2008年6月の日記(↑時間軸)
 
7月5日(土)
 
 『ミス・ポター』を観る。「ブリジット・ジョーンズ」のレニー・ゼルウィガーが主演と製作総指揮をつとめている。よほどやりたかったのだろう。ビアトリクス・ポターの伝記映画なのだから仕方がないといえば仕方がないが、地味で平凡な映画だ。でも、あの湖水地方が映ると、なつかしさで涙がとまらない。やっぱりイギリスはいいなあ。
 
 ゆえあって、ナポレオン3世(ルイ・ナポレオン)のことを調べていたら、なんとこの皇帝がバターの安い代用品を募集し(バターが不足したのであろう)、そのときに最優秀賞を受賞した発明品がマーガリンなのであった。当時のマーガリンは牛脂に牛乳を混ぜたものだったそうだが、後に植物性油脂で作られるようになった。何度か書いたが、かつてはバターよりもマーガリンのほうが低カロリーで健康にいいとされていたが、最近、海外では、マーガリンに含まれるトランス脂肪酸が体にわるいということで問題になっているらしい。なぜか日本では、いろいろな理由をつけて、トランス脂肪酸はたいして悪くないということになっている。あんなもの、からだにいいとはとても思えないが、「ネオソフト」の普及率は驚くほどである。
 ところで、わが家の近くのスーパーではあいかわらずバターが姿を見せない。朝一番で行けば1個だけ買えるらしいが、そんな時間には行ったことがないので、もう何ヶ月もバターというものを見かけない。
 それ以上に不思議なのは、前にも書いたが、バターが不足していることが大騒ぎにならないことである。バターを食べている家は予想以上に少ないらしい。
 ちなみに、石油の値段が高騰しているが、一方ではトヨタがあいかわらず日本の基幹産業を代表しているのだから、おかしな話である。そのうち個人がガソリン車を所有することを禁じる法律ができるのではないかと思うが、どうだろう。
 
 昨日は東京を越えて、さいたま芸術劇場まで、ラ・ラ・ラ・ヒューマン・ステップスを観に行く。このカンパニーの名前は書くのが面倒くさいので、たんにラ・ラ・ラと呼んでいるが、一言でいえば「高速バレエ」である。バレエをステップを倍速でやるのだ。今回の作品は「白鳥の湖」と「眠れる森の美女」を彼ら風に作り替えたものだが、迫力があって、じつに個性的。
 それに音楽がものすごくいい。「白鳥の湖」や「眠れる森の美女」をかくも大胆にアレンジした曲って、考えてみてもあまり例がない。
 しかし、東京を越えてさいたままで行くのはちょっとした旅行である。ノートパソコンをもっていき、行き帰りの電車の中で、かなり長い映画を1本観てしまった。帰りは、近くに住む有吉K子さんとごいっしょになった。
 
 きょうはかみさんの父上(岳父)の86歳の誕生日を祝うため、白金にあるフランス料理屋、シェ・××にいく。住宅街の中にあるふつうの家である。最初の前菜が、酢で締めたアジを切り干し大根の上にのせたもの、二番目の前菜が真鯛のカルパッチョ。刺身が続くのはいただけない。もう少し工夫して欲しかった。魚料理は鮭。これは美味であった。そしてメインは鴨の胸肉。これも上々の味。この店は料理を頼むと自動的にワインがついているので、ワインの飲めない人は損をする。私は白も赤もぐびぐび飲んでいたが、出席者の半分以上はお酒を飲まない人たちだったので、差し引きマイナスだった。
 それにしても、かみさんの親父さんは86歳とはとても思えないほど元気である。めでたいことだ。
 
 
 
 
7月3日(木)
 
 月曜日は、珍しく雑用が何もなかったので、授業の後、とんで帰宅。年をとるとともに、食事のメニューがバラエティに乏しくなってきたように思える。この日の夕食も、枝豆、鮎の塩焼き、十勝・正直村の木綿豆腐の冷奴、納豆、玄米、あさりの味噌汁、白瓜と胡瓜の漬け物というメニューである。
 
 火曜日はふたつ授業をやったあと、会議。
 
 水曜日は、本来はオフなのだが、今週は、家の近くでかみさんと中華料理を食べた後、新宿まで出て早稲田の会議。そのあと新宿文化センターへ「ルジマトフのすべて 2008」を観に行く。
 第1部はバレエ・コンサート。良かったのは「チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ」を踊ったオブラスツォーワ。彼女のヴァリアシオンは完璧であった。バランシンのお手本のようだった。彼女とは、NBAバレエ団の「ドン・キホーテ」に客演するために来日したときに、いっしょに食事をしたが(残念ながら二人だけではなかったのであった)、とてもかわいいバレリーナだったという印象がある。
 相手役のコルプの踊りは、まあなんと乱暴な。それはバランシンじゃないよ。
 第2部は「カルメン」。カルメン役のロサリオ・カストロ・ロメロ(覚えにくい名前だ)がひじょうによかった。ホセはもちろんルジマトフ。ほとんど踊らないのだが、「決め」のポーズをするだけで絵になる人である。作品じたいもなかなかよく出来ていた。そばにいたマダム・モレシャン(彼女は「ルジマトフ、命」の人である)も、「おお、よかったですね」と興奮していた。
 
 木曜日は授業を4つやったあと、へとへと状態で、上野までロイヤル・バレエの『シルヴィア』を観に行く。DVDでは何度か観たが、生で観るのは初めてである。標題役のマリアネラ・ヌニェスが素晴らしかった。それにしても、ドリーブの音楽は名曲である。
 それにしても、プログラムをみても知らないダンサーばかりである。完全に世代交代したようである。
6月27日(金)
 
 昨夜は終電の1本前で鎌倉まで帰ってきたのだが、駅で、久しぶりに、ご近所に住むMさんとばったり会う。めったに会わないのだが、会うとかならず駅前で一杯やることになる。昨夜も帰宅は2時になった。Mさんは某大手予備校の看板講師であり、受験業界で彼のことを知らない人はない。最近の学生のこと、ニート連中のこと、古い日本映画のこと、等々についてあれこれおしゃべりする。
 
 私はハエ取り紙ならぬ、蚊取り紙みたいなもので、家族でいっしょにいても、私だけが蚊に刺される。つまり蚊はすべて私だけに群がるのである。まさに「虫の好く」人間である。
 いつだったか、10人くらいの被験者を部屋にとじこめ、そこに大量の蚊を入れる、という残酷な実験をテレビでやっていたが(「ためしてガッテン」だったろうか)、それによると、蚊は汗をかく人に集中する。たしかに私は汗っかきである。
 この実験で思い出したのだが、これはソルジェニツィンの「収容所群島」で読んだのだが、旧ソ連の収容所では、電話ボックスのような狭い部屋に政治囚を入れ、そこに大量のノミを入れるという拷問があったそうだ。痒いというのは、たしかに耐えがたいものである。
 
 金曜日は特別なことがないかぎり、休養日である。
 きょうは梅雨の曇天のもと、紫陽花を眺めながら庭で朝食をとり(肥料をやらないせいか、うちの紫陽花はどれも小振りである)、ゆっくり新聞を読んだ後、例によって小坪漁港まで魚を仕入れに行く。ヒラメとホウボウとサザエとシラスを買って、そのまま成就院まで紫陽花を観に行く。
 先日、朝日新聞の1面に出ていたせいもあるのだろう、観光客でごった返している。参道の両側に紫陽花がびっしり植わっていて、その向こうには海が見えるのである。拝観料をとらない太っ腹なお寺である。ちょっと足をのばして極楽寺を詣で、帰りに有名な三留商店で缶詰や瓶詰めをあれこれ買って帰る。
 最近は紫陽花にもさまざまな品種があるようだ。
 
 
 
 
 
 
 
6月25日(水)
 
 先日、横浜にある神奈川県民ホールに、ブラジルから来日したデボラ・コルカー(本当はダボラ・コルケー)の公演を観に行ったら、3つ左隣りの席に県知事が来ていた。新聞を読んでいる人ならご存じだろうが、この知事は街の全面禁煙化に大変ご熱心で、公共空間すべてを禁煙にする法律(県条例)制定を準備している。この条例が制定されると、居酒屋もキャバクラもソープランドもみんな禁煙になる。
 あの人はきっと「あれ」だろうと推測していたが、一昨日の新聞によると、やはり「あれ」であった。「あれ」とは、元喫煙者である。最初からタバコを吸わない人よりも、かつて吸っていたが、いまはやめたという人のほうが、ずっと禁煙に熱心である。「やめた」人は、まだ吸っている人を見ると腹が立つらしい。大学の懇親会でも、「たばこを吸う人はあっちの隅に行け」と怒鳴る人は、元ヘビースモーカーである。もっとも懇親会じたいが、もう数年前から禁煙だが。
 まだ記憶に新しいが、北朝鮮の金正日は、医師から禁煙を命じられ、公務の場を全面禁煙にした。じきに北朝鮮全土に戒厳令ならぬ禁煙令が敷かれるにちがいない。
 私だけがこの法則の例外であるはずもないので、もし私が禁煙したら、まわりにいる喫煙者に向かって、「あんなまだ吸っているの? いい加減にしろよ。あっちへ行け。しっ、しっ」と罵倒するにちがいないのである。
 
 大島弓子が手塚治虫文化賞の短編賞を受賞した。昨年、山岸凉子さんが大賞を受賞した際、山岸さんはサングラスをかけて登場し、「山岸さんだけは撮影禁止」というアナウンスが流れたが、大島さんは出席すらしなかったようだ。よほど人に顔を見られるのがいやらしい。小泉今日子が代理出席して、おじさんたちは喜んだとか。
 「グーグーだって猫である」の第4巻をかみさんが買ったので、読もうと思ったら、3巻を読み直さないと(すっかり忘れている)4巻がよくわからず、2巻を読み直さないと3巻が・・・というわけで、結局、1巻から通して全部読むはめになる。
 
 昨日は授業と会議の後、新国までザハロワの「白鳥の湖」を観に行く。例によってザハロワは完璧である。あまりに完璧で、見ていて、鳥肌がたつ。
 
 本日はテレビ収録のために世田谷区にあるスタジオまで行き(明治学院の樋口先生に久しぶりにお目にかかる)、その後、某都立高校まで「営業」に行く。最近は大学教師にも営業のノルマが課せられているのである。
 急に娘が家に来ることになったので、帰宅途中でアラを買い、娘の好物であるあら汁をつくる。
6月22日(日)
 
 内田先生が日記に書かれている法政の授業に関する記述の中で、「 最初のうちは眠っていた学生たちも途中から目を覚まして、身を少しこわばらせて聴いている」というくだりの前半は事実に反する。最初のうち、眠そうな顔をしている学生がいたことはたしかだが、ほとんどの学生は「あの内田先生の授業が聞ける!」というので、興奮していた。私語をしている学生がいたら頭をごつんとやろうと、私はずっと教壇の脇で控えていたのである。
 それにしても、学生たちがしんとしているので、驚いた。あんな静かな授業はこれまでほとんど経験したことがない。内田先生の見事な話術のたまものである。話すほどに声が小さくなっていくのである。それにつられて、学生たちもどんどん静かになっていき、私語が全く聞こえなくなっていくのであった。プロ中のプロの講義であった。
 

 内田先生の話された「倍音」で思い出したが、私は声が低い。声域から言うと、低めのバリトンである。しかも声域が狭い。カラオケにいくと、ほとんどの曲はキーを下げないと歌えない。スマップやスピッツとなると、オクターブ下げないと歌えない(歌わないけど)。にもかかわらず、私が高音で歌っていると思っている人が多い。これをさる音楽家に話したら、「あ、それは倍音が多く出ているからです」という答が返ってきた。なるほど、私は倍音発生器であったのか。
 
 内田先生の講義を拝聴していて、もうひとつ思い出したことがあった。「本歌取り」を、ジュリア・クリステヴァはアンテルテクスチュアリテ(間テクスト性)と呼んで概念化した。さらに、文学が発生してくる源泉を掘り進んで、ル・サンボリーク/ル・セミオティークという二項対立を提案した。彼女はこれを使って、マラルメを題材に、『詩的言語の革命』という分厚い博士論文を書いたのであるが、この文学の発生(歴史的発生のことではない)について、あれこれ私の思うことを文芸誌の編集者に話したら、ぜひそれで連載してくれと言われ、最初はこちらもその気になったのだが、考えてみたら、おそろしく難しい話なので、結局、その編集者から逃げ回り、連載の話をうやむやにしてしまった。いまは昔の物語である。リチャード・キンブルじゃないが、私はいまも逃亡中である。
 
 話題変わって。最近、新聞を読まない、そもそも購読していない、という学生がほとんどである。新聞業界の応援をするつもりはないが、憂うべき事態である。どうして新聞を読まないの、と尋ねると、みんな、ニュースはテレビとネットでじゅうぶんだと答える。たしかにその通りである。が、新聞はニュースのためだけにあるのではない。新聞は言ってみれば日刊の雑誌である。じつに雑多なものがつまっていて、隅から隅まで、それなりに読むに値する文章ばかりだ。私のような世間知らずは、「トリビアの泉」ではないが、新聞を読むたびに「へえー」を連発している。
 昨日の朝日新聞を読んで、「へえー」。
 盆踊りといえば、「東京音頭」と「炭坑節」だが、「月が出た出た、月が出た」という歌詞は、「正調炭坑節」では三番なのだ。これにはびっくり。
 しかもこの盆踊り歌の発祥地は三井田川炭坑であり、したがって「正調炭坑節」では、「三池炭坑の上に出た」ではなく、「三井炭坑の上に出た」なのである。
 続く4番の歌詞は「格子窓から月がさす。サマちゃんの寝顔の愛らしさ。はずした枕をすけさしょか。思案なかばに明けの鐘」である。「サマちゃん」とは、女性が恋人を呼ぶ言い方だそうだ。かがい・歌垣の名残を含んだ歌だったのである。前にも書いたが、かつて盆踊りは男女の交歓の場であった。新聞記事は、81歳の元炭鉱労働者から届いたという手紙を紹介している。
「激しく跳びはねる踊りが始まると、男も女もその気になり、興奮していく。気に入った相手が決まると、次々に列から離れ、暗闇の中へ消える。そのうち、あちこちの真っ暗な闇からパチパチという尻をたたく音が聞こえてきたそうだ。『2人でひっつきながら尻の蚊をたたき、追い払っている音でね。翌年の夏はその2人が子ども連れだったりもした』」
 だからこそ明治政府は何度も「盆踊り禁止令」を出したのである。そういう風習を廃絶しようとしたというより、条約改正で日本国内を旅行できるようになった外国人に見せたくなかったからである。
 
 ふたたび話は変わるが、鎌倉のいちばんの観光名所といえば、やはり大仏であろう。私も外国からお客さんがくると、たいてい大仏に案内する。この大仏は奈良の大仏よりもずっと古い。
 というのも、奈良の大仏の開眼供養会は、みなさんご存じのように天平時代、752年のことだが、現存するオリジナル部分は台座の一部などごくわずかで、現在の大仏は江戸時代にできたものといってもいい。それに対し、鎌倉の大仏が建造されたのは1252年で、そのまま残っている。ちなみに、奈良の大仏が国家事業であったのに対し、鎌倉の大仏は誰が何のために建造したのか、不明である。
 大仏殿が1498年の大津波で流されて以来500年以上のあいだ野ざらしのままである(ちなみに鎌倉というのは津波の多いところで、関東大震災のときも、駅の当たりまで水がきて、鳥居が倒れた。いまは海岸には高い堤防が築かれている)。
 ちなみにうちのまわりには側溝があって、雨が続くとかなり水位が高くなるが、観光客の話をそばで聞いていると、みなさん側溝(つまり水路、疎水)というものをご存じないらしく、「どぶ」と呼んでいる。失礼な。鯉がたくさんいるところもあるのですぞ。
 さて鎌倉の大仏について、かつて与謝野晶子が「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな」と詠んだことは周知の通り。大仏のそばに歌碑がある。
 この大仏、121トンあるんだそうだが、これは計算値ではなく、1960年だか61年に実際にもちあげて計ったのである。
 さて、前置きが長くなったが、昨日の新聞を読んで、またまた「へえー」。この大仏は銅製だが、中国から輸入された銅銭で作られたんだそうだ。お金でつくった大仏だったとは、驚きである。
 
 「梅雨の晴れ間」も終わり、昨日から土砂降りの雨が続いている。インパチャンスは丈夫だが、サフィニアは雨に弱いので、昨日は夜中にレインコートを着込んで、長靴をはき、植木鉢をせっせと玄関ドームの中に入れる(うちには軒下というものがないのである)。
 
 一昨日は渋谷の文化村ザ・ミュージアムまで、「青春のロシア・アヴァンギャルド シャガールからマレーヴィチまで」展のオープニングに出かける。ロシア人は日本人に負けないくらい演説好きらしく、30分以上も式典をやっていた。そのあとテープカットがあって、やっと中に入れる。たいへん興味深い展覧会である。2ヶ月ほどやっているので、みなさんぜひお出かけ下さい。
 会場で、大学時代の恩師中村喜和先生にお目にかかる。私はほとんど授業というものに出なかったが、この先生の授業だけは皆勤であった。メーリニコフ(ペチェルスキー)の『森の中で(ヴ・レサーフ)』という長編「農民小説」を毎週2ページくらいずつ読んでいくのだったが、方言だらけなので苦労した。有名なダーリのロシア語辞典を引きまくったのは後にも先にもこのときだけである。2年間出席したように記憶しているが、何しろ毎週2ページであるから、1章も読み終わらなかったような気がする。
 
 昨日は横浜まで、ブラジルからきたデボラ・コルカー舞踊団の公演を観に行く。今年はブラジル移民100周年である。
6月18日(水)
 
 月曜日のオムニバス授業、今週は「真打ち登場」、内田樹先生のご登壇である。お題は「倍音文体論」。これは私のリクエストである。声明の話から始まって、本歌取りの話を経て、最後は秋葉原無差別殺人事件と「呪い」について。詳しい内容は、内田先生がすでに日記にお書きになっている。
 
 月曜日は法政大学の鈴木晶先生のところで特別講義。
先週は増田聡くんがゲスト講師で、今週は私。
「倍音的文体論」というお題を鈴木先生から頂いていたので、その話をするうちに、どれほどシンプルでチープなナラティヴであっても、それが「本歌取り」である限り、そこからは倍音が発し、それを聴取した人たちの中には「これは私だけに宛てられたメッセージだ」と錯覚するものが出てくる。
芭蕉と村上春樹の話から始まって、シリアル・キラー、模倣犯の話に転じ、秋葉原の無差別殺傷事件と「呪いのナラティヴ」の話になる。
最初のうちは眠っていた学生たちも途中から目を覚まして、身を少しこわばらせて聴いている。
私たちの時代においてドミナントな言説は「呪い」の語法で語られているという昨日の続きの話をする。
「呪い」という言葉が彼らには実感として「ヒット」するのであろう。
むろん、呪いは祓われなければならない。
それは「呪うものは呪われよ」ではない(それでは呪いは増殖するばかりである)。
「呪詛には祝福」と人類の黎明期から決まっている。
「他者の喜びをおのれの喜びとする」ことである。
授業のあと、ボアソナードタワーのラウンジで鈴木先生とご飯を食べながら、「日本はこれからどうなるんでしょうね」といささか悲観的なおしゃべりをする。
鈴木先生に「またね」とお別れしてから、音羽の講談社へ。

 内田先生の師匠のおひとりは大瀧詠一である。私もまた「はっぴいえんど」に深刻な衝撃を受けた人間のひとりであるが、大瀧詠一の数ある作品の中で、最高傑作、といって大げさならばマイ・ベスト・ワンは何だろう、とふと考える。「恋するカレン」か? いや、やっぱり「夢で逢えたら」だな。
 内田先生のお話を拝聴しながら、ひらめいた。これって、永六輔と中村八大の名曲「夢で逢いましょう」に対するアンサー・ソングにちがいない。ナイアガラーの間では常識なのかなあ。「夢で逢いましょう」に対して、「夢でもし逢えたら(もしそんなことが可能なら)、素敵なことねえ」と答えるのは、ちょっと意地悪ですね。
「夢で逢えたら」は周知の通りアン・ルイスのために書かれた曲だが、実際に歌ったのは吉田美奈子と、わが女神シリア・ポールである(歌手ではないから、下手であるのは仕方がない。むろん吉田美奈子のほうがずっとうまい)。本来歌うはずであったアン・ルイスも後に英語で歌っているが、彼女の歌い方はあまりに甘ったるくて、いただけない。彼女は同じアルバムで、「ジョニー・エンジェル」や「忘れたいのに(I loved how you love me)」も歌っているが、前者はカレン・カーペンターによるカバーが最高、後者はやはりモコ・ビーバー・オリーブの日本語版カバーがいい。このオリーブはもちろんシリア・ポールである。モコはたしか高橋もと子だった。ビーバーは忘れてしまった。パ〜ンチ、パ〜ンチ。
 余談ながら(って、この日記は全部が全部余談なのだが)、最近感動した YouTube の映像は、シェリー・フェブレー(ファブレー)が歌っているオリジナル「ジョニー・エンジェル」である。1962年の映像である。

 私のような素人が書くようなことではないが、楽曲というのはすべて「旅」である。ドミソで始まったら、あちこち長い旅を経て、またドミソに帰ってくる。その間にどれだけ実り豊かな旅を作れるか、それが作曲家の腕の見せ所である。いちばん短くて快適な、決まった「散歩コース」がいわゆる循環コードなのではないか。
 もちろん循環コードにはいろいろあって、ドミソ、ドファラ(レファラ)、シレソ、ドミソというのはいちばんベーシックな循環コードなのかもしれないが(「愛、あなたと二人、・・・」)、フォークソングをやっていた者にとって、循環コードといえば何と言ってもC-Am-F-G-Cだろう。60's, 70's のヒット曲の多くもこれで作られている。この単純なコードでいかにヴァラエティに富んだメロディが作れるか、作曲家やシンガー・ソング・ライターは脳味噌を絞ったのである。
 
 前にも書いたが、今年度のオムニバス授業(正式なタイトルを「国際文化情報学の展開」という)のテーマは「声」である。私が勝手に決めたのだが、どうして「声」か、というと、常日頃「声の魔力」についてあれこれ考えているからである。
 テレサ・テンの声に取り憑かれた体験について、岸田秀先生が詳しく書いているが、誰かの声に、頭をがーんとやられたような衝撃を受けるというのは、誰にでもある経験だろう。
 内田先生が授業で話されていたが、そうした衝撃的な経験は至福でもあり、かならず「この声は自分にとってのみ特別な意味をもっている。この声の素晴らしさを理解できるのは私だけだ」という確信を伴う。
 私の場合、そうした経験はほとんど無数にあるのだが、いまだに尾を引いているのは、たとえばカレン・カーペンターズの声である。高校生のとき、初めてFMで聞いて衝撃を受けた。カーペンターズもその頃はまだ日本ではほとんど知られていなかった。カセットに録音して、友だちを家に呼んで、「いいだろ、いいだろ」と言って無理やり聞かせたことを覚えている。「クレセント・ヌーン」という曲がいちばん好きだった。姿は知らなかったので、てっきり大人数のコーラス・グループだろうと思いこんでいた。
 その次が荒井(山本)潤子の声だ。考えてみると、男性の声にそうした経験をしたことはない。やはりリビドーがどっと注入されるのは女性の声に限るようだ。
 
 火曜日は教授会。うう、なんと4時間。
 FD委員会から提案、というよりお達しがある。シラバスを全学統一フォーマットにするという。しかも、今ですらかなり細かいと思われるのに、もっと詳しくしろという。毎回の授業について、目標と内容を詳しく書き、さらに自宅学習(要するに宿題)の内容も書けという。もう少しで脳の血管が100本ほど切れそうになった。半期終了の講義を年間で8つ受け持っていたら、8つそれぞれについて15回分の内容を細かく書く羽目になる。
 シラバスが必要であるということに関してはまったく異存はない。われわれの学生の頃は、ほんの1行か2行の授業紹介を頼りに授業を選択したものである。学生が授業を選択するとき、詳しい内容紹介があったほうが好ましいに決まっている。
 しかし、毎回の授業内容をそんなに細かく書く必要があるのだろうか。半年前に全15回の授業内容を詳細に決め、その通りに授業しろというのである。馬鹿げている。
 そもそもシラバスを書くという労力をまったく無視している。次に、あらかじめ細かく決めた計画通りに授業をすることが好ましいという、とんでもない前提にもとづいている。10年間同じノートを読み続ける教授が「いい教授」ということになるわけだ。しかも、教員が計画通りにやるのであるから、学生の反応がいっさい無視されている。
 もっと単純な弊害もある。この提案は「情報は多ければ多いほどよい」という誤った前提にもとづいている。シラバスが電話帳みたいに厚くなったら、学生は誰もシラバスを読まなくなるであろう。FD委員長いわく、「だからシラバスはオンラインにします」。そういう問題ではない。
 
 きょうは朝からパソコンに向かって、事典の索引づくり。一日じゅうやったのに、ア行からサ行までしかいかなかった。とほほ。かみさんが静岡まで講演に出かけているので、玄米を炊き、しゃけと野菜の味噌汁をつくり、さらにカニときゅうりの酢の物、それに冷や奴をつくる。
 
 新聞をみて仰天。川本恵子さんが亡くなった。心より冥福をお祈りする。

6月15日(日)
 
 昨日はふたたびベジャール・バレエ・ローザンヌの公演へ。例によって、バレエの前にアメ横で大量のチェリーとライチを仕入れる。チェリーは娘の、ライチはかみさんの大好物である。魚も魅力的だったのだが、バレエの会場で臭っても困るので、あきらめる。
 
 演目は「バレエ・フォー・ライフ」。クィーンとモーツァルト(主にクィーン)の曲を使ったバレエ。数多いベジャールの作品の中でも一、二を争う名作である。といっても、ベジャールが年取ってからの作品で、舞踊作品としての新しさには乏しいのだが、そこがいいのである。小難しいところを一切排している。
 それにしても日本の観客はノリがわるい。というより葬式みたいに静まりかえっている。ヨーロッパでこの作品が上演されると、会場が興奮の渦に包まれるのだが。この作品が日本で初演されたときには、クィーン・ファンとおぼしき集団が歓声を上げていたが、静まりかえった会場が不気味だったのだろう、その後来なくなってしまったようだ。
 クィーンに夢中になった世代というのは、私より10ほど下のはずだ。公演にきている年配の観客たちは、クィーンのことも、フレディ・マーキュリーのことも全然知らないのではなかろうか。伝説的なウェンブリー・スタジアムのライヴの映像も見たことがないんじゃなかろうか。それを知らないと、どうして花嫁衣装のダンサーが出てくるのか、理解できないはずだし、台詞の意味もわからないはずだが。どうしてそういう人たちがこのバレエを見に来るのか、理解に苦しむ。
 
 帰りの電車で、久しぶりにホモのおじさんにモーションをかけられた。向かいの席にすわったおじさんがしきりに合図を送ってくる。むかついたので、席を替わろうと思ったが、それでは逃げるみたいなので、それ以上何かやったら殴ってやろうと身構えていたのであるが、それ以上とくに何も起きずに済んだ。
 前回、その方面の男性に迫られたのは十数年前、ロンドンに住んでいたときだ。娘、かみさんと、家の近くのオープン・カフェにすわっていたら、かみさんの隣りに、はだしで歩いてきたヒッピー風のおじさん、というかおじいさんがすわり、「かわいい」とか「すてきだ」とか「魅力的だ」とか、いろいろ言うので、かみさんは娘のことだと思って、嬉しそうに「サンキュー」と答えていたのだが、じつはそれは私のことだったのである。彼がおいていった名刺を見たら、近くの美術学校の教授だった。
 電車通学をしていた中学生の頃は、何度か、おじさんに手を握られたり、股間を触られたりしたが、こちらは晩生だったので、なんのことやらわからず、どぎまぎしたものである。
 
 先日、増田さんの講義を拝聴してから、毎朝、電車の中で Pefrume を聞く習慣になっている。朝、気分をハイにするのにちょうどいい。東京に着くまでに、ちょうどアルバム Game を聞き終わる。iPod を聴きながら、つい、口ずさんでしまうのだが、私のようなおじさん(というより、ほとんどおじいさん)が「チョコレイト・ディスコ、チョコレイト・ディスコ」と口ずさみながら歩いている姿って、自分で想像してもなかなか不気味である。公害というのか老害というのか。
 耳で聞くだけではつまらないので、YouTubeで映像を集める。
 この女の子たちは、明らかにダンサーの身体はしていない。安室奈美恵やMAX、スピードの時代は、歌とダンスが一体となっていて、歌手はダンサーでもあった。沖縄のアクターズ・スクールはそういう教育をしてきたのである。ところが、Perfumeになると、ダンスではなく「ふり」に戻っている。ライヴに来る若者たちは本格的なダンスではなく「ふり」を見に来るわけである。ダンサーであるよりも、そのほうが人形みたいな感じがする、ということなのかもしれない。
 
 YouTubeというのはじつに便利なものである。これまで、教室でネットに接続して、その映像を使って研究発表をする学生も少なからずいた。が、問題は、気がつかないうちに映像が(テレビ局などからの抗議を受けて)なくなってしまうことだ。研究発表や授業に使おうと思っていても、当日になったらなくなっていた、ということもありうる。
 というのも、先日まで保存は出来ないものと思いこんでいたのである。増田さんに聞いたら、ダウンロードして保存することも可能だというので、さっそくネット上からあれこれソフトをダウンロードしてきて、必要な映像をダウンロードする。おお、これは愉快。
 
 これはべつに違法ではないだろうが、DVDのコピーとなると、立派な違法行為であろう。しかし、ネットで調べると、コピー(リッピング)の方法を丁寧に説明してくれているサイトがいくつもある。ご本人たちも違法を承知でやっているらしいが、パソコンしろうとの私にはありがたい情報がネット上にはたくさんころがっている。サンポールに何かを混ぜるという、硫化水素の作り方もネットで広まったらしいが。
 DVDはパソコンに取り込むこともできないことになっている。勝手に加工されては困る、という創作者の気持ちはよくわかるが、私は授業にあれこれ映像を使う必要がある。「教育上の必要」で使っているので、とくに著作権料は払っていない。複数の映像を使うのに、いちいちDVDをローディングしていたのでは、時間が足りなくなるので、どうしてもビデオ・クリップを作っておく必要がある。それをいけないと言われても困るのである。
 
 私は家にいる間ほとんどパソコンの前に座っているが、とても重宝しているのは料理のレシピである。「××の食べ方」というキーワードで検索すると、おびただしい数のレシピが出てくる。
 先日、八百屋で生ウコンを一山買ってきたので、どうやって食べようかと思い、ネットで調べたのであるが、結局、「毎日少しずつ飲む」「カレーに入れる」以外には食べ方はないようだ。
 太刀魚のおろし方も、ネットから教えてもらった。
 
 レシピに限らず、先に触れた「違法コピーの方法」にしても、書いている人たちはそれで金を儲けているわけではない。インターネットはある面では、「人に教えてあげたい」という奉仕の精神に支えられているのだ。ウィキペディアにしても同じことだ。少なくともその側面に関する限り、インターネットって、本当にいいものだ。
 むろん、ネットを利用して金を儲けることばかり考えている人たちもいるのだろうが。
6月13日(金)
 
 月曜のオムニバス授業は、今週は気鋭の音楽学者、増田聡さんにご登壇頂いた。増田さんは若いだけあって、学生の嗜好をよくご存じで、年寄りの私にも大変勉強になった。デリダ、バルト、マクルーハンなどを引用しながら理論的な解説をした後、挙げた実例が「初音ミク」と Perfume であった。
 初音ミクは「ヴォーカロイド」というDTM用のソフトで、昨夏発売されて以来ものすごい人気なのだそうだが、私にはまったくの初耳であった。
 Perfume もすぐにはわからなかったが、聴いてみたら、なんのことはない、娘が家に帰ってくるたびに踊りながら歌っているグループではないか。テクノを復活させたといわれている女の子3人組である。ヴァーチャル・キャラクターを人間にコピーしたみたいな女の子たちだが、面白いのは、聞いていると、あるいはステージを観ていると、すごくカワイイのだが、よく見ると3人ともあまり美形ではない。
 うちの娘は今年で25歳になるが、精神年齢は16歳である。家に来ると一日中リビングで踊りながら歌っている(16歳でもふつうはそんなことはしないような気がする。来年には新聞記者になる予定であるが、大丈夫かしらん)。
 増田さん、面白い講義をありがとうございました。

 水曜日は上野に出かけ、新しくオープンしたヨドバシカメラで、crossover ethernet cableや hub などのパソコン部品を買い、アメ横でグリーン・ライチを買った後、文化会館でベジャール・バレエ・ローザンヌを観る。もちろん、ベジャールはもうこの世にいない。このカンパニーもいつまで続くのであろうか。リーダーのジル・ロマンが懸命に頑張っているのが痛々しい。最後の演目は「ボレロ」だった。この日に踊ったのはキューバ出身のカトリーヌ・ズアナバールだったが、これがじつによかった。素晴らしかったというのではなく、ジョルジュ・ドンで知っている振付とはずいぶん違っているのだが、ショナ・ミルクとかジョルジュ・ドンのような先達のお手本をまねるのではなく、自分の踊りとして踊っている。その潔さがなんとも快かった。
 
 新しいノート・パソコンを買ったのだが、インターネットへの接続がうまくいかない。いや接続は出来るのだが、サイトに到達できたりできなかったりするので、サポート・デスクに電話するが、なかなか原因がわからず、途中で担当者がかわり、1時間くらいSEさんとやりとりをして、やっと解決。IPv6の設定に問題があったようだが、このIPv6というのが何であるか、さっぱりわからない。
 
 木曜日はゼミの後、かみさんが大学の近くの出版社まで来ているというので、飯田橋駅で待ち合わせて、神楽坂にある、フランス人ソムリエのやっているフランス料理屋で夕食。久しぶりにフランス語を話す。かみさんはほろほろ鳥を、私はリ・ド・ヴォーを食べる。
 
 きょうは庭の草刈をしたあと(脚を数カ所、蚊に食われた)、かみさんと海蔵寺まで行く。紫陽花があると聞いていったのだが、紫陽花はあまりなかった。が、杜若(菖蒲かもしれない。私には違いがわからない)と松葉ボタンがきれいだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 帰りに紀ノ国屋で買い物。紀ノ国屋ではめったに買い物をしないのであるが、たまに来ると、やはりいい店だ。買い物客がみんなお金持ちに見える。

6月8日(日)
 
 オバマが民主党の大統領候補に決まり、クリントンは敗北宣言をした。がっかりである。たぶんオバマはマッケインに勝つだろうが、前途は余り明るくないと思う。
 
 漁港で買ったヒラメを薄造りにしてポン酢で食べる。こんなに旨いヒラメは食したことがない。頭がしびれる。800円で3回分ある。縁側もたっぷりついている。
 半身だけ買ったのだが、私のほうが誰かさんより後で、残りの半身だったため、骨を全部もらえる。これはあら汁にする。
 次に、釜揚げシラス丼を食べる。
 私はほとんどテレビを観ないが、家にいる限り、「ためしてガッテン」だけは欠かさず観る。すばらしい番組である。その「ためしてガッテン」で観たのだが、シラス干しの場合と違って、釜揚げシラスは大量にのせないと旨くない。ただし、多ければいいというわけではない。多ければいいのなら、ご飯なんかなしにして、シラスだけむしゃむしゃ食べたほうがいいはずだ。なんでも塩分と旨みの間には相関関係があって、旨みがいちばんひきたつ塩分濃度というのがあるそうだ。シラス干しと違って、釜揚げシラスは塩分が少ないので、量を増やす必要があるわけである。
 どういうわけか、ここ数年、私の住む湘南地方では生シラス丼や釜揚げシラス丼が大流行していて、きっと雑誌にも出ているのであろう、若者たちがシラス丼の店を探してうろうろしている。
 私の作り方は、お茶漬け茶碗にご飯を6分目入れ、その上にうすく大根おろしを敷き詰める。その上に3センチくらいの厚さにシラスを盛る。その上に半分に切った貝割れを散らす。その上から白ごまを擦って振りかける。これを掻き込むと、ご飯と大根おろしとシラスが混じり合い、そこにシャキシャキの貝割れが混じって、なんともいえぬ食感である。
 
 昨日は学生たちを連れて、NBAバレエ団を観に行く。サン=レオンの「せむしの子馬」(の中の「まぼろしの島」)と、プティパの「騎兵隊の休息」という、このバレエ団でしか観られない珍しいプログラムである。
6月6日(金)
 
 あいかわらず、忙しさに目眩がするが、週に一度はいえでのんびりするようにしている。
 例によって、庭で朝食を取っていたら、知らぬまに4カ所も蚊に食われた。ついに、そういう季節になったのか。「キンチョーの夏」も遠くないな。その前に、当分は梅雨が続くのであろうが。
 
 地球温暖化だ、CO2削減だ、環境保護だ、と騒いできた真の理由がだんだん明らかになってきた。「CO2を削減しよう!」の号令の背後にあったのは、新たなマーケットを開拓するという資本主義の使命だったのだ。すでにCO2の(排出量の)売買が始まっている。それまでタダだったものに値段をつけて商品にしてしまう、というのは資本主義のお手の物である。資本主義は、地球上に膨大にあるCO2を商品にすることに成功したのである。よく考えたものだ、と感心する。
 
 私は暑いのが好きなので、今年の夏は去年より暑くなるらしいと聞くだけで、うれしくなってしまうのであるが、それでも、あと10年もすると日本でマラリアが発生するようになると聞けば、心穏やかではない。
 そういえば、昨日も今日も家の中にムカデが出た。きょうのは10センチ以上ある。タイの土産物屋では20センチ以上のムカデの標本を売っている。あんなものがうちの中を徘徊するようになったら、いやだなあ。
 
 明月院に菖蒲を観に行く。別名を「あじさい寺」というくらいだから、明月院といえば紫陽花であるが、紫陽花が咲くのは再来週くらいであろう。いまは菖蒲。といっても、春秋に2週間ずつしか公開されない裏庭にある。寺自体の拝観料が300円で、裏庭の入場料が500円なので、多くの人は裏庭の入口で「あ、そう。じゃあやめます」と言って帰っていくが、観るべきものは裏庭なのである。とはいえ、かみさんと2人で拝観料1600円、近くのタイムズの駐車料が400円で、合計2000円。ちょっと菖蒲を観にいくだけで、ずいぶんと金がかかるものである。
 
 
 
 
 干物や塩鮭や釜揚げシラスのストックが切れたので、例によって小坪漁港まで魚を買いに行く。干物、塩鮭、シラスのほか、きょうはイシモチとヒラメを買う。ヒラメはおろしてもらうが、イシモチは自分でおろす。といっても、これは刺身ではなく、日曜日に娘がくるというので、タイ風の唐揚げにするのである。大きな、しかも新鮮この上ないイシモチが1尾140円、やはり大きなヒラメが片身で800円である。漁港にくるたびに、なんともいえない幸福感に包まれるのである。
6月1日(日)
 
 きょうの朝日新聞に、バリ島のガムラン音楽のことが出ている。人間の耳に聞こえる音の高さの上限は20キロヘルツであるが、ガムランは50キロヘルツ以上の音をがんがん出している。以下、引用。
 
「(国際科学振興財団理事の大橋力氏は)国立精神・神経センター研究書部中の本田学さんらと一緒にこんな実験を試みた。
 ガムランを録音し、聞こえる音(可聴音)と聞こえない高周波音に分け、12人に〈可聴音〉と〈可聴音プラス高周波音〉をそれぞれ聞いてもらい、脳活動の様子を陽電子断層撮影装置(PET)などで調べた。
 すると〈可聴音プラス高周波音〉の方が脳幹や、感覚情報にかかわる視床、自律神経やホルモン調節の中枢の視床下部の血流が増え、α波が増大した。[……]人の脳は聞こえていない音にも反応し、『快』『不快』を感じるらしい。『ハイパーソニック・エフェクト』と名づけた現象だ。
 では、聞こえない音はどこから脳に伝わるのか。両方一緒にイヤホンで聴いても効果はなかった。可聴音をイヤホン、高周波音をスピーカーで聞くと効果が出た。体を遮音材で覆うと効果が下がった。結論は『高周波音は体全体で感じていた』。その仕組みは分かっていない」
 
 人間は「聞こえない音」も体で感じている、というのが面白い。デジタル音源では、たいてい「どうせ聞こえないのだから」と、高周波音のデータを取ってしまう。それがどのような効果をもたらすかは、いうまでもない。
 ガムラン音楽には一種の麻薬作用がある。授業で学生たちに聞かせると、一日中耳から離れないという。この中毒作用は、複合リズムと反復からもたらされるものだと思うが、それだけでなく高周波音にも起因するのだろう。
 バリ島には20年以上前に一度行ったきりだ(当時は、かのマンダラ翁がまだ存命中だった)。ずいぶん変わってしまったのだろう。私は最初からサヌールとかヌサドアみたいなリゾート地には興味が無く、もっぱらクタとプリアタン、ウブドにいたのだが、そうした土地もずいぶん変わってしまったかもしれない。来年あたり、行ってこよう。
 
 国際科学振興財団の河合さんという主任研究員による、バリ島の踊り手たちの「トランス」を計測するという研究発表を聞いたことがある。1時間ほど踊っていると、憑依状態に陥り、脳波を計測するとα波が増大し、θ波も同時に増大する。踊った後、血液を検査すると、ドーパミン、βエンドルフィンなどがめだって増えていたという。
 
 自力で脳内麻薬が出せれば、麻薬なんか必要ないわけだが、大昔から麻薬があるということは、かなり早い時期から、人類のほとんどは脳内麻薬を出す能力を失ってしまったことを示している。逆に、現代人でも、それなりの修行を積めば、容易に脳内麻薬を分泌できるようになるらしい。が、私自身は試したことがない。たぶん私のようなタイプの人間は四六時中、微量のエンドルフィンが分泌されていて、それで年中ノーテンキなのであろう。

 →最新の日記に戻る。