2008年4月の日記(↑時間軸)
 
4月30日(水)
 
 新緑が目に痛い、なんともいい季節になった。きょうは朝食も昼食も庭でとった。この季節はまだ蚊の猛攻撃を受けないで済む。夏になると、蚊は早朝から全力で活動しているので、自分のまわり、東西南北に蚊取り線香を立てて結界をつくる必要がある。
 
 新聞ではあまり大々的に報道されていないが、日本中のスーパーからバターが姿を消したようである。少なくとも私が住んでいる地域では、どこのスーパーに行ってもバターはまったく売っていない。「××日に入荷します」と書いてあるが、店員の話では、開店後1時間で売り切れてしまうであろうとのこと。
 納豆騒ぎのときみたいに、テレビで「バターのダイエット効果」が喧伝されたのだろうか、と一瞬考えたが、そんな話は聞いたことがない。スーパーで聞いた話によると、牛乳が余って値崩れを起こしたので、乳牛を大量に処分し、そのせいでバターが払底しているのだという。
 大々的な騒ぎになっていないのは、多くの家庭でバターではなくマーガリンが使われているからではなかろうか。バターの欠点は、冷蔵庫から出してしばらくしないと、固くてパンに塗りにくいことである。マーガリンも昔はそうだった。何十年か前、柔らかくて冷蔵庫から出してすぐにパンに塗れるという、雪印ネオソフトという革命的なマーガリンが発売され、それ以来、マーガリン党が増えたようである。また、バターが乳製品であるのに対し、マーガリンは植物油なので、健康によい、コレステロールがたまらない、という宣伝がなされ、ますますマーガリン党が増えたようだ。
 うちは一貫してバター派である。考えてみてほしい。マーガリンは植物油である。そりゃあ、油脂としてはカロリーが低いかも知れないが、植物油は黄色くない。それを着色し、さまざまな添加物でバターに似せてあるのがマーガリンであるから、マーガリンというのは添加物のかたまりみたいなものである。バターのほうがはるかに自然食品に近いのである。マーガリンなんていう、あんなまずいものを食べる人の顔が見たいものである。
 それはともかく、これから3年間はバター不足が続くそうである。そんな殺生な。
 
 新聞報道によると、韓国での聖火リレーで、中国人留学生が五輪に反対する市民に暴行をはたらいたそうだ。それに対して、中国外務省副報道局長は「学生たちは聖火の尊厳を守ろうとしただけで、悪意はなかった。そもそも事件の原因は、チベット独立勢力がリレーを破壊しようとしたことになる」という声明を発表した。それで、いま韓国は「反中国」ムードに包まれているそうだ。
 その記事の中に、「まったくだ」と思うことがあった。「韓国紙の特派員ら」の発言として、こう書かれている。「中国大使館の呼びかけで数千人の中国人が集まった。しかし、(聖火リレーが)韓国内で行われたにもかかわらず、中国国旗ばかりしかもっておらず、誰一人として自分たちが住んでいる国の国旗を振らなかった」。
 これとまったく同じことが日本の場合にもいえる。先日書いたように、中国から一千本の国旗が送られてきたそうであるが、長野に終結した中国人のなかで、日章旗を振っていたものは一人もいなかったはずである。日本に中国国旗を送ってきた団体が、中国国旗を500本、日章旗を500本送ってきていれば、日本人の中国人に対する感情はずいぶん違っていたはずだが、悲しいかな、彼らにはそのような知恵が決定的に欠けている。
 このことは、オリンピックに対する中国人の意識を明瞭に示している。この間も書いたけれど、彼らはオリンピックを自分たちの国のものだと思っているのである。オリンピックは、世界の諸国民が参加して初めて成立する催しである。中国人はそんなことを夢にも思っていない。
4月27日(日)
 
 きょうは東京北区の飛鳥山公園で、日本に住むビルマ人たちによるダジャン水かけ祭があったはずである。歌や踊りがあり、ビルマ料理の屋台も出るので、ぜひとも行こうと決めていたのだが、締め切りの迫った原稿を朝から書いていたため、泣く泣く諦めた。
 ビルマもタイも仏教暦を用いているので、ちょうど今頃が正月である。ビルマでもタイでも、通りかかった人に誰彼かまわず水をぶっかける。これをタイではソンクラーンといい、ビルマではダジャンという。日本は暑くないので、日本でやる正月の祝いでは水をかけたりはしない。
 
 仕事の合間にぶらりと散歩に出たら、鎌倉路地フェスタというものをやっていた。路地にある小さな店が協力し合って、お祭りをやっているのである。陶芸品、骨董品、アクセサリーを売る店が多い。最近始まった催しである。
 
 夜は、葉山に住む友人夫妻に声をかけて、いっしょに夕食を食べる。本日はイタリアン。真鯛のカルパッチョ、サラダ、シタビラメの香草焼き、イカのガーリック焼き。
 
 昨日は、つい長野の聖火リレーの生中継を観てしまった。きょうの朝刊の写真もそうだったが、テレビの画面は、いつみても中国の赤い旗で覆われている。中国人留学生が観光バスで全国から数千人集まったらしい。中国国旗は本国から1000枚送られてきたそうだ。チベットの旗もちらほら見えたが、中国の赤旗に圧倒されていた。
 オリンピックは万民の平和共生を祈願する催しであるはずだが、聖火リレー走者が100人もの警察官に守られて走っているのを観ていると、一体何をやっているのだろうかと考えてしまう。
 中国の人たちは今回のオリンピックを「おれたちのもの」だと思っているらしい。だから聖火リレーを妨害されると逆上する。少なくとも「みんなのもの」だと思わなければ、誰も気持ちよく参加できないと思うのだが。
 私はとくに「・・人が嫌い」という類の好き嫌いはない。何人であろうと、好きな人もいれば嫌いな人もいる。日本人に関しても同じである。でも、聖火リレーを妨害されて、反フランス・デモを繰り広げている中国の学生たちに対して軽蔑の念を抑えるのは難しい。
 
 日本に生まれたせいなのかどうか、わからないが、私は帝国主義がどうしても我慢ならない。
 たとえばチェチェン。ロシア帝国に侵略され、併合され、革命後もソ連に無理やり組み込まれ、第二次大戦に際しては、反抗的だからナチスに協力するかも知れないとされて強制移住させられ、ソ連崩壊後、独立しようとしたら、またもやソ連に無理やり阻止された。正確な数字は知らないが、数十万の人がロシアに虐殺されている。
 チベットも同様である。
 日本だって、大東亜共栄圏なるものを作ってその宗主国になろうとしたという「前科」がある。
 帝国主義というのは、平たくいえば親分根性である。いい親分は虐げるだけでなくかわいがってくれるはずなのだが。
4月25日(金)
 
 これは数日前のことになるが、近所に住むNさん夫妻が大量の山菜を届けてくれたので、その場でどんどん天ぷらにし、みんなでばくばく食べる。山菜だけでなく、開いたばかりの穴子や平貝も頂いたので、平貝は天ぷらに、穴子は半分白焼きに、半分は天ぷらにする。ちょうど先週、北海道からタラバガニが届いたので、うちの名物であるバター焼きにして、これもばくばく頂く。ちょっとした宴会になる。うう、ここ数ヶ月の間に2キロ太ったという事実は、直視しないことにする。
 
 昨日は講義の途中で突然ビデオが見えなくなり、学生たちがぽかんとしている前で、全身汗びっしょりになって15分間機械と格闘するが、ついに復旧せず、そのまま授業を終えるはめになった。身体表現の授業で、動画を見せずに私が実演するわけにもいかないのである。
 5年前から使っているパワーブックがかなり老朽化してきて、パワーポイントのスライドを1枚めくるのに数秒かかるようになってしまった。そろそろ買い換えなければならないようだが、今年は予算がとれなかったので、どうしよう。
 
 授業の後、ゼミ生を引き連れて、渋谷まで、ブラジルからきた現代舞踊団、グループ・コルポを観に行く。なかなか面白い。バレエが基本のようだが、民俗舞踊からブレイクダンスまでさまざまなスタイルを取り入れた混交スタイルで、何よりも大勢で踊るのがいい。ダンサーたちのスタミナにも感心する。
 この舞踊団が結成されたのはブラジル第三の都市といわれるベロ・オリゾンチだそうだが、そんな町、これまで聞いたこともなかった。考えてみると、あんな大きな国なのに、私はリオとサンパウロしか知らないし、ダンスといえばサンバとカポエイラ(これは武闘でもあるが)、音楽といえばボサノバしか知らないことに気づく。
 
 きょうは久しぶりの休日。というのは大嘘で、一昨日休んだばかりである。でも毎日ものすごく疲れるので、休むたびに「ああ、久しぶりの休みだ」と溜息をつくのである。
 さて、きょうは天気がいいので、葉山にある湘南国際村というところにある、海を見渡すイタリア・レストランまで昼を食べに行く。湘南国際村には国立の総合研究大学院大学もあるのだが、いまひとつ正体のわからない場所である。でも、とにかく広い。東京ディズニーランドの4倍だそうだ。山の上にあるから眺めがいい。
 山から車で降りてくると、いかにも葉山に住むお金持ちの奥様という感じの人たちが車や自転車で買い物をしたり、お茶したりしている。
 大きな花束を抱えた女性とすれ違った(こちらは車だから一瞬だったのだが)。数秒経ってから、『スワン』の有吉京子さんだったらしいことに気づく。
 
 帰りに、葉山町役場の前にある小さな公園までいく。タクシーの運転手さんから、そこのツツジが満開だと聞いたのである。なるほど、すごい。知る人ぞ知るツツジの名所らしく、大勢の散歩客がきている(ほとんどは老人とオバサンである)。
 
 
 
 その帰りに、小坪漁港によって晩ご飯用の魚を買う。きょうは真鯛とヤリイカを仕入れる。魚は漁港で、野菜は農協市場で、買うのがいちばんいい。
 
 私がどうしても共感できないのは、イルカやクジラを救うことに命をかけている人たちである。その代表格がグリーンピースだ。別に他人が何に命をかけようと、それはその人の勝手であるが、命をかけているなら、捕鯨船の乗組員に射殺されても本望であろうから、捕鯨船は武装していって、クジラだけでなくクジラ愛護論者たちもモリでしとめてしまえばよろしい。そのままクジラの餌になれば、彼らも思い残すことはないでありましょう。薬品やら何やらを放り込まれて、無抵抗でいる船員たちに心から同情する。
 だいたい自分たちは食べないからといって、「クジラがかわいそう」などという連中の気が知れない。クジラを絶滅の危機に追い込んだのは、クジラから油をとっていた欧米諸国である。殺して、油をとって、肉は捨てていたくせに、クジラを食べる人間を「人間じゃない」みたいに非難するなんて、よほど知能指数が低いにちがいない。牛や豚や鶏は平気で食べるくせに。ほんとにバカじゃないの。
 といって、日本の捕鯨を守れ、という運動にもまったく共感をおぼえない。調査捕鯨とは名ばかりだと、グリーンピースが主張するが、その通りである。獲った肉は東京の高級クジラ料理店に売られている。クジラを捕りすぎたことも事実である。
 クジラ文化というけれど、日本人はそんなにクジラを食べていたわけではない。戦後、肉が高くて手が出なかった時代に、肉の代用品として仕方なく食べていたというだけのことだ。
 私の子ども時代に、学校給食で最も頻繁に出たメニューのひとつが、クジラの竜田揚げだった。それがなつかしくて「クジラが食べたい」という人もいるそうだが、あんなもの、私は二度と食べたくない。
 当時はベーコンといえばクジラ・ベーコンであり、初めて本物のベーコン、つまり豚のベーコンを食べたとき、おお、こんなに美味なものかと感動した覚えがある。
 私は牛も豚も鶏も、全然食べなくても平気である。グリーンピースの皆さんも、「私はヴィーガンだから」などと言っていないで、欧米の肉食文化をやめさせてから、捕鯨に反対したらいかがなものでしょうか。
 
 先日、アースデイ東京でおこなわれた、いとうせいこうの詩朗読、というよりシュプレヒコール(対話せよ!)絶叫を紹介したが、その後、わがゼミの一期生、中島悠くんからメールがきた。そうだ、彼はこのアースデイ東京の事務局長だったのである。
4月23日(水)
 
 ろくに準備もできないまま新年度の授業に突入し、ゴールデン・ウィークでやっと一息つく、というのが例年の習わしであるが、今年もまたその習わし通りになりそうである。退職するまでのあと数年、たぶん毎年こんなことを繰り返し続けるのであろう。
 お気の毒なのは編集者である。だってこの時期は、どんなに急かされようと、強迫されようと、自分の仕事なんてまったくできないのである。居直るつもりはさらさらないが、できないものはできない。
 むかし、「10年間同じ講義ノートを読んでいる」教授がよく嘲笑の的にされたものであるが、教師になってみると、10年間同じノートを読み続けるなんて、相当な修練を積まないとできないということがわかる。私は「入門」的な講義をふたつ受け持っている。内容は「入門」であり、学生は毎年入れ替わるから、入門の先へ進むわけにはいかない。毎年「入門」なのである。となると、年によってそれほど内容が変わるわけではない。そこで最初の年にしっかり教材を準備した。これで10年間ラクチンだと思ったのである。
 が、次の年にはやくも挫折した。同じことをしゃべるのは退屈を通り越して苦痛なのである。
 むかし、予備校の講師をしていた頃、いくつものクラスで同じ講義を繰り返さなくてはならなかった。けっこう辛かった。同じ冗談は二度言えない。話している自分はもはや面白くないからだ。たぶん中学や高校の先生は毎週同じことを3回も4回も話すのであろう。大変だろうな。
 というわけで、今年、大幅に教材(私がやっている分野は教科書が存在しないので、全部自分でつくる)を作り直した。でも、来年になると、また作り替えたくなるかもしれない。
 
 善光寺が聖火リレーの出発地を辞退したというニュースを聞いて、おかしな言い方かも知れないが、私はほっとした。聖火リレーに関して、私がいちばん危惧していたのは「何も起きない」ことだった。もし何事もなく平穏無事に長野で聖火リレーがおこなわれたら、日本は国際社会で「良心のかけらもない国だ」というレッテルを貼られるであろう。日本人は中国市場を失いたくないという恐怖心から何もできなかった、と言われても仕方あるまい。それが本当のところなんだから。
 ロンドンやパリのような騒動を期待しているわけではない。ダライ・ラマは聖火リレーの妨害を厳しく批判している。オリンピックは平和の祭典であるから、招待されたら出席するとも述べている。
 先日、田中克彦氏が朝日新聞に、モンゴルとチベットのことを書いていた。モンゴルは独立できたからこそ、朝青龍や白鵬のような力士を輩出できたのだ(彼らだけでなく、モンゴル出身力士は幕内に8人もいる)。(ただし、ダライ・ラマが求めているのはチベットの独立ではなく、自治である。)
 聖火リレーの出発する朝、本来ならば出発式典がおこなわれたはずの善光寺では、チベットで虐殺された人たちの追善供養がおこなわれるという。これこそ仏教寺院としての正しいあり方であろう。
 
 19日に代々木公園で催されたアースデイ東京の会場で、いとうせいこうが詩の朗読パフォーマンスをおこなった。実際には詩の朗読というより、シュプレヒコールだった。
 以下のメッセージを絶叫していた。詳しくは「ビルマ情報ネットワーク」のHPをご覧あれ。
 
無抵抗の僧侶を威嚇してはならない
無抵抗の僧侶を殴打してはならない
無抵抗の僧侶を投獄してはならない
無抵抗の僧侶を殺害してはならない
彼らは権力の外にいて、
権力とはまったく別の法にのっとって生きているからである

彼らを威嚇し、殴打し、投獄し、殺害することは「別の法を持つもの」への圧倒的な無理解、圧倒的な暴力であり、つまりは他者の破壊である

そして、我々もまた他者なのだ

無抵抗の我々を威嚇してはならない
無抵抗の我々を殴打してはならない
無抵抗の我々を投獄してはならない
無抵抗の我々を殺害してはならない
我々は権力の外にいて、
権力とはまったく別の法にのっとって生きる自由を常に必ず持つ

我々を威嚇し、殴打し、投獄し、殺害することは「自由を持つもの」への圧倒的な無理解、圧倒的な暴力であり、つまりは他者の破壊である

他者を破壊してはならない
彼らを、そして我々を破壊してはならない

威嚇するな
殴打するな
投獄するな
殺害するな

ミャンマー軍事政権よ
中国政府よ

フリー・アウンサンスーチー
フリー・アウンサンスーチー

フリー・ダライラマ
フリー・ダライラマ

我々もまた彼らである
彼らはまた我々である

話し合いを拒んではならない
なぜなら、話し合うことが唯一、他者と他者をつなぐ道だからだ
他者と他者がつながれなければ、威嚇が始まり、殴打が始まり、投獄が始まり、殺害が始まる

だから対話せよ! 対話せよ!
そして、対話のためにこそ伝え合え!
言論の自由と、報道の自由はこうして、威嚇と殴打と投獄と殺害を防ぐためにある
対話せよと言い、伝え合えと訴えることは、威嚇と殴打と投獄と殺害の目の前に立ちふさがることだ

ミャンマー軍事政権よ
中国政府よ

対話せよ 威嚇するな
対話せよ 殴打するな
対話せよ 投獄するな
対話せよ 殺害するな

対話せよ!

我々もまた彼らである
彼らはまた我々である

4月18日(金)
 
 学生諸君の様子を見ていると、就職活動は受験勉強よりもはるかに辛そうである。しばしば学生が「面接なので授業を休ませてください」と言ってくる。「いいよ。面接頑張ってね」と優しく声をかけてあげたいところであるが、大学が就活を応援するようになったら、大学は急速に死に向かって進むことになると信じているので、「一回だけなら許す」と言っている。トランプのジョーカーと同じく、切り札は一回だけ切れるのである。厳しすぎるかなと思うのだが、「就活のためなら授業は休んでもいいよ」とはどうしても言えない。
 では私の学生たちが、授業のために面接を諦め、そのおかげで「希望の就職先に就職できた」率が低いかというと、そんなことはなく、35歳ではじめて定職に就いたという私とはちがって、学生たちはちゃんとそれなりのところに就職し、仕事を楽しんでいるようである。
 学生諸君には同情する。半年以上も、何十枚、何百枚とエントリー・シートを書きまくり、何度も何度も筆記試験や面接を受け、落ちるたびに自分のプライドが傷つけられ、「どうして自分は求められないのだろう」と悩む。就活ノイローゼというものがあるらしいが、さもありなんと思う。就職先が決まった学生の顔は晴れ晴れとしている。大学に合格したときと同じだ。
 法政大学は、世間のランクでは東大や早稲田や慶応よりちょっとばかり下だから、学生が苦汁を飲まされる確率が高いだろう。「わが子」たちが、企業の面接担当のにいちゃん・ねえちゃんたちに小突かれ、いじめられるのを想像するのはあまり気分のいいものではない。
 企業は、大学の授業などにはおかまいなく面接の時間を指定してくる。大学など「屁」とも思っていないのである。
 しかし現実には、そうした企業にすり寄るかのように、どこの大学も就職支援にずいぶんと力を入れるようになってきた。このままの方向を進んでいくと、大学は就職予備校になってしまうのではないかと私は危惧する。
 3年生の後期から4年生の前期にかけて、学生全員が勉強そっちのけで就活に走り回らなくてはならない社会って、どこかおかしいのではなかろうか。
 あ、わが家にも、就活で飛び回っている人間がひとりいるのだった。いまのところ、全戦全敗らしい。
4月16日(水)
 
 今学期は授業が9コマもあるし、英語で授業をやらなくちゃならないし、重要な二つの委員会に配属されたし、ああ、もう忙しいったらない。山本リンダ状態である(困っちゃうな)。
 でも、こんなことをビジネスマンの友人に話せば、反応は予測がつく。「で、週に何日出勤なの?」「3日」「甘えてんじゃねえよ」
 でもね、授業は3日だけど、その準備やら雑用を入れたら労働時間は絶対ビジネスマンよりも多いと思うよ。
 
 第一回目の授業を一巡終えた。ほとんどの授業の初回は「イントロダクション」である。学生が教室に入りきらず、何か書かせて選抜するという場合もある。この場合には授業はまだ始められない。
 この時期、自分内部で問題になるのは、シラバスのことである。学生はシラバスを読んで授業を選ぶのであるから、シラバスの有用性は否定しない。もしシラバスがなかったら、どんな授業なのかに関する情報がないのであるから、学生も困るであろう。私が学生のころにはほんの数行の説明だけで授業を選択したのであるが。
 しかし一方、申し訳ないことであるが、シラバスを書いたのは数ヶ月前なので、本人がよく覚えていない。覚えていないだけでなく、その通りにはやりたくないと思うこともある。数ヶ月の間に私の考えたが変わってしまったからである。だから「私的には」いま現在考えるシラバスのほうがベターなのであるが、授業評価アンケートには「教員はシラバス通りに授業をおこないましたか」という項目があるんですよね。
 
 発売されたばかりの月本洋『日本人の脳に主語はいらない』(講談社選書メチエ)を読む。三上章の「象は鼻が長い」を知らない人はいないであろう。主語は象なのか、鼻なのか。日本語の主語をめぐっては、数多くの本が出ている。最近読んだものに、金谷武洋『日本語に主語はいらない』がある。
 人工知能の専門家である著者のたてた仮説を一言でいってしまうと、「母音の比重が大きい言語は主語や人称代名詞を省略しやすい」というものである。つまり、日本語は母音が多いから、主語がないのだ、というのである。
 日本語が「母音の比重が大きい言語」であることは明らかだ。英語のように子音で終わる単語はなく、かならず母音で終わるし、胃、絵、愛、家、葵など、母音だけで構成される単語も多い。英語の場合は、感嘆詞を除けば、そういう単語はきわめて少ない。
 で、どうして母音の比重が大きいと、主語が省略されるのかというと、その原因は脳にある。すなわち、(1)発話開始時には、最初に母音を聴覚野で内的に聴く。(2)自他の分離は右脳の聴覚野の隣で行っている。(3)日本人は母音を左脳で聴き、イギリス人(子音系の言語を話す人の代表)は母音を右脳で聴く。
 「ここからいえることをまとめると、日本人は、発話開始時には、母音を左脳の聴覚野で内的に聴くので、その隣の言語野が瞬時に動き出すことで認知から言語へと連続的に移行する。かつ、右脳の自他の分離を担う部分である下脳頂葉と上側頭溝(聴覚野の隣)を刺激しないので人称代名詞を発生することがあまりない。これに対し、イギリス人は、発話開始時には、母音を右脳の聴覚野で内的に聴くので、右脳から左脳の言語野に神経信号が伝達するのに時間がかかり、時間的空白が生じる。それゆえ、認知から言語へと連続的に移行できなくて、かつ、右脳の自他の分離を担う部分である下頭頂葉と上側頭溝(聴覚野の隣)を刺激するので人称代名詞を発声してしまう。」
 私は脳内事情にはまったく暗い者であるが、どうもこれはかなり怪しい説のように思われる。
 しかも、「日本人は母音を左脳で聴き、イギリス人は母音を右脳で聴く」という前提に有力な根拠を与えているのは、角田忠信『日本人の脳』(1978)である。若い人は知らないだろうが、発売当時、たいへん物議を醸した本である。結局、「角田説は追試できない」という理由で、全面的に否定され、いつのまにか忘れ去られた説である。たしか角田説では、西洋人は虫の音を右脳で聞くのでただの雑音にしか聞こえないが、日本人はそれを左脳で聴くので、言語的に解釈し、「秋の訪れ」を感じとったりするのだ、というのであった。
 ただ、本書の主張のうち、人間は発話するときに内的に聴いているという指摘は重要だと思う。
 また、本書で論じられている「脳で何かをイメージする行為は仮想的身体運動である」という説には興味をそそられた。人間は何かをイメージするとき、身体運動をしている。ただし実際に手足を動かすのではなく、運動を司る脳の部分が活動している、というのである。そこから著者は、言語の意味の根底には身体があると考えるのだが、その点は賛成できる。
 だが全体的にみると、ずいぶん議論の進め方が雑である。
4月12日(土)
 
 息も絶え絶えになって、やっと週末に辿り着いた。ほぼ一週間、日記の更新もできなかった。新学年初めの忙しさがまだ続いているのである。
 
 月曜はゼミの二次選抜がある。先日の一次選抜では5名合格したが、10名に満たない場合は二次募集をしなければならないという内規があるのだ。結局、一次・二次合わせて9名が私のゼミに加わることになった。4年生が7名なので、合計16名。ちょうどよい人数である。
 その後、交換留学生の歓迎会。アメリカ、イギリス、オーストラリア、フランス、ドイツ、ポーランド、ロシア、ウズベキスタン、中国など、留学生たちの出身国はさまざまである。昨秋からわが大学で学んでいる留学生たちは、日本語で短いスピーチができるまでになっている。えらい。
 今年度は「身体の東西」と題して、比較身体表現論を英語で講義する。
 
 火曜から大学院の授業が始まったのだが、体がつらくて起き上がれないので、院生に連絡して、休みにしてもらう。
 
 水曜は、バレエ・リュスをテーマに修論を執筆中という東大の院生が相談に、研究室を訪れる。なかなか適切なアドバイスができず、申し訳ない。
 その後、早稲田に行ってCOEの会議。今年は石井達朗、吉川周平のおふたりに客員講師をお願いする。
 
 10日(木)から学部の授業が始まる。最初の授業は、交換留学生のための英語の授業。受講者は数人だろうと思っていたら、10人以上いたので、資料の数が足らなくなり、焦る。おまけに、初めて使う教室なので、機材の扱い方がよくわからず、汗をかく。「では映像をお見せしよう」と言って、ボタンを押し、映像が全然映らなかったりすると、ぱっとアドレナリンが分泌されて、全身汗びっしょりになる。
 午後はバレエの授業。今年は例年の半数くらいしか学生がいない。どうしたことだろう。バレエ・ブームも下火なのであろうか。
 その後、ゼミの第一回。そして夜は第一回のゼミ・コンパ。帰りの電車で爆睡し、乗り過ごして逗子まで行ってしまう。さいわい、まだ上りの電車がある時間だったので、電車で鎌倉まで戻ってくる。
 
 翌金曜は、まず衛星テレビの収録のため、遠路はるばる、世田谷区にあるスタジオまで出かける。バレエのためだから仕方がない。ホステス役は元テレビ朝日の美人アナウンサーである。
 カメラではなく、聞き手のほうを見てしゃべってくれと言われる。だが私は人の目を見て話すのが大の苦手である。カメラ目線のほうがずっと楽なのであるが、さいわい聞き手が美人だったので、見とれながらしゃべることができた。
 その後、大学まで戻って教材作り。夜は日本バレエ協会の創立50周年パーティ。来賓には高円宮久子妃殿下、青木保文化庁長官、野村萬芸団協会長らがおられる。青木先生と名刺を交換する。
 会場を歩き回っていて、山岸凉子先生にお目にかかる。今度いっしょにロシアに「取材と称したバレエ三昧旅行」に行きましょうという話になる。
 
 きょうは何もない土曜日なので、ゆっくり寝坊して、小坪漁港まで魚を買いに行く。ここの魚屋は愛想は悪いが、仕事はてきぱきしている。まず魚を選んで、お金を払うと、そばにお兄さんが二人いて、刺身か焼き魚かと聞き、怖いくらいに切れ味のいい出刃包丁を使って、実に見事な手さばきで、あっというまにおろしてくれる。きょうは、例によってかみさんの好物のサザエと、クロダイの刺身、それに保存用の甘塩サケとあじの開きを買う。魚屋のお兄さんは、ちゃんと頭も骨も皮も包んでくれるので、頭は塩焼き、骨はあら汁、皮はこんがり焼いて細く切り、きゅうりと合わせて酢の物に。
 帰途、別の店に生シラスを買いに行ったが、すでに売り切れだった。帰りに鎌倉の農協市場でタケノコを買って帰る。若竹煮は今年初めてだ。
 
 録画しておいたジョディ・フォスターの『フライト・プラン』と、篠原涼子の『アンフェア』を続けて観る。どちらも母娘もの。いずれもB級映画だが、やっぱり前者のほうが面白い。前者に比べると、後者はシナリオがわるい。無駄な浪花節が邪魔である。篠原涼子は、鼻の穴があと2ミリ小さければ、好きなんだけど。
 
 おっと、5月に出す単行本の校正を明日までに終わらせなければならないのであった。きょうも徹夜か。
4月6日(日)
 
 ついに鎌倉も東京も桜が散り始めた。あと2、3日もすればほとんど花が無くなるであろう。散るときも美しいというのが、桜のいいところである。「散りざま」というなら、武士には椿のほうがふさわしいかもしれない。花がまるごとボトッと落ちる。でもその後は人に踏まれたりして無惨である。その点、桜はきれいに花弁1枚ずつはらはらと散り、道や水面に落ちているさまも美しい。
 うちの庭にも桜があるのだが、これはいわゆる山桜で、ソメイヨシノではないから、花と葉が混じっている。1本は花がピンクだが、2本は白である。
 
 毎年のことながら、4月初頭の忙しさは半端ではない。
 まず2日はゼミの選抜。面接で学生を選ぶ先生が多いが、最近は就職試験のようにまずエントリーシートを出させる先生もいるようだ。私は志望者を一堂に集めて、一人ずつ志望動機、研究テーマなどについてしゃべってもらう。
 今年、私のゼミは希望者が激減した。説明会には100人くらいの学生がきていたようだが、志望者は8名だった。私の人気もついに地に落ちたのであろうか。
 おまけに、志望者8人のうち3人は選考にあらわれなかった。こんなことは大学教師になって初めてのことである。
 例年通り、現ゼミ生にも選考に加わってもらう。
 
 そのあと、来客2人。
 一人目は、かつてS出版社の社長だったKさん。彼に会うのは何年ぶりだろうか。10年以上会っていないことは確かである。ふつう小さな出版社というのは、神田神保町を中心として半径2キロ以内くらいの場所にあるのだが、S社は青山通りにあった。彼は二代目の「若社長」で、いつもシトロエンに乗っていた。よくユング心理学者の秋山先生と、秋山先生の家に集う私や弥永信美さんを、おいしいレストランに連れて行ってくれた。済南賓館に最初に連れて行ってくれたのもKさんである。六本木などで飲みに連れて行ったもらったことも多々ある。ずいぶんあちこちでご馳走になったものである。だからというわけではもちろんないが、私はS社から3冊本を出している。
 やがて、映画製作に失敗したことなどから、S社は倒産し、Kさんはすっかり落ち込んで、長いこと表舞台から姿を消していた。最近、仲間たちと新しい出版社を立ち上げたそうである。めでたいことである。
 
 二番目の来客はS書房のF社長。一度ゆっくり時間をとってほしいと言われながら、いつのまにか1年以上経ってしまった。
 私の研究室は、冷蔵庫につねにビール、シャンペン、ワインが冷えているのであるが(アイスティーやウーロン茶もあるけど)、出勤途中のスーパーで買ったつまみを肴に、シャブリのプルミエ・クリュを飲みながら、Fさんがぼそりと、「大学の先生が忙しいっていうのは本当なんですか」と聞く。大勢の大学教授に執筆を依頼しているのだが、みんな忙しいという理由でなかなか書いてくれないというグチをこぼしにきたのである。
「そうなんです。本当に忙しいんです」とお答えするほかない。10年前、20年前と比べると、給料はほとんど変わらず、仕事は確実に2倍以上増えている。労働条件は悪化の一途を辿っているのである。でも、昇給闘争を起こそうという人が出てこないのは、誰の心にも、昔は楽をしすぎていたという反省があるからである。
 欧米の大学教授たちの話を聞くと、ふだんは授業と大学の行政で忙しく、サバティカルのときにしか自分の研究ができないそうである。最近まで、日本の大学教授は学期中にでも自分の仕事ができた。でも近年、本当にサバティカルのときにしかできなくなった。その意味では「世界標準」に近づいたということだろうか。
 鮨を注文しようと思って電話したところ、1時間以上かかると言われたので(花見の季節だからであろう)、近くのそば屋でそばを食って帰ろうということになったのだが、そば屋に入ると、ごく自然に、そばではなく酒とつまみを注文し、2合徳利を5本ほどあける。
 帰りの電車で爆睡。
 
 翌朝は、モスクワ以来の時差ボケと睡眠不足と二日酔いで起きられず。テレビ局での打ち合わせを1時間送らせてもらう。テレビといっても、これはあまり人の見ていないCSのテレビ局なので、心おきなく出演することができる。地上波だと、かならず大勢の人から「観ましたよ」という連絡があるので、とても恥ずかしい。
 
 金曜の朝は7時起きで出勤(私にとっては地獄の試練である)。午前中に学部オリエンテーションがあり、専任教員が全員、教壇に並んで一言ずつご挨拶という恒例の儀式。
 昼に大学院教授会。
 午後はクラス別オリエンテーション。「私が担任です。でも、高校と違って、みなさんに会うのは今日が最初で最後でしょう。昔は大学に入るとまず新入生歓迎コンパがあったものですが、いまは時代がちがいます。きみたちは未成年ですからけっして酒を飲まないように」と挨拶。「大学生だから、いっしょに飲みに行きましょう」などとはけっして言ってはならないのである。
 その後、早稲田まで飛んでいき、21世紀グローバルCOEの今年度のプログラムについて打ち合わせ。私のボスであるK先生といっしょに食事。
 
 土曜日は大学院のオリエンテーション。夜は新入生歓迎会。会場は教職員食堂だったが、学科長がビールとソフトドリンクしか注文していおらず、さみしいので、研究室にあったワインを差し入れする。今年の新入生は、私より年長の人、中国語・朝鮮語・日本語ができる人など、バラエティに富んでいる。
 私は、大学院ではバレエの専門的な授業しかやらないことにしている。学部のほうでは、映像に関する授業もやっているが、いずれにせよ、「軟派系」のことしかやっていない。これからも軟派に徹するつもりである。
 大学を出ると、チェチェン独立戦争を支援するグループ、ミャンマーの民主化運動を支援するグループ、チベットとダルフールの問題で中国を弾劾するグループなどに属しているのだが、大学ではいっさい政治的なことは口にしない。政治的なことは私個人でかかわっていることだからである。
 でも、「いまいちばんの望みは?」と聞かれたら、北京オリンピックを多くの国がボイコットすることだと答えるだろう。モスクワ・オリンピックのときはアメリカ、日本、韓国など、50カ国弱がボイコットした(欧州諸国は、西ドイツを除いて、多くが参加した)。モスクワはボイコットできても、北京はできないとしたら、それは市場としての中国の威力のせいだろうか。
 
 きょうは日曜日。ようやく一息つける・・・はずだったが、かみさんが待ちかまえていたのであった。
 園芸ショップにいき、インパチェンス、ヴァイオラ、ペチュニアなど、鉢植えの花を仕入れてくる。
 長靴をはいて、園芸用手袋をして、半日庭で花いじり。陽当たりの悪い、というかほとんど陽の当たらない家で花を咲かせるのはなかなか苦労である。
4月1日(火)
 
 一昨日、『ランボー 最後の戦場』についていささか揶揄的に書いたが、この映画がちゃんと事実にもとづいて製作されていることを書き添えておかねば不公平になろう。
 この映画では、ミャンマーの軍事政権に仕える軍は(その隊長は、ランボーが忌み嫌うゲイだ)、少数民族を虐殺し、女性を強姦し、少年たちを無理矢理徴用して兵士にする。これは事実そのものである。以下は映画のストーリー。アメリカのコロラド州かどこかの教会のボランティアたちが、虐待されている人たちの支援のために、世捨て人ランボーの助けを借りて、ミャンマーに潜入する(アフガンに出かけていった韓国の呑気な教会ボランティアたちの拉致事件が思い出されるが、そうしたボランティアはイラクやアフガンにかなり多数いる)。だが村は襲撃され、ボランティアたちも捕虜になって、豚小屋にぶちこまれる。豚箱ではなく豚小屋である(リドリー・スコットの『ハンニバル』と同じモチーフ)。アメリカの特殊部隊が救出に向かうのだが、捕まってしまい、それをランボーが助けるという話である。似たような事件があったのかどうかは知らないが、たぶんフィクションだろう。だが、繰り返すが、冒頭に述べたことは事実である。
 3月31日に出された、「ビルマの国会議員から全世界の国会議員へのアピール/軍政の見せかけの憲法をビルマ国民は拒否する。国際社会も承認するべきではない」には次のように書かれている。
 
 現在でもビルマ国内にはアウンサンスーチー氏を始めとして1800人以上の政治囚が存在します。また2007年11月以降、百人近くの活動家が新たに逮捕されました。少数民族の民間人に対する軍事攻撃もやまないどころか、激しくなる一方です。攻撃により、ビルマ東部だけで非ビルマ民族数十万人が国内避難民(IDP)となり、数千もの村が焼き討ちなどで破壊されました。この結果、5才未満の乳幼児を含む数千人が殺され、2百万人以上が近隣国に逃れ、歓迎されざる難民となっています。また、18歳以下の子ども7千人以上がビルマ軍に強制的に入隊させられています。非ビルマ民族の成人女性と少女数千人がビルマ軍兵士に強姦されていますが、兵士側が罪に問われることはありません。
 
 以前、ゼミの学生たちと訪れたタイの「首長族」も、ミャンマーからの難民であり、観光のためにタイ政府から強制され、本来の風習ではない輪を首にはめて伸ばしているのである。
 ちなみに、ミャンマーというのは軍事政権がつけた国名であるため、ビルマ民主化を支持する人びとは今もビルマと呼んでいる。
 ビルマには、バガン遺跡という、アンコール・ワットに匹敵するといもいわれる仏教遺跡があり、昔から行ってみたいと思っている場所のひとつなのだが、民主化支援グループなどから「観光は軍事政権を支持することになるので、行かないでください」というメッセージが出されているため、いまだに行けずにいる。いちおう国の体をなしているカンボジアとは違って、ミャンマーはかつてのクメール・ルージュに似た様相を呈している。アメリカはイラクで手一杯というところか。
 
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