2007年8月の日記(↑時間軸)
 
8月30日(木)
 
 先日、三洋電機の古い扇風機から火が出て火事になり、老夫婦が亡くなった。うちも扇風機を愛用しているので人ごとではないのだが、問題の扇風機は1970年、すなわち37年前に製造された製品だというから驚いた。37年間ずっと同じ扇風機を使い続けたというのもすごいが、37年間も壊れずに働き続けたという、日本の電気製品の技術的水準にも驚かされる。出火の原因はコンデンサの老化だそうだが、これは人間でいえば老衰だ。
 私たちは「壊れるまで使う」のが当たり前になっている。うちでも、電気製品を買い換えようと提案するたびに、かみさんからは「まだ使える」というにべもない答が返ってくるが、どんなものでも年を追うごとに古くなり、いずれは死ぬのですよ。火を噴く前に買い換えなくちゃ。
 
 きょうは早稲田と法政の大学院生2人にまる一日手伝ってもらい、舞踊関係の蔵書の整理をする。混乱状態が限界に達していて、原稿を依頼されるたびに本の山から参考文献を発掘しなければならない有様だったのである。スペースを作るために、英文学関係の本を大量に処分することにする。
8月27日(月)
 
 やっと翻訳を2冊仕上げる。夏休み中にもう2冊やってしまうつもりだったのだが、やっぱり無理だった。夏休みに無理な計画をたて、夏休みの終わりにそれを反省するというのを、小学校以来毎夏繰り返している。ほんと、進歩のない人間である。
 
 そろそろ夏も終わりに近づいた。プールもそろそろ終わりだし、あと数日すると、海の家も取り壊される。さびしいけれど、毎年のことだから仕方がない。
 大学をやめたら、冬のない暮らしを実現させるつもりであるが、どこに住むかはまだ思案中である。ハワイに住めばよいという人もいるが、あそこは文化的にも僻地なので、そう簡単にはいかないのである。
 
 この夏はずいぶん海に行った。じつはけっこう金がかかる。主に駐車場代である。自転車でいけば、いっさい金がかからないのであるが、ビーチパラソルから浮き輪からボディボードまでもっていくので、自転車では無理なのである。
 
 「海、海」と騒いでうるさいかみさんが所用で東京に出かけたので、午前中は静かに仕事をしていたのだが、青空を見ているうちに、惜夏の思いやみがたく、おにぎりと麦茶をもってビーチへ。
 おじさんが独りで浮き輪でぷかぷか浮いているのは、あまりいい眺めではないだろうが、まあ気にしない。
 ここ数日は波が小さく、ボディサーフィンもいまいち面白くない。
 
 私は何事にも中途半端な人間で、スノーケリングはやるけど、スキューバはやらない。水中窒息死恐怖症だからである。スノーケルなら、いつでも水面に出られる。
 同様の理由でサーフィンには興味がない。やるのはボディボードだけである。巨大な波に巻き込まれて海底にたたきつけられるのが怖いのである。
 
 帰りに夕食の買い物。きょうはサザエの壺焼き(かみさんの大好物)、(サンマではなく)アユの塩焼き、ジャコと水菜の和風サラダ、加えて今日は夏野菜の冷たい煮物をつくる。赤ピーマン、黄ピーマン、オクラ、カボチャを素揚げし、トマトを加えて、出汁(出汁と醤油と塩と砂糖とみりんと酒と生姜)とでことこと煮て、鍋ごと水に入れて冷やす。かみさんから、お褒めの言葉をちょうだいする。
 自分で作って自分で「うまい、うまい」と独りごちながら食べるのも嫌いではないが、やはり料理は自分だけで食べてしまうのはもったいない。
 
 先日から話題にしているアニー・デュプレについて、もう少しコメントしておく。ゴダールの『彼女について私が知っている二、三の事柄』でデビューした女優で、映画、テレビドラマに50本以上出ている。フランスでは知らぬ者のない有名女優である。
 いつだったか、旅の途中でパリに寄ったとき、彼女が出ている芝居をやっていて、観たかったのだが、スケジュールの関係で観られず、悔しい思いをしたことがある。
 彼女が8歳のとき、両親が浴室で一酸化炭素中毒で死んでしまい、そのショックで彼女は記憶喪失になってしまった。それを克服して女優になるまでを書いた自伝がフランスでベストセラーになった。自伝を書く女優はたまにいるが、デュプレはその後次々に詩や小説を出版し、著名作家になってしまった。著者は多いが、2冊だけ邦訳されている。どちらも感動的な傑作である。
 現在も、女優と作家の二足の草鞋を履いて暮らしている。現在の夫は16歳下である。
 ここではデュプレと書いているが、ひょっとしたら正しくはデュペレかもしれない。綴りは Duperey である。
 (フランス語の e の発音はむずかしい。アクセント記号がついていなければ、ふつうは「ウ」なのだが、たとえば「ディスクールの言語学者」Benveniste は、バンヴニストではなくバンヴェニストらしい。バレエ史上にも Ciceri という有名な人がいる。おそらくイタリア系で、イタリアではチチェーリというのだろうが、フランスではシスリかシセリか、いまだにわからない。インターネットで調べても、私が書いたページしか出てこない)。
 
 名前の連想で、ジャクリーヌ・デュ・プレの伝記映画(「ほんとうのジャクリーヌ・デュ・プレ」)が観たくなったのだが、見つからない。持っている人がいたら、貸してくれませんか。
8月26日(日)
 
 先日の夢の話だが、どうして目覚めたときに、頭の中に「薔薇のスタビスキー」という言葉だけが残っていたのか、いまだにわからない。
 とにかく、「夢のお告げ」に従って注文した中古ビデオが届いたので、立て続けに3本観る(いずれもDVDにはなっていないようだ)。どれもむかし観た記憶はちゃんとあるのだが、中身はほとんどまったく覚えていない。
 
 ゴダール監督の『彼女について私が知っている二、三の事柄』は、ゴダールらしい、ドキュメンタリー・タッチの、なんだかよくわからない映画である。アルバイトで売春をしている二人の女性(ひとりが主婦売春をしている主人公で、もうひとりがアニー・デュプレ)が、アメリカ人顧客の要求で、全裸で(たぶん。というのは首しか写らない)、頭から航空会社のショルダーバッグをかぶって歩くシーンだけ覚えていた。アニー・デュプレがまだ若くてかわいい。
 ちなみに私は、初期作品を除いて、ゴダールの映画を面白いと思ったことがない。
 
 アラン・レネ監督の『薔薇のスタビスキー』は、1933年にフランスで起きたスタヴィスキー疑獄事件を元にしている。その事件のことを知らないと、ちょっとわかりにくい映画である。スタヴィスキーはウクライナ系ユダヤ人詐欺師である。フランスの右派、左派がそれぞれ大同団結して(後者は人民戦線)、二大対立勢力の溝が深まるきっかけになった事件である。ジャン=ポール・ベルモンドがスタヴィスキーを、アニー・デュプレが愛妻アルレットを、そして夫婦の友人である男爵をなんとシャルル・ヴォワイエが演じている。まだ若きジェラール・ドパルデューがちょい役で出ているが、むかし観たときには全然気づかなかった。むかし観たときに、アニー・デュプレの厚化粧が印象的だったが、今回もそれは感じた。
 
 シドニー・ポラック監督の『ボビー・ディアフィールド』のストーリーは比較的よく覚えていた。F1レーサーのボビー(アル・パチーノ)は、献身的な恋人(アニー・デュプレ)と暮らしているが、死期が迫っているスイスの富豪女性(マルト・ケラー)と知り合って恋に落ち、彼女の最期を看取る、という話。むかし観たとき、マルト・ケラーの顔が好きになれなかったという記憶があったが(私はドイツ系あるいは北欧系の顔が嫌いなのだ)、今回も同じことを感じた。
 前に観たときも同じ感想を抱いたのだが、恋人と平和に暮らしている男が、死の迫った女性と運命的な恋をするというストーリーが気に入らない。私は昔から一貫して、平和で穏やかな愛情を好むため、運命的な恋とか、命がけの恋というのが嫌いらしい。
 
 で、この3本を観ても、先日どうして「薔薇のスタビスキー」という言葉が後に残るような夢をみたのか、さっぱりわからない。
 一時期、アニー・デュプレに熱を上げていたのだが、今回ビデオを観て惚れ直すということはなかった。「過去の女性」のひとりになっていた。
 
 昨夜はこんな夢を見た。ガソリンスタンドで車に給油するのだが、店員が給油してくれている間に、私は車からおりて、そのまま歩いて家に帰ってしまう。夜中になって、車をGSに置きっぱなしにしてきたことを思い出し、歩いて取りにいこうとするのだが、そのGSは気が遠くなるほど遠く、歩いても歩いても辿り着かない。だいたいGSのある場所がよくわからない。前にも同じ場所を夢に見たことだけを覚えている。途中に急な坂があって、ふうふう言いながら上りつつ、「疲れる夢だなあ」と夢の中で思ったことを覚えている(ということは、かなり「浅い夢」だったらしい)。ようやくGSに辿り着くと、すでに閉まっているのだが、まだ店員たちが残っていて、車を出してくれる。それに乗って家に帰る、というだけの夢だった。
8月23日(木)
 
 昨日は、テレビの収録(新日曜美術館、9月2日放映)のため、目黒にある都立庭園美術館まで出かける。
 テレビというのは、できれば出たくないものであるが、関係している「舞台芸術の世界」展の宣伝のためだから、協力しないわけにはいかない。みなさん、ぜひお出かけ下さい。
 庭園美術館というのは、元来はなんとかの宮邸で、私が子どもの頃は白金迎賓館と呼ばれていた。その後、プリンスホテルになり、そのプールで泳いだ記憶もある。
 アール・デコの興味深い建物なので、美術館じたいが鑑賞の価値があるのですよ。来てくださいね。9月17日までです。
 
 東京の町を歩いていると、肌がちりちりと焼け、頭がふらふらしてくる。おお、快感。
 
 きょうは夏休み2回目のオープンキャンパス。明治大学とバッティングしているそうで、そのせいか、前回よりも来訪者が少ない。
 前回も書いたが、学生たちが本当によく働いている。
 
 さあ、サンマの季節だ。
 これからはほとんど一日おきくらいに、サンマの塩焼きが食卓に登場することになる。うれしいことに、今年は大漁だそうである。
 
 夢を見たのだが、どんな夢だったのか、まったく覚えていない。ただ、目が覚めたとき、頭に「薔薇のスタビスキー」という言葉だけが残っていた。
 これ、なんだっけ? 昼頃になって、ふと、ジャン=ポール・ベルモンド主演の映画のタイトルだったことを思い出す。相手役はアニー・デュプレだ。そういえば、アニー・デュプレが夢に出てきたような気がする。彼女には、シドニー・ポラックの『ボビー・ディアフィールド』(主演はアル・パチーノ)を見たときに一目惚れしたのだった。
「私のことを思い出して」というメッセージだったのだろうか。なんだかよくわからないが、ネットで『彼女について私が知っている二、三の事柄』と『ボビー・ディアフィールド』と『薔薇のスタビスキー』の中古ビデオを注文する。
8月21日(火)
 
 畏友、というよりほとんど師匠である高山宏さんから、仰天するようなタイトルの新著が届く。『超人 高山宏のつくりかた』。帯のコピーがまたすごい。「学魔降臨。〈学魔〉タカヤマの疾風怒濤の人生。愛も哀しみも怒りも喜びも全て飲み込み、魔一匹、〈知〉の冥府魔道を行く」。
 よくまあこんなすごいタイトルを付けるなあ。付けたのは編集者ではなく高山さん自身にちがいない。
 高山さんとは、ともに由良君美門下である。高山さんは由良先生とは微妙な距離をおいていたし、私も門下生のなかではちょっと外れた位置にいたが、由良先生の薫陶を受けた、というか毒に当てられたことには変わりがない。
 さて高山さんのご本の中身は回想録であるが、膨大な数の書物が出てくるところが高山さんらしい。
 
 種村季弘の『贋物漫遊記』『食物漫遊記』『書物漫遊記』を続けて読む。種村先生の一周忌の頃に、奥様が送って下さったものである。種村先生にお目にかかったのは2度だけである。一度は池袋西武でおこなわれた「世紀末ウィーン」に関する講演会で、そのときの講師は種村季弘、池内紀、松山巌、西成彦、そして私が司会を務めた。
 講演会が始まる前、西くんと二人で種村先生をお出迎えし、喫茶店で、先生を前にして、二人で縮こまっていたことを思い出す。「きょうはこれこれのお話をしていただけますでしょうか」と、おそるおそる述べたら、ふところから紙を一枚出して、私のほうにポイと投げてよこされた。そこにはカフカに関するメモがかかれていた。そしてひとこと、「きょうはこの話をします」。
 終わった後、打ち上げがあったのだが、種村先生はすぐにお帰りになってしまった。こんな若造と飲んでも面白くないと思われたのであろう。
 二度目にお目にかかったのは、一度脳梗塞で倒れられた後の全快祝いの席だった。
 河出書房新社の「種村季弘ネオラビリントス」第4巻の解説を、私は書いている。このときほど緊張したことはない。まさしく「おそれおおい」ことであった。
 そのお礼にと、真鶴に住んでおられた種村先生があじのひものを送って下さった。こんな立派なひものは見たことがない、というほどのひものであった。実際、それ以来、あんな立派なひものは一度も見たことがない。
 種村先生にはもっと長生きしていただきたかった。
8月19日(日)
 
 『フラガール』を観る。☆☆☆☆ こんなにいい映画だと知っていたら、もっとはやく観るんだった。崩壊しつつある共同体内部の対立や、親子、師弟関係の描き方はいささか図式的だが、ダンスの魅力を描いた映画として、ダンス映画史に残る傑作だ。
 夕張に引っ越していく少女が、ダンス教師(松雪泰子)に向かって、「(フラダンスを習っていたときが)生まれてからいちばん楽しかった」という場面からエンディングまで、ずっと涙がとまらなかった。
 松雪泰子演じる平山まどかのモデルは、常磐ハワイアンセンターのフラガールズを育てたカレイナニ早川という人で、会ったことはないが、まだ70いくつかでお元気のはずである。以前、ドキュメンタリーを観たことがある。
 このカレイナニ早川とか、「金八先生」でも取り上げられた南中ソーランを指導した春日壽升といった舞踊教師たちは、舞踊の「正史」には残らないかもしれないが、こういう人たちのほうが、主流に属する人たちよりもずっと面白いかもしれない。
 ちなみに、『フラガール』と『ビリー・エリオット(邦題「リトル・ダンサー)』がともに炭坑を舞台にしているのは偶然ではない。常磐炭坑は常磐ハワイアンセンターがオープンした10年後に閉鎖された。後者の場合、廃鉱になったわけではないが、時代の変わり目(後者の場合はサッチャー時代)を描いていることには変わりがない。そして、その時代の変わり目を描く際に「ダンス」に光をあてたところが共通している。バレエ『ジゼル』やアンデルセンの『赤い靴』が描いているように、右肩上がりの社会ではダンスは社会悪の象徴である。だが時代の転換期には、そのダンスが未来への「光」になる。
8月18日(土)
 
 きょうは涼しい。最高気温28度だそうだ。まさかこれで夏が終わってしまうのではないだろうな、と不安になる。
 
 昨日は海に行ったら、ペルー地震の影響とかで、津波のおそれがあるから遊泳禁止だという。実際、10センチだか20センチだか海面が上昇したそうであるが、それくらいで騒ぐのはちょっと大げさではなかろうか。
 でも朝のうち30分くらいは泳げた。どういうからくりかというと、監視所がオープンするのは9時で、それまでは遊泳禁止という通達は出ないのである。つまり監視所がやっていない時間(夕方6時から朝9時まで)は、誰もが自己責任で泳げるというわけである。考えてみれば、ちょっと妙な話ではある。
 浜にあがってから、しばらく待っていたが、禁止が解除になる気配がないので(午後になって解除になったらしい)、市営プールにいく。もし解除にならなかったら、東京からはるばる来た人たちが叛乱を起こしたにちがいない。
 
 夕方、大学の後輩のA君と横浜で待ち合わせて、酒を飲む。彼は最近、藤沢方面に別荘を購入したそうである。ご立派。どうしてうちにはろくに貯金がないのであろうか。いや、その理由は自分で知っているのだが、恥ずかしくていえない。
 
 きょうは青山劇場まで「ローザンヌ・ガラ」を観に行く。ローザンヌ国際バレエコンクールの受賞者たちが主演するガラである。ロイヤル・バレエの崔由姫がとても印象的だった。いいダンサーだ。かわいいし。
 ダンスを観るとき、私が注目するのは、たとえばどれくらい高く跳べるか、何回回れるかといったことよりも、その技のフィニッシュや「つなぎ」のような、細かいところである。ダンスの場合も、「神は細部に宿る」のである。優れたダンサーは細部がいい。
 3時間という長い公演だったが、最後に貞松浜田バレエ団が、イスラエルのバトシェバ舞踊団を率いるオハド・ナハリンの作品のなかでも、おそらく世界的にいちばん有名な作品である、「マイナス16」を上演した。以前、日本でも上演されたことのある作品だが、なかなか印象的な、面白い作品である。
 
 ふと気がつくと、ここ数年の間に5キロも体重が増えているので、ダイエットすることにする。一日3食ともしっかり食べていると、どうしても体重が微増するのだ。
 ダイエットの方法は数年前にやったのと同じ。そのとき、私はこの方法で5キロ減量したのだった。その後とくにリバウンドはなかったが、気がつかないうちに(あまり熱心に体重計をみるほうではないので)、じわりじわりと増えていたのだった。
 この方法は、朝食を軽くする、昼食はプロテインのジュースだけ、ただし夕食は好きな物を好きなだけ食べて良い、というものである。要するに一日に一度だけ思う存分食べるというダイエットである。マイクロダイエットとか呼ばれているらしい。
 この方法で成功するかどうかは、空腹に堪えられるかどうかにかかっている。朝も昼も軽くすると、どうしても夕方、空腹感に襲われる。私は低血糖症でかつ胃酸過多なので、空腹時には胃が痛み、全身に力が入らない。そのために年中、空腹恐怖症に悩まされている。空腹が怖いと、空腹になる前に何か食べてしまう。それで太るのである。
 夜8時を過ぎたら何も食べない、というのはダイエットの常識である。私は夜遅くまで仕事をしていても、何も食べない。が、仕事をしていないときは遅くまで酒を飲んでいるので、たぶんこれが肥満の原因であろう。
8月17日(金)
 
 昨日は、プールで泳いだ後、東京までバレエを観に行く。東京バレエ団の『白鳥の湖』だが、一幕ごとに異なるパリ・オペラ座のゲストダンサーたちが主役を踊る、というお祭り的な公演である。
 久しぶりに会った女性の舞踊評論家がーーこの人はバレエがお好きではないらしくーー「つまらない」とか「下品だ」とか、ぶつぶつ文句ばっかり言っている。思わず「来なけりゃいいじゃん」と言いたくなる。
 私は学生にバレエ鑑賞法を教えるとき、かならず「いいところを探せ」と教えている。どんなダンサーにも、どんな公演にも、かならずいいところがある。もちろん欠点はいろいろあるだろう。たとえば『白鳥の湖』を例にとれば、ザハロワと比べたら、どんなバレリーナだって見劣りする。でも、ダメなところに目を付ける見方は時間の無駄だ。
 考えてみたら、これって教育と同じだ。教育者のつとめは、生徒の欠点や弱点を発見することではなく、いいところを発掘し、伸ばすことだ。
 
 バレエの後、ゼミの三期生の集まりに顔を出す。タクちゃんが中国に留学することになったので、その送別会である。この学年は女子7人に男子1人なのだが、とても仲が良く、今回も全員が集合した。そういえば、この学年はタイとハワイにゼミ旅行に行ったのだった。なつかしいなあ、首長族。
 その席で、タクちゃんの留学以上に衝撃的な告白がなされる。アヤカが11月に結婚するんだそうだ。おめでとう。お婿さんとは合コンで知り合ったのだそうだ。合コンでは恋人が見つからないという話はさんざん耳にするが、合コンで相手を見つけたという話は初めて聞いた。末永くお幸せに!
8月14日(火)
 
 さすがお盆休みである。かみさんと2人で朝9時に海岸に行ったのに、すでに駐車場は満車。30台ほどの行列ができていて、係のおじさんに聞いたら、3時間待ちだという。仕方なく、市営プールにいく。ここには50メートル・プールがあり、相当な人数がすわれる観客スタンドがある。かつてはいろいろな大会が催されたのであろう。スタンドの上のほうにいくと、海が見渡せる。そのスタンドに寝転がっていると、至福を味わえる。
 私は色白で有名なのだが、夏だけは真っ黒である。メラニン色素が少ないので、秋になるとすぐにまた白くなるのだが。
 子どもの頃の色白コンプレックスがいまだに尾を引いていて、夏になると焼かずにはいられない。情けない性である。
 
 タイで食べた、魚をニンニクと唐辛子と野草と香菜で蒸した料理の味が忘れられないので、イシモチを買ってきて、作ってみる。なかなかうまくいった。少なくともかみさんには大好評だった。お客に出せそうである。
8月13日(月)
 
 世の中はお盆休み週間に突入。一歩外に出てみたら、鎌倉の道路はものすごい渋滞である。海水浴客ばかりではないようだ。この暑さに、よく観光をする気になるものである。
 
 例によって近所の小学校のプールに行く。お盆休みでみなさんどこかに出かけたのであろうか、いつもよりさらに空いている。というか、ほとんど誰も泳いでいない。公共のプールを独り占めしていいものだろうか、と思ってしまうほどである。
 
 ゆうべカレーだったので(ただし今回はかみさんが作った)、その残りで、昼にカレーうどんを作る。メニューににしんそばのないそば屋はあっても、カレーうどんのないそば屋は皆無であろう。国民食のひとつなのである。カレー・ソースとだし汁の混ざった味は、B級グルメの王者である。
 ふと下を見ると、ズボンの股間がびっしょり濡れている。ついに老化がすすんで、辛いものを食べると失禁するようになったのかと溜息をつく。が、考えてみればそんな話は聞いたことがない。頭から滝のように流れ出た汗が顎からぽたぽた落ちていたのである。
 
 娘は、私に似て冷房嫌いである。大学の教室でも、さっさと冷房をとめて窓を開けるので、まわりから殺意のこもった視線を浴びているらしい。喧嘩になるから、冷房くらい我慢しなさい。
 私は今年も例によって、まったく冷房をつけていないが、たまに使わないと機械がいたむと言われて、時々つける。が、窓を開けて冷房をつけているので、あまり涼しくならない。「おぬし、省エネの3文字を知らぬのか」と言われそうだが、締め切って冷房をつけているとそのまま即身仏になって入定してしまうような気がするのである。
 かみさんは例によって自分の書斎はぎんぎんに冷房をきかせて、炊事と洗濯のとき以外は閉じこもって出てこない。
 
 BSで市川崑監督、吉永小百合主演の『映画女優』を観る。田中絹代の伝記映画であるが、田中絹代がどうして名女優とされているのか、私にはどうしても理解できない。感心したことがないのである。吉永小百合も大スター(ほとんど生涯を通じてアイドル)ではあるが、名女優ではない、というか相当な大根であるが、スターとかアイドルというのはそういうものだ。
 田中絹代の付き人の役を平田満がやっていたが、ふと思い出した。私が若い頃いちばんつきたかった職業は女優の(マネージャではなく)付き人、というか下男であった。
 
 内田先生のブログを読んだら、またお引っ越しされた由。お引っ越し先は御影だとか。わが恩師、生田耕作先生のお住まいがあった町なので、一度ならず訪れたことがある。
 それにしても、内田先生は超のつく超人である。大学では激職にあるというのに、毎月のように本を出され、講演や対談で全国を飛び回り、武道と能の稽古は欠かさない。それでいながら、不動産屋にいって部屋を探し、いちばん暑い時期にお引っ越しなさるなんて、常人には絶対にできないことである。「すごい」を通り越して「こわい」。
8月12日(日)
 
 昨日はふたたび家族3人で由比ヶ浜に泳ぎに行く。土曜日だったが、いつもより早く出かけたおかげで、滑り込みで駐車場に入れる。
 
 きょうは海にもプールにも行かず、朝からかりかりと仕事をして、昼から「ルグリと輝ける仲間たち」を観に行く。ルグリはまた来日するだろうが、「特別出演」したモニク・ルディエールはこの公演で舞台生活に終止符を打つそうだ。彼女の最後の舞台を観られたのは大収穫。
 
 夜、『武士の一分』を観る。☆☆☆ 『たそがれ清兵衛』も『隠し剣 鬼の爪』も大好きな映画であるが、この第3作目もとてもいい。木村拓哉の剣さばきはじつにうまい(私はかつて剣道部部長だったから、よくわかる)。永瀬正敏と松たか子の山形弁もとてもよかったが、キムタクの山形弁もじつにいい。壇れい、かわいい。
 山田洋次はハッピーエンドだから安心して観られるし。
8月10日(金)
 
 夏らしい快晴が続いているおかげで、気分は最高である。朝起きて外を見たとき、ピーカン晴れの空が広がっていればそれだけで、悩みなど吹き飛んでしまう。
 私はきわめて安上がりな人間で、暑くて晴れていれば、それでいいのである。
 
 娘が「里帰り」したので、一昨日はかみさんと3人で由比ヶ浜に泳ぎに行く。夜は、さざえの壺焼き、いかの丸焼き、あじの塩焼き、ゴーヤチャンプルーという、夏の食卓を囲む。
 
 昨朝は娘と二人で近所のプールに行く。子供会が団体で来ていたために、珍しく混雑していたが、しばらく待つうちにがらがらになった。娘は小学生の頃は水泳教室に通っていて、高校では水泳部だったので、すいすいと泳ぐ。
 腰にいいのはクロールだけだそうだが、子どもの頃にちゃんとマスターしなかったおかげで、私はいまだにクロールが苦手で、25メートルも泳げず、つい平泳ぎになってしまう。
 
 午後は、ばりばりと仕事をして、夕方、東京まで「アクロバティック『白鳥の湖』」を観に行く。昨年に引き続いての来日である。舞踊評論家さんたちは、こういう大衆娯楽を嫌うが、私は大好き。今回はプログラムに寄稿してしまった。
 演出も美術もださいが、主役のウ・ジェンダン(呉正丹)とウェイ・バォホァ(魏葆華)は「見なきゃ損」である。女性が男性の肩の上に、片足の爪先で立ち、アラベスクをする。それも、ゆっくり平均をとりながらやるのではなく、動きながら一気にポーズを決める。しかも静止は一瞬ではない。これができるのは世界中でこの二人だけである。
 
 帰宅後、かみさんと近所の覚園寺の「黒地蔵盆」に詣でる。黒地蔵というのは、地獄まで行って、劫火に苦しむ人びとを楽にするため、みずから火を焚く係になって火を加減し、その火を浴びて黒くなってしまったという地蔵尊である。夜中なのに、かなりの数の人が参拝に来ている。
 
 きょうは例によってプールでひと泳ぎした後、かりかりと仕事をし、駅の近くの炉端焼きで娘と待ち合わせ、生ビールを飲んでから、いっしょに花火大会にいく。途中でおにぎりと焼きそばを買う。
 花火も進化するもので、今まで見たことのない新種の花火がいくつかあった。
 
 ゼフィレッリの『永遠のマリア・カラス』を観る。☆☆☆ マリア・カラスは痩せるために、寄生虫を腹の中に飼っていたことで有名である。この映画とは関係ないが。
8月7日(火)
 
 かみさんと娘が、少々遅ればせながらの誕生日を祝ってくれる。由比ヶ浜にある豊龍という中華料理屋にいく。東南アジアの屋台を思わせる店構えだが、おいしかった。食べ過ぎて、ぶらぶら1時間かけて歩いて家に帰ってからも、まだお腹が苦しくて困った。
 途中、鶴ヶ岡八幡宮ではぼんぼり祭りをやっていて、境内に、何百もの、有名人が描いたぼんぼりが並んで、灯がともっている。
 
 アレッサンドラ・フェリとウェイン・イーグリングが主演しているロイヤル・バレエの『ロミオとジュリエット』は、バレエ・ビデオの中でも、私のベスト10に入る映像だ。フェリはまだあどけないが、歴史に末永く残るに値する映像である。何回観たことだろう。
 残念ながら、私はフェリがロイヤルにいた頃を知らない。その後、来日公演で何度も観てはいるが、『カルメン』でも『ラ・シルフィード』でも、失望させられたことも一度ならずある。
 でもやはり引退が惜しまれるバレリーナだ。
 19世紀、最も多くのバレリーナを輩出したのはイタリアである。『ラ・シルフィード』も『ジゼル』も『眠れる森の美女』も『白鳥の湖』(蘇演版)もすべてイタリア人バレリーナによって初演された。それが、どういうわけか、20世紀に入ると、イタリアからはほとんどバレリーナが出てこなくなる。20世紀を通じて、私が知っているのは、カルラ・フラッチ、アレッサンドラ・フェリ、ヴィヴィアナ・デュランテ、この3人だけである。
 バレリーナを、ロマンティック・バレリーナとクラシック・バレリーナに二分すると、フェリは明らかに前者である。ロマンティック・バレエは、20世紀にいわゆるドラマティック・バレエとして復活した。フェリが得意としたのも、マクミランの『ロミオとジュリエット』『マノン』、プティの『カルメン』、ノイマイヤーの『椿姫』などだった。
 そうしたドラマティック・バレエが最近また人気を博していることを考えると、やはり引退は惜しまれる。
 
 昨日の公演は、フェリとボッレをはじめ、10人のダンサーが出演したが、「粒ぞろい」であった。
 とはいえ、ホセ・カレーニョには衰えが顕著に見られた。相手役のパロマ・ヘレーラは、かつてデビューしたころは、ものすごいバレリーナが出現したと思ったが、それ以上にはならなかった。
 アリシア・アマトゥリアンとロバート・テューズリーの『イン・ザ・ミドル・・・』を見て、フォーサイスの作品も、時間がたつにつれ、またいろいろな人に踊られるにつれ、ずいぶん変わってしまうのだなあと思った。
 ジュリー・ケントは、なかなか良い年の取り方をしてきたと思う。以前、ジュリー・ケントが踊ったコミック・バレエ『ル・グラン・パ・ド・ドゥ』をアマトゥリアンが踊って、興味深かった。
 第一部は20世紀バレエでかためていて、いいプログラムだと思ったが、第二部に「ドン・キホーテ」が入っていたのが興ざめ。
 
 話は変わって、『嫌われ松子の一生』を観る。☆☆ 監督は、かの名作『下妻物語』の中島哲也だが、『下妻物語』に比べると、だいぶ劣る。たぶん原作がつまらないせいだろう。「だめんずうぉーかー」を地でいくみたいなストーリーはあまりに通俗的で平凡。
 ところで、私は顔の識別能力がかなり高い方なのであるが、中谷美紀と柴咲コウの区別がどうしてもつかない。
 
 パトリス・ルコントの『歓楽通り』を観る。切ない物語である。☆☆☆
8月6日(月)
 
 いつ始まったのか記憶にないが、いまやオープン・キャンパスなるものが恒例化している。入学する前に、いや志望校を選ぶ前に、大学のことをよりよく知るというのはいいことである。私が受験生だった頃には、そんなものはなかったから、入るまで、大学というところがどんなところなのか、まったく知らなかった。
 きょうはそのオープン・キャンパスの日で、学部説明係を仰せつかった私は早朝から出勤。キャンパスが受験生とその父兄で埋まっているので、びっくり。学部説明会は400人収容の教室でおこなわれたのだが、1回目は100人以上の立ち見が出た。盛況である。
 他の教授たちは、この暑いのに、背広姿であったが、私はクールビズを実践して(いや昔からだが)アロハである。
 来校者は予想以上だったようで、お気の毒に、食堂には長蛇の列ができていた。お弁当くらいお出ししたらどうであろうか(その一方で、入場料をとったら一日でずいぶん儲かるのではなかろうか、という悪魔的なアイデアが頭をよぎる)。
 私はアドリブを混ぜながら、与えられた台本を読むだけである。その台本作りから映像の編集まで、学生スタッフは、先日まで試験だったにもかかわらず、周到に準備してくれていた。学生スタッフの熱心な働きぶりには心から感動する。最近、本当にいい学生が多い。
 
 夜は上野まで、アレッサンドラ・フェリの引退公演にいく。42か43だというから、まだじゅうぶん踊れる年齢であるが、母親業に専念するのだとか。
 予想以上にすばらしい公演だった。詳細は明日書くことにする。
8月5日(日)
 
 深夜に天気予報をみたら午前中は晴れだというので、朝、マックで朝食を買って海に行ってみたが、すでに9時半だったため、どこの駐車場も満車。そういえば、きょうは日曜日だった。もし日曜日の9時半に駐車場が空いていたら、海の家もあがったりである。まっとうな社会生活を送っていないせいで、日曜日をばかにしていた。仕方なく、近所のプールにいく。
 さあこれから毎日、西瓜と麦茶と素麺と冷やし中華とかき氷とサイダーとビールと枝豆と冷や奴の生活が続く。
 
 先日、書きそびれたが、今回のタイ行きの収穫の一つは、マンゴスチンを腹一杯食べることができたということである。タイではマンクッという。かつて日本では冷凍物が一個500円もした。昨年から輸入が解禁され、冷蔵で出回るようになったが、それでも1個100円くらいする。タイでは1個2円くらいのものである。
 さくらんぼと並んで、私が偏愛する果物のひとつだ。まさしく「極楽のフルーツ」である。植物検疫で見つかったら没収されるところだが、バッグの中にこっそり10個ほど持って帰ってきた。できればスーツケースに一杯詰めて持ち帰りたかった。
8月4日(土)
 
 しばし入院していた母がだいぶ快復し、お見舞いに来てくださったみなさんをお招きして快気祝いをしたいというので、かの「なだ万」で昼食会。漱石や鴎外の作品にも出てくる、あの「なだ万(灘萬)」である。いやあ、美味であった。母も今年で80歳になるが、まだ当分は生きていてくれそうな感じである。
 
 その後、今度は渋谷でゼミの前期納会。例年のごとく、私の誕生日も祝ってくれる。毎年、いろいろ珍しいものをプレゼントしていただくのであるが、今年はワインに1秒浸すと1年分熟成が進むという不思議なものを頂いた。さっそく試してみることにしよう。ゼミ生諸君、ありがとう。
 
 昼食会とゼミ・コンパの間に時間があったので、娘が住んでいるマンションを見学する。運河べりに立っているというのが、私は気に入った。
 それでもまだコンパまで時間があるので、渋谷でぶらぶらしていたが、1時間居眠りをする場所などない。仕方なく、百軒店にある「名曲喫茶ライオン」に行く。この店は1925年開業である。この店に入るのは学生時代以来であるから、35年ぶりである。
 昔と同じく、店内は薄暗く、会話は御法度。壁に大きなスピーカーが鎮座していて、座席はみんなそれに向かって並んでいる。お客さんは意外なことに若い人が多い。
 昔と違うのは、かかっているのがアナログ・レコードではなくCDだということだ。ご存じの通り、CDの音域は20Hz〜20KHzで、それ以下・以上の音はカットしている。そのために、よく「やはりLPレコードのほうが音が豊かだ」と言われるが、私にはその区別はつかない。
 先日、新聞にも出ていたが、聴力は年齢とともに衰えるのだそうで、若者は20KHz以上の音も聞こえるが、年寄りにはまったく聞こえないのだそうだ。20KHz以上の音は、たぶん私の耳にも聞こえていないのであろう。
8月3日(金)
 
 2泊4日という強行スケジュールでバンコクに行ってきた。バンコクに滞在したのはまる2日間である。
 この忙しいのに、どうしてバンコクまで行かねばならなかったのか。その理由はあまり言いたくないのであるが、昨年、ゼミ生たちとタイに行くことになり、チケットを購入した。だがその後、人数がそろわないという理由でゼミ旅行はキャンセルになった。その後、友人と行くことになったのだが、それも友人の都合でキャンセルになった。そのチケットの有効期限がもうすぐ切れてしまうので、それを消化するためだけに行ってきたのである。ちょっと休養したいという気持ちも強かったし。
 
 いつもと違うのは、1枚も写真を撮らなかったことと(バンコクはもう10回目くらいである)、一度もメールをチェックしなかったことと、いっさい仕事をしなかったことである。仕事をしなかったどころか、観光もせず、知人にも連絡せず、本すら読まなかった。
 朝ご飯を食べたら、アパートのプールサイドでごろごろし、昼ご飯を食べに行き、昼寝を兼ねてマッサージに行き、夕方は屋台でぐだぐだとビールを飲み、夕食を食べ、アパートに帰って寝る。それを2回繰り返しただけである。
 私は「何もしない」ことがすごく苦手だということがよくわかった。2日間しか滞在していないのに、2日目の終わりには2年も暮らしているような気分になってきた。
 
 旅行中に55歳の誕生日を迎えた。年を取ると誕生日はめでたくない、という人がいるが(とくに女性)、いくつになっても誕生日というのはめでたいものである。今年もまた生きて誕生日を迎えることができたのだから。来年のことは誰にもわからない。
 お祝いのメッセージを送って下さったみなさん、ありがとう。8月2日、つまり誕生日に、バンコクのアパートに帰ったら、枕の上にバースデー・カードとプレゼントが置いてあった。アパートのマネージャーからである。こういう心配りはうれしい。
 このアパートは、正確にはサーヴィスト・アパートメントというやつで(私がバンコクにアパートをもっているわけではない)、朝食と掃除付きのマンションである。日本でいえばウィークリー・マンションか。
 リビングが20畳くらい、寝室も20畳くらいあり(ベッドには悠々3人寝られるし、そのほかに補助ベッドがある)、大きなウォークイン・クローゼットがあり、バスルームはもちろん、キッチンもついていて、冷蔵庫も洗濯機もある。自炊するわけでも、洗濯するわけでもないので、ひとりには大きすぎるのであるが、値段は中級ホテルと同じくらいで、こちらのほうがずっと快適なので、バンコクにいくときはかならずここに泊まることにしている。常宿というやつである。電車の駅にも船着き場にも近いし、低層階はデパートで、なんでも売っているし、フードコート(デパートの食堂街)ではなんでも食べられるし、一歩外に出るとそこはものすごい下町で、屋台がひしめきあっている。
 
 このアパートのすぐ横に、屋台のフカヒレ屋があることを前回の滞在時に知った。フカヒレ煮込みというと、サイヤムスクエアにあるスカラというレストランが有名だが、ものすごく高い(1万円以上する)。この屋台の店は、値段はスカラの5分の1くらいで、味は上をいく。たぶんスカラもここも、フカヒレは日本から輸入しているのだろうが(なのにどうして日本ではこんなに高いのだろう)、肝腎なのは味付けである。屋台だから当然、路上のテーブルで食べるのだが(虫除けスプレーとムヒを持参していく)、夕食は2日ともここで食べた。
 昼は2日とも、ナナにあるフードガーデンに行く。外国人向けの店である(欧米人が多い。日本人は見かけたことがない)。私は開拓精神というものが決定的に欠如しているので、知っている店しか行かないのであるが、ここのシーフードは外れがない。トムヤムクンも、これまで食べた中でここがいちばんおいしい。この店で私の食べる物は決まっていて、ひとつは大きな魚にニンニクと唐辛子とパクチー(香菜)を一杯かけて、スープで煮込んだもの。名前は知らない。もうひとつは、やはり大きな魚を唐揚げにして、辛いソースをかけたものである(これも名前は知らない)。
 
 バンコク(というかタイ)のいちばん好きなところは、いわゆるオカマに対してとても寛容なところだ(オカマというのは蔑称であろうが、ニュートラルには何と呼んだらいいのでしょう。ゲイとはちがうし)。女装している子もいるが、たいていは男装のまま。ただし化粧をしている。整形顔も多い。お金のある子はすでにあの部分をカットしているし、まだカットしていない子は懸命に手術代を貯めているらしい。どうしてタイにオカマが多いのかは知らないが(おそらく数が多いというより、社会全体が寛容なので、カミングアウトしやすいのだろう)、電車の中でもよく見かけるし、店でもホテルでも多くのオカマが働いている。誰もそれを珍しがっている様子はない。ごく自然なものとして受け入れられているようである。私自身、オカマを「気持ちわるい」と思ったことがないので、タイ社会の寛容ぶりは他人ごとながら気持ちがいい。ただし、そちら方面への嗜好は私にはない。念のため。
 もうひとつ、バンコクで気に入っているのは、一方では東京よりも高層ビルが多いにもかかわらず、その谷間には狭い路地があり、屋台が並んでいて、その両者が妙な具合に共存していることだ。東京も、アメ横みたいな路地がもっとたくさんあればいいのに。
 余談ながら、今年はアメ横のおかげで、ついに「佐藤錦を腹一杯食べる」という積年の夢を叶えることができた。
 タイには行くが、フィリピンにもインドネシアにも行かないのは、タイ料理が群を抜いて美味だからである。おいしい物に引き寄せられて出かけるのは、なんとも浅ましく意地汚いのであるが、どうも、「食べ物がまずい」と聞いただけで、その国に行く気が失せてしまう。
 
 昨年、新しいバンコク国際空港がオープンした(スワンナプーム空港という。昔のはドンムアン空港)。じつにおしゃれな、巨大な空港である。さすがアジア最大のハブ空港。ここと比べると、成田はまるで田舎の空港である。
 
 今朝、成田に着き、昼少し前に帰宅。そのまま、かみさんと海岸へ行く。かみさんに「海に行こうか」と言って、断られたことは一度もない(われわれは「鎌倉のばか夫婦」と呼ばれている。ふたりとも原稿の締め切りを踏み倒しているので、「ワル夫婦」とも呼ばれている)。残念ながらきょうは台風の影響で波が高く、遊泳禁止。仕方なく坂の下にある市営プールまで行って泳ぐ。さあこれから1ヶ月間、ビーチ用品は車に積みっぱなしである。
 
 鎌倉に住んでいるとよくわかるのだが、ここのところ、外国人観光客が増えている。理由は単純。観光資源が増えたわけでも、日本という国あるいは日本の文化に関心をいだく外国人が増えたわけでもないだろう。外国、とくにアジアとか、ヨーロッパならスペインとかイタリアは物価が安い、というのは今は昔の話であって、いまやわれわれ日本人にとって、スペインもイタリアもイギリスもアイルランドもみんな物価の高い国である。それに引き替え、外国人にとって現在の日本は「物価の安い国」である。欧米では「どこか物価の安いところに旅行に行こう。そうだ、日本がいい」といった会話がさかんに交わされているのであろう。
 先日、仕事で来日したイギリス人が、何でも安いのでショッピングが楽しくて仕方がない、でも毎日息子たちがメールで「あれ買ってきてくれ、これ買ってきてくれ」と言ってくるので、このままでは一文無しになると言っていた。12,3年前にロンドンに住んでいた頃、私もそれと同じようなことを言っていたので、なんとなく「仕返し」されているような気がする。
 
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