2007年9月の日記(↑時間軸)
 
9月30日(日)
 
 3日間家にこもって朝から晩までキーボードを叩いていたら、さすがに腰が痛くなって、朝起きるのがつらい。
 
 先日、研究室に、早稲田の元助手がふらりと遊びに来た。生後まだ1ヶ月というふにゃふにゃの赤ちゃんを連れて。
 当然、私はずっとその赤ちゃんをだっこしていたのであるが、生後間もない赤ちゃんをだっこするのは、数年前にゼミの卒業生が子どもを連れてきたとき以来である。「子どもがほしい!」という欲望がまたむくむくと沸き上がる。
 「夫はいらないが、子どもは作れ」というのが、わが家の家訓である(私が勝手に決めた)が、どうも娘にはまだその気配が全然ない。どうやら娘は18歳で精神的発達が止まってしまったらしく、いまだに高校生ギャルとして、世間を甘く見ながら生きている。
 
 新聞によると、ビルマの「暴動」は沈静化しつつあるようだが、軍が平気で銃をぶっ放すのだから、誰だって怖くてデモに出られないだろう。
 軍事政権の横暴は、新聞が報じるよりもずっとすさまじいものだったようだ。26日の深夜、十数カ所のお寺に軍が数十台のトラックで乗り付け、銃撃しながら数百人のお坊さんを連行したという。死者はトラックに山積みになっていたという。
 政府は、仏教徒ではない少数民族出身の兵士に襲撃させているのだそうだ。
 ユーチューブでも、兵士たちがデモ隊に向かって発砲する光景を見ることができる。
 外務省は「民主化よりも経済復興」と主張しているが、ODAでもうけているのは日本の企業だという私の推測はたぶんまちがっていないと思う。
 
 東京の居酒屋では、ビルマから出稼ぎにきている若い男女をよく見かける。ある居酒屋の店主は「ビルマの人は勤勉でよく働くし、礼儀正しい。仏教のせいだろう。それに比べて、中国人はちょっと目を離すとさぼる」と言っていたが、たぶんその通りだろう。30億もいる中国人をひとまとめに評するのはめちゃくちゃな話ではあるが、宗教を知らず、腐敗した官僚主義の中で育った人びとに、まじめに働けといっても無理かもしれない。
 
 ビルマにはパガン遺跡という、アンコールワット、ボロブドゥールと並ぶ仏教三大遺跡のひとつがある。行ってみたいところのひとつだが、民主化運動組織は、観光は軍事政府を支援することになるから控えてくれと呼びかけているので、当分行けそうにない。
9月29日(土)
 
 『真珠の首飾りの少女』を観る。☆☆☆☆ フェルメールの一枚の絵から発想されたベストセラー小説の映画化。この絵はふつう「青いターバンの少女」と呼ばれている。オランダのハーグの美術館にある。ハーグには何回か行ったが、いつだったか、たまたまこの絵の修復が終わって公開されていたような記憶がある。
 ストーリー自体は大したことがないが、驚くほど「時代の匂い」のする映画である。見始めて1分もしないうちに17世紀オランダに引きずり込まれてしまう。
 そして何よりもスカーレット・ヨハンソンがすばらしい。『ブラック・ダリア』を観たときには、マリリン・モンローの亜流みたいな安っぽい女だなあと思ったのだが、その評価は謹んで訂正します。
 フェルメールを演じているのはコリン・ファース。『ブリジット・ジョーンズの日記』の、あの弁護士くんである。
 
 『ダロウェイ夫人』を観る。☆☆ なんとも英国らしい映画だ。風景を見ているだけでも、なつかしくて涙が出てくる。主演のヴァネッサ・レッドグレイヴはいつみてもいい。
 彼女を最初に観たのは『ジュリア』だったように記憶する。主演はジェーン・フォンダなのだが、レッドグレイヴが出てきたとたん、その圧倒的な存在感ゆえに、フォンダが田舎のねえちゃんというか、アメリカくさい、ださい女優に見えてきて、おかしかった。だいたい、ジェーン・フォンダは大根だし。
9月28日(金)
 
 後期の授業も2週目に突入。
 
 この秋はすでに2度、松茸の土瓶蒸しを食べたが、国産が買えるはずもなく、いずれも米国産で、かすかにしか香らない。それでもこの季節になると、食べずには済ませられないのである。土瓶蒸し用の土瓶は、このとき以外はまったく使わないが、それでも、ないと土瓶蒸しができないので必需品である。
 鰻重用の重箱も、たまにしか使わないが、やはりこれがないと鰻重ができない。
 というわけで、ごくたまにしか使わない食器によって、キッチンのかなりのスペースが占められている。西洋であれば、皿だけあればいいのだが。
 
 ビルマの民主化運動を支援するグループのMLを通じて伝えられる状況に、先週から注意を払ってきたが、日本人記者が死んだために、ビルマの紛争は新聞でも大きく報じられるようになった。今回の「盛り上がり」は僧侶が中心になっている(民主化運動を支援している人たちは、軍政が採用したミャンマーという国名を使わない)。
 お坊さんというと、日本では、せっせと財テクにいそしんだり、敷地にマンションを建てたり、墓地を建設したりして、夜は銀座のクラブで豪遊しているナマグサ坊主がイメージされるのだが、いまビルマの坊さんたちはデモ隊の先頭に立って軍隊と衝突し、すでに200人以上が逮捕されたという。
 24日には、3人の僧侶に率いられた群衆がアウン・サンスーチー氏が軟禁されている家に向かい、家から出てきたスーチー氏の顔を見ることができたそうだ。
 日本はミャンマー軍事政府に援助を続けており(一時中断したが)、欧米から非難されている。どうして非民主的な軍政を支援しているのか。たぶん支援で潤っている日本企業があるのだろう。
 
 『夜になるまえに』を観る。☆☆☆ ラテン・アメリカ文学の旗手のひとりとして有名なレイナルド・アレナスの伝記映画である。彼の作品は、映画の原作となった自伝をはじめ、いくつか邦訳されているが、この映画で注目すべきは、ジョニー・デップが2役で出演していることだ。ひとつはドラッグクイーン、つまり女装おかま。タバコ1000本と引き替えに、アレナスの原稿をビニールで包み、筒状にして肛門から腸の中に入れ、監獄の外に持ち出す。もうひとつの役は、彼を尋問する将校だ。どちらもはまりすぎ。
9月25日(火)
 
 昨日は例によってエンドレス教授会。終わり頃には空腹と疲労で思考停止状態に陥る。
 週刊誌ネタにもなったようだが、いま、うちの大学は全体がまっぷたつに割れて、もめている。これまで総長(学長・理事長)は直接選挙で選ばれたのだが、それを理事会が強引に、自分たちで決められるように規則を変えようとしているのである。いまはやりのトップダウン方式にしたいらしい。
 
 自慢になる話ではないが、私は政治にも経済にもまったく興味がない。というより、何も知らない。よく生きていけるなあと自分でも思うくらいである。福田内閣が発足したそうであるが、新聞で大臣の名簿をみる気にもなれない。
 でも自己弁護するつもりはないが、政治が面白くないのは、アメリカの民主党と共和党、イギリスの保守党と労働党みたいな二大政党が日本にはないからだろう。自民党も民主党も、しょせんはどちらも自民党なわけだし、公明党だって保守なんだから、日本の政治には保守勢力しかないのである。仮に民主党政府になっても、何も変わらないだろう。そんなものが面白いはずがないが、でも面白くなくても国は滅びていないのだから、それはそれでいいのだろう。
 
 講談社のPR誌『本』の10月号で、本年度の江戸川乱歩賞を受賞した『沈底魚』の著者、曽根圭介がアングルトンとゴリツィンのことを書いている。「おやまたシンクロニシティ」だと思った。いま翻訳している本の中に、この2人が出てくるのである。
 『沈底魚』は、読んでいないが、スパイ小説だそうであるが、アングルトンというのはCIAの対諜報活動機関(要するに二重スパイを見つけ出す部署)の部長を20年以上つとめた人。ゴリツィンはアメリカに亡命した元KGB将校である。アングルトンは「CIAの中にソ連の二重スパイがいる」というゴリツィンの話をまるごと信じて、20年間CIAで「魔女狩り」をし、部下を次々に首にし、おかげでCIAの機能が麻痺してしまった、という有名な人物である。
 『アナザー・カントリー』という「腐女子映画」は、後にソ連のスパイになったガイ・バージェスのケンブリッジ時代を描いた映画だが、たしかケンブリッジ5人組と呼ばれる人たちがいて、彼らは超エリートだったのだが、みんなソ連のスパイになった。
 ゴリツィンはたしかそのひとり、キム・フィビーがソ連のスパイであることを後から知って人間不信になったらしい。アングルトン自身はたいへんなインテリで、T・S・エリオットの友人でもあった。
 いま訳している本の著者は、アングルトンとゴリツィンを「共有精神病だ」と書いている。共有精神病というのは、「folie a deux」(二人で狂う)の訳である。
 スパイの話が面白いのは、人間の信頼と不信が純粋な形で出てくるからだろう。だが私は頭がわるいので、二重スパイの話を読んでいると、すぐに頭が混乱してしまう。きっと私が二重スパイになったら(こんな頭の悪い人間をスパイに雇う国があるわけないが)、自分がどちらの味方なのか、すぐにわからなくなってしまうにちがいない。
9月24日(月)
 
 昨日は大学院入試のため、日曜出勤。
 本日は「振替平日」のため、平常通り授業。本日の授業は構造主義の講義と映像表現の講義。2コマ講義すると疲れ果てる。昔は平気で4コマやっていたのだが。寄る年波には勝てない。
 世間は祭日だということを忘れ、バスの時間をまちがえ、駅まで歩く。
 アマゾンからアルヴォ・ペルトのCD(弦楽オーケストラのためのフェスティナ・レント他)が届いたので、さっそくかけて、しんみりする。
9月21日(金)
 
 後期の授業が始まる。体も頭もまだお休みモードになっているので、しばらくはリハビリが必要だ。いや学生のほうも夏休みモードが抜けないらしく、教室の雰囲気がだらけている。
 
 海外旅行をしている間は、新聞を買って読んだりしないので、夕食の後、疲れ切ってホテルの部屋にたどりつくと、テレビをつける。いまは文明国ならどこでもBBCやCNNを見ることができる。場所によってはNHKのBSを見ることもできる。
 今回ヨーロッパに行って最初に飛び込んできたニュースは、パヴァロッティの訃報である。今世紀最大のテノールといってもいいだろう。私はとくに好きな声ではなかったが、青空のような爽やかな声だったことはたしかだ。
 生では一回しか聴いたことがない。ロンドンにいたときだ。ロイヤル・オペラは当時、いちばん高い席でも2万円くらいだったが、3大テノールが出演するときは4万円になった。きっと今はもっと高いだろう。
 ご本人を間近で見たこともある。ロイヤル・オペラの楽屋口である。出待ちをしていたわけではなく(私は出待ちというものをしたことがない)、たまたま通りかかったら、車の中からパヴァロッティが出てきて、劇場に入っていった。すでに自力では歩けず、秘書に支えられていた。10年以上前の話である。私のみた『仮面舞踏会』でも、自分が歌うとき以外は、袖に引っ込んで椅子に座っていた。新聞か雑誌に「ざけんなよ」という批評が出ていたことを覚えている。
 
 旅行中、テレビで毎晩見せられたのは「マデリンちゃん失踪」である。今後どう展開するのでしょう。
 
 日本に帰る飛行機の中で新聞をひろげて驚いた。「安部辞任」の大見出しが目に入ってきたからだ。あまりに無責任だとは思うが、なんの権力ももたせてもらず、自力では何もできなかったことは可哀想だ。小泉みたいに強引に権力を握ってしまうだけの力量はなかったようだ。
9月19日(水)
 
 2泊3日のゼミ合宿から帰ってきた。行き先は伊豆大島。
 サイクリング、海水浴、テニス、ドライブ、ハイキングと、盛りだくさんの合宿だったが、お勉強をしない初めての合宿でもあった(いつもは研究発表やらディスカッションをするのである)。内容について、私はいっさい口を挟まない。幹事によると、今回の合宿の目的は(1)離島体験、(2)青春謳歌、(3)体力づくり、だそうである。たしかに三原山登山はけっこうきつかったから、少なくとも体力はついたかも。
 私は色が白いものだから、夏の日焼けがはやくも落ちかけていたところだったが(だいたい10月になるとまた白肌に戻る)、またしっかり日焼けして帰ってきた。
 
 大島へは学生のころに一度友人たちと泳ぎに行ったことがあるが、そのときは夜行の船で行って、海水浴をして、翌日には帰ってきたので、三原山に登るのは今回が初めてである。夜に竹芝桟橋から出航して朝着くという船はいまでもあるようだが、たいていの人はジェット船でいくようだ。これだと、2時間もかからない。近くなったものである。
 
 高橋たか子に『誘惑者』という、野間文芸賞か何かを受賞した小説がある。女学校の生徒が2人で三原山にのぼり、一人だけ帰ってくる。一人は自殺したのである。調べてみると、帰ってきた女学生は以前にも2人連れで三原山にのぼっており、そのとき同行した女学生はやはり自殺したのであった。つまり、この女学生は2人のいわば自殺幇助をしていたのである。この小説は実際にあった事件をもとにしている。
 かつて三原山は自殺の名所だった。火口に飛び込んだのである。自殺する人は「一瞬にして焼ける」というイメージを抱いて飛び込んだらしいが(死んだ人に聞くわけもいかないから、本当のところはわからないけど)、べつに火口の底に溶岩が溜まっているわけでもないから、実際には途中でひっかかって、有毒ガス中毒で死ぬのだ、と昔聞いたことがある。火口の中にはあちこちに白骨死体が引っかかっているとも聞いた。
 三原山で自殺、というのは最近はやらないようだ。学生たちは火口の縁に立って、ぜいぜい言いながら、「自殺するのに、わざわざこんなに苦しい思いをして登ってこなくちゃならないなんて、理解できない」と言っていたが、たしかに。
 
 大島じたいが、今回35年ぶりに行ってみてわかったのだが、絵に描いたような「すたれた観光地」である。船着き場も、いろいろな観光施設も、旅館も、死にかかっている。われわれが泊まった旅館も、ホテルとは名ばかりで、昔よくあった安普請で、冷蔵庫はさびついているし、廊下はぎしぎしいうし、トイレこそ水洗だが、そこはかとなくトイレの臭いがする。ほとんど「やる気なし」なのである。「あまり人が来ないからこれ以上設備投資はしないでやっていこう」という態度が見え見えである。思い切ったリニューアルをしないかぎり、数年後には大島全体がゴーストタウンになるであろう。9月のせいもあるだろうが、シャッターの閉まっている店が目立った。
 
 かつて大島は、やや大げさにいえば日本のハワイというか、「エキゾチックな観光地」だった。野口雨情と中山晋平のコンビによる歌謡曲「波浮の港」がヒットしたのは昭和3年のことであるが、私ですら知っているのであるから(「磯の鵜の鳥ゃ/日暮れにゃ帰る/波浮の港にゃ/夕焼け小焼け」とちゃんと歌える)、相当なロングセラーだったのである。さすがに、いまの若者は知らないだろうが。
 もう少し新しいところでは、都はるみがレコード大賞新人賞を受賞した「アンコ椿は恋の花」は、私が小学校6年生のときの歌だ。アンコは大島の方言で、女性に対する敬称「姉子」が訛ったものだ、ということをそのとき知った。
 この歌がはやったころ、私は中学受験の勉強をしながら、毎週ラジオの「歌謡ベストテン」を聞いて、ランキングをノートに書いていたものである。
 
 手ぬぐいを頭に巻いた、椿の花を摘む若い女性のポスターをよく見かけたものだ(いまだに大島の観光用ポスターはこれである)。いじわるな言い方だが、売り物は椿だけなのである(強いて加えれば、三原山とくさやと島とうがらしか)。
 誰もがグアムやハワイやプーケットに行くようになって、大島への観光客は激減したようだ。
 いや、大島はほんの一例にすぎない。湯布院のような「ニューウェーブ観光地」は渋谷や原宿のような混雑を呈しているそうだが(いつまでもつことやら)、その一方で、ほとんど廃墟のようになった元観光地が日本中にたくさんある。箱根ですら閑古鳥が啼いているという。どうにかしないと、と他人事ながら心配するのである。
 観光客が来なくなって、のどかな田舎生活が戻ってくるかというと、日本という国はそうはいかないのである。
9月16日(日)
 
 昨日は、「イリヤ・カバコフ展」のオープニングに出席するため、かみさんと、神奈川県立美術館の葉山分館まで行く。ふつうなら車で20分くらいなのに、3連休のためか道路が混んでいて、40分もかかった。
 葉山御用邸の隣りにある、眼下に一色海岸の海水浴場を見下ろす、美しい美術館である。近くに住んでいるというのに、入ったのは初めてだ。
 イリヤ・カバコフはロシア人(ユダヤ人)で、現代アートの世界ではインスタレーション作家として有名だが、今回は彼の絵本の回顧展。むろんカバコフ本人も来ていた(私は彼のことをあまり詳しく知らないので、あえては話しかけなかった)。
 レセプションでは、沼野くんが乾杯の音頭。彼は東大教授であり、日本のロシア文学界を代表する秀才だが、後輩だから「くん」で呼んでしまうのである(大学院ではすでに先輩だったのだが、先輩後輩の序列は大学の入学年度で決まるのである)。
 
 家に帰ってきて、待望のサンマとナス焼きと冷や奴を食べながら、かみさんと旅行の思い出話。
 旅行中、かみさんは毎晩寝る前に、その日にどこへ行って何を見たかをすべてメモしていたが、何を食べたかまではメモしていなかった(領収書はノートに貼っていたが)。そこで旅行中に何を食べたのかを二人で思い出しながら書き留めていったのだが、プラハでの一回の昼食だけがどうしても思い出せない。結局、今日になって思い出した。ユダヤ人街で食べた、ソーセージや野菜を薄い牛肉で巻いたものだった。チェコ名物のローストポークではなかったため、印象が薄れてしまったのであろう。
 ほんの数日前の出来事がなかなか思い出せないということもあるのだ。何年も経ってしまうと、もう思い出すのは不可能だ。「備忘録」とはよくいったものである。
 一回の食事が一生忘れられない、ということもよくある。まだ死んでいないから「一生」というのもおこがましいが、ハンガリーで食べたチェリーのスープは一生忘れないであろう。
 
 ハンガリーについて、大事なことを書き忘れていた。ハンガリーといえば、トカイ・ワインである。大学生のときに初めて先生からご馳走してもらって以来(おそらく当時はソ連経由で安く手に入ったのであろう)、これまで数回しか飲んだことがないが、その味は忘れない。
 貴腐ワイン、つまりカビで腐敗したぶどうを使ったワインである。ハンガリーでもカフェやレストランでは、グラス一杯で1000円くらいとる、高いワインだ。貴腐だからすごく甘いのだが、蜂蜜のような、なんともいえず清々しい甘さで、一度味わったらかならず病み付きになる。
 トカイにもピンからキリまであって、トカイ・アスーはふつう貴腐ワインとふつうのワインを混ぜて発酵させるのだが、貴腐ワインだけを熟成したエッセンシアは小さい瓶でも10000円以上する。
 旅行中、ショッピングはいっさいしなかったのだが、最後の日、出発前に1時間に、近くのスーパーまで走っていって数本仕入れ、スーツケースに詰めてきた。だから、近いうちにわが家に来た方はトカイが飲めるのである。
 
 余談ながら、日本の旅行ガイドブックが外国のもの、たとえばロンリー・プラネットなどといちばん違う点は、まず写真が多いことである。それは日本人が視覚情報を非常に重視する民族だからで、このことはレストランのメニューやパラフィン細工のサンプルについても当てはまる。だがメニューについていえば、外国でも日本のレストランを見習ってか(いや違うな、自分たちで考えたのだろう)、写真入りのメニューがすごく増えている。海外旅行するたびにそれを感じる。だって、便利だもんね。学生時代、フランスを旅行したとき、手書きのメニューがなかなか読めず、読めてもどんなものかがわからず、苦労したものである。いやいまでも、多くのレストランではそのままだで、写真入りのメニューがある店は観光客向けだということができる。
 もうひとつの違いは、ショッピングに多くのページを割いていることである。これは外国のガイドブックにはほとんどない。日本人にとっては買い物も旅行の一部で、昔から、旅に出たらおみやげを買うのがならわしだったのである。
 今回、かみさんはハンガリーでヘレンドを買いたいと言っていたのだが、「買い物より観光優先」の方針のため、買えなかった。これはちょっと残念。日本で買うと2倍以上するのです。
 
 今回痛感したのは、外国の街を歩くとき、地図とガイドブックは欠かせないが、地図をみるたびに老眼鏡をかけなければ何も見えないという不便さであった。老人用の大活字のガイドブックを作ってもらいたいものである。
 
 プラハでもブダペストでも、もちろんウィーンでも、日本人観光客を数多く見かけたが、その数倍いたのは韓国人旅行者である。極端にいえば、どこに行っても、韓国語が聞こえてくるのである。韓国は海外旅行ブームなのだろうか。
9月15日(土)
 
 寒いヨーロッパから帰国したら、日本はまだ残暑の真っ最中。ヨーロッパでは、ジャケットの上に全天候型アノラックを着込んで歩いていたのに、日本ではまだ半袖だ。
 暑い季節に寒さを想像するのはひじょうに難しい。その逆もまた然りであるが、真冬にハワイに行くときの方がずっと想像がたやすい。熱帯はTシャツ1枚と決まっているのだから。今回も、ちゃんとネットでヨーロッパの天気予報をチェックしていたのだが、予報はあくまで予報にすぎない。思ったよりも寒かった。
 海外旅行に出るとき、初心者ほど荷物が多いものである。わが家はかなり慣れているほうなので、今回も二人で小さなスーツケースひとつにしたが(初心者はたいてい各自が大きなスーツケースをもっていく)、それでもかなり余裕があったので、最後の最後に、イギリス滞在時に買ったウォーキング用アノラックを入れた。結果的に、これがいちばん役に立った。これがなかったら、寒さに震えていたであろう。
 
 わが家は(といっても、娘は独り暮らしをしているので、かみさんと私のことであるが)、毎年少なくとも一度は海外に出ることにしているが、今年は結婚25年、つまり銀婚式なので、いつもより少し贅沢な旅行をしようということになっていた。
 最初に候補に挙がったのは南米、とくにマチュピチュ遺跡である。
 ところが、計画を詰めていくうちに、かみさんのほうは私が南米に行きたがっていると思いこんでいて、自身は乗り気ではなかったが、私に付き合うつもりだったらしい。ところが私のほうは、かみさんが行きたがっているから仕方なく付き合ってやろうと思っていた。そういう恐るべきコミュニケーション不全の実態が明らかになったのである。じつは誰も南米なんて行きたくなかったのだ。
 それで南米プランはあっさりキャンセルされ、東欧(最近は中欧と呼ぶようだ)に変更になった。プラハ3泊、ウィーン2泊、ブダペスト3泊。かみさんは3都市とも初めてだったが、私のほうは、プラハとブダペストは初めてだが、ウィーンは4度目なので、ウィーン滞在日数を少なくしてもらったしだいである。10日以上留守にすると、編集者から「人でなし」といわれるし。
 
 ウィーンの物価が高いのは昔からだが、いまや(ベルリンの壁崩壊後)プラハもブダペストも、日本より物価が高い。そういえば、イタリアもスペインも今や「安い」国ではないそうだ。ロンドンなんか、地下鉄の初乗り料金が700円だそうだ。物価が高いと、旅行の楽しみも半減であるが、「じゃあ行かない」というわけにもいかない。
 チェコもハンガリーもまだ通貨はユーロではない。チェコはコルナ、ハンガリーはフォリントであるが、たぶん近々ユーロに変わり、現在の通貨は使われなくなるだろうから、残った金はすべて円に両替してきた。
 行く前に、「円でもっていくと、レートが悪い」と聞いていたので、金はほとんどユーロでもっていったのだが、これは間違いであった。円でもっていくべきであった。
 
 プラハ中心部は、細い路地がくねくねと走っていて、街全体がテーマパーク化している。観光客の多さに仰天した。どの路地も観光客で埋め尽くされている。国全体をあげて観光に力を入れているらしい。
 それに比べると、ブダペストの街は暗い。
 
 3つの都市をまわるという観光旅行は今回が初めてだ。学生のときに、イギリス、フランス、スイス、イタリアを団体で回ったが、それ以来だ。今回は絵に描いたような観光旅行、つまり名所巡りであった。
 フランクフルト経由でプラハにいき、そこからウィーンは汽車、ウィーンからブダペストへも汽車。帰りはブダペストからアムステルダム経由で帰国。
 
 外国に行ったらその国の料理を食べるというポリシーを今回も貫いた。
 チェコはなんといってもローストポークと淡水魚のフライ。そしてビールだ。ほとんどどの店でも、出すのはピルスナー・ウルクェル。ピルスナーというのはドイツ語で、チェコ語ではプルゼニュスキー。日本では「ビールはドイツ」というイメージがつよいが、ドイツのビールのルーツはチェコである。チェコは世界のビールのメッカなのである。
 バドワイザーといえば、アメリカの「薄い」ビールの代表格であるが、元はチェコのビールで(チェコ語ではブディエヨヴィツキー)、現在も健在である。チェコのバドワイザーで働いていた職人がアメリカに渡って創業したのがアメリカのバドワイザーだそうだ。
 というわけで、チェコでは朝から晩までビールを飲んでいたのであるが、私はビールにうるさい人間ではないので、「おお、旨い」という感慨はとくになかった。寒かったし。
 ポークは毎日食べたが、これは旨かった。かならずザワークラウトと、クニドリーキ(蒸しパンみたいなもの)が添えられている。
 ウィーンではいつものように、ウィンナーシュニッツェル(薄い仔牛のカツ)を食べ、ゲシュプリツト(いわゆるワイン・スプリッツァー)を飲んだのであった。
 ハンガリー料理といえば、なんといってもグヤーシュ。いってみれば、ハンガリー版ボルシチである。これは旨い。パプリカが大量に入っている。パプリカには種類はいろいろあって、赤ピーマンに似ているものもあれば、唐辛子に似ているものもある。辛いものも、辛くないものもある。グヤーシュは辛くない。
 ティム・バートン&ジョニー・デップという黄金コンビの『エド・ウッド』の中で、ベラ・ルゴシが「グヤーシュが食べたい」とつぶやく場面があった。ベラ・ルゴシは1930年代にドラキュラ役で一世を風靡した俳優だが、もとはハンガリー人なのである。
 もうひとつ有名なのがハラースレー。これは魚のスープである。これをレストランで注文したら、給仕が仰天した顔をしたので、なぜだと尋ねると、「ハラースレー」の発音がハンガリー人みたいだというのである。でも私はまったくハンガリー語ができないので、これはただの「まぐれ」である。魚のスープといっても、たいていの店で出すのは鯉のスープだ。少なくとも私が食べたのは2回とも鯉のスープだった。数年前、雲南省で毎日食べさせられた鯉鍋を思い出した。私は鯉の匂いがあまり好きでないので(「洗い」は好きなのだが、最近食べさせる店がなくて困る)、次回はきっと食べないであろう。
 そうそう、もうひとつ有名な料理があった。冷たい果実のスープである。これは世界広しといえども、ハンガリーにしかないらしい。2度食べたが、2度とも、生涯忘れられないくらい旨かった。一度目はプラム(すもも)のスープで、二度目はチェリー(さくらんぼ)のスープだった。ジュースとどこか違うのかといわれると困る。甘みを抑えてあるところが違うだけのような気もする。
 いや、もうひとつ有名なものがあった。フォアグラだ。3000円くらいで、生フォアグラのソテーがたっぷり食べられる。でも食べ過ぎて、あとでもたれる。脂肪肝を食べて、自分が脂肪肝になってしまう。
 
 ハンガリーというと、温泉が有名である。ブダペスト市内に何カ所もある。火山はないのに、どういうわけか、どこを掘っても温泉が出るらしい。私たちはたまたま温泉付きのホテルに泊まり(選んだわけではない。偶然である)、宿泊客は温泉が無料だったので、もっぱらそこに入った。公衆浴場はふんどしのようなものをつけて入るらしいが、ホテル内の浴場はいわゆるスパ・リゾートで、水着着用であった。プールとジャグジーとサウナとスチームサウナがあって、マッサージ、泥パックなどもある。水着のうえにバスローブを着て、スリッパのまま、ホテルの中を歩いて浴場まで行くのである。こんなホテルは、ヨーロッパでは珍しいのではなかろうか。少なくとも私は初体験だ。
 
 チェコの言語は、いうまでもなくチェコ語である。ロシア語と同じスラヴ語なので、ある程度はわかるが、いまやプラハは国際的観光地なので、じゅうぶん英語が通じる。
 ウィーンも、基本的にはドイツ語だが、歴史ある観光地だから、どこでも英語が通じる(私はドイツ語は片言しか話せない)。
 ハンガリーはマジャル語。これはインド・ヨーロッパ語とは根本的に異なる言語なので、単語が見事にひとつもわからない。これはかなり衝撃的な体験だった(じつは数年前、マジャル語をかじったのであるが、あまりに難しいので、すぐに断念してしまった)。
 中年以上の人は英語がまったく通じないが、若者たちはきれいな英語を話す。社会主義政権崩壊後、英語教育に力を入れているのであろう。
 プラハやブダペストではロシア語も通じるようだったが(ロシア人観光客も少なくない)、暗い過去を思い出して厭な顔をされると困るので、ロシア語は使わず、英語で通した。
 
 プラハでは、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』が初演されたエステート劇場(スタヴォフスケー劇場)で、その『ドン・ジョヴァンニ』を観た。
 だがじつは、そこに辿り着くまでに、恥ずかしい話がある。昼間、チケットを買おうと思ってエステート劇場にいくと、正面入口でチケットを売っていた。だがそれはオペラのチケットではなく、モーツァルトのアリア集だという。「オペラはないのか」と聞くと、チケットを売っていたお姉さんは直接には答えず、「これはオペラではなく、アリア集だ」という。時間は5時から1時間だという。まわりを見回しても、オペラのことを何も書いていない。「そうか、オペラは中止になり、アリア集に変更になったのか」と勝手に解釈して、そのチケットを買ったのだが、それは歌手2人、演奏3人のちゃちなものだった。無名のグループが観光客をねらって、劇場を借りて、オペラが始まる前に、コンサートを開いていたのである。チケット売りのお姉さんは、私がオペラを観たがっているのをちゃんと知っていて、「オペラはないのか」という質問に、「これはオペラとは別の催しだ」とは答えず、「これはオペラではない」と答えたのだ。だから、べつにだまされたわけではないが、一杯食わされたことは確かである。
 結局、本物のオペラを観る前に、法外な値段で、そのちゃっちいコンサートを観るはめになった。おっちょこちょいの典型である。
 
 チェコはマリオネットが有名なので、「国立マリオネット劇場」という名の小さな劇場で『ドン・ジョヴァンニ』を観たが、これはひどいもので、時間の無駄であった。
 (ちなみにプラハの売り物はモーツァルトとカフカである。街のいたるところでモーツァルトのコンサートをやっており、フランツ・カフカという名のカフェがほうぼうにある)。
 
 ウィーン初日は、フォルクスオーパーで新演出の『天国と地獄(地獄のオルフェ)』があることは知っていたのだが(この劇場にふさわしい演目だ)、プラハから汽車でウィーンに着くのが午後6時過ぎだったので、間に合わないと思い、その日のオペラ鑑賞は諦めていた。でも現地に着いてみるとやはり、途中からでも観たいと思い、フォルクスオーパーまで出かけた。だが当然ながらすでに始まっていた。係の人に「後半だけでも観たい」と言ったのだが、もうチケット売り場を閉めてしまったからだめだと言われた。満席でないかぎり、途中からでもチケットを買えるものだと思っていたので、これはショックだった。諦めきれずにロビーでぐずぐずしていると、係員が同情してくれたらしく、どこからかチケットを2枚出してきてくれた。大喜びで値段をきくと、無料でくれるという。おかげで後半を観ることができた。しかも、すごくいい席だった。こんな体験は初めてである。捨てる神あれば拾う神あり。
 翌日は国立歌劇場で『魔笛』を観た。朝チケット売り場にいったら、ほんの数枚しか残っていなかったのだが、なんとか手に入れることができた。ところが、ここでまたドジを踏んだ。日曜日なので4時開演だったのだが、どういうわけか私は5時開演だと思いこんでいて、40分も遅刻してしまった。やれやれ。でも新演出の『魔笛』はひじょうに面白かった。
 
 ブダペストでは、国立歌劇場で『ナブッコ』を観ようと思い、昼間劇場までチケットを買いに行ったのだが、売り切れだという。がっかり。
 いつもならば、ちゃんと事前にチケットを予約するのであるが(ロンドンに住んでいるときには、ロイヤル・オペラはもちろん、パリ、ウィーン、ベルリン、アムステルダムなどへ何度もオペラを観に出かけた)、かみさんはとくにオペラ・ファンというわけでもないので、今回は観光中心とし、夕方疲れていなければオペラにも付き合ってもらおう、というくらいに考えていた。だからチケットは予約しなかったのである。
 それでも、現地に行って、売り切れと聞くと、悔しくて仕方がない。
 売り切れなんだから諦めよう、と自分に言い聞かせるのだが、それでも悔しい。
 夕方、再度劇場にいって、何度も窓口にいくが、あいかわらず答は「ないものはない」。私はついに諦めたのだが、暗い顔をしている私に同情したのであろう、かみさんが粘り強く頑張ってくれて、最終的に奇跡が起こり、とてもいい席を2枚手に入れることができた。もつべきものは賢妻である。
 
 そのお礼に、というわけでもないが、帰途、アムステルダムでの待ち時間が3時間だったのだが(乗り換えの待ち時間としては短いほうである)、かみさんをアムステルダム見物に連れて行った。もし電車の事故などがあれば、帰国便に乗り遅れてしまうから、かなりリスキーだったのだが。
 30分しか街を観る時間はなかったが、それでも運河や路地を連れ回し、有名な「飾り窓」のある界隈まで見せることができた。おぼろげながら道を覚えていたおかげだ。
 オランダにはイリ・キリアン率いるネザーランド・ダンス・シアターがあるので、私は前に3度行ったことがあるのだ(飾り窓に、ではない。アムステルダムに、である)。
9月4日(火)
 
 昨日は久しぶりに大学に出て、研究室で1時間ごとに3人の編集者と打ち合わせ。夏休みもまだ半ばを過ぎたばかりだが、けっこう廊下で同僚とすれちがう。
 
 明日からしばらくヨーロッパに行くので、翻訳の校正ゲラを片付けて宅配便で出し、訳者あとがきと書評1本と舞踊評2本を書いて、それぞれメールで送る。
 プラハの明日の最高気温をネットでみると、げっ、14度。
9月2日(日)
 
 昨日、今日と、「ロシア・バレエのスターたち」を観に行く。ボリショイとマリインスキーといえば世界の頂点にたつ二大バレエ団であるが、この二つのバレエ団の合同公演というのは公式には初めてだそうだ。まさに粒ぞろい。たっぷり楽しませてもらった。
 チケットの売れ行きも大変よかったようで、何よりである。
 ほとんど「外れなし」だったが、とくに印象に残っているのは、オシポワとワリーリエフの「パリの炎」。いつだったか世界バレエフェスティバルでみたボアダとタバレス=ディニスのコンビもいまだに忘れられないほどすごいものだったが、今回の二人にも仰天。
 ロパートキナの「瀕死の白鳥」も、おそらく歴史に残るだろう。パヴロワとも、プリセツカヤとも違う、「ロパートキナの」「瀕死の白鳥」だ。
 今日は公演終了後に打ち上げパーティ。パーティでやることといったら、酒を飲むこと、なにか食べること、写真を撮ること、くらいである。私は、酒は飲むが、パーティではあまりものは食べない。ソーモワ、ルンキナ、ロパートキナなど、いろいろなバレリーナとツーショットを撮りたかったのだが、カメラを手にしてうろちょろするのもみっともないし、撮るごとに誰かに「撮って」と頼まなければならないので、今回はターゲットをイリーナ・ゴールブに絞る。撮ってくれた小町さん、ありがとう。
 ダンサーたちもほとんどみんなデジカメをもっていて、互いに写真を撮り合っていた。
 
 
 
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