2007年10月の日記(↑時間軸)
 
10月30日(月)
 
 伊勢参りのお土産として江戸時代から有名だった「赤福」が、売れ残りを再利用していたことが発覚して、半月ほど前に店頭から姿を消した。そのおかげで売り上げ倍増したのが、便乗商売による類似品「御福餅」である。こちらも江戸時代から続いている店だそうだが、この御福餅も製造日を改竄していた(消費期限を一日先にしていた)という理由で、農水省と県が立ち入り検査をした。売り上げは激減するであろう。発売中止になるのかもしれない。
 もう、いい加減にしてもらいたいものである。
 不正のことではない。「騒ぎすぎ」である。そりゃあ、余り物を冷凍しておいてまた売るとか、1日前のものを「できたて」と称して売るのはよくない。そんなものを売りつけられたら、私だって「てめえ、ざけんなよ!」と怒鳴るであろう。でも、それだけのことではないか。ぷんぷん怒って、それでおしまい。
 発覚するまで、「これは古い」と気づくだけの舌をもった人はひとりもいなかったのであるし、だいたい死んだ人はおろか、腹をこわした人もいないじゃないの。そんなに大騒ぎするような話ではない。
 厚労省が血液製剤の投与を受けた患者情報を隠蔽していたというひどい話に比べたら、「かわいい」罪だと思う。新聞ででかでかと報道するような話ではない。
 
 同じ紙面の下の方に、京都で塾講師が女児を殺害した事件の控訴審初公判が報じられている。弁護側は「心神耗弱状態だったから刑は軽減されるべき」と主張したそうだ。いい加減にしてもらいたい。
 心神耗弱で責任能力がない、という主張じたいはまちがっていない。そういうことはありうる。だが、何度も書いているように、たとえ責任能力がなくとも、その人間が責任をとるしかないのである。
 「神の命令で殺した」という主張も認めよう。私は神の存在を信じないが、信じている人間がいることを認めないわけではない。が、神は責任をとらないのだから、命令された人間が責任をとるほかないのである。
 そういう意味で、私にいわせれば、ムルソーも有罪なのである。
10月28日(日)
 
 昨日は修士論文中間発表会。朝から晩まで十数人の発表を聞くという体力勝負の会であるが、私は途中で抜け出して歯医者にいっていた。ウィーンで甘いデザートを食べて以来、時々奥歯が痛むのである。ブリッジを造り直さなくてはならないのではと不安だったのだが、親知らずが摩擦で磨り減ってエナメル質が落ちて、象牙質が露出しているのだそうだ。しばらく歯医者に通わねばならない。口を開けで鏡を見るたびに感じるのだが、口の中はサイボーグ状態である。
 来年、再来年と、4人の院生の修論の面倒をみなくてはならない。みなさん、頑張ってくださいね。
 
 私は一時にひとつのことしかできないタイプである。昨年はハリウッドのミュージカル全盛時代に頭が行ったきりだったが、今年は春から、中世とルネサンスの舞踊の研究に没頭しているため、頭が中世のフランスやルネサンス期の北イタリアに行きっぱなしである。
 
 BSで、あみんの復活コンサートをみる。「待つわ」の、あのあみんである。「待つわ」は、歴史に残る名曲であることは認めるが、私自身はあまり好きではない。そもそも、さだまさしなんか尊敬する女の子は好きになれない。仮に知り合いになったとしても、話が合いそうにない。それはともかく、コンサートをみて、びっくり仰天。岡村孝子はむかしから藤圭子に似た美人であったが、加藤晴子のほうはおかっぱのブスだった。それが、なんとも美しいおばさんになっていた。人間、変わるものである。
 
 中国映画「孔雀」(2005)を観る。☆☆☆☆ 文革後の地方都市に住む一家、とくにその3人の子どもたちの「青春」を描いた作品。「中国的」としかいえない映画だが、じつによくできている。娘役のチャン・チンチューは、ポスト・チャン・ツィイーと言われる新星だが、なるほど美人だ。
10月25日(木)
 
 昨日の自分の日記を読んで、赤面してしまった。
 内田先生の日記を読んでいると、猛烈にお忙しい生活の様子がひしひしと伝わってくる。文字通り走り回っておられるのであるが、それに比べて、私ときたら「散歩老人」である。思わず、内田先生の住まいの方向にむかって「すみません」と言ってしまう。
 
 市川崑の『細雪』(1983)を観る。観るのは2回目である。市川崑という人は、小津や黒澤と比べるとはるかに低く評価されている。たしかに映画史上、小津や黒澤と比べれば扱いは小さくなるだろうが、独特の快楽を与えてくれる監督だ。「東京オリンピック」も「犬神家の人びと」も私のフェイヴァリットである。一言でいえば、カラー映画の映像美の巨匠ということになるのだろうか。
 『細雪』も、その映像美には目眩がするほどだが、それ以上に目眩を誘うのは、美女の競演である。岸恵子、佐久間良子、吉永小百合、古手川祐子の4姉妹。日本の最高の美女が勢揃いして、目眩がしないはずがない。そばで、かみさんがさかんに、「この中から一人をもらえるとしたら、誰がいい?」と何度も聞くのだが、この4人の中から一人選ぶのは無理だ。4人全部くれるっていうんなら、もらうけど。
 計画的だったのかどうか、知らないが、なんとも絶妙な時期に撮られた映画だ。その意味では一種の「奇跡の映画」なのであろう。岸恵子が老年にさしかかるぎりぎりの時期で、吉永小百合はすでに30台後半だが、ものすごく美しい。でも今回痛感したのは、佐久間良子が「堂々たる美人」だということだ。なんて美しいのであろうか。
 
 私のゼミは、個人の研究発表と、ゼミ全体の合同研究の二本立てでやっているのだが、今年度後期の合同研究のテーマは映像制作、つまり映画を撮っている。ドキュメンタリーではなく、劇映画である。脚本の骨子は私が書き、細部を学生たちが書いて、あとはすべて、カット割り、絵コンテ、撮影、録音など、学生たちに任せている。そばで眺めていると、なかなかよくやっているなと思うときもあれば、まだまだダメだなあと思うときもある。当たり前だが。
 11月中に完成しなければならないのだが、ちゃんとできるだろうか。
 
 きょうは東京バレエ団を観に行く。演目は「バレエ・インペリアル」と「真夏の夜の夢」。前者は、ある意味ではどうしようもなく退屈なバレエである。バランシンが、プティパとチャイコフスキーの築いたロシア帝室バレエの栄光に捧げたオマージュである。はやりの言葉でいえば「べた」のクラシック・バレエである。限りなく退屈であると同時に、何度でも観たくなるような至高のバレエでもある。
 フレデリック・アシュトンの作品は、今見ると古臭い作品が多いが、「真夏の夜の夢」は佳作である。短く凝縮されている点が何よりもよい。ゲストのアリーナ・コジョカルは、いまやロイヤル・バレエを背負って立つバレリーナであるが、きょうも完璧な踊りだった。天才というのはこういう人のことを言うのだろうと思わせる踊りだ。
10月24日(水)
 
 鎌倉中央公園というところに散歩にいく。うちから車で15分くらいのところにある、中を一周するのに約1時間かかる、小さからぬ公園である。日本の公園はたいてい整地され、整備されているが、ここは半ば自然のままである。一歩外に出ると住宅地である点は、ロンドンに住んでいたときにこよなく愛したハムステッド・ヒースに似ていなくもない。
 田んぼや畑もあり、小学生が田植えをしたりするらしい。ちょうど稲刈りが終わったところらしく、刈った稲穂がたくさん干してあった。予定表をみると、今週末に脱穀するそうな。

 散歩こそわが人生である。こう感じるようになったのは、老人力がついたせいであろうか。
 
 夕食は天ぷら。といっても、精進揚げである。私はエビや魚の天ぷらがとくに好きではなく、私にとって天ぷらといえば野菜の天ぷらなのである。自分では揚げず、かみさんに揚げてもらう。かみさんが揚げるそばで、きんきんに冷えた白ワインを飲みながら、揚げたてを次々に食べるのは、う〜ん極楽である。
 
 夕食の後、DVDで「フィガロの結婚」を観る。グラインドボーンの舞台収録だが、なかなかいいプロダクションだ。気に入った。ハイティンクの指揮で、ルネ・フレミングが伯爵夫人をやっている。かつてはいかにもアメリカのネーチャンという感じだったが、ずいぶん貫禄がついたなあ。

10月21日(日)
 
 『奪われた記憶』の翻訳がそろそろ書店に並ぶはずである。著者のジョナサン・コットは、「ローリングストーン」誌の創立メンバーで、ボブ・ディランやグレン・グールドへの名インタビュアーとしても有名な人だ。
 私は20年ほど前に彼の『子どもの本の8人』という本を訳した。これも、センダックやトラヴァースへのインタビュー集だ。児童文学に興味ある人の間では根強い人気を保っているようだ(全然売れなかったけどね)。
 コットは、前から鬱病だったのだが、その治療のために電気ショック療法を受け、そのせいでぴったり15年間の記憶を失ってしまった。なんと悲惨な話だろうか。その記憶はいまだに回復していない。おそらく永遠に失われてしまったのだろう。(ちなみに、韓流ドラマに出てくるみたいな記憶喪失はめったにないし、もしあったとしても、記憶が戻ることはまずありえない。韓流ドラマは、アルツハイマー病を扱った日本のドラマや映画とはまったく違うのである。アルツハイマー病を扱った『私の頭の中の消しゴム』は日本のドラマが原作だ)。
 コットは、一念発起して、記憶の専門家たちにインタビューして、この本を出したのである。いやあ本当に面白い本である。
 記憶に関する本を訳すのは、ジョージ・ジョンソンの『記憶のメカニズム』以来12年ぶりである。
 ところで、電気ショック療法というと、すぐに「カッコーの巣の上で」が思い出されるが、いまだに世界中で使われている療法である。日本でも使われていて、ちゃんとHPもある。
 
 翻訳の仕事を始めてほぼ30年になる。最初の数年は「下訳」というものをやっていた。したがって自分の名前は表には出なかった。5冊くらい下訳をしたように記憶している。雑誌の短い翻訳も何本かやった。
 最初の翻訳書、つまり自分の名前が訳者として印刷されている本を出したのは26歳のとき。それ以来、どれくらい本を出してきたのか、ちょっと振り返ってみた。私は自分の過去の仕事に関してはいたって淡泊なので、厳密なことはわからない。だから、私がつくる著作一覧というのは、たぶん不備があるはずだが、たいした問題ではない。
 ざっと、こんな具体であることがわかった。共著、共訳も混じっている。
  翻訳書 著書
1978   1  
1979   1  
1980   3  
1981   3  
1982   1  
1983   4  
1984   0  
1985   2  
1986   1  
1987   2  
1988   4  
1989   3  
1990   3  
1991   6  1
1992   3  1
 
1993   2  0
1994   3  1
1995   5  0
1996   0  1
1997   3  0
1998   4  2
1999   2  1
2000   2  2
2001   2  0
2002   0  3
2003   1  0
2004   1  1
2005   4  1
2006   0  0
2007   2  2
 68  16

 訳書、著書を合わせても84冊。まだ100冊に満たないのだということがわかった。そうだったのか。
 死ぬまでにあと16冊出すというのは、まあ無理であろう。というか、もうそんなに仕事したくないよ。
 1年間に最も多く本を出したときでも、7冊が最高だ。1年に2桁出した年はないのであった。
 上の数字に大した意味があるわけではない。同じ翻訳でも、分厚い本もあれば、絵本もある。最初から自分でやったものもあれば、下訳に手をいれたものもある。10年以上かかった本もあれば、3日で仕上げた本もある。
 また、1年に3冊も4冊も出したときというのは、その年ではなく、前の年によく働いたということであるが、どうしてその年によく働いたのかは、今になってみるとよくわからない。たぶん夜遊びが過ぎて、借金返済の必要があったのであろう。
 翻訳書のうち、どうみても異色なのが「なぜうちの犬はトイレの水を飲むのでしょうか?」だ。タイトルは大好きだが(原題通りである)、どうしてこのような本を私が訳したのかというと、この出版社に私の大ファンという若い女性がいて、その人から頼まれたのである。「大ファンなんです」と言われて、若い女性にじっと眼を見つめられてしまったら、いやだとは言えないではないか。でも、リストを眺めると、まったく場違いですね。犬は好きじゃないし。

10月14日(日)
 
 一昨日は渋谷まで、金森穣が率いる Noism を観に行く。安藤洋子と仲村恩恵の振付だというので、期待していったのだが、何度も睡魔に襲われる。フォーサイスもどきと、キリアンもどき、と書いても、ダンスを知らない人には「なんのこっちゃ」でしょうね。
 タイトルはいい。「W-view」。Wは、振付家ふたりだからダブル。同時にワールド・ビュー(世界観)であり、ウィメンズ・ビュー(女の視点)なのだそうだ。
 金森くん自身の踊りもあいかわらず見ていて気持ちがいい。本当にいいダンサーだ。
 会場で有吉京子さんにお目にかかる。「本を送ってくれるって約束していたのに、全然送ってくれないじゃない?」と叱られる。すみません、すぐ送ります。
 
 昨日は五反田まで小林恭バレエ団の「バフチサライの泉」を観に行く。行こうかどうしようか、迷っていたのだが、下村由理恵と宮内真理子という、私のごひいきのバレリーナふたりの競演なので、出かけていった。が、近年まれに見るほど退屈な作品であった。
 このバレエを観るのは4回目くらいだ。すべて日本のバレエ団。マリインスキーのものは見たことがない。このバレエをいまだに上演しているのは、マリインスキーを除けば、日本のバレエ団だけであろう(ロシアの地方のバレエ団はやっているかもしれない)。欧米のバレエ団でこれをレパートリーにしているバレエ団はたぶんないだろう。
 作品自体はわるいというのではなく、演出がひどい。
 ところで会場に行って席に着くと、近くにいた女性バレエ評論家の声が聞こえてくる。その隣のやはり女性バレエ評論家が「きょうのバレエは長いですねえ」と言ったのに答えて、こんな声が聞こえてくる(この人、声が大きい)。
 「昔のバレエはみんな長いのよ。歌舞伎と同じで、途中で食事したりして、ゆったり観ていたのよ。みんな最初からは観なくて、第二幕から観たそうよ」
 どうもこのバレエを19世紀のバレエだと思っているらしい。「バフチサライの泉」は、1930年代のバリバリ・ソ連バレエですよ。
 それに第二幕から観るというのは、オペラの話である。パリ・オペラ座で上演されるオペラは第二幕にバレエを入れるという決まりがあり、若い踊り子目当ての貴族の青年たちは第二幕から観に行ったのである。
「こんなところで悪口言ってないで、じかにそう言えばいいじゃないか」と言われるかもしれないが、あちらはお偉い評論家なので、私のような格下の無名・弱小評論家が意見するなんて、とてもできないのである。だいたい悪口というのは陰でするものだし。
 さて肝腎のバレエであるが、せっかく下村と宮内と黄凱をゲストに呼んだのだから、見せ場をつくればいいものを、つまらないマイムばかり多い。ギレイ汗が嘆く場面がやたらに長い。観客に、このバレエはつまらないという印象を与えたにちがいない。
 ダンスマガジンの浜野さんが来ていたので、帰りにワインを飲みに行き、これから3年間に3冊本を書く約束をした、ような気がする。
 
 きょうは散歩がてら、かみさんと光明寺の十夜法要に出かける。うちから歩いて1時間ほどのところにあるが、駅まではバスで行く。
 光明寺は浄土宗のお寺である。浄土宗の総本山は知恩院だが、大本山というのがいくつかあって、光明寺はそのひとつ(芝の増上寺も大本山のひとつ)。
 十夜法要は1495年以来ずっと続いている行事だそうである。夜店がたくさん出るので、子どもが小さいころに連れて行った記憶があるが、それ以来ご無沙汰していたので、たぶん参詣するのは15年ぶりくらいだ。
 ほとんど人気のない材木座海岸を散歩しながら帰宅。
10月9日(火)
 
 街じゅうに、キンモクセイが香っている。注意して見ると、庭にキンモクセイの木を植えている家がけっこう多いことに気づく。花は小さくて目立たないが、その香りの右に出るものはない。
 
 黒川紀章さんが亡くなった。まだ73歳だ。私がいま住んでいる家は、国際的な建築家である黒川さんの建てた数少ない一般住宅のひとつである(一般住宅といっても、かなり風変わりな家ではあるが)。わが家主は、黒川さんと京大時代に友人どうしだった関係で、黒川さんに設計を依頼したのである。むろん実際に設計を担当したのは黒川さんのお弟子さんだが、建築途中で何度も黒川さん自身が現場を訪れたそうだ。
 わが家主は仏文出身でフランス趣味の人なので、できるだけ陽光を入れないという方針で建てられている(パリでは、日が当たると家具が焼けるという理由で、北向きの部屋が好まれる)。そのため、ひじょうに暗い。わが家族が引っ越してきたとき、かなり改装して、ふたつ大きな窓を開けたのだが、これがなかなか大変だった。壁が鉄筋コンクリートで厚さが30センチもあるのだ。
 小さな家ではないのだが、独り暮らしの家主のために建てられた家なので、「ひとり用」にできているから、小さくないにもかかわらず、私は屋根裏部屋のような狭いスペースで仕事をしているし、かみさんも「あたしの部屋がない」と年じゅうこぼしている。いちばん広いスペースは玄関ホールなのだ。
 
 秋になり、気温が下がるに従って、自分の「生きるテンション」が目に見えて低下していくのがわかる。
 最近、「地球温暖化防止のために、私たちに何ができるか」といった提言が目にとまらぬ日は一日としてないが、私には、地球温暖化防止に一役買いたいなどという気持ちはまったくない。理由はふたつある。
 ひとつは、私の場合、単純に「温暖化」は歓迎だからだ。東南アジアみたいに暑くなったって、私はいっこうにかまわない。地球が寒冷化しているのだったら、未来を考えただけで文字通り震え上がるが、温暖化は大いに結構である。ハワイや東南アジアまで出かけなくて済むし。
 もうひとつの理由は、内田樹先生も書いておられたが、二酸化炭素の増加と地球温暖化の因果関係は科学的に実証されたものではないからである。知人が教えてくれた本によると、二酸化炭素増加は温暖化の原因ではなく、むしろ結果だという。たぶんこちらのほうが真実だろうと私は信じている。温暖化は太陽のせいなのだ。
 だから、温暖化を阻止することはたぶん無理なのだ。
 むろん、このことと、他の様々な自然破壊とは話が別である。私はいっさいの自然破壊に反対する。
 といっても、ふつうに暮らしているだけでも、日々自然を破壊しているわけだが、こればかりは仕方がない。
 すべては程度問題である。これがベスト・ポリシー。
10月6日(土)
 
 法政の授業はすでに第2週目に入ったが、昨日は早稲田の授業も始まる。2,3日前の朝日新聞に報じられていたが、大学はあいかわらずもめている。
 
 夏休みに2冊しか翻訳しなかったツケがまわってきて、ここにきてめちゃくちゃ忙しい。やれやれ。
 
 一昨日は三軒茶屋のシアタートラムまで、カンパニー・サミュエル・マチューの「Us-Band」を観に行く。スキンヘッドに無精髭、白いTシャツに黒いパンツ姿の、4人のゲイのお兄さんがくんずほぐれつ、というダンス。何も起きないまま、終わってしまったのが残念。
 
 昨日は内田樹先生の小林秀雄賞授賞式。盛大なパーティだった。選考委員を代表して橋本治氏が挨拶。
 広い会場を埋め尽くしていたのは、ほとんどダーク・スーツの男たち。たぶんみなさん出版社の方たちなのであろうが、知り合いがほとんど見あたらない。そういえば最近、ほんの数人の編集者としか付き合っていないのだった。
 それでも20年ぶり、30年ぶりという編集者につかまり、「あの話はどうなりましたかねえ」「あの話って、なんの話でしたっけねえ」というとぼけた会話をする。
 2次会では、まるで小説の登場人物が本の中から抜け出してきたかのように、平川さん、山本画伯ご夫妻、だんじりエディターの江さん、釈徹宗師、名越さんなど、内田先生のブログの「登場人物」たちの「実物」がまわりにいて、なんとも楽しかった。
 小林秀雄賞というのがどれくらいの権威があるのか知らないが、ここ数年、出版界最大の「話題の人」である内田先生になにか賞をさしあげてお祝いをしたいという、出版界の人たちの願いが実ったという感じのパーティだった。実物の内田先生を見に来た、という人も多かったにちがいない。
 とにかく、めでたい。
 
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