2008年3月の日記(↑時間軸)
 
3月30日(日)
 
 『ランボー 最後の戦場』を観る。日本公開は5月だそうであるが、これまたモスクワの路上で買ってきたDVDである。
(以下、「ネタバレ」というほどではないが、あらかじめストーリーを知らされるのは大嫌いという人は、読まないでください)。
 このDVDは、ロシア語字幕は付いているが、英語の字幕がついていない。瞬時にロシア語を読み取るのは私にとって至難の業なのだが、仕方がないので、貧しい英語聴取力と貧しいロシア語読解力で観る。さいわい、ランボー・シリーズやロッキー・シリーズはストーリーがじつに単純で、台詞はわからなくとも大過はない。
 シリーズ第一作は1982年、その後3年ごとに第二作、第三作が公開されたが、この第四作は第三作からなんと20年ぶりである。
 シリーズ第一作の舞台はアメリカ本国(北西部の田舎町)、第二作はベトナム、第三作はアフガンであったが、第四作の舞台はビルマ(ミャンマー)である。反共映画の旗手スタローンは、冷戦が終わってしまった後、紛争が続いている地域を探し回り、ついにミャンマーに舞台を定めたということか。クメール・ルージュを扱った『キリング・フィールド』に似た世界である。イラクやイランを舞台にすることは、さすがにハリウッドでもできないのであろう。
 思い出してみると第一作目は衝撃的に面白かった。スタローンはロッキーとランボーによって「話は単純なのがいちばん」という事実を証明したのだったが、第二作と第三作で完全に反共映画の旗手になってしまった。前にも書いたけれど、『怒りのアフガン』の最後で、応援に駆けつけるのはアフガン・ゲリラの騎馬隊である。9・11の後、ブッシュが「敵」と定めた人びとである。
 今作でも、最後にミャンマーの反政府ゲリラが応援に駆けつける。不死身のジョン・ランボーも、寄る年波には勝てず(それでもよく走るが)、最後は機関銃をひたすら乱射するのみ。そして幕切れに、父親が待つアメリカの実家に帰って行く。お疲れ様でした。
 
 それで思い出した。先日、『プラトーン』を久しぶりに観たが、アメリカ人、というか西洋人は結局アジア人を同じ人間だとは思っていない、訳のわからぬ言葉をピーチクしゃべる不気味な生き物くらいにしか思っていないのだなあということを、あらためて感じた。もちろん『ランボー』では、ビルマ人をばんばん殺す。
 
 『ディア・ハンター』などのベトナムものを含め、いわゆる紛争もののなかで、いちばん印象に残っているのは『サルバドル』である。ご覧になっていないかたはぜひご覧いただきたい。怖いですよ。
 
 2週間ほど前から、ヒヨドリやメジロやウグイスが里に下りてきて、ウグイスは懸命に鳴き声を稽古している。最初にうちは「ケキョ、ケキョ」としか啼けなかったが、今週はかなり上達して、ちゃんと「法、法華経」と啼いている。
 
 昨日、今日と、桜を満喫する。昨日は、鶴岡八幡宮と段葛(だんかずら)の桜を観ながら駅まで歩く。段葛(若宮大路というメインストリートの中央分離帯。高くなっている遊歩道)を通りたかったが、駅のほうから観光客がひっきりなしに押し寄せてきて、さながら朝の新宿駅のようなので、諦めて脇の歩道をいく。
 東京に着いてからは、大学の前にある堀の土手の桜をたっぷり観賞し、研究室からは靖国神社の桜を見下ろす。
 帰宅するときはたいてい駅からタクシーなのだが、昨夜は歩いて帰る。深夜だというのに、まだ三脚を立てて桜の写真を撮っている人が少なからずいて、石段に腰掛けているカップルも目に付いた。
 きょうはまず報国寺、次いで浄妙寺を散歩し、浄妙寺の中にある石窯パン屋で、出来立てのパンを買って帰り、それを昼食とする。
 夕食は、空豆、ワカサギの唐揚げ、菜の花のおひたし、厚揚げ・・・これじゃあまるで居酒屋だ。
 食後、テレビ東京の「元祖、大食い爆食女王選」を観る。といっても、まさか3時間テレビの前にいるのはあまりにお馬鹿さんだから、ビデオにとって、早送りしながら観る。そうまでして観たいものかと問われると・・・そう、観たい。
 私はギャル曽根が大好きである。あまり観たい顔ではないけれど、大量の肉やラーメンを「うめー、うめー」と幸せそうに食べているのを観ていると、こちらも幸せになってくる。
 でも、この試合に出てくる女性たちが一人残らず痩せているのは、どういうわけだろうか。5キロの肉はどこへ行ってしまうのだろうか。そもそも、食べている間、胃も腸も肉で一杯になっているはずだが、ちゃんと消化するんだろうか、などと考えながら、結局最後まで観てしまう。今回はなんとギャル曽根が準決勝で負けてしまった。
 
 ↓これは一昨日の木雷亭。
 
 ↓清泉小学校(鎌倉幕府跡)の横の桜並木。
  
 ↓鶴岡八幡宮の源氏池(平家池だったかな)。
 
 
 
 ↓駅のほうからひっきりなしに、雲霞のごとく人が押し寄せる。
 
 

 
 ↓報国寺。
 
 
 
 
3月28日(金)
 
 昨日は、かねてから「カウンターで揚げ立て天ぷらを食べたい」と言っていた娘のリクエストに応えて、新宿の天ぷら屋に連れて行く。ご満足のご様子であった。
 
 食事の後、文化センターまで、ピナ・バウシュの公演を観に行く。私はピナ・バウシュ教信者ではないが、ピナ・バウシュがやみつきになるという人たちのことはよく理解できる。「面白いか」と聞かれて、「面白い」と素直に答えることには抵抗があるのだが、「また見たいか」と聞かれたら、即座に「見たい」と答える。面白いとか面白くないといったことを超越している、と言ったら、観たことのない人にもわかっていただけるだろうか。わからないですよね。
 
 帰宅後、泊まりに来た娘と、ちょっと遅れて帰宅したかみさんと3人で、『魔法にかけられて』のDVDを観る。かつておとぎ話の研究をしていた者として多少期待していたのであるが、残念ながら期待はずれであった。
 このDVD、モスクワの路上で500円足らずで買った海賊版であるが、ちゃんと観ることができた。もちろん日本語字幕はないが、英語(だけでなく仏語、西語の)字幕は出るし、音声もロシア語とオリジナルの英語音声が入っている。画像も大変きれい。海賊版もずいぶん進化したものである。10年くらい前の海賊版はひどかった。
 
 大学周辺の桜も満開だが、鎌倉の桜もほぼ満開なので、かみさんと花見に行く。といっても、寝坊したので、出かけるのが遅くなり、結局、鎌倉山のらい(木偏に雷と書く)亭にそばを食べに行っただけで終わってしまった。
 
 夜、やはりモスクワの路上で買ってきた『ノー・カントリー』を観る。じつは途中でやめて続きは翌日観ようと思っていたのだが、それは無理であった。アメリカの病巣を凝縮しているみたいなサイコパスの殺人鬼が不気味。
 
 ブログによると、内田樹先生のところに「ねんきん特別便」が来たそうである。なんと先生の公務員時代の年金記録もないという。恐ろしいことである。
 じつは私のもとにも数日前にきた。昨年から年金問題は最大の話題のひとつであるが、なんとなく他人事のように思っていた。だが、にわかに「我が身の問題」となった。私の場合も、やはり数年分きれいに抜け落ちている。この確率でいくと、ひょっとしたら、ほとんどの国民の年金手帖に不備があるのではなかろうか。それを考えると、ぞっとする。
 
 モスクワで観たバレエの感想を聞かせて欲しいというリクエストがあったので、少し書く。
 『ファラオの娘』の一日目。ルンキナの氷のような、というより鋼鉄のような踊りは私の好みである。相手役のツィスカリーゼは、お腹の肉がだぶついているのが、いやでも目に付いた。それと、妙に仕草が女性的なのが気になった。これは意外だった。
 二日目。オーシポワは、端的に言えば、踊りがまだ若い。勢いで踊っているので、お姫様には見えない。キトリなどはきっといいだろう。グダーノフはいささかオーラが褪せた感じ。
 『明るい小川』。今年の12月にボリショイ・バレエが来日するが、観るべきものはこの作品である。傑作といってよかろう。ラトマンスキーの振付である。ラトマンスキーのスタイルは「新古典主義」である。クラシックにもとづきながら、それにひねりを加えている。もうひとつの大きな特徴はユーモアである。この作品には、その二つの特徴がよく出ている。主役のガリャーチェワは、性格の良さそうな、しかもテクニックは完璧のバレリーナであるが、線は細い。彼女の『ラ・シルフィード』を見た人が「絶品だ」と言っていたが、さもありなん。しかし、小柄で細いガリャーチェワに対して、バレリーナ役がアレクサンドロワだから、かなり無理がある。この二人をまちがえる夫はいないだろう。いちばん印象に残ったのは、バレエ・ダンサー役を踊ったスクウォルツォフである。この役は、途中でチュチュを着てトウシューズを履いてシルフィードを踊るのだが、こんなに笑わされたのは何年ぶりだろうというくらい笑わせてくれた。「トロカデロ」よりずっとうまい。役者だ。
 『ライモンダ』。ステパネンコはお姫様役には似合わないが、テクニックが安定しているので、安心して観ていられる。シュピレフスキーは、ボッレと似た、ハンサムなギリシア彫刻型ダンサーだが、踊りがいささか重い。
 
 さて、週刊新聞「読書人」で、愛知大学の樫村さんという人が、私の訳した『ラカンはこう読め!』の書評を書いてくださっている。おお、全面的批判である。
 自分の訳した本の書評というのは、自分で書いた本と違って、半分は他人事みたいなところがある。もちろん「なんでこんな下らん本を訳した!」と叱られることもあるから(実際にあった)、決して他人事ではないのだが、べつに落ち込むようなことはない。
 でも今回の書評の、(私にとっての)問題は、書評者の書いている日本語がほとんど理解できないことである。三度繰り返し読んだけど、ほとんどちんぷんかんぷんである。
 樫村さんという方は、ラカン派の集まりで一度お目にかかったことがあるような気がするが、さだかではない。いわゆる「正統派ラカン主義者」であるらしい。というのも、書評の趣旨は「ジジェクのラカン解釈は間違っている」ということらしい(何しろ日本語が理解できないから、「らしい」としかいえない)。
 「正統派ラカン派」を自称する人たちは、何かというと「あなたのラカン解釈は間違っている」という。この手の人たちは、自分以外の人のラカン解釈がいかに間違っているかを力説することに全精力を費やしているらしい。だから、そういう人たちが集まると、「私のラカン解釈こそが正統的だ」と主張し合っているのであろう。そんな人生、楽しいのでしょうかね。余計なお世話ですが。
 もうひとつ、「正統派ラカン派」のみなさんの特徴は、ラカンと同じく、難解な文章を書くことが偉いと思っているらしいということである。
 ジジェクのラカン解釈がジジェク独特のものであることは周知の通りである。そこがジジェクの面白いところなのであるが、それはともかくとしても、本を読んで「面白いところ」を何一つ見いだせない人は不幸である。
3月26日(火)
 
 昨日は盛りだくさんな日であった。旅の疲れを癒している暇がない。
 まず教授会。開始時間を間違えて、思い切り遅刻。
 次に大学院教授会。ここでは、かねてから思っていたことをいろいろ発言させていただく。
 次に卒業パーティ。例年ならば、ゆっくり卒業生たちと歓談するとことであるが、今年はちょっと顔を出しただけで失礼する。
 次にロシア文学会関東支部運営委なるものに出席。これも開始時刻に間に合わず、ほとんど懇親会だけに出席したようなものであったが、東大の沼野先生が超多忙にもかかわらずこまめに会議に出席されているのに、私が顔を出さないわけにはいかない。
 蓄積疲労で頭痛がしてくる。へとへとになって帰宅。
 
 本日はわが家で、ゼミ恒例のの「卒業生を送る会」。むろんBBQである。火を起こしている間にざーっと雨が降ってきて、どうなることかと思ったが、その後はじつに穏やかで暖かい春の日であった。学生諸君の日頃のおこないが良いからであろう。卒業していく先輩のために、3年生がせっせと準備をしているのを見るのは快い。就活の真っ最中で、欠席者が多かったのは残念だが。
 卒業生からは高価な記念品まで頂戴してしまった。驚いたのは、私の趣味をちゃんと知っていて、じつに私好みの物を贈ってくれたことである。ありがとう、みなさん、大事に使います。
 昼から夕方まで、食べ続け、飲み続けたので、夕食は抜き。
 
 
 さて、モスクワの話。今回最も印象に残ったのは物価高。一説によると、モスクワはロンドン、ニューヨーク、東京などを抜いて、現在世界で最も物価の高い都市だそうだ。
 ホテルはめちゃくちゃ高いし、ヨールキ・パールキというファミレス的レストランのサラダ・バーが1500円である。今回はとにかく忙しく、一日に一回しかろくなものを食べず、その一回の食事も、スパゲティとサラダくらいのものであったが、それにワインを2杯も飲むと、勘定は6000円を超す。
 私はひじょうに気が小さく、知らない店に入る勇気がない。これは日本にいるときもそうである。だから、多少遠くとも、つい顔見知りの店に行ってしまう。ことロシアとなると、何しろ社会主義時代の「伝統」がいまだ生きていて、サービスという概念がまだほとんどなく、店に入って「テーブルはあるか」と聞いても、「あそこに座れ」と顎で指示されるような国であるから、未知の店に入るには相当勇気がいる。おまけに今回は仕事の関係でずっと都心にいたので、周辺に安い店がない。つい最初の日に入った店にまた行ってしまうのだった。3日連続でスパゲティを食べた。こんなことはイタリア以来だ。さいわいそのイタリア・レストランはものすごく美味であった。でも、出張の日当は一回の食事でほぼ消えてしまうのだった。
 
 一度こんなことがあった。午前中の仕事を終え、ホテルで一服しようと思ってペトロフカという通りを歩いていたら、前を行く男が何かを落とした。見ると、ビニール袋に入った、銀行からおろしたての現金である。すぐに知らせてやらねばと思った瞬間、私の脇にいた男がさっと拾い、私に向かって「誰にも言わないでくれ」と何度も早口で言う。私はなんだややばいと思い、関わりたくなかったので(大声を上げたら刺されるかもしれないし)、ロシア語はわからないふりをして、足早にホテルに向かった。ところが、金を拾った男が後からついてきて、「誰にも言わないでくれ」を繰り返すので、小走りになってホテルを目指したが、つぎの瞬間、金を落とした男と警官がきて、私たち二人を呼び止め、「落とした金をネコババしただろ」と言い、パスポートを見せろという。外国を旅行するときは、落とさないようパスポートはホテルの金庫においておくのだが、ロシアでは携帯していないとまずいので(だいたいボリショイ劇場に入るたびに見せなければならない)、そのときももっていた。次にバッグの中身を見せさせられ、身体検査までされた。金を拾った男は、ずっとシラを切っていたが、警官がポケットの中に手を突っ込むと、当然、さっきの金がでてきた。すると、警官はその金を落とした男に返し、二人はさっさと立ち去ってしまった。拾った金をネコババしようとしたくらいでは、この国では逮捕されないのだろうかと思いながら、ホテルに帰った。
 じつは、10年以上前、モスクワで刑事に捕まったことがある。どこにもバスのチケット売り場がないので、つい案内役の学生さんに誘われてバスにただ乗りしたら、降りた瞬間、交通警官なるものがきて、20ドルだったか50ドルだったか取られた。もちろんその金はその刑事のポケットマネーになったのである。
 さて、ホテルからボリショイ劇場に戻って、モスクワで勤めている日本人女性(このときは彼女がインタビューの通訳をしてくれた)に話したところ、これが流行の詐欺であることを教えられた。金を拾った男が「山分けしようぜ」と持ちかけ、うかつにそれに手を出すと、すぐに偽警官がやってきて、「ネコババしたな。逮捕するぞ。いやなら罰金を払え」と言い、大金を払わされるという手口なのだそうだ。
 偽警官ではなく、本物の警官なのかもしれない。ロシアでは、警官は往々にしてマフィアなのである。
 詐欺だと聞いたら、急に怖くなってきた。バッグの中身を見せたり、身体検査をされている間に、ひょっとしたら何か盗まれたのではないかと心配になってきたのだ。さいわい、何も盗まれなかったようだが(数ヶ月後に「あ、あれがない」ということがあるかもしれないが)、危ないところであった。ジプシー系のギャングだと、巧みにポケットから金を抜き取ったりするが(実際にかみさんはスペインのバルセロナでやられた)、ロシア人はそこまで器用ではないのだろうか。
 
 さて今回の主な仕事は、世界のバレエ界の頂点に君臨するボリショイ・バレエ団で、監督およびダンサーたちにインタビューし、レッスンを見学することであったので、演劇博物館での調査のとき以外は、ほとんど毎日、一日中ボリショイ劇場の内部にいた。出張だから当たり前だが、観光はなし。
 監督のラトマンスキー、男性ダンサーのメルクーリエフ、スクウォルツォフ、バレリーナのザハロワ、ルンキナ、アレクサンドロワ、ガリャーチェワにインタビューする。できれば、近々ボリショイに復帰する巨匠グリゴローヴィチにも会いたかったのだが、先日奥さん(ベスメルトノワ)を亡くしたばかりで意気消沈していると聞いて、あえて会わなかった。
 ご存じの通り、私は「ザハロワ命」という刺青を(肌にではなく心に)入れている人間である。日本を発ったときにはまだザハロワに会えるかどうか、わからなかったのだが、現地に着いて、会えるとわかったときには文字通り小躍りしたのであった。インタビューの時間になるまで、ドタキャンされるのではないかと不安でならなかったが、ついにザハロワご本人が私の前に出現したのであった。しかしファンというのは情けないもので、インタビューの間中しどろもどろであった。間近で見ても、まさに女王様である。ご本人も「私は女王よ」というメッセージを全身から発散しながら、「日本に行くと、山のようにプレゼントをもらうの。うふふ」などと宣う。
 現在ザハロワは、元新体操の女王カバエワなどと並んで、国会議員だそうである。ご本人は「将来、文化大臣をやってみたい」と宣っておられるそうな。怪我でしばらく休んでいて、この日久しぶりにボリショイに来るというので、私は快気祝いにと、バラの花束を用意した。「ニエ・ミリオン・アールイフ・ローズ(百万本ではない赤いバラです)」と言って渡すと、それまで表情の硬かった女王も、声を出して笑いながら、「スパシーバ」を連発していた。
 
 
 バレエ関係者にとってはそれほど珍しくないのだろうが、私のような研究者あるいは評論家は、ダンサーを舞台の上でしか観ることがない。むしろダンサーとの個人的な付き合いは避けている。そこがファンと違うところだ。お友達になってしまったら、批評しづらくなるからだ。ファンの場合は「お友達づきあい」が自慢のタネになる。
 また自分がバレエを習っているわけでも教えているわけでもなく、バレエ団関係者でもジャーナリストでもないので、ボリショイ劇場の稽古場で、世界のトップに君臨するバレリーナたちが私の眼前で踊っているのを観るのは新鮮な体験であった。しかも、教えているのはなんとマクシモワやセメニャカではないか。カメラをもつ手が震えてしまった。マクシモワは薬害か何かで体が不自由で、ひどく老衰していた(ご主人のワシーリエフはどこで何をしているのでしょうねえ)。セメニャカは現役時代とはまったく感じの違う、とても感じのいい、にこにこした太ったおばさまになっていた。日本で講習会を催しているため、私の顔を見ると、「つまさき、のばして」とか「せなかをまっすぐ」といった日本語を連発していた。レッスンのビデオ撮影はNGと言われていたのだが、このときはたまたまテレビの取材が入っていたため、それに便乗して、セメニャカのレッスンをしっかり撮影してきた(指導されていたのはガリャーチェワ)。
 
 夜は毎晩オペラとバレエ。
 深夜になると、たとえ中心部でも、酔っぱらった若者がたむろしていて、絡まれると厄介なので、バレエの後はホテルから出かけることもできず、部屋で冷蔵庫のワイン小瓶を飲みながら、その日の録音と録画のチェックをしてから寝るという毎日であった。
 オペラ「オネーギン」(2006年初演の新演出)と、バレエ「ファラオの娘」(2回、主演ルンキナ/チスカリーゼ、オーシポワ/グダーノフ)、「明るい小川」(主演ガリャーチェワ、アレクサンドロワ、メルクーリエフ、スクウォルツォフ)、「ライモンダ」(主演ステパネンコ、シュピレスフキー)を観た。ボリショイ・バレエの魅力をたっぷり味わわせてもらった一週間であった。
3月24日(月)
 
 本日、寒い国から帰ってきた。スパイではないが。
 ロシアはちょうど2年ぶりである。2年前の3月にはサンクトペテルブルク、モスクワ、キエフと回ったが、今回は1週間ずっとモスクワ。
 最高気温が4-6度前後、最低が1-3度くらいだから、東京の真冬と同じくらいだが、空気が乾燥しているため、そんなに寒く感じない。いちおうタイツ(ズボン下)とホッカイロをもっていったのだが、全然使わなかった。
 天気は悪く、晴れたかと思ったら、一瞬後には猛吹雪になり、瞬く間に雪が積もったりする。毎日ほとんどかならず冷たい雨が降ったが、傘を差している人はほとんどいない。乾燥しているので、屋内にはいるとすぐに乾いてしまうからだろう。屋内はだいたい25-6度で、みなさんTシャツ一枚。ホテルの部屋はつねに窓を少し開けておいた。
 今回は研究調査旅行であった。本日は疲労困憊しているので、詳しくは一両日中に。
3月16日(日)
 
 ノーベル文学賞作家を10人も世に送ったという伝説の編集者、トム・マシュラーが来日中で、今週、東大などで講演がおこなわれるが、きょう、そのマシュラー氏を拙宅にお招きした。
 のであるが、残念ながら、ご接待はかみさんに任せ、私は下記の催しに出席するため、東京にいた。
 この1月に亡くなった旧友、小澤真樹君を偲ぶ会である。会場は駒場にある母校、通称「つくこま」。私は同窓会、同期会の類に一度も出席したことがないので、母校を訪れるのは何十年ぶりであろうか。
 50人以上の出席者があった。小さな学校で、1学年たった160人であることを鑑みると、驚異的な出席率である。故人の人徳のなせる技に他ならない。
 たった160人でも、当然ながら、親しかった人と、そうでもない人がいる。半数くらいは最後まで誰だか思い出せなかった。
 小澤君は絵に描いたように優しい心の持ち主だった。彼を嫌っていた人間はたぶんいないのではなかろうか。
 中学高校は電車通学だったが、小澤君と私とは家が近く、歩いて行き来できる距離だったので、とくに親しい友人のひとりだった。彼の家で塾を経営していたときに講師をしていたこともあって、彼の家にはしょっちゅう出入りしていたし、彼もよく私の家に来た。
 あと二人、近所に住んでいた友人がいた。ひとりは小児科医の外園くん、もうひとりは吉本君だ。外園君には今日会ったが、吉本君が来ていないので、幹事に訪ねると、一昨年亡くなったのだそうだ。160人のうち、かれこれ10人近くがすでに他界しているようである。
 きょう、罪滅ぼしのために短いスピーチをした。修学旅行は京都、大阪、奈良だった。万博の年である。私のグループは「ワルガキ」グループで、京都でも奈良でも夜になると宿を抜け出して酒を飲みに行ったのであるが、とうとう最後の晩に教師にばれ、ひとりずつ呼び出された。われわれは「甘酒を飲んだことにして、シラを切り通そう」と誓い合ったのだったが、小澤君は教師の恫喝に負けて正直に白状してしまったのであった。われわれ(3人だった)は彼を責め、「掟を破ったのだから、ひとりで責任をとれ」と命じ、自分たちはシラを切り通したのである。教師たちはもちろんそんなことは先刻ご承知で、「おまえたちは友人を犠牲にするのか」と怒っていたが、3人は最後までシラを切り通し、おかげで小澤君だけ親が呼び出され、「厳重注意」とかの処分を食らったのであった。ここにこれをしるして、天国の小澤君に許しを乞うしだいである。
 きょうの会合に出席して初めて知ったのだが、私と何人かの友人たちは「軟派グループ」と見なされていたそうである。へえ、知らなかったねえ。本人にはその自覚はまったくないんですが。
 
 明日から海外出張のため、しばらく日記はお休みします。ごきげんよう。
3月15日(土)
 
 昨日は豪雨の中、TBSの敷地内にできた赤坂ACTシアターのオープニングに出かける。こけら落としの演目は、熊川哲也の「第九」である。
 赤坂ACTシアターは、出来立てだから当たり前だが、ぴっかぴか。ガラス張りで、じつに現代的。でも、バレエを上演するには少し小さすぎるかもしれない。少なくとも古典バレエには向かないだろう。今風のシアターらしく、照明装置などがむきだしなのはいいが、ロビーが狭い。敷地めいっぱいに建てたからであろうか。今回は休憩なしだったからよかったが、休憩があると、ロビーが満員電車的状況になるのではなかろうか。
 さて、熊川哲也が「第九」に挑戦するというので、前評判が高かったのであるが、まず、オケの音にがっくり。室内楽で第九を演奏しているような感じで、ベートーヴェンの壮大なスケールが台無しになってしまったようで、残念。これなら、名演奏のテープを使ったほうがよかったのでは? なんだか演奏がぎくしゃくするのは、オケが振付に合わせたせいかもしれないが。
 次に衣裳。ダンサーはみんなユニタード(いわゆる前身レオタード)で、歌手、合唱団は頭にターバンのようなものを巻き、たっぷりしたガウンのようなものをまとっている。アラブ風にも見えるし、温泉ランドにやってきた人たちが頭にタオルを巻いて、バスローブをまとっているようにも見える。デザイナーの真意を測りかねる。
 熊川は各楽章に「大地の叫び」「海からの創世」「生命の誕生」「母なる星」というタイトルを付けた。これはベートーヴェンのコンセプトにも合っている。若き振付家の意欲が感じられる。バレエの振付家たちがいちばんよくわかるのではないかと思うが、「第九」に振り付けるというのは、大変な仕事である。熊川の勇気と努力に拍手を送りたい。
 振付のところどころに、新鮮な動きがある。が、子どもたちがスキップで走り回っているようなステップとか、「お星様きらきら」みたいな手の動きとか、凡庸で退屈な動きも少なくない。熊川は古典主義者だから、ベジャール的なものは期待していなかったが、正直なところ、途中いささかテンションの持続が難しかった。
 熊川は、古典バレエの新解釈・改訂ではすでに定評を得ている。私自身、日本では珍しく新鮮な古典解釈だと思う。次は創作に励んでもらいたいものである。これまでの作品は、正直言って感心しなかったが、経験が大事であるから、この「第九」を出発点にして、どんどん意欲的な創作を発表していってもらいたいものである。今回の「第九」も、傑作とはいえないが、わるくはない。随所に振付家の創意工夫が見られる。だからこそ、今後に期待したい。
 さて周知の通り、熊川は昨春に膝の靱帯の断裂という大けがをして、1年近く踊らなかった。だから今回の公演は、彼の復帰ということでも話題になっていた。第4楽章の合唱がはじまると、彼がさっそうと登場する。そのとき、客席全体に稲妻のようなものが走った、と感じた。誰もがこの瞬間を待っていたのだ。私自身、全身がぞくぞくとした。
「帰ってきた」熊川は燦然と輝いていた。明らかにオーラと存在感が増していた。いささかセーブして踊っているようにも見受けたが、それでもわれわれの背筋をぞくぞくさせる跳躍と回転であった。「完全復帰」の日も近いようだ。めでたい。
 
 きょうは「ヤン・リーピンのシャングリラ」を観に行く。これは新聞に書くから詳細は省くが、数年前、雲南省を訪れ、いくつも「民族舞踊ショー」を観て、いささかがっかりしていたので、あまり期待せずに観に行ったのだが、うれしい誤算というか、じつに優れたエンタテインメントであった。
 ヤン・リーピン自身の踊りについては、かねてから乗越たかお君が絶讃していたので、期待していたのだが、期待をはるかに超える素晴らしい踊りであった。「孔雀の舞」を舞うのだが、これはアンナ・パヴロワの『瀕死の白鳥』の上をいくのではないかと思うくらい、霊感にみちた踊りであった。意地悪な見方をすれば、主に指先だけの踊りなのだが、その指先にみなぎる緊張感にはものすごいものがあった。文字通り一目惚れしてしまった。
 意地悪い人なら、「彼女はこれだけなんだよ」と言うかもしれない。たしかに彼女はこの孔雀の舞しか踊らない。でも、「これだけ」でもじゅうぶんである。
 近々ダンサーとしては引退するという。ああ、よかった、観られて。まだ観ていない人は、オーチャードホールに駆けつけるべし。でも、チケットは完売しているかもしれない。
3月13日(木)
 
 季節はめぐり、またバルコニーにヒヨドリがやってくるようになった。昨日から庭の木でウグイスが啼いているが、まだへたくそで、ホッケキョ、ホーキョ、とやっている。冬が大嫌いな人間には、うれしい季節である。
 そういえば、「動物行動学者はチンパンジーばかりを相手にして、ことばが話せるかどうかを研究している。愚かだ。鳥のほうが、ことばを話せる可能性がずっと大きい」とのたまっったのは鈴木孝夫先生である。たしかにオウムや九官鳥の例はあるが、それでも鳥の脳では・・・
 
 めっぽう忙しい季節でもあり、3月末から4月初めにかけてはどっと一気に行事が押し寄せ、講義準備もままならぬまま授業が始まるというのが毎年の習いである。今春は、留学生相手の英語の講義がひとつあるのだが、できるかしら。講義の原稿なんて作ったことがないから、これもぶっつけ本番でいくしかない。
 
 最近、航空券を買うと、燃料費を払わなければならない。いつからこんなことになったのか、覚えていないが、昨日、新聞広告をみていたら、「バンコク1万8千円!」というのがあって、おお、と思ったら、小さく「燃料費3万5千円」と書いてある。ちっとも安くないではないか。
 1ドルが100円近くまで安くなったので、自動車産業など、アメリカ相手に物を売っている企業はさぞかし大変であろうと察するが、庶民にとっては「ハワイが呼んでいる」ことを意味する。でも、こういう時に限って、時間がないのである。アメリカのアマゾンでせっせと本を買うことくらいしかできない。
 ユーロもはやく安くならないかしら。
3月12日(水)
 
 月曜は総長選挙であった。アメリカの民主党の候補者選びほどではないが、うちの大学では総長選挙のやり方をめぐって、昨年からもめにもめて、新聞記事にもなったほどであったから、注目の選挙であった。何をもめていたかというと、総長の選出方法を理事会が変えたために、学内が理事会派と反理事会派にまっぷたつに割れていたのである。
 で、理事会派の候補と反理事会派の候補との一騎打ちとなったが、結果は、反理事会派の圧勝であった。うちの大学は、ちゃんと良識を持った人のほうがまだ多いようである。めでたい。
 
 投票の後、大学の近くで、バレエについて、雑誌の取材を受ける。この雑誌は、書店で売っていない、つまり直接購読の雑誌なのだが、なんと発行部数40万部だそうだ。
 
 きょうは、かみさんに誘われて、さいたま芸術劇場まで『身毒丸』を観に行く。演出は蜷川幸雄、主演は藤原竜也と白石加代子である。私は昔から寺山修司があまり好きでない。白石加代子も好きでない。藤原竜也にいたっては全然興味がない。それでも、寺山の芝居も、蜷川の手にかかると、大衆娯楽演劇として完成されている。
 鎌倉からさいたま劇場まで行くのは、ほとんど旅行である。12時に出かけて、帰宅は8時半。芝居じたいは1時間半だが、片道2時間半かかるから、ほぼ一日仕事である。昼は電車の中で弁当をたべ、鎌倉駅からの帰り道に夕食を食べる。
 
 鎌倉駅と、さいたま芸術劇場のある与野本町の駅と、トイレのアナウンスがまったく同じ声であることに気づいた。録音された女性の声なのだが、きっとJR東日本の駅ではすべて同じものを使っているのであろう。「右側が男子トイレ、左側は女子トイレ、手前がタキノオトイレです」というアナウンスである。私はつい先日まで、「タキノオトイレ」を「滝のおトイレ」だと思っていた。よく、排泄の音が聞こえないように、水の流れる人工音が出るトイレがあるではないか。それの新種が「滝のおトイレ」なのだと思っていた。で、つい先日、はっと気づいた。「滝のおトイレ」ではなく、「多機能トイレ」だったのだ。
3月7日(金)
 
 昨日、映画を見に行った後、横浜駅近くのベイ・クウォーターにあるスペイン料理に行く。タパスをあれこれつまんで、カバを飲み、仕上げはイカスミのパエジャ。3人とも悪人のように口が真っ黒になる。娘はそのまま実家に泊まりに来たのであった。
 ふだんは、実家に泊まると、翌朝冷たく東京に帰っていくのであるが、きょうはのんびりしているので、もう一日泊まっていくよう、必死に説得する。「郵便局に用事があるから」という娘を、はいはいと車で郵便局まで送迎し、夜は、鯛と蟹のしゃぶしゃぶを用意する。食べ物で釣ろうという、あさましい親心である。説得は功を奏し、めでたく娘はもう一晩泊まってくれることになったのであった。
 
 今日は久しぶりに朝、和朝食をたべる。ご飯、味噌汁、漬け物、納豆、しらすおろし、めざし。
 昔は、朝は和食と決めていた。ところが、10年ほど前からパン食に切り替えた。なんだか和食が重くなったのである。いまは月に一二度しか和朝食を食べない。
 ところで、日本の洋朝食の特徴は、野菜サラダがつくことである。
 欧米人は、朝は、フルーツは食べるが、野菜は食べない。欧米のホテルの朝食堂で、サラダを見かけたことはない。もしあるとしたら、それは日本人観光客用であろう。
 フランス人なんて、甘いパンとカフェオレだけ。中国やタイならお粥。世界的にはシリアルだけの朝食というのがいまや一番ポピュラーなのであろう。朝に野菜を食べるのは、ひょっとしたら日本人だけかもしれない。
 欧米人は夜に野菜をたっぷり食べる。これは栄養学的にみて正しい。野菜が体内で働いてくれるのはわれわれの睡眠中だからだ。朝必要なのはエネルギーである。炭水化物をとることが肝腎なのだ。
 日本人が朝に野菜を食べるのは、たぶん和朝食の漬け物の代替物なのであろう。
 
 好天が続くので、梅を観に行こうと思い、車を出そうとしたら、エンジンがかからない。バッテリーがあがってしまったのである。JAFに来てもらって、エンジンをかける。週に一度はドライブしているにもかかわらずバッテリーがあがってしまうということは、そろそろバッテリーの寿命がきたということだ。あまり車に乗らないと、バッテリーの寿命は短いのである。
 というわけで、車を買った販売店まで行ってバッテリーを交換してから、田浦の梅林にいく。昭和9年、明仁親王(現天皇)の誕生を祝って、地元の人が700本の梅をうえたのが起源だと、石碑に書いてあった。横須賀市にある梅の名所である。
 かなり急傾斜の山で、頂上までのぼると、もう息も絶え絶え。老人の団体がきていたが、みなさんの足腰がつよいのに驚かされる。
 梅見というのは、桜の花見とちがって、地味である。一面がピンク色になるということもない。カラオケも聞こえないし、酔っぱらいもいない。

 
3月6日(木)
 
 かみさん、娘と3人で映画を見に行く。
 その前にかみさんと横浜の東急ハンズへ買い物にいく。枕を買いに行ったのである。もう10年くらい快適な枕はないかと、探し続けているのだが、どうしても気に入る枕が見つからない。現在、売っている枕のほとんどは、私には低すぎる。低い枕で寝る方が首に負担がかからないとされているのだが、私のような昔気質の人間は、低い枕だと寝付かれない。
 結局、水を5リットル入れて使うという、ウォーターベッドならぬウォーターピロウを買う。
 そのあと、キッチン用品をあれこれ買っているうちに、娘との待ち合わせ時間の10分前になってしまい、小走りに映画館に急ぐ。109シネマズで待ち合わせたのだが、その場所がよくわからない(私は年に一度くらいしか映画館に足を運ばない)。横浜そごうから5分くらいだと言っていたのだが、どうしても見つからず、娘に携帯で道を聞きながら行ったのだが、反対方向に出てしまい、15分くらい走りに走って、なんとか開映時間に滑り込む。
 何を見に行ったかというと、『ライラの冒険 黄金の羅針盤』である。これは文句なしに面白い。お勧めである。原作は新潮社から出ているが、翻訳がよくないという評判なので、読んでいない。だいたいファンタジーはあまり読まない。映画化がこんなに面白ければ、原作を読む必要もあるまい。
 主人公が女の子のファンタジーでは、その女の子はかならず何かアイテムをもっている。魔法使いサリーは魔法の杖をもっているし、秘密のアッコちゃんは魔法のコンパクトをもっている。姫ちゃんは何をもっていたんだっけ? リボン?
 主人公が男の子の場合も、何かもっているが、これは男根象徴と決まっている。アーサー王の剣(エクスカリバー)とか、魔笛とか。
 そう考えれば、サリーの杖は例外で、女の子の場合は女性性器の象徴を大事にしていると結論づけてもそう的外れではないだろう。
 面白いことに、ライラがもっている黄金の羅針盤は、アッコちゃんのコンパクトとそっくりである。原作者はむかしテレビで秘密のアッコちゃんを観ていたにちがいない。
 シロクマくんが大活躍するのがよい。『ロード・オブ・ザ・リングズ』でも、CGによる怪物化した動物がたくさん登場したが、シロクマはふさふさしていて、あったかそうで、上にまたがったら気持ちよさそう。私は地球の温暖化大歓迎の人間であるが、シロクマが絶滅していくのは、やはりお気の毒である。現在すでに、北極の氷は激減しているようだ。
 この映画の監督はけっこう素朴でノーテンキな人らしく、金に目が眩んで悪役側につかえる未開部族はみんなモンゴル人かエスキモー(あるいはイヌイット)みたいな、つまりモンドロイド系の顔をしているし、最後、ジプシャン(これは明らかにジプシー)が、悪の側の傭兵たちと闘う場面がクライマックスなのだが、この傭兵が話しているのはなんとロシア語だ(ほとんどの観客は気づかないと思うが)。これには笑ってしまった。
 いずれにせよ、あっという間に終わってしまったと感じるほど、展開がスピーディで一気に見せる。続編がはやく見たいものである。
3月2日(日)
 
 昨晩は、さいたま芸術劇場で『牧神の午後』について講演する。ご存じ、「原作」はマラルメの詩である。それにもとづいてドビュッシーが曲を書き、その20年ほど後にニジンスキーが振り付けた作品である。
 1912年に初演された。
 ニジンスキーは、精神病発病寸前に踊った作品を別にすれば、4つしかバレエを振り付けていないが、唯一この作品だけ、舞踊譜に記録していた。ところが、独自の記号を用いていたので、70年間、誰にも読むことができなかった。それが、あることがきっかけになって(バレエの「ロゼッタ・ストーン」が発見されたのである)、80年代に、ついに解読された。
 その舞踊譜にもとづいて本作品を舞台で再現したビデオがある。そのビデオと、オペラ座で伝承されてきたビデオを比較すると、ずいぶんと違う。いうまでもなく、音楽と違って、バレエでは、作品は「振り写し」によって伝承されていくので、少しずつ変わっていく宿命を背負っているのである。
 そこで、先日来、学生に手伝ってもらって、この二つのビデオを合成し、両者を比較できるようにし、それを昨日上映した。本当は著作権の問題があるから公開してはいけないのだが、学術的な催しだからお咎めはなかろう。
 こういうことは、パソコンがなかったら、とてもできなかった。何しろ、二つのビデオは長さが全然違う(10分弱の作品なのだが、それで1分以上ちがう)。以前、ビデオデッキとモニターを2台ずつ用意して、2本のビデオを同時に上映することを考えたのだが、それだと速いほうのビデオを頻繁に一時停止しなければならないが、どこで停止するか、それがひじょうに難しいのである。
 
 そのまま、大宮に泊まる。大宮に泊まったのは、いや、大宮駅で降りたことすら、生まれて初めてのような気がする。
 
 本日は昨日と同じくさいたま芸術劇場で、舞踊学会の定例研究会。修論発表のコメンテーターを仰せつかっていたので、早起きして会場へ。
 昼休みに理事会。
 その後、学生たちのダンスを鑑賞した後、勅使川原三郎さんをゲストに招いて、トーク・ショー。これの開会宣言と閉会宣言をするという役を仰せつかり、これを無事済ませ、晴れてお役ご免。
 本当は夜も舞踊公演があったのだが、疲れたので、はやめに帰宅して、家で夕食。大量のふきのとうをいただいたので、たらのめ、ピーマン、にんじん、たまねぎ、さつまいも、を加えて精進揚げにする。本日の担当はかみさんである。
 
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