| 2008年2月の日記(↑時間軸) |
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2月27日(水)
昨日は、まず大学にいって、ゼミ生に手伝ってもらって、講演のための映像編集をする。 次は会議。いやな人たちとの会議は心底疲れる。 会議の後、早稲田でオペラ研究会に出席。 その後、演劇映像研究室の懇談会に駆けつける。会場は神楽坂のレストラン。フランス田舎料理というか家庭料理というか、前菜は茹でた野菜、メインは牛肉の巨大なかたまりのワイン煮込み。赤ワインをぐびぐび飲む。私の隣が藤井慎太郎先生、正面が扇田昭彦先生、その隣が石井達朗先生と國吉和子先生だったので、芝居と舞踊の話で盛り上がる。 きょうは、昨日から来ていた娘を見送りがてら、ちかくの荏柄天神の梅を観に行き、そのまま娘と、鶴岡八幡宮を抜け、小町通りを抜けて、駅前まで行く。銀行で用事を済ませ、なかむら庵でそばを食べる。カウンターで食べていると、中にいるお兄さんが力一杯、そばがきをこねていた。死んだ父の好物だったことを思い出す。父が死んだのは62歳のとき。いや、63歳かもしれない。父の死の前後は記憶が曖昧なのだ。 魚屋をあちこち覗いて、結局、江戸前の穴子を買って、ぶらぶら帰る。 菜の花をおひたしにし、穴子を白焼きにして、日本酒をちびりちびりやりながら、湯豆腐が煮えるのを待つ。ちょうど先週、「ためしてガッテン」で、湯豆腐のおいしい食べ方を放送していたので、さっそく実践する。なるほど、これまでは煮すぎていたのである。 隠居生活の予行演習みたいな一日であった。 ![]() |
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2月25日(月)
ゼミ一期生のH君から「卒業制作展示会」の案内がくる。どこの大学でも一期生というのは、なかなかユニークな人材が集まるものである。私の前任校も新設大学だったので、よくわかる。 3年生になるとき、H君は最初から私のゼミを志望していたのだが、選抜で落ちた。つまり、私が落とした。選抜では各学生に「ゼミでなんの研究をやりたいのか」を話してもらったのだが、彼は自分が最初から合格すると思いこんでいて、「べつに何も考えていません」と答えたのである。それで落としたわけである。「なめんなよ」というわけだ。 じつは、もうひとり、W君というのも落としたのだが、この二人は、いちおう他のゼミに所属しながら、聴講生として私のゼミにも一年間出席し続けた。「どうしても入れてくれ」というわけである。その熱意に負けて、2年目には正式にゼミに迎えることになった。1年間所属していたゼミの教授は、二人がひじょうに熱心だったので、去られて寂しいと言っていた。 卒業後、H君はIT企業で働いていたが、2年前から岐阜県にあるIAMASというところに通っていて、今春卒業するのだという。彼とはベトナムやタイにいっしょに行った仲でもあるので、どんな卒業制作をしたのか、見に行ってあげたい気持ちは山々なのであるが、会場は大垣だそうで、ちょっと・・・ これからの彼の活躍が本当に楽しみである。ぜひ一暴れしてもらいたいものである。 久しぶりに円覚寺を歩く。「老夫婦の散歩」というと、かみさんがすごく怒るので、老人と若妻の散歩ということにしておこう。 ご存じの通り、かつては夏にしか電車が停まらなかった北鎌倉駅のすぐ前にあり、山門のすぐ前を横須賀線が走っているのだが、さすがに禅寺は俗世間とは別世界である。 周知の通り、北条時宗が創建した寺である。数年前、NHKの大河ドラマでやっていたが、子どもの頃、「風雲児時宗」という連続テレビドラマをやっていて、北条時宗は少年たちのアイドルであった。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 3年前に車を買い換えてからは一度もないが、前の車のときは、毎冬一度はバッテリーがあがってしまった。たまにしか乗らないからである。それで最近は、冬の間はとくに、週に一度はドライブすることにしている。以前、車で大学まで通っていた娘もいないし。 私は車の運転が好きで、「環境のために自転車にしましょう」という声にはいっさい耳を傾けない。自転車も乗りますけど。 しかし、車を使ってばかりいると、歩く量が減って運動不足になるので、車も動かし、かつ歩く、というのを心がけている。つまり、どこかまで車で行き、そこから歩くのである。 これがなかなか難しい。歩くにしても、車を停めた場所に戻ってくるコースでないとまずいし、適当な場所に駐車場がなかったりする。目的地に駐車場があっても、そこから散歩コースがないと、歩くことができない。 イギリスでは、車でどこかまで行って、そこから歩くというのがみなさんの習慣になっているので、ドライブ・アンド・ウォークというのがとてもやりやすかった。 きょうは逗子の披露山公園というところまで行った。家から車で15分くらいのところだ。無料駐車場がある。眺望が売り物の公園で、実際、正面には伊豆大島が見え、左には葉山マリーナ、右に逗子マリーナを見下ろし、富士山もきれいに見える。 むかし、高射砲陣地だったそうだ。いまは猿がいる。 そこから徒歩15分のところに、大崎公園というのがあるというので、そこまで散歩する。その散歩コースで、驚くべきものを観てしまった。 そこには、これまで日本では観たことのない光景が広がっていたのである。あとでネットで調べたら、披露山庭園住宅というのだそうだ。広々とした道路に沿って、一区画500坪くらいの邸宅が並んでいる。しかもどの家も、ふつうの家ではない。じつに凝った建築ばかりなのだ。道路には電柱も電線もない。「ビバリーヒルズ」と呼ばれているということを後で知った。バブル時代の遺産かと思ったら、なんと1960年代に開発されたというから、ますます驚く。日本にもこんな場所があったとは。 自分はけっこう高級住宅地に住んでいると思っていたが、この住宅地と比べたら下町の長屋みたいなものだ。 どんな人が住んでいるのでしょうね。1パーセントの富豪が日本の富の40パーセントを占有しているという話を、身をもって感じる。一区画10億円くらいするのだろう。 山をおりると、そこは小坪漁港である。せっかくなので、魚屋に寄って、ホウボウとサザエを買う。サザエはそのまま壺焼きにし、ホウボウは、一匹はおろして刺身にし、二匹は輪切りにして味噌汁にする。おお、美味。ホウボウは、淡泊だが、なんともいえずいい味がする。 ![]() ↑手前が逗子マリーナ、向こうが江ノ島、その向こうにかすかに富士山が見える。 ![]() だが、「今週のヒット」はシャコである。蝦蛄と書くが、鮨屋ではだじゃれでガレージと呼んだりする。駅前のスーパーで、10匹くらい入っているパックをなんと300円で売っていたのである。うちに帰って、パックをよく見ると、シャコたちがうごめいている。まだ生きていたのである。 そのまま鍋で酒蒸しにして、両手でしゃぶりつく。感動のうまさ。 駅前のスーパーで生きているシャコを見たのも初めてだし、シャコを料理したのも生まれて初めてである。これまで、鮨屋できれいに並んでいるのしか見たことがなかった。 |
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2月19日(火)
きょうは二つ会議があるのだが、風邪が治らないので、お休みさせていただく。 内田先生が、私にとっても身近な話題について書いておられる(2月18日「霊的都市論」)。私にとっての東京とはどの範囲なのかという話題である。 現在東京に住んでいる人のなかで、東京で生まれ育った人の割合がどれくらいなのか知らないが、私の勝手な推測では、東京生まれと地方出身者は微妙に混合していないのではないか、つまり無意識的な棲み分けが行われているのではないかと思う。というのも、私の親しい知人はすべて東京生まれで、地方出身者はほとんどいない。 これには、「話が通じない」ことが微妙に影響を与えているのではなかろうか。べつに人と会うたびに昔の話をするわけではないし、昭和30年代、40年代の東京について話すわけでもないが、ちょっとしたことが積み重なって、無意識のうちに、東京出身者と地方出身者はたがいを避けるようになっているのではなかろうか。 それはともかく、私も内田先生と同じくミナミ東京人である。内田先生は大田区、私は品川区、つまりどちらも縄文人ならぬ城南人である。小学生のころ、冒険するとしたら、行き先は五反田か大井町か自由が丘で、さらに冒険するときには二子玉川だった(川は多摩川だが、駅は玉川である)。中学受験に失敗したら、大田区の中学校に越境入学することになっていた。 内田先生の文章の中で、面白いと思ったのは、山手線が時計回りだということである。山手線は、当たり前だが、時計回りにも反時計回りにも走っている。東京の人間なら、外回りが時計回り、内回りが反時計回りであることが、すぐにわかるはずだ。だが内田先生にとってと同様、私がイメージする山手線はやはり時計回りである。長いこと私の最寄り駅は大崎という、品川と五反田にはさまれた地味な駅だった。いまは未来を思わせるような高層ビルに囲まれているが、長いこと駅前には明電舎という会社の薄暗い工場があって、店なんか全然なかった。 で、私がぱっと思い浮かべる山手線は、乗れば渋谷、新宿に向かうのである。新宿から先はぼやけている。かろうじて池袋まではまだ多少親しみがあるが、そこから先は文字通り闇である。 むろん反対方向に行く用事だってあるわけだが、東京駅から先はちょっと別世界で、上野から先はさらに別世界。 上野から池袋の間、すなわち鶯谷、日暮里、西日暮里、田端、駒込、巣鴨、大塚などは、いまだに順番がうろ覚えであるし、ほとんど降りたことがない。十条とか王子とかになると、「それ、どこの国?」という感じだ。むろん、埼玉県は「荒野」、千葉県は(一時住んでいたにもかかわらず)「田んぼ」というイメージしかない。 先日、宮廷バレエのコンサートがあったので、荻窪まで行ったが、外国に行ったような気がした。中央線の新宿から先というのも霧の彼方なのだ。どの駅もまったく同じに見えるし。 田中康夫の説だったと思うが、地方出身者はまず北方面に住み、それから中央線沿線へと逆時計回りに移住するのだそうだ。どちらも、私には無縁な場所としか感じられない。 山手線の内側も、中央線の北側は土地勘がまったくないので、後楽園と東大の位置関係もいまだにわからない。 そういう事情から、開成よりも麻布、早稲田よりも慶応のほうが、はるかに身近であった。 内田先生ほどではないが、私も何度か引っ越しをしている。だが、かみさんの実家があった市川は別として、東京の北方面に住んだことは一度もない。住もうという気すら起きない。たんに、怖いのである。 関西になると、これはもうお手上げ。京都、大阪、神戸の位置関係がよくわからない。パリやロンドンならひとりで歩けるが、関西はアカン。 例によって、遅ればせながら、「BABEL」を観る。げ、つまらない。ただの日本人の女の子を裸にしてもつまらないから、聾唖にしてみました、って感じ。前作「21グラム」と同じく、重苦しいものを抱えた人間の鬱屈感を描こうとする監督の誠実さはわかるが、映画というのはもう少し「うまく」作らなくては。 『ラカンはこう読め!』の売れ行きが好調で、発売2週間でもう増刷が決まったそうである。アマゾンの該当ページの「この商品を買った人はこんな商品も買っています」というところをみると、内田先生の本が並んでいる。明らかに内田先生がブログで詳しく紹介してくださったおかげである。これはシャンペンでもお贈りしなくては。 ダンスマガジンに連載していた『バレリーナの肖像』への加筆をやっと終わり(ずいぶん書き足した)、「まえがき」と「あとがき」を書いて、出版社に送る。あとは図版選びだ。連載の時よりもずっとたくさんの図版が入る予定。 |
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2月17日(日)
アメリカの古ビデオ屋に注文した『薔薇の精』(1946)が届いたので、さっそく観る。故淀川長治が「私の観たい映画ベストワン」に選んだ映画だそうである。ニジンスキーが主演した『薔薇の精』というバレエでは、主役(薔薇の精)が窓から跳躍して夜の闇に消えていくところで終わるのだが、この映画では、主役の男性ダンサーがビルの窓ガラスをぶち破って夜空に向かって跳躍し、自殺してしまう。 主役を演じているマイケル・チェコフ(チェーホフ)は、ヒッチコックの『白い恐怖』出演しているので、ご存じの方も多いだろうが、かのチェーホフの甥であり、スタニスラフスキーの愛弟子でもあり、晩年はアメリカで演技を教えた。その弟子にはグレゴリー・ペック、マリリン・モンロー、イングリッド・バーグマン、クリント・イーストウッドらがいる。 この映画で振付を担当しているのは、バランシンの最初の妻タマラ・ジェーヴァである。 「フィギュア・スケート四大陸選手権」を観る。浅田真央と高橋大輔の演技は歴史的名演といえよう。 小学校の新しい指導要領が発表された。小学校高学年で英語を始めるそうである。文科省というのは、どこまで愚かなのであろうか。「馬鹿は死ななきゃ・・・」という言葉すら思い出されてしまう。すでに多くの文学者や知識人が「何よりも日本語を」と繰り返し主張しているが、その声は文科省にはまったく届かないらしい。「英語教師組合」(そんなものがあったなら)と文科省が結託しているのではないかという気すらしてくる。 いちばん危惧するのは、文科省の考える英語教育が「口語中心」、つまり「英会話」だということである。私の考えるところ、中学の英語教育が会話重視に方向転換したせいで、日本人の英語能力は格段に落ちた。会話重視の語学教育が効果を上げるのは、幼児の場合だけである。しかしその場合、母語の習得に弊害が出る。 文科省が本気で英語教育を充実させたいのなら、現在のような時間数では全然だめである。他の教科をいっさい犠牲にして、朝から晩まで英語をやればよいのである。そうすれば、ある程度効果が上がり、「英語がべらべらしゃべれる」日本人が大量に生産されるであろう。その代わり、日本には不登校児があふれ、英語以外の何も知らない「困った人」たちがあふれるであろうが。 文科省が悪いというより、文科省は、日本人の英語コンプレックスを代表しているのだろう。 前にも書いたかもしれないが、こんな話を聞いたことがある。英語ではなくフランス語の話だが、ある日本人が、フランスの有名な作家だか思想家だかの家を訪ねた。しばらくすると、日本の大学の仏文科の教授という人が訪ねてきた。その人はじつに流暢なフランス語をべらべら話して、帰って行った。次に別の日本人教授がやってきた。この人は発音もわるく、たどたどしい話しかできない。二人が帰った後、そこにいた件の日本人がフランス人の作家だか思想家だかに感想を聞くと、「二人目の日本人との会話は刺激的だったが、最初の日本人はただのばかだ」と答えたそうである。 |
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2月15日(金)
またもや風邪を引いて、昨日から鼻水ずるずる状態である。体力が落ちて、抵抗力がなくなっているのかもしれないが、あの武道の達人、内田先生ですらしばしば風邪を引かれるのだから、私のようにひよわな人間が風邪を引くのは不思議ではないのかもしれない。 寒いけど、あまりに天気がいいので、かみさんと江ノ島までドライブする。海岸を走ると、海がきらきら輝いて美しい。ウェットスーツを着込んだサーファーたちがかなりの数いる。 駐車場に車を置き、江ノ島神社にお参りをし、その上まで階段をのぼって、日本三大弁天のひとつ(ひとり?)、弁天さまに詣でる。ご存じの方も多いと思うが、江ノ島の弁天さまは二体あって、一体は全裸である。足を組んで腰掛け、琵琶を抱えているのであるが、秘所もちゃんと彫刻されていると聞く。だが、ひっくり返して、股の間をのぞくわけにもいかない。 さらに階段をのぼって、展望台のあるコッキング苑までいく。コッキングというのは明治時代に日本にきたアメリカだかイギリスだかの商人で、江ノ島に住んでいた。その庭園がいま公園になっている。以前は江ノ島植物園といったが、いまは再整備されて、コッキング苑という。 そこから先はこれまで行ったことがなかったのだが、つい、奥津宮と岩屋まで行ってみようということになる。今度は下りである。途中に真言宗の寺があり、次いで奥津宮がある。 さらにどんどん階段を下っていくと、島の裏側の海辺に出る。岩屋は江戸時代から名所だったようだが、かなり奥行きのある洞窟である。天井が低いので、背を丸くして、ろうそくを手に持って、奥までいく。 かなり下ったので、帰りはずっと上りである。かれこれ2年以上テニスをしていないので、足腰がすっかり衰えており、ぜいぜい言いながら、山頂近くまで戻る。 道ばたの茶店で、さざえの壺焼きと釜揚げしらす丼を食べる。江ノ島の入口の店では、さざえの壺焼き2個で1500円だが、ここは900円である。良心的。おまけにしらす丼もしらすが5センチくらいの厚さに盛ってあって、じつに美味であった。 それにしても、2月の平日だというのに、けっこう観光客がいるので驚いた。 憲法を改正したいという人たちはよく「平和ボケ」ということをおっしゃる。言いたいことはよくわかるが、よく考えてみれば、平和というのはボケることである。 憲法改正論者は、平和というと、「ああ、平和でよかった」としみじみ感じるような状態を想像しているらしい。「ああ、平和でよかったなあ。ありがたいことだ」という思いを日々新たにして生活することを望んでおられるようだ。 でも、平和のありがたみを身に染みて感じるのは、たとえば戦争が終わった直後だけのことであろう。日本人の精神性を叩き直すには、もう一度戦争に負ける必要がある、という恐ろしいことを言っている人もいるが、そういう人も「平和ボケ」がよほどいやなのであろう。 繰り返すが、平和とはボケることである。平和が続いていたら、誰も平和のありがたみなんて実感するはずがない。平和が当たり前なのだから。平和=ボケなのである。「国家の品格」とか「平和のありがたさ」とかを実感するよりも、国民がみんなそろってぼけているほうがずっとよろしい。 |
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2月11日(月)
遅ればせながら、『パッチギ!』をみる。「イムジン河」、なつかしい。前にも書いたかもしれないが、北山修さん(日本精神分析学会会長)と対談したとき、「ぼく、フォークルのコンサートにいったことあります」といったら、北山さんが椅子からずり落ちた。 沢尻エリカのオーラがまぶしい。フランス人とのハーフだそうだが、ずいぶん日本的な顔だ。みんなが彼女を使いたがる理由はよくわかる。実際、2006年には5本の映画に出演している。これほどのオーラがあれば、どんなに「ぶんむくれ」態度でも許される。 テレビで『シュガー&スパイス 風味絶佳』をやっていたので、みる。凡作だが、じつにさわやかでよい。沢尻エリカもいいが、柳楽優弥がさすがだ。夏木マリはかなり妖怪化している。75歳のお婆さん役。私と同い年なのだが。 うちの娘は山田詠美の大ファンで、島田雅彦の家でご本人に会ったときには「ナマ詠美だ!」といって大感激していた。 『ステップ・アップ』をみる。B級青春映画だが、ほほえましくてよい。ハリウッドでコレオグラファーをしてきたアン・フレッチャーの監督デビュー作。バレエをやっているアートスクールの女の子と、ヒップホップをやっている落ちこぼれ高校生とのラブストーリー。ヒロインを演じているジェナ・ディーワンは、このヒロインと同じような経歴の持ち主で、ダンサーから女優になった。 ヒロインは卒業公演にむけて、ダンス作品を振り付けている。パートナーが怪我をして踊れなくなるところから物語が展開し始めるのだが、実際アメリカでは、アートスクールの卒業公演には、あちこちのダンスカンパニーからスカウトマンがきて、新しい才能を発掘するらしい。日本ではどうなのかしら。 イギリスにいた頃、BBCで「ビズ」という芸能学校ものの連続ドラマをやっていて、娘が毎週夢中でみていたことが思い出される。親のほうは英語が全然聞き取れなかった。 |
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2月8日(金)
火曜日は入試第一弾。7時に起床して出勤。出題者として控え室で質問を待つ。2,3年前から、われわれ出題者は、朝出勤するとまず試験が始まる前に、正解を見ずに問題を解かねばならない。昔はこんなことはやらされなかったのであるが。 あとは試験終了まで、質問が出ないことを祈りつつ、ひたすら待機するのである。 昨年はひとつスペルミスが発見された。その日はたまたま朝日新聞が取材に来ていて、記者はじつにうれしそうに取材をしていた(きっと何かが起きることを期待していたにちがいない)。この小さな事件は翌日の朝刊で報道された。エルの小文字であるべきところが、アイの大文字になっていたのであった。10人くらいの教員が目を通しているのだが、それでも見落としというのはあるものだ。これを発見した受験生は合格したのだろうか。将来、優秀な校正者になるかもしれない。 夕方、早稲田の授業の打ち上げで、中華料理を食べに行く。むろんシューマイも餃子も食べた。安い店だから、食材は中国産であろう。 木曜日はバレエ・リュス展企画の打ち合わせで上京。 バレエ史上最強のバレエ団といわれる、ディアギレフ率いるバレエ・リュスは、1909年にパリのシャトレ座で第一回公演を催した。だから2009年はバレエ・リュス100周年を迎えるわけである。世界中でさまざまな催しがあるはずだ。バレエ・リュス展が日本にもくるかどうかは、まだわからない。 現在まだ上映中(東京ではもう終わったようだ)の映画『バレエ・リュス』は感動的な映画だ。バレエ・リュス(といっても、ディアギレフのバレエ・リュスではなく、その後継者であるバレエ・リュス・ド・モンテカルロのことで、アメリカではバレエ・リュスといったらこちらのほうを指す)にいたダンサーたちが当時を回想するドキュメント。しわくちゃのお爺さんとお婆さんしか出てこない映画なのだが、私などは、自分の専門領域なので、涙なしには見られない。 さいわい、とても評判がいいそうだ。日本語字幕監修者としてはとてもうれしい。 藤原竜也ファンのかみさんに付き合って、『さぶ』を観る。6年前に放映されたテレビ映画だ。テレビ映画なのだが、タランティーノに影響を与えたともいわれる、B級映画の巨匠、三池崇史が35ミリ・フィルムで撮っている、立派な映画である(放映後、評判がよかったために、キネマ旬報が配給して劇場公開された)。 さぶ役の妻夫木聡はすごくうまい。吹石一恵かわいい、田畑智子かわいくない。沢田研二おかしい。 主人公の英二は、誰からも好かれるがために災いを引き起こすという男。喧嘩もめっぽう強いのだが、女の子みたいにかわいい顔をした藤原竜也が喧嘩に強い男に見えるはずもなく、なんだか変。 2年遅れで『パフューム』を観る。原作となった小説が世界的ベストセラーになったのはもう何年前だろうか。訳者は当時東大助教授だった池内紀先生だが、学内で、「あの翻訳は誤訳だらけだ」という怪文書が出回ったことを覚えている。大ベストセラーだったので、誰かが嫉妬したのだろう。ドイツ語なので、誤訳が多いのかどうか、私にはわからないが、ドイツ語の読める友人が、大衆小説で俗語が多いと言っていた。いずれにせよ、池内先生の役だから、日本語は見事だったにちがいない(って、私自身はその翻訳も読んでいない)。 さて映画のほうは、前半はやたらに面白いが、ダスティン・ホフマンが死んでから急につまらなくなる。後半はほとんど時間の無駄だった。 |
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2月4日(月)
ダンスの最大の特徴は、狭義の非生産性である。つまり、なんの役にも立たないことである。だから「会議は踊る。されどすすまず」という。実際、ウィーン会議のときには毎晩舞踏会が開かれたのであるが。 労働歌というのがある。「えんやこーら」の類である。あれは働きながら歌うものであるから、労働に奉仕するわけだが、労働舞踊というのはありえない。踊っていたら働けないからである。 『ジゼル』というバレエでも、働きに出ないで踊ってばかりいると、死んでも成仏できないぞという警告がなされる。 アンデルセンの童話『赤い靴』では、踊ることが悪徳の象徴として描かれている(ジジェク風にいえば、ダンスは主人公の欲動である)。 ダンスにおける身体動作の基本は、役に立たない動作をすることであるが、その最たるものが回転、すなわち回ることである。用のある方向に体の向きを変えるのは役に立つ動作であるが、ぐるりと回って元の位置に戻っても、なんの役にも立たない。ここからダンスが生まれたのである。 子育ての経験のある人なら誰でも知っているはずだが、やっと歩けるようになった頃の赤ん坊は回るのが好きである。ぐるぐる回って、目を回してぶっ倒れて、げらげら笑って大喜びしている。 この回転がもたらす快感は何に由来するのであろうか。おそらく非日常世界を垣間見た喜びではなかろうか。目が回るということは、世界が回ることである。 しかし、ダンスは労働と同じくらい、人間の起源と密接に繋がっている。人間は人間になった瞬間から踊り続けてきたのではあるまいか。近代になってはじめて人類はダンスが役に立たないことに気づき、反社会的なものとして排除し始めたのである。つまり、踊りが非生産的で反社会的な営みだというのは、近代人の浅知恵であって、ダンスは人間の根源的ないとなみである。 近代ではこの営みが抑圧され、ダンスへの欲求は個々人の内で抑圧されてきた。踊ること、あるいはダンスをみることは、この抑圧されたものを刺激することなのだ。 昨日みたバットシェバ舞踊団のダンスについてあれこれ思いめぐらしながら、そんなことを考えた。 ↓先日、乗越たかおくんが朝日カルチャーセンターでやっている講座に遊びに行った話を書いたが、乗越くんが控え室でとった写真を送ってくれたので、本人たちには無断で掲載する。 ![]() 前列右から白河さん、大島さん、後列右から乗越夫人、乗越くん、私。 |
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2月3日(日)
2年ぶりに積もった雪の中を、タイツをはき、靴下の裏と下着にホッカイロをはりつけ、ダウンコートを着込んで出かける。中華街で娘と待ち合わせ、いつもの店で、この店ご自慢のつけワンタン、えびチャーハン、ネギそばを食べ、デザートに娘はマンゴープリン、私は杏仁豆腐を食べてから、県民ホールに、バトシェバ舞踊団を観に行く。なんだか心温まる、いい公演だった。 |
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2月2日(土)
きょうは大学院の入試。朝から晩まで面接。おまけに英語の試験の出題と採点を仰せつかっていたので、判定会議が終わった頃にはもう思考能力ゼロになっていた。さいわい(などと言ってはいけないのだが)、私を指導教授に希望する受験生はいなかったので、それがせめても救いである。 終わったのは9時。私は食事に関しては恐ろしく規則正しい人間で、夕食は遅くとも7時には食べないと、苛々してきて、ちょっとしたことでも腹を立てるという、特異な体質をしているので、きょうの会議の雰囲気はいささか険呑であった。 |
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2月1日(金)
毎日通勤ラッシュを経験している男性会社員の中には、痴漢冤罪恐怖症に怯えている人がけっこういると聞く。痴漢とまちがえられないかという恐怖心から、若い女性が乗っていると、できるだけ遠ざかるのだという。その気持ちはよくわかる。 私はラッシュに慣れていないものだから、混んだ電車内での身のこなしが下手である。たまたま若い女性に接触してしまうと、彼女たちはかならず、ものすごい目つきでこちらをにらむ。思わず「鏡をみろ」という暴言を吐きたくなるのだが、そんなことを現実に苦にしたら社会的地位が危うくなるので、すごすごと遠ざかる。 いや、若い女性に限らず、にらみつけたり、すごんだりする人が増えているように感じる。昔は、そんなことはヤクザしかやらなかったものである。「先に威張ったほうが勝ち」と思っている人が多いようだ。 昨夜は、娘が帰ってきたので、2年前に逗子にできたレッド・ロブスターにいき、ロブスター、エビ、カニ、カキ、パエリアなどを食べる。娘に運転手をつとめてくれるので、私は安心して酒が飲める。 ロブスターというと、ハワイにウォンキーというじつにロブスターのうまい中華料理屋があった。今もあるのかどうかは知らない。というか、私が通っている間も途中でオーナーが代わり、味が変わった。ハワイとロブスターというのはじつにお似合いのように思われるが、じつは北のメイン州から空輸されてくる高いロブスターを食べていたわけである。 ロブスターとか伊勢エビというと、テルミドールで食べるものだと思いこんでいる人がいるが、テルミドールというのは、結婚式などによく出るが、ロブスターや伊勢エビの最もまずい食べ方である。 きょうはNHKホールまで、マリインスキー・オペラの「イーゴリ公」を観に行く。指揮はゲルギエフ。後ろのほうは空席がかなりあった。どういうわけか、田中真紀子とかデビ夫人とか、有名人や政治家がかなりいた。 12月に観たミハイロフスキー劇場の「イーゴリ公」とはずいぶん違う。ミハイロフスキーのほうは、前半にロシアの場面があり、後半にポロヴェツ人の野営が舞台となる(したがって「ポロヴェツ人の踊り」がある)のだが、きょう観たマリインスキーの新しい版では前半がポロヴェツ人の野営で、後半がロシアだ。イーゴリ公が帰還して妻と再会する場面は省略され、最後の瞬間に突然イーゴリ公があらわれる。 ボロディーンはこの作品を完成させないまま死んでしまったので、「決定版」というのはないのである。 中学高校以来の友人、小澤真樹くんがクモ膜下出血で急死したという知らせが届いた。中学高校はずっと電車通学だったが、たまたま彼と私とは家が近かったので、わりと仲が良かった。 大学を出た後はパソコン関係のフリー・ライターをしていたので、鎌倉の家まできてパソコンの改造をしてくれたりした。 ショックである。 昨年末に受けた定期検診の結果が送られてきた。ガンマGTPが高いのは前からのことであるが、今回初めて尿酸値が高いという警告がついていた。おお私もいよいよ帝王病か、と思ったが、主治医にきくと、酒の飲み過ぎだという。「酒をやめてください。そうすればガンマGTPも尿酸値も下がります」という。が、先生も本気で私が酒をやめるなどと信じてはいないので、その目は笑っている。 |