が自然界の法則を忘れることがある」ということの典型例のひとつである。スラヴォイ・ジジェクがよく挙げる例は、アニメで、ネズミを追いかけているネコが崖から飛び出してもまだ走っているのだが、ふと下を見て、自分が空中にいることを知ったとたんに落下する、というものだ。重力を忘れている間は重力も働かないのである。こういう例はいろいろあるようだ。ジジェクによれば、フロイトの『夢判断』に出てくる、自分がすでに死んでいることに気づいていない父親の夢も、これと原理的に同じである。

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