2007年11月の日記(↑時間軸)
 
11月30日(金)
 
 世の中、まちがっている。不気味だ。
 火曜日、早稲田の授業の後、マグドナルドに行った。昼休みに忙しくて、昼食をたべる暇がなかったからである。すると、マグドナルドにTV局のカメラマンが押し寄せているではないか。あとで新聞で知ったのだが、サラダとシェイクの賞味期限を偽っていたというので、マグドナルドが槍玉にあがっているらしい。とくに早稲田店が話題になったらしい。
 マグドナルドに入ったら、たまたま私のそばで、テレビ局のクルーが相談している。上司が部下に、「とにかく店長の、『もったいなかったから賞味期限を改竄した』という言質をとれ」と命令している。
 そういう店長の発言はテレビでも放映されたらしいが、「賞味期限は切れているが、悪くなっているわけではないから、もったいない。日付をかえて売ろう」という店長の判断は「まとも」である。彼はひじょうに正常な神経の持ち主であると思う。賞味期限が過ぎているからといって、悪くなっていないものを平気で捨てるほうがずっと異常な神経である。「もったいない」という素晴らしい日本語が国際語になりつつある現代に、なんということであろうか。
 コンビニでも、ハンバーガー屋でも、一定の時間を過ぎるとぼんぼんと商品を捨ててしまうらしい。それを売り物にもしている。でも、これは異常な事態である。
 私は「かしこい主婦」だから、よくスーパーで「見切り品」を買う。といっても、最近のスーパーでは、賞味期限を過ぎたものは売らない。賞味期限がきてしまった日の夕方に、定価の2割引きとか3割引で売るのだが、マグドナルドでもそうすればいいじゃないの。胃腸に自信はあるが金はない、という若者には救世主となるであろう。
 どうしてみんな、賞味期限だけを信じるのであろうか。野菜にしても肉にしても、同じ日数経っていても、物によって、まだ全然大丈夫なものと、いたんでしまうものがある。
 みんな、自分の眼と鼻で確かめればいいのである。
 私もむかし、マグドナルドの店長を呼びつけたことがある。ハンバーガーのパンがばさばさだったのである。目の前で、彼にも食べてもらって、ぱさぱさであることを彼にも認めてもらった。
 
 最近の一連の「ブランド疑惑」の中で、「船場吉兆」の場合は悪辣だ。弁護する気になれない。ただの「もうけ主義」「銭ゲバ」である。でも、ただの牛を「おお、但馬牛だ」といって感激して食べていたほうにも大いに問題がある、ということをどうしてマスコミでは問題にしないのだろう。内部告発でばれたということは、消費者は気づかなかったということである。比内鶏にしても、「本家」自体が偽物だったそうだが(私は鶏が食べられないので、関心がないのだが)、それにしても、自分の舌で判定し、抗議した人はいなかったのである。自分で判別できないコンプレックスを、メーカーに向かって八つ当たりしているとしか思えない。
 
 繰り返すが、コンビニでも、ハンバーガー・ショップでも、作ってから一定の時間がたったら廃棄することを売り物にしているが、このこと自体がひじょうにおかしい。「もったいない」と思わないのだろうか。時間がたったものは安く売ればいいではないか。マスコミは「食の安全」を錦の御旗にしているが、笑止千万である。
 「赤福」のときに書いたが、マグドナルドのサラダを食べて死んだ人がいるのだろうか。
 ここ一連の騒ぎは、私にいわせれば、「味覚音痴」のなせる技である。自分の味覚が信じられないから、賞味期限とかブランドにだけ頼るのである。
 昨日から横浜の崎陽軒が槍玉にあがっている。成分を重量順に表示しなければいけない(JAS規格)のを、「豚肉、ほたて貝柱」の順に表示していたことが問題になっている。そんなことを気にして買っていた人が一体いるだろうか。
 もちろん規則は守るべきである。が、それを破ったからといって、まるで人非人のように批難するマスコミのあさましさが、私には醜く見えて気持ちがわるい。崎陽軒のシューマイは独特の味わいがあって、私は好きだ。あの風味はホタテの風味らしい。風味付けだから、量は大して入っていないのであろうが、そんなこと、はっきりいってどうでもいいよ。
 太りすぎてのたうちまわっている巨大なタコが暇だから自分の足を食っている・・・いまの日本の社会はそんな感じがする。もっと大事なことがあるだろうに。
 「東京ミシュラン」は発売当日に完売したそうだ。三つ星のついたレストランは電話すらつながらないそうだ。私は「高い飯」とはおよそ無縁なので、まったく関心がない。どんなにおいしくても、1食1万円以上払うと、「おいしさ半減」である。
 私がひいきにしているレストランはいくつかあるが、その店の評判はまったく知らない。私がおいしいと思えば、それでいいのである。味覚音痴の人は、「人がおいしいというものは、おいしい」ということになる。哀れなことである。
11月26日(月)
 
 前回書いたように、先週の月曜日に風邪を引いて、火曜の早稲田の授業と本務校の教授会を欠席してしまったのであった。
 私のいちばんの弱点は喉の粘膜で、毎年かならず一度は(たいてい冬の初めに)喉をやられる。
 
 で、水曜日からずっと寝込んでいたかというと、じつは日曜日まで、大学祭で授業が休講なので、3泊5日でニューヨークに行っていた。「風邪を引いているのに海外?」と呆れられそうだが、風邪は不測の事態であって、ニューヨーク行きのフライトもオペラのチケットも1ヶ月以上前に買ってあったので、直前に風邪を引いたからといって、キャンセルというわけにはいかない。いや、フライトは3万円払えばキャンセル可能だが、オペラやミュージカルはいかなる理由であれキャンセルできない。
 というわけで、大学祭の間、かみさんとニューヨークまでオペラを観に行ってきたのである。といっても3泊5日の強行軍なので、ニューヨークにいたのは水木金の3日間。しかも間の木曜はサンクス・ギビング・デー。アメリカではクリスマスに匹敵する大休日で、オペラもミュージカルもやっていないし、美術館も図書館もすべて休み。
 しかし、捨てる神あらば拾う神ありで、好天に恵まれ、セントラル・パークで紅葉(正確には黄葉)を満喫してきた。
 この日は、ユニクロが買収し損なったデパート、メイシーズが主催する有名なパレードがおこなわれるのだが(もう80年くらい続いているはずだ)、見物人の数も半端ではなく、遠くから眺めるのが精一杯だった。
 
 オペラは、メトで「フィガロの結婚」と「ノルマ」を観た。たんに日程で選んだだけで、配役は見もしなかったのだが、さすがメト、豪華キャストで、う〜む堪能。
 水曜日。「フィガロ」の前奏曲が始まったときには、やたら演奏が荒っぽいので、不安になったが、その後はまともだった。フィガロ役はあのブライアン・ターフェル。これまでに観たなかでいちばん図体のでかいフィガロだ。イギリスにいたころ、彼は「ウェールズ出身の大型新人」として売り出し中で、「サロメ」のヨカナンを聞いたのを覚えている。スザンナはロシア人のエカテリーナ・シュリーナ。この人は初めて聞いたが、なかなかのできばえ。伯爵夫人は人気のアニヤ・ハルテロス。さすが素晴らしい。伯爵のサイモン・キーンリサイドも渋くてよかった。ケルビーノ役のケイト・リンゼイもかわいくてよい。
 金曜日は「ノルマ」。なんとノルマはあのハスミク・パピアン。かなり年だが、味がある。だが彼女よりも大きな拍手を博していたのはアダルジーナ役のドロラ・ザジック。デブでブスだが(ごめんなさい)、声は素晴らしい。ポリオーネ役はフランコ・ファリーナ。ほとんどベスト・キャストである。いやあ、堪能しました。
 
 金曜日の昼間にニュー・アムステルダム劇場でミュージカル「メリー・ポピンズ」を観た。じつによくできた作品で(さすがディズニー)、感動してしまった。
 ジュリ・アンドリュース主演のディズニー映画「メリー・ポピンズ」は私の大好きな映画の一つである。中学の1年か2年のときに、ひとりで有楽座まで観に行き、立ち見で観たことをまるで昨日のようにおぼえている。原作を読んだのはその後である。
 主役のアシュリー・ブラウンは、まるでジュリー・アンドリュースの再来という感じの歌手で、ひょっとしたらジュリー・アンドリュースよりもいい声かもしれない。
 バート役は、映画のディック・ヴァン・ダイクの印象が強烈だが、ギャヴィン・リーという男優が好演していた。
 観客のほとんどは子どもと付き添いの親あるいはおじいさん、おばあさん。ミュージカルが始まっても会場は少しも静まらないが、これはまあ仕方がない。
 
 ミュージカルが観られるなんて、本当に運が良かった。というのも、じつはブロードウェイでは労働組合のストライキが続いていて、大半のミュージカルが休演しているのである(「ライオン・キング」も「ウィキッド」も「オペラ座の怪人」も)。ホテルでテレビを観ていたら、「グリンチ」が再開したというニュースを繰り返しやっていた(アメリカでいちばん人気のある絵本作家ドクター・スース原作のミュージカルである)。
 アメリカ人の共産主義アレルギーの名残であろうか、テレビを観ていても、「グリンチ」の再開を喜んでいる子役俳優や観客の喜びの声は伝えるのに、ストライキしている労働者の声はいっさい聞こえない。
 
 今回泊まったのはペンシルヴァニア・ホテル。有名な安ホテルである。13年前にも一度泊まったことがある。ペンシルヴァニア駅(通称ペン・ステーション)の真ん前、つまりマジソン・スクエア・ガーデンの真ん前である。
 建ったのは1919年(大正8年)。ジャズ・エイジの典型的なアール・デコ建築である。ティー・ダンスに使われたボール・ルームもちゃんと残っている。1940年には、グレン・ミラー・オーケストラのヒット曲「ペンシルヴァニア6-5000」によって、このホテルの電話番号は不滅となった(現在も使われている)。
 ホテルの前で、数人の若者がビラを配っていた。見ると「SAVE HOTEL PENN」と書いてある。じっくり読むと、すでにデヴェロッパーがこのホテルを買い取り、タイムズ・スクエアみたいな超高層ビルを建てる予定になっているという。じつはこのホテルは、向かいにあったペン駅と姉妹建築だったのだが、駅のほうは1964年に改築されてしまった。その「歴史的過ちを繰り返すな」と、ビラは訴えていた。そう、ニューヨークでも、こういう歴史的建築は数少なくなってきたのである。
 が、居心地はけっして良くない。一言でいえば、チョーぼろい。最初の部屋は全然暖房がきかず(風邪を引いている私は寒さに震えて寝ていた)、部屋を変えてもらったくらいである。でも、ぜひ残してもらいたいものである。
 
 サンクス・ギビング・デーの翌日は「ブラック・フライデー」。ブラックというと、なんだか恐慌を思い出してしまうが、「黒字」という意味である。ホテルのすぐ横がメイシーズだったが、前夜から歩道には開店を待つ人びとが行列をなしていた。メイシーズの袋をたくさん抱えた人びとが街中にあふれていたが、テレビは「不況で売れ行きは良くない」と報じていた。年末商戦は低調のようである。
 それにしても、日本なら「出血大サービス」とか「赤字セール」とか、赤を強調するところだが、「黒字の日」だなんて、やっぱり資本家の側からしかものを見ない国なのかしら、アメリカって。
 
 風邪の引き始めに旅行に出たので、日々悪化していく風邪を抗生物質と風邪薬で必死におさえながらの5日間であった。なんとか抑え込み、日曜の夜に成田に着いて、月曜の朝からはまた授業。
11月20日(火)
 
 日曜は、6時起床で出勤。特別入試の面接試験のためである。入試の多様化にともなって、われわれ教員の負担も増大し、秋にはしばしば日曜日がつぶれる。
 娘が家に帰ってくるというので、夕食の材料を買って帰宅。娘が「酢豚が食べたい」というので、ご要望通り、大鍋一杯の酢豚と中華スープを作る。
 かみさんは時どき実家に出かけ、両親の好きなものを料理する。うちの娘はいつになったら私のために料理してくれるのであろうか。かみさんいわく、「私くらいの年になったら、作ってくれるでしょう」
 
 ゼミで映画を製作しているせいで、ゼミ生たちは毎日朝から晩まで大学で、撮影、映像編集、音声編集をしている。月曜日、帰りがけに学生のラウンジをのぞいたら、きょうもゼミ生たちが作業しているので、食事に連れて行く。
 
 今年初の風邪を引いてしまい、今朝は頭痛と喉痛で起きることができず。早稲田の授業も、教授会も欠席させてもらう。よほどのことがないかぎり、私は授業も会議も休まないのであるが。
11月17日(土)
 
 昨日は早稲田の研究会。今年度中に博士論文を提出するオーバードクターと、日本におけるノーテーション(舞踊記譜法)の第一人者である糟谷先生の発表を聞く。その後の飲み会では、子育て談義に花が咲く。男性は私ひとり。「世之介状態」の至福を味わう。
 
 朝日新聞に佐々木凉子氏が、新国立劇場の『椿姫』の批評を書いている。「舞踊的に見どころの多い見事な仕上がりである。日本バレエの確かな財産になりそうだ」「モチーフをはめ込んだ構成が巧みで、ドラマの機微に触れて盛り上げる」「舞台の空気がさわやかな流動感に息づいている」「注目に値するのは動きが人物の個性や心理を表現している点だ」「白眉はやはりマルグリットとアルマンのソロとパ・ド・ドゥ。[……]マルグリットの心理が、明晰な舞踊言語に変換された。愛を訴えるアルマンの不安と喜びもせりふよりさらに雄弁だ」
 あの凡作についてここまで抜けしゃあしゃあと書けるのは佐々木さんだけだろう。呆れるのを通り越して、感動してしまった。私には逆立ちしてもできない芸当である。お見事。
11月14日(水)
 
 現代日本において「しつけ」が必要なのは若者ではなく「おばさん」である。
 おばさんたちは、電車の中でもケータイで大声でしゃべる。若者はそんなことはしない。おまけに、ケータイに電話がかかってきて、けたたましい音がし、まわりが迷惑しているのに、本人だけは気がつかない。
 椅子に座ると、隣の席に荷物をおく。こちらが座りたいときに、「すみません」と言って荷物をどかしてもらおうとすると、露骨にいやな顔をする。まったく傍若無人である。どこかに、うば捨て山ならぬ、おばさんの収容所を作ってもらいたいものである。
 
 内田先生がブログに、大木実の詩「おさなご」を引用していた。先生はこの詩を読んで「不覚にも胸が熱くなってしまった」そうだが、私はこの詩を初めて読んだとき、ぼろぼろ泣いてしまった。小学生時代に国語の教科書で読んだわけではない。私の教科書には載っていなかった(教科書に何が載っていたかをすべて思い出すことはできないが、ある特定の文学作品が載っていたかどうかは判定できる)。この詩は入試問題で読んだ。といっても、受験したときに読んだのではなく、教員として、前任校で入試の監督をしているときに読んだのだった。
 子育ての経験のある人で、この詩が「じん」と来ない人はいるとしたら、それは裕福な暮らししか知らない人であろう。
 
 ところで、内田先生がブログで大木実の詩を全文引用したところ、「このようなテクスト利用については著作権者から権利侵害のクレームが来る可能性がありますからご注意くださいというご指摘を弁護士の方からいただいた」そうである。いやな世の中である。
 著作権については前にも一度ならず書いたが、著作権が消滅するまでの期間を著者の死後50年から70年に引き延ばそうという動きが、全世界的にある。というか、欧米ではすでにそうなってしまった。アメリカでは「ミッキーマウス法」と呼ばれている。ミッキーマウスの著作権が切れそうになるたびに、ウォルト・ディズニー社が猛烈なロビー活動を展開して、著作権の有効期間を延ばしてきたからである。これに反対する人たちが提唱するのが「パブリック・ドメイン(公共財)」という概念である。
 私は著作権なんて死後10年くらいでいいんじゃないの、と言っているのだが、誰も耳を傾けてくれない。
 
 かみさんが、「きょうはこの秋一番のお天気だそうよ」と言う。つまり、散歩に行こうという意味である。で、釜利谷にある自然公園にいく。
 
 

 たしかに、これ以上はありえないというくらいのいい天気である。
 家のすぐ近くにある永福寺跡地も、ススキが絶好の見頃。もっとも、遠くからわざわざススキを見に来る人はいない。
 
 
 
 
 
 ところで、ご存じの方があったら、ぜひ教えていただきたいことがある。うちの庭にもぐらが住み着いていて、庭じゅうが穴だらけである。(↓)
  
 
 ネットであちこち読みかじったところによると、もぐらは縄張りを張るので、住み着いているのは1匹か2匹らしい。が、ずいぶん活発に活動するもので、本当に庭じゅうが穴だらけなのである。
 農家ではないから、作物被害があるわけではないが、これでは庭が見られたものではない。うまく駆除する方法はないだろうか。
 ネットで調べたら、センサーのついた機械を売っている。でも、3万円もするし、もぐらを串刺しにするのだそうで、それはあまりにもぐらが可哀想というものだ。まるで中世の拷問具のような、見るからに残酷そうな機械で、これがもぐらを串刺しにするところを想像するだけでぞっとする。もっと穏便に、もぐらに出て行ってもらう方法はないのだろうか。もぐらの嫌う音を出す機械というのもあるのだが、「かならずしも、もぐらがいなくなる保証はない」と書いてある。
11月11日(日)
 
 一昨年から、11月11日は「鮭の日」になったのだそうだ。スーパーの魚売り場でそういうアナウンスが流れていた。鮭は、魚へんに土を二つかくわけだが、土は十一とも読める、というのが理由だそうだ。くだらん。だからというわけではないが、きょうは鮭ではなく、鱈を買う。
 
 先週の木曜日は、大学院(国際文化研究科)の主催による講演会。講師は「朝なま」で有名になった姜尚中・東大教授。あのいささかもったいぶった話しぶりが(女性にはこれがたまらないらしいが)、私は苦手なので、とくに聞きたいとは思わなかったのだが、自分の大学院の主催だし、じつは娘が姜さんのお世話になっているので、一度ちゃんとご挨拶せねばと思っていた。それで、娘も呼び寄せて、講演会に出席する。
 終わった後、ファンの人たちが姜さんを取り囲んでいたので、後ほど打ち上げ宴会の席でご挨拶しようと思っていたら、用事があるということで、姜さんは会場からそのまま帰ってしまわれ、挨拶のチャンスを逃してしまった。仕方なく、娘と銀座に出て食事をし、いっしょに鎌倉まで帰る。
 じつは30年ほど前、大学院生だった私は姜さんからドイツ語を習っていたことがある。姜さんがドイツに留学する前のことである。そうなんです、彼は私の家庭教師だったのです。
 
 金曜日は、尼ヶ崎先生からぜひにと誘われて、学習院女子大学まで、韓国のコンテンポラリー・ダンスの公演に行く。学生たちが公演を主催しているのだそうだ。えらい。公演もなかなか面白かった。
 会場で片岡康子先生にお目にかかる。市川雅先生が亡くなった後、早稲田の舞踊コースの主任をしておられる先生である。帰り道、先生とデート。早稲田での舞踊の研究会を今後どうするかについて、一杯飲みながら、あれこれご相談。私としては、ぜひとも早稲田をバレエ研究の拠点にしたい。
 それにしても、学習院女子大学というのはじつに恵まれた環境にある。さすが学習院、お金持ちですね。都心にありながら、キャンパスの広いこと。
 
 土曜日は、大学院進学相談会。同僚の川村湊先生とふたりでデスクの前にすわり、お客様、つまりこの大学院を受験しようかなと考えている人たちのご相談を受ける。次から次へといろいろな人が来て、面白い。そのうちの何人が実際に受験するのであろうか。試験は2月である。
 
 本日は、さいたま劇場まで、インバル・ピント(イスラエルのコンテンポラリー・ダンス)を観に行く。短い作品で、公演時間は1時間。でも往きに3時間、帰りに3時間かかる。湘南新宿ラインというものができたおかげで、少しは楽になったが、東京を縦断して埼玉までいくのは小旅行である。もっと尻を鍛えないといけない、と真剣に考える。
 
 9月にヨーロッパ旅行に出かけたときに読み始めた小説をやっと読み終える。外国旅行にいくと、空港での待ち時間やら飛行機の中での時間がたっぷりあるので、かなり本が読めるのだが、ふだんは通勤途中もたいてい眠っているので、外国旅行中に半分まで読んだのだが、その後は遅々として進まなかったのである。
 読んでいたのは、バーバラ・ヴァインの『煙突掃除の少年』という長編推理小説である。長編も長編、440ページもある。バーバラ・ヴァインは、ルース・レンデルの別名である。ヴァイン名での作品もレンデル名での作品も、ほとんど日本語に翻訳されているようだが(『煙突掃除の少年』も訳されている)、私は日本語では読んだことがない。
 その理由は、ひとつには、彼女の作品にはロンドンの具体的な地名がたくさん出てくるのだが、英語で読んでいるとその場所が目に浮かぶのである。ある小説を読んでいたとき、殺人現場が(レンデルはイギリスではクライム・ノベルの作家とジャンル分けされる)、ちょうど私が滞在していたアパートのある通りだった、ということがあった。
 もうひとつには、彼女の英語がじつにいい英語なのである。名文家である。じつに英語らしい表現が連なっていて、読んでいてひじょうに気持ちがいいのである。
 
 先週の月曜からすでに7日間毎日出かけているので、少々疲れてきた。毎日4時間の通勤時間がひびいてくる。
11月7日(水)
 
 月曜日にふたたび歯医者に行ったら、深刻な事態が発覚した。ブリッジの下の歯が虫歯になっていたのである。急遽、麻酔の注射を打たれ、歯を削られる。こんなに痛かったのは生まれて初めてだと思うくらい痛かった。あまりの痛さに、あやうく気絶するところだった。歯医者を出てからも30分くらい、じっとしていられないくらい痛かったが、私は痛みにはわりと強い方なので、歯医者でもらった痛み止めは飲まずに、研究室でのたうちまわっていた。
 30分たつと、嘘のように痛みは引いた。神経が死んでしまったのであろう。これでまた1本、歯が死んだ。いったい生きている歯、つまりまだ神経の残っている歯が何本あるのだろう。わずかしかないはずである。
 痛みは引いたが、麻酔が抜けるまでに4時間くらいかかる。授業が二つあったのだが、舌がもつれ、口が回らないので、それぞれ1時間くらいで終わらせてもらう。
 昼食がたべられなかったので、休憩時間におにぎりをひとつ食べたら、口の中を思い切り噛んでしまい、口の中が血だらけになる。
 おまけに、詰めてあったセメントがとれてしまったので、夕方ふたたび歯医者にいく。
 歯医者の前でかみさんに出くわす。かみさんも歯の治療に来ていたのである。しばらく待っていてもらい、途中で夕食の買い物をし、いっしょに帰宅する。もう痛みは引いたし、麻酔も抜けたので、口の片側でなら食事ができるのだが、固い物は面倒なので、鯛しゃぶにする。刺身用の鯛のさくを買ってきて、スライスし、煮立てただし汁にさっとつけて食べるのである。歯がなくても、食にこだわる食いしん坊の私。
 でも家に帰って買い物袋の中身を出すまで、かみさんは「タイスキ」だと思いこんでいたらしい。あやうく、タイ風のだし汁にされてしまうところであった。
 
 近所の医者にも、夫婦二人して血圧の薬をもらいに行く。連れだって散歩とか旅行というのはいいが、連れだって医者というのは「絵にならない」。でもこれが人生である。
 
 火曜日は早稲田の大学院の授業。中世からルネサンスにかけての舞踊史をやっているのだが、女子学生(院生)がふたりで、どこかで中世のお菓子のレシピを見つけたそうで、それを作ってきてくれたので、みんなで試食。「お菓子が出る授業」というのは初めて。
 
 本日はかみさんに付き合ってもらい、車で「紳士服のAOKI」まで礼服を作りに行く。私は30年来少しずつ太り続けているので、前の黒服が完全に着られなくなってしまったのだが、時間がないものだから、かれこれ3年も先延ばしにしていて、その間、濃紺のスーツでごまかしていたのである。しかし、この年になると、縁起の悪い話ではあるが、いつだれの葬式の連絡がくるかわからない。葬式の連絡がきてからでは遅い、思い立ったときに買っておこうというわけで、出かけたしだい。
 
 夕方、お茶の水のカザルス・ホールまで、堀江真理子ピアノ・リサイタルに出かける。
 
 
 
 美人ピアニストの堀江さんはフランスのピアノ曲の第一人者である。いちばんの専門はたしかフォーレである。が、今回は「デビュー25周年特別リサイタル」ということで、「1900年 啓かれた日本のピアノ曲」という副題が付けられている。
 滝廉太郎、山田耕筰をはじめ、「海ゆかば」で有名な信時潔、「浜辺の歌」で有名な成田為三ら、9人の日本人作曲家のピアノ曲を集めた。滝廉太郎のピアノ曲だけは前から知っていたが、それ以外は初めて聞く曲ばかりである。
 1900年に滝廉太郎が作曲した「メヌエット」が日本最初のピアノ曲だといわれている。西洋音階が日本に入ってきてからたった20年くらいしか経っていないというのに、じつに立派な曲を書いているから驚く。(滝はその後23歳で死んだ)。
 明治大正期の作曲家たちが西洋音階を必死で学び、西洋風の曲を書いたことに対しては、いまだに批判の声もあるが、私にいわせれば、それは仕方のないことである。西洋音階はグローバルな力をもっているのだ。
 当たり前のことだが、世界の芸術や文化には、グローバルなものとそうでないものがある。たとえば、アメリカン・ポップスやいわゆるクラシック音楽は前者の典型であり、能や歌舞伎はどう考えても後者であろう。むろんどちらがいいという問題ではない。
 グローバルな力をもったものに抵抗することはむずかしい。
 むろんそれ一辺倒になってしまうことには大きな問題がある。だいたいにおいて、明治大正の日本は西洋化を「やりすぎ」たのであるが、これは今だから言えることにすぎない。
 西洋音階のグローバリゼーションの結果、現在、どこの国でも、流行しているポップ・ソングは似たり寄ったりだ。
 ただし、私の知る限り、アラブ諸国のポップスだけは全然アメリカナイズされていない。イギリスにいたとき、あるカラオケバーにいったら、イラン人が自分の国のポップ・ソングを歌っていたが、それは、とてもメロディが覚えられないような、アメリカン・ポップスとはおよそ無縁な音楽であった。
 
 ところで、前にも書いたが、堀江真理子ちゃんは幼なじみである。私は彼女のお母上にピアノを習っていたのである。でもその頃は全然音楽に興味がなく、数年でやめてしまった。
 堀江家は教会であった。つまり真理子ちゃんのお父さんは聖公会の神父さんで、家が教会であった。その後、お父さんは娘をピアニストにするため、神父をやめてビジネスをはじめたのであった。
 きょう、真理子ちゃんのお母上、つまりかつての私のピアノの先生にもお目にかかったが、この方は魔女というか化け物というか、いつお目にかかっても以前とまったく同じで、全然老けていないのである。恐ろしい方である。
 これはうちの母が飽きもせずに繰り返し語るエピソードなのであるが、ピアノを習っていた当時、私が「ぼくは死ぬのがいちばんいやで、その次にいやなのがピアノの稽古だ」と言ったというのである(本人は全然覚えていない)。「それで仕方なくピアノを辞めさせた」と、いまだに母は孫たちに語って聞かせている。
 これには後日談があって、おとなになってから私は「子どもの言うことを聞いて辞めさせた親がわるい。子どもの言うことなんか無視して、むりにでもピアノを続けさせていれば、私はいまでもピアノが弾けたはずなのに」と言って、母を責めたのだそうだ(これもまた本人は覚えていない)。これも、母が好んで孫たちにする話である。
11月4日(日)
 
 雑用のために大学に日曜出勤してから、新国立劇場へ牧阿佐美振付『椿姫』を観に行く。おお、ザハロワの美しいこと。これまでみたなかで最も美しいマルグリットであると同時に、これまでみたザハロワの中でもいちばん美しかった。女優といってもおかしくない。
 装置も美しかった。で、バレエはというと、一言でいえば、19世紀バレエにところどころマクミラン風のドラマティック・バレエをほんのちょっぴり混ぜ込んだ作品であった。親しい友人(音楽の専門家)は休憩時間に「もうたくさん」と言って帰ってしまった。それは正解だったかもしれない。休憩の後、信じられない光景が繰り広げられ、目を疑ったのであった。
 
 夜、テレビで女子フィギュアのグランプリ・シリーズのカナダ大会を観る。淺田真央は、昨夜のショートプログラムでは3位だったが、フリーで逆転優勝。めでたい。イチローもそうだが、天才というのは、観ていて本当に気持ちがいい。
11月3日(土)
 
 1936年にバレエ・リュス・ド・モンテカルロで初演されたミハイル・フォーキンのバレエ『愛の試練』を韓国国立バレエ団が復元上演するというので、ソウルまで観に行ってきた。水・木と2日間続けて観て、きょう帰ってきた。
 どうして韓国のバレエ団が70年前のフォーキンのバレエを復元することになったかというと、韓国の古い物語を題材にしたバレエなのである。
 失礼ながら、韓国のバレエは日本ほど一般的ではなく、まだまだ観客も少ないが、それだけでなく、バレエ研究も日本よりずっと遅れている。フォーキンの『愛の試練』が韓国の話であることは昔から知られている事実であるが(私だって知っていた)、韓国ではつい昨年までまったく知られていなかったのである。
 ちなみに、プログラムには「音楽モーツァルト」と書かれている。じつはフォーキンがこのバレエを作る8年前の1928年に、埋もれていたモーツァルトのバレエ曲がウィーンで発見されたというニュースが話題を呼んだ。フォーキンがこの曲を使ったのはそのためだと思われる。だがその後、これはじつはモーツァルトの曲ではないということが判明した。現在では、モーツァルト学者たちはこの曲をモーツァルトの作品には入れていないはずであるが(少なくともオックスフォードのバレエ&ダンス事典にはそう書いてある)、韓国のバレエ研究者はそのことをご存じないようである。あるいは、バレエ団が専門家に相談しなかったのであろう。いや、知っていて、集客のためにあえてモーツァルトということにしているのかもしれない。
 いずれにせよ、このバレエには他にもいろいろ謎があるので、近々フランスに行って調べたいと思っている。
 肝腎のバレエはどうだったかというと、バレエ・リュスの研究者である私には非常に面白かったけれど、現代の観客に受ける作品とは思えない。が、ひじょうに珍しい「韓国もの」バレエなので、韓国では今後も上演され続けるかもしれない。
 2日目は、人気スターのキム・ジュオンが主役を踊った。手足の長い美人バレリーナだ。聞いた話では、最近、韓国版「ヴォーグ」誌上でヌードを披露し、バレエ団から一ヶ月給料ストップという処分を受けたそうだ。かわいそうに。話題になれば、それだけバレエの観客が増えると思うのだが。
 
 『愛の試練』は30分ほどのバレエなので、今回はトリプル・ビル、つまり3本立てで、『愛の試練』の他に、『レ・シルフィード』と、ボリス・エイフマンの『ミュザジェット』(「ミューズを導く」の意」)が上演された。
 
 バレエ会場では、以前取材させてもらった国立芸術総合学校(日本の東京芸術大学に相当する)の舞踊科の主任教授(当時)の金先生とか、ユニバーサル・バレエの団長のジュリアとか、ボリス・エイフマンに会った。エイフマンに会うのは10年ぶりだが、向こうも私のことをよく覚えていてくれた(でも場所がソウルだから、私を日本人ではなく韓国人だと思っているのかもしれない)。
 私の『バレエ誕生』を韓国語に訳してくれた金先生にもお目にかかることができた。金先生は行きも帰りも車で送って下さった。
 
 『愛の試練』のヒロインの名は、春香(チュニャン)。春香は、沈清(シムチョン)と並び、韓国の口承文芸パンソリで最も有名なヒロインである。今年はいわば「チュニャン年」で、ユニバーサル・バレエが新作「春香」を上演し(前に書いたように、私はこれも観に行った)、国立舞踊団も伝統舞踊による「春香」を上演した。3つの「チュニャン」が上演されたのである。
 
 バレエの他に、いまソウルですごく人気があるというダンス・ドラマ「Bボーイに恋したバレリーナ」を観てきた。弘大(ホンデ)の近くにある小さな劇場でやっている。さしずめオフオフ・ブロードウェイという感じか。なんと毎日2回公演だというから、えらい。夜はバレエに行かねばならないので、4時開演の回に行ったのだが、平日の昼間だというのに、ほぼ満員だった。人気があるという噂は事実だった。タイトルのBは、ブレイク・ダンスのことである。
 韓国のストリート・ダンスのレベルは高いらしく、国際コンクールで優勝したりしているが、うちの娘なんかは、日本ではすでに廃れてきたので、代わりに韓国が目立つようになっただけの話だ、と憎まれ口を叩いている。たしかにこれまで国際コンクールを制覇してきたのは日本のブレイク・ダンサーたちだった。ダンスの世界でも、アメリカ→日本→韓国という順番に流行が伝わっていく傾向があることは確かである。
 さて、15人ほどのブレイク・ダンサーが登場するが、4人ほどは相当にレベルの高い、観ていて快いダンサーだった。あとはほとんど素人である。
 バレエを習っていたヒロインが、ブレイク・ダンスをやっている男の子に恋をして、バレエをやめ、ブレイク・ダンスを始めるというストーリーなのだが、このヒロインを演じるダンサーが、バレエもあまりうまくないし、ブレイク・ダンスもうまくないので、全体に印象が引き締まらない。もうワンランク上のダンサーがやれば、なかなか見応えのある舞台になるのだが。
 全体的には学園祭のノリというか、大学のダンス部発表会という感じ。でも、今度日本にくるブルーマン(むかし、ニューヨークでみた)も、そんな感じだし、いまやソウルの売り物のひとつになった「ナンタ」だって、最初はしろうとっぽいものだった。
 この「Bボーイ」も、磨き上げていけば、きっといい作品になるだろう。
 
 今回はかみさんもいっしょに行ったので、かみさんのお勧めで、北村(プクチョン)という地区を散歩する。景福宮と昌徳宮の間にあり、今春、金先生に案内していただいた三清洞と同様、かつては身分の高い人が住んでいた高級住宅地である。いまも伝統的な韓国式家屋が並んでいて、行政が保存に力を入れている。風水的にも非常によい場所らしく、なるほど散歩していて心地よい。
 が、多くの日本人には、何よりも「冬ソナ」の舞台として知られている地域だ。さすがにおばさまたちの「冬ソナ」ツアーも最近は下火になったようだが、それでもまだ、それらしきおばさまツアーの団体を見かけた。
 
 今回は鐘閣(有名なサモ・モーテルのあるところ)の近くにある安ホテルに泊まった。この鍾路(チョンノ)という場所は、ソウルのいちばん古い地区で、私はすごく好きだ。ホテルのまわりは夜中までやっている、おいしそうな大衆食堂がたくさん並んでいる。前にも、この近くのモーテルや、ラブホテルに毛が生えたようなホテルに泊まったことがあるが、どこも似た感じで、まわりの「下町感」がなんともいえず心地よい。
 貧乏人のせいなのだろうが、私は高級ホテルに泊まるとどうも落ち着かない。ラウンジでコーヒーを飲むと1000円以上とられるようなホテルは、「柄に合わない」ようである。
 
 今回は羽田ー金浦だったが、一度これで行くと、もう成田に行く気がしない。石原都知事に頑張ってもらって、オリンピックを誘致すると同時に、国際空港を全面的に羽田に移転してもらいたいものである。成田は遠すぎる。
 
 金浦空港でひと悶着あった。食堂で私がソルロンタンを食べている間、かみさんが階下のスーパーでコチュジャンを買ったのだが、これが手荷物検査に引っかかった。以前、招聘会社の社長夫人に同行したとき、彼女が同じスーパーでキムチを買い、それが手荷物検査に引っかかったということがあった。その話をかみさんにしておいたので、かみさんは店員に「これ、機内に持ち込めるんですね」と何度も念を押したところ、店員は「ビニール袋に入れれば大丈夫です」と答え、そのビニール袋までくれたのだそうだが、それは真っ赤な嘘で、やはりゲル状のものは100cc以上持ち込めないのであった。係員はJALのカウンターまで戻って預けろという。仕方なくJALのカウンターに戻ろうとすると、その係員が追いかけてきて、出発時間が近づいているので、間に合わないから、電話してJALの係員を呼ぶという。それで、JALのおねえさんがとんできた。
 もう出発時間を過ぎている。おねえさんが走り出し、われわれ夫婦にも走ってくれという。置いて行かれると困るから、われわれもゲートまで走ったのであった。頭上のスピーカーでは私の名前がアナウンスされている。「鈴木さま、出発時刻が迫っておりますので、ゲートまでお急ぎ下さい」。
 毎年何度から海外に出かけるが、ほとんど毎回、飛行機に乗り込んで出発を待っていると、「まだお乗りになっていない方がいらっしゃるので、みなさま少々お待ち下さい」というアナウンスがあり、しばらくすると、1人か2人があわてて乗り込んでくる。そのたびに、「ちぇっ、こういうふざけたやつがいるから、みんな迷惑するんだ。どうせ免税店で買い物をしていて遅れたんだろう。こんなやつ、置いていけばいいのに」と心の中でつぶやいていたのであるが、今回は自分が「こういうふざけたやつ」になってしまったのである。おお、恥ずかしい。
 でも、同じ空港の中で、機内に持ち込めない物を、「持ち込めます」と言って平気な顔をして売っているほうが問題なんじゃないの?
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