2007年7月の日記(↑時間軸)
 
7月29日(日)
 
 倉敷にある大原美術館で毎年開催されている夏期講座(今年で33回目)の講師をつとめるため、2泊3日で倉敷まで行ってきた。とても楽しいお仕事であった。
 今回のテーマは「ピカソ」。講師は4人で、私の他、大高保二郎(早稲田大学教授)、林道郎(上智大学教授)、高階秀爾(大原美術館館長)。他の3先生のお話もすべて拝聴したが、どれもひじょうに面白く勉強になった。会場には300人以上の聴衆がおられ、たいへんな熱気である。
 大高先生の講義は、ピカソがいかにしてピカソになったかというお話。高階先生の講義は、西洋絵画における女性像の系譜から始まり、ピカソの初期から晩年にいたる女性像の明快な分析。林先生の講義は「ゲルニカ」が辿った運命についてのお話。
 私の講義はもちろん、ピカソとバレエの話。ピカソはバレエ・リュスの「パラード」「三角帽子」「プルチネッラ」「メルキュール」で美術を手がけたが、今回は話を「パラード」に限った。
 講義であるから、手ぶらで行ってよもやま話をして帰る、というわけにはいかず、映像の編集やらスライドの作成に何日間もかかったが、なんとか無事お勤めを果たすことができた。
 35年前、高階先生はわれわれ学生たちの「知的アイドル」であった。先生は東大を退官された後、国立西洋美術館の館長になられたが、その先生から講演にお招きいただくなんて、私にとっては夢のようなことである。
 勉強させていただいたばかりか、講演の後には学芸員の方に美術館を案内していただき、その後、舌がとろけるような豪華なお料理をご馳走になる。こんなに贅沢で楽しいお仕事はおそらく一生に一度だと思われる。




↑高階館長、林道郎教授とともに。
7月26日(木)
 
 自分の試験の監督をやった後、学生諸君といっしょに、夏休みにある学部説明会のリハーサルをやり、その後いくつかの試験の採点をし、成績を事務に提出し、「10分カット」の店にいって髪を切り、靴屋に行って靴を買い、東京文化会館に駆けつける。
 
 先日と同じくグルジア・バレエ団の、今度は『ドン・キホーテ』。バジルはスペイン出身でABTのスターであるアンヘル・コレーラ。キトリはグルジア・バレエ団のラリ・カンデラキ。日本に初登場のバレリーナである。
 久しぶりに「ものすごい」ものを観た。批評家にとって「すごい」は禁句であるが、これはもう「すごい」としか言いようがない。
 コレーラは最初からエンジン全開。「夢想花」という歌を思い出した。「まわって、まわって、まわって、まわる」。『白夜』という映画に、バリニシコフとグレゴリー・ハインズが、バリシニコフが10回以上回れるかどうかをめぐって金を賭ける場面がある。見事10回以上回って、バリシニコフが賭に勝つのであるが、今日のコレーラには「参った」。フィギュア・スケートを観ているみたい。
 意地の悪い見方をすれば、回転が安定するということは、体が硬くなったということでもある。空中技が減ったのはそのせいであろう。ゆで卵と生卵の違いのように、やわらかいものは回りにくいのである。
 それはまあともかく、こんなに回る男を見たのは、久しぶりだ。世界バレエ・フェスティバルでのルジマトフとデュポンを思い出す。
 いっぽうのカンデラキは、顔はちょっと怖い顔をしているが、手足が長く、すばらしいプロポーション。32回フェッテでは、何度もトリプルを見せ、最後はドゥブルを連発。これにも脱帽。
 
 グレゴリー(アナニアシヴィリのご主人)に日本酒を届ける。
 
 明日から倉敷まで講演に出かける。
7月25日(水)
 
 昨日は前期最後の大学院の授業。
 院生のみなさんから誕生日祝いに高級ワインを頂く。夕方から前期授業終了の打ち上げ。このクラスのみなさんは、骨董屋のご主人がいたり(私より年長)、ボールルームダンスの先生・振付家がいたり、私とほとんど同じ名前の女性がいたり、早稲田から来ている女性がいたりで、なかなか風変わりなクラスである。
 前期のテーマは中世末期とルネサンスの舞踊。後期はバロック時代の舞踊の予定である。
 
 本日は、明日から始まる「舞台芸術の世界」展のレセプションに出るため、かみさんと庭園美術館まで行く。ご存じのように、かつては朝香宮邸で、私が子どもの頃は白金迎賓館と呼ばれていたが、その後、白金プリンスホテルとなり(学生時代にここのプールで泳いだことがある)、いまは都の美術館である。
 
 試験の採点を始める。今年もまた、三味線の胴に張ってあるのは「馬の皮」だとか「ねずみの皮」だといった珍答が散見される。嘆かわしいことである。
7月22日(日)
 
 金曜は半日、土曜は朝から晩まで、大学院生の博論、修論の構想発表会。ひとり20分でも、20人となれば、6時間以上になる。発表する方は、まあ自分の分をやればいいのだが、教師のほうは全部聞かねばならないので、くたくたになる。
 もっとも私は、金曜は学部のほうの事務作業があったために途中から参加し、土曜は、途中で気分がわるくなり、自分の研究室でしばらく休んでいた。
 
 きょうは上野まで、グルジア国立バレエの『白鳥の湖』を観に行く。主演はニーナ・アナニアシヴィリ。彼女がグルジア大統領に乞われて創立した新しいバレエ団である。バレエ団のレベルはまだまだ世界的レベルには遙かに届かないが、ダンサーたちは若いので、今後の成長が期待される。ニーナはあいかわらず美しい、というより可愛い。子どもを生んだこともあって、お腹のまわりが少し太くなったような気もするが、体型はほぼ以前のままである。テクニックも健在。だが、ふだんザハロワのような新世代のバレリーナを見慣れているため、ああもはや旧世代のバレリーナだなあと思った。
 終演後、ニーナのご主人のグレゴリーに誘われて楽屋を訪ねる。楽屋もファンでごった返している。楽屋に入れるファンは特別なファンである。お嬢さんのエレーナがいた。まだ1歳半くらいか。
 ニーナの着替えを待って、挨拶し、握手して、外に出ると、「出待ち」の人が200人くらい楽屋口で待っていた。さすが、ニーナの人気は今でも凄い。楽屋口から出てきた私を見て、みなさんはアジア人みたいな顔をしたグルジアのダンサーだと思ったかもしれない・・・そんなわけないか。
7月19日(木)
 
 先週の土曜と今週の水曜は、オーストラリア・バレエ団を観に行く。演目は『白鳥の湖』と『眠れる森の美女』。いわずとしれた、古典中の古典だが、どちらも大胆に改作している。後者はいささか視覚的効果に頼りすぎで、筋が通っていない。
 前者は文句なしに面白かった。久しぶりに面白いバレエを観たといっても過言ではない。何しろ原作の物語を、チャールズ、ダイアナ、カミラの三角関係に置き換えた作品である。詳しくは日経新聞の紙面をご覧あれ。
 
 今週はやたら忙しく、今日だけが唯一、家にいられる日だったのだが、島田雅彦くんに呼び出され、三浦海岸まで出かける。島田ゼミでは、三浦海岸にある法政大学セミナーハウスに3泊4日の合宿をして、映画を撮影しているという。脚本も監督もカメラマンも美術も助監督も、島田くんがひとりでやっていて、学生たちはまわりでうろうろしている。
 その映画の中にヤクザの役があって、その役をやってくれというご所望である。昼過ぎから夜まで、撮影に参加する。年齢のせいか、長い台詞が覚えられず、何度もNGを出す。
 泊まっていけるように、部屋まで用意してくれたのであるが、明日は大学に出る日なので、夜中に娘に来るまで迎えに来てもらう。原稿の締め切りに追われて、昨夜はほとんど徹夜だったし。
 うちのゼミ生たちと同様、島田ゼミの学生諸君も、みんないい子である。島田くんも学生たちにとても愛されているとお見受けした。
7月16日(月)
 
 国民の祝日であるが、うちの大学は平常通りに授業がおこなわれる。5月の連休にまとめて休んでためである。朝も夜も電車がすいているので、通勤が快適である。
 本日で前期の授業は終了。あとは試験をやって、採点して、レポートを読んで、採点する。それだけ。8月5日から夏休みである。昔に比べると、ずいぶん夏休みが短くなったような気がするが、気のせいだろうか。
 この時期になると、どうも心身ともに疲労困憊。昔はこんなことはなかったような気がするのだが、それは単純にまだ若くて元気だったせいなのか、それとも仕事が増えたのか。どうも、後者のような気がする。
 
 3年前に大地震があったばかりなのに、また新潟で大地震。うちのゼミの卒業生には新潟出身の諸君が何人もいるが、みなさんとみなさんの実家の無事を祈ります。
7月14日(土)
 
 私にも、トレンドを追いかけるという日々がなかったわけではないが、もう久しく、頭は完全に未来よりも過去のほうに向いてしまっていて、なかなか前向きに戻すことができない。文字通り、私にとって一寸先は闇である。
 前にも書いたが、淺田真央のお子様スケートを観ているうちに、カタリナ・ヴィットのセクシーなスケートが観たくなって、グーグルのイメージ検索でみたら、いきなりヘア・ヌードが出てきて、驚いた。そのヘアの濃さにも驚いた。
 ゆうべも似たような経験をした。夜中にふと、大瀧詠一の珠玉の名曲「夢で逢えたら」が思い出され、ふとんの中で口ずさんでいるうちに、突然、シリア・ポールってどこに行ってしまったのだろうか、という疑問にとりつかれ、ふとんから抜け出してパソコンの電源を入れて、ネットであちこち探しているうちに、いきなり彼女のフル・ヌード(たぶん30年以上前の雑誌グラビアであろう)が出てきたので、びっくり仰天。
 別のページには、どうやら現在アメリカにいるらしいという情報が書かれていた。
 大瀧詠一作詞作曲の「夢で逢えたら」は、アン・ルイスのために書いた曲だそうが、最初にレコーディングしたのは吉田美奈子である。が、翌年、大滝自身がプロデュースしてナイアガラから発売された。このとき歌ったのがシリア・ポールである。
 彼女は、高校生時代の私の憧れの女性である。いや、いま写真をみても、「ああ、私はこういう顔が最高に好きなのであるなあ」と溜息をついてしまう。生涯にわたる憧れの女性なのである。インド人と日本人のハーフではなかったかと思う。
 彼女は子役として、昭和30年代に数多くの日本映画に出ているのであるが、おとなになってから、例の「モコ、ビーバー、オリーブ」のオリーブとして有名になった。この3人は「忘れたいのに」という名曲の日本語版シングルを出している。そういえば、いま急に思い出したのだが、高橋基子さんにはどこかで一度お目にかかったことがある。どこだかは思い出せないのだが。
 その後、シリアが深夜放送のDJをしていたとき、受験勉強をしていた私は、勉強そっちのけでその番組を聴いていたのであるが、この番組には、リスナーがシリア・ポールと電話で話せるというコーナーがあった。当然、倍率はものすごいのであるが、私は悪知恵をはたらかせて珍妙なニックネームを考え(なんというニックネームだったか、今でも覚えているが、恥ずかしくて書けない)、それで電話したところ、見事、彼女の眼にとまり、電話で彼女とお話しすることができた。頭に血が上っているから、何を話したのかは忘れてしまった。電話をしたことじたい、昨日まで完璧に忘れていた。
7月13日(金)
 
 かみさんが野田MAPの芝居を観に出かけたので、冷蔵庫の中をあさって、枝豆を茹で、モロヘイヤをいため、冷凍のウナギをあたためて、ビールを飲みながら、ソクーロフの『太陽』を観る。イッセー尾形の演技、というか形態模写に脱帽。☆☆☆
 むかし、「国文学」という雑誌にソクーロフ論を書いた記憶があるが、何を書いたかは忘れてしまった。
7月11日(水)
 
 レンタルが開始されたので、『ゲド戦記』を観る。
 これまで宮崎駿作品はどれも公開されるとすぐに映画館で観たのであるが、これは宮崎吾朗作品なので、いまひとつ食指が動かず、延ばし延ばしになっていた。
 原作の『ゲド戦記』については、昨年気合いを入れて評論を書いた。そのときにも書いたが、岩波書店から出ている翻訳は読めた代物ではない。訳者は、英語がまるでできないことで悪名高い人らしいが、日本語もひどい。まだ読んでいない人は、読まない方がよろしい。読みたい人は英語で読みましょう。はやく誰かが訳し直すべきだと思うのだが、この翻訳がなにかの賞を受賞したらしい。審査員の顔が見たい。
 さて映画のほうは、ほとんど原作とは無関係といってもいい。というより、キャラクターを借りただけという感じ。
 宮崎駿の作品ではないということが、すぐにわかる。宮崎駿ならば、もっと少女が前面に出ていただろう。『もののけ姫』のアシタカは、主人公といってもいいが、狂言回しでもあり、サンやエボシの存在感には叶わない。
 きっとすでにさんざん語られたことなのだろうが、宮崎吾朗自身の「親殺し」とみれば、納得がゆくところが多い。偉大な父をもつというのは、相当にしんどいことであろう。反抗するか、屈服するか、いずれかである。彼の場合、いちおう屈服したのであろうが、やはり反抗しないわけにもいかず、ちょっと抵抗してみました、という感じであろうか。
 この作品のだめな点は、途中から、主人公たち(アレン、ハイタカ、テナー、クモ、その部下)だけしか登場しなくなり、作品が急速に矮小化してしまうことである。やはり能力の限界であろう。
 余談ながら、ジブリ作品の悪役(というか小悪者)はつねに寺島進によく似ていると思うのだが。
 少女テルーは、顔の半分にピンク色の火傷跡がついているだけ。宮崎駿が監督したとしても、やはりこうしたであろう。でも、もっとリアルに描いてもらいたかった。原作では、この幼い少女はレイプされ、たき火に顔を突っ込まれ、顔の半分をやけどし、片眼がつぶれているのである。しかし読者は次第にその少女に惹かれていく。もし少女を醜いキャラクターにして、観客を惹きつけることができたら、監督冥利に尽きると思うのだが。
 この映画でいちばんいいのは「テルーの唄」だ。歴史的名曲だ。詞は平凡だが、曲がいい。作曲者自身の歌と比べると、手嶌葵のほうがずっといいのは、そちらを先に聴いたからだろう。「癒し」という言葉は極力使いたくない言葉のひとつだけど、あのしろうとっぽい歌声には本当に癒される。こういうのは一種の奇跡である。
 谷山浩子の声も嫌いではない。娘が小さい頃、よく「まっくら森のうた」をいっしょに歌ったものである。
 
 レンタルビデオ屋で、ついでにモニカ・ベルッチの棚を見たら、知らない間にずいぶん増えている。『マトリックス』に出演して以来、ファンが急増したのであろうか、日本未公開作品のビデオが並んでいる。「ヘア無修正版」という文句が眼を惹いたので、『ジュリア』というのを借りて、観てみる。おお、なんと、なんと、すごいドタバタ。史上最低映画のベストテンに入るのではあるまいか。
 モニカ・ベルッチは、最初のほうで、なぜか突然自分の家で裸になって歩き回る。ブラジャーはつけているが、パンティははいていないので、たしかにアンダーヘアがよく見える。でも、あとは全然脱がない。
 ドタバタもここまでくると、ばかばかしさを通り越して、感心してしまう。気に入った。
7月7日(土)
 
 晶ゼミ一期生の飲み会にお呼ばれする。卒業生諸君はみなさん元気そうで何よりである。おなじみ銀座キルフェボンのフルーツ・タルトで、私の誕生日まで祝ってくれる。
 
 
 
 
 場所は六本木。
 赤坂、溜池、六本木におつとめの諸君が多いようだ。
 2年間タイのYMCAにつとめ、帰国した後、長らく音信不通であったサイコが顔を見せる。広告関係の会社におつとめ。
 ホリはITベンチャー系会社をやめて、岐阜県の国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)に通っている。なんと昨日は内田樹先生の講義に出席したそうな。金曜日に内田先生と飲み、土曜日に私と飲むというレアな経験をした果報者である。
 ユーとコータローもIT関係の仕事。
 アヤコはまたおいしいお菓子をもってきてくれる。「ショコラチエ・ミキ」のチョコレートをよろしく、とのこと。バレンタインのときに賞味させてもらったが、たしかにこの店のチョコレートはおいしい。
 シホは、タイ古式マッサージのプロ。ゴールド・フィンガーの持ち主である。
 カオリは、超人気企業YUSENの社長秘書。カンヌ映画祭にも社長に同行したそうだ。
 欠席のルミコは劇団四季で地方公演中。主役をはっているそうな。
 みんな、顔は学生時代と変わらないが、それぞれがそれぞれなりに「社会」を経験しているのであろう。ナギサ、リョウ、アスミ、レナ、ナカジも元気なのであろうか。
 
 帰りの電車でカリスマ予備校講師ミヤザキ・ソンさんといっしょになり、小町通りで1杯(いや3杯)飲んで帰る。
7月6日(金)
 
 クールビズという言葉がすっかり定着したようである。かつては省エネルックと呼んでいた。このあいだ、NHKアーカイヴで昭和30年代の、サラリーマンという階層が生まれた頃の映像をみていたら、みんなノーネクタイの開襟シャツ姿である。なんだ、昔はクールビズだったんじゃないかと思ったが、一瞬後に気がついた。当時は冷房なんてなかったので、誰も夏に背広なんて着ていなかったのである。
 数年前から大学でも、「エアコンは28度に設定すること」という貼り紙があちこちに貼ってある。やってみるとわかるが、28度というのはちょっと暑い(個人差があるだろうが)。
 だがいまや、官公庁はもちろん、環境コンシャスな企業では、冷房ギンギンなどというところはない。そういうエネルギー使いまくり会社はじきにつぶれる(たぶん)。
 しかし、世の中のすべての場所が28度を励行しているわけではない。そこが問題だ。ギンギンに冷房している場所はまだいくらでもある。いや実際、暑い街路を歩いていて、冷房の効いた場所に入ったときのあの快感がなければ、とても真夏の東京を歩くことはできないであろう。みんな、冷房を楽しみに、汗をだらだらかきながら歩いているのだから、たどりついた役所が28度だったりすると、失望でどっと汗が噴き出す。
 私は、暑がりなのに冷房嫌い、という面倒な性格、いや体質をしている。おまけに汗かきである。じつに面倒だ。暑さに対する恐怖よりも冷房に対する恐怖のほうが強い。そのために、アロハ1枚で出かけることはあっても、かならず上着を持ち歩いている。
 中にずっといる人にあわせると、飛び込んできた人には暑すぎる。来客にあわせれば、店員には寒すぎる。銀行員はウールの膝掛けが必需品だそうである。
 ちなみに、東南アジアでいちばん困るのは、冷房が強すぎることだ。台湾で学会があったとき、アメリカからきた研究者たちが口をそろえて「寒い、寒い」といっていた。タイでは、冷房の冷たい空気をあてることが客に対する最大のもてなしとされている。
 わが家では今のところまだ「うちわ」である。かみさんは冷房大好き人間だから、じきに自分の部屋をぎんぎんに冷やして閉じこもることになるであろうが、私のほうはたぶん今年も書斎のエアコンを使うことはないだろう。
 
 きょうは山内直樹さんの還暦祝いの会。
 谷川渥、小池寿子、山下裕二、巽孝之・小谷真理夫妻、鶴岡真弓、沼野充義、といった人たちと旧交を温める。
 かつて is という雑誌があった。出版元はポーラ文化研究所。出版界の中でも、「ユリイカ」などと並び、独特の「色」のある雑誌であった。長年その編集をしていたのが、山内さんである。だから、知的雑誌業界では伝説的な編集者のひとりである。
 初めて山内さんに会ったのは、たぶん1980年代の初頭だから、25年くらいの付き合いである。
 山内さんは190センチくらいある大男なので、どこでも目立つのであるが、初対面のとき、向こうから先に「鈴木さんですね」と声をかけられたのをよく覚えている。原稿執筆を依頼されたのだと思うが、何を頼まれたのかは覚えていない。
 編集者との付き合い方は二通りある。ひとつはビジネスライクな付き合い方。もうひとつはそれを通り越して友達になってしまうというというタイプ。前者はビジネスの付き合いであるから、生産的である。次々に本ができる。ところが後者の場合、意気投合し、いっしょに会っては飲んでばかりいて、けっきょく本はできあがらない。本を作るために会っているはずなのだが、本を作ることはどうでもよくなり、付き合いのほうが大事になってくる。
 山内さんとの付き合いは完全に後者で、よく夜中までふたりで飲んだものである。あちらも、こちらも、若かった。私もあと5年で還暦だ。還暦なんて、もうずっと前に済ませてしまったような気がしているのであるが。
7月3日(火)
 
 きょう、大学院の授業で大失敗をしでかした。研究室から教室に向かうときに、老眼鏡を忘れてしまったのである。いつも上着の内ポケットに入れてあるのだが、暑いので、上着をおいて行ってしまったのである。大学院棟は、外堀通りの反対側にあるので、すぐに取りに帰るわけにはいかず、事務と講師控え室に、「虫眼鏡ありませんか」と泣きついたが、ルーペしか見つからない。ルーペじゃ、テキストは読めない。あわててテキストを拡大コピーして、なんとか事なきをえた。事務方から、「書画カメラでスクリーンに映写したらどうですか」と言われたが、それじゃあ教室を少し暗くしなくてはならない。
 いやあ、お恥ずかしいことである。近眼の方々と違って、まだ眼鏡経験年数が短い、つまり眼鏡修行が足りないものだから、たまにこういう事態になる。
7月1日(日)
 
 いつのまにか夏至も過ぎてしまった。これからは日が短くなる一方である。それを考えただけでも少々憂鬱になる。
 イギリスにいた頃、夏、いつまでも暗くならないことがいちばんうれしかった。もちろん、そのぶん、冬は思い切り日が短いのであるが。
 
 ゆうべは1冊の本を探すのに2時間も費やしてしまった。ここ数年、書庫が混乱状態で、年中本探しに時間をとられる。思い切って整理すればいいのであるが、なかなかその時間がとれない。
 
 体力の衰えをいちばん痛感するのは、頭を使うときである。体力が落ちると、知力も落ちる。
 いまの季節、われわれ教師は来年度用の入試問題を作っている。自分の担当学部の問題をつくったあと、さらにお互いに「見せっこ」して、問題点を指摘し合う。自分が作った問題はともかく、ひとの作った問題は、受験生と同じように、解かなくてはならない。2題もやると、頭が疲れて働かなくなる。
 受験というのは18歳でないとできないものなのである。朝から夕方まで英語やら数学の問題をとき、それが何日も続くなんて、この年齢では逆立ちしてもできない。
 
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