2007年6月の日記(↑時間軸)
 
6月23日(土)
 
 今が旬なのか、魚屋でよくトコブシを見かける。きょうは6個ほど入ったパックを買ってきて、いちばん大きいのを一つ刺身で食べ、あとはワイン蒸しにする。オリーヴオイルでニンニクを熱し、そこへタワシでよく洗ったトコブシをぶちこみ、バジルとローズマリーをちらし、ワインをぶっかけて蓋をする。う〜む、美味である。トコブシというと、醤油・ミリン・砂糖・酒で煮るのがふつうだが、ちょっと醤油味には飽きていたので。
 若い頃はトコブシのことをアワビの子どもだと思っていた。しかし考えてみれば、高価なアワビの子どもを安く大量に売っているはずがない。大きさはアワビの5分の1くらいだが、値段は20分の1くらいだ。
 私はアワビが大好物で、見ただけでよだれが出てくる。刺身がいちばんだが、生きたまま網焼きにするもよし、ステーキも捨てがたい。でも、子どものころにはまったく興味がなかった。というより、一度も食べたことがなかった。生ウニというのもそうだが。
 味覚は年齢とともに成長する。ふぐの刺身が大好物だ、などという幼稚園児はいないであろう。むかし、ある鮨屋に家族連れが来ていて、その子どもたちがウニだ、トロだ、エンガワだ、と注文するのを見ていて、じつに不愉快であった。子どもはタマゴとかカッパ巻きを食べていればいいのである。
 しかし、フロイトのいう固着というのが味覚にもあって、子どもの頃に感動した味が生涯忘れられないということもある。私の場合、三ツ矢サイダーとソフトクリームがそれにあたる。ミシガン州立大学に視察に行ったとき、いちばん感動したのは学生食堂にセルフサービスのソフトクリーム・マシーンがあったことだ。先日、マックにいって、ソフトクリームを注文し、200円出したら、「2つですか」と聞かれ、面食らった。2時を過ぎると100円になるのだそうで、涙が出るほど感動してしまった。
 
 JMMの冷泉さんが、アメリカの超人気TVドラマ「ソプラーノス」の最終回について書いていた。マフィアの一家を描いたドラマで、その最終回があまりに意外な結末だったので、大変な話題になったのだそうだ。なんと放映後、10日のたたないうちに、ヒラリー・クリントンが選挙キャンペーン映像として、その最終回のパロディを制作したという。
 さっそくユーチューブで観てみたが(なんと便利な世の中だ)、ヒラリーとビル・クリントンが主演していて、けっこう笑える。でも、クリントンがホワイトハウスを去るときに作ったお笑いビデオのほうがずっと面白く、まさに抱腹絶倒であった。これもユーチューブで観られる。
6月20日(水)
 
 本当なら今日からパリの国際会議に出席しているはずだったのだが、母とかみさんの母が両方とも入院してしまい、おまけに先週はかみさんも風邪で高熱を発して寝込んでしまったので、やむなくパリ行きを中止した。航空券はキャンセルチャージが数万円かかるし、パリ・オペラ座のチケットも捨てるほかない。ぐすん。
 
 もうすぐアクセス数が1,000,000を超えるなあと思っていたが、きょうパソコンを開いてみたらすでに超えていた。またもや熾烈な争奪戦があった模様。
 
 はや真夏のような天気なので、庭で朝食を食べる。もうすぐ夏だと思うと、体の奥から元気がむくむくと湧いてくる。
 
 
 ↑庭を散歩するなっちゃん。 
 ガレージの横には例年通り、大輪の百合が開花したが、今年はどういうわけか、アジサイにごくわずかしか花がつかない。栄養が足りないせいだろうか。
 

 かみさんと鎌倉文学館まで澁澤龍彦展を観に行く。駅から文学館までの道は、由比ヶ浜大通りというが、俗にはアンティーク通りとも呼ばれていて、骨董屋が並ぶ。
 真夏のような日差しの中を、汗をかきながら歩く。日傘をさしたかみさんが後ろからついてくるので、なんだか映画「ツィゴイネルワイゼン」の世界に入り込んだみたい。
 鎌倉文学館は、かつての前田公爵鎌倉別邸である。澁澤展じたいは小規模なものだが、なかなか興味深いものであった。庭にはバラ園があるが、すでにシーズンを過ぎていて、まだ咲いてはいるのだが、もう元気がない。薔薇といえば、リージェント・パークのローズガーデンがなつかしい。
 
 ↑文学館の入口
 
 ↑↓バラ園より文学館を望む。
 
6月17日(日)
 
 「父の日」で、娘が来たので、久しぶりに庭でBBQをする。皮肉なことに梅雨入り宣言が出てからずっと晴天が続いている。着火剤が切れていたので、新聞紙で木ぎれに火を付け、それで炭に火を付ける。昔はいつもこうやっていたのであった。楽なものだから、最近はもっぱら着火剤を使っているが。
 ふと気づくと、高い木の枝に鳶(とび)が来て、ピーヒョロ啼いている。肉の匂いをかぎつけたのであろう。海岸でハンバーガーを食べていると、ちょっと目を離した隙に急降下してきて、ハンバーガーをさらっていったりするが、きょうは襲われなかった。夕方で、いまひとつ視界が悪かったのであろう。
 
 『フリーダ』を観る。☆☆
 メキシコの画家フリーダ・カーロの伝記映画である。彼女は一時、トロツキーをかくまっていて、彼と性的交渉があったらしい。トロツキーというと、アラン・ドロンとリチャード・バートンの『暗殺者のメロディ』が思い出される。
 トロツキーの著作は学生時代にほとんど全部読んだ。いちばん文章がすてきなのは『1905年革命:結果と展望』である。
 さてシュールな作風で知られるフリーダ・カーロは脊椎損傷、足指壊疽、腎臓病など、体じゅうが悪かった不幸な女性だが、いちばん有名な特徴は両眉毛がつながっていることだろう。話は飛ぶが、バレエ・リュスの作品に『タマール(タマーラ)』というバレエがあって、男を次々に殺す女王が主人公なのだが、この主人公も両眉毛がつながっている。
 眉毛がつながると、人間の顔はずいぶんと変わるものである。というのも、熱演している主役はサルマ・ハエックだ。『フロム・ダスク・ティル・ドーン』とか『ワイルド・ワイルド・ウェスト』に出ていた、美人セクシー巨乳女優であるが、途中まで全然気づかなかった。プロデューサーのひとりに名を連ねているから、たぶん彼女がどうしても自分でフリーダを演じたくて作った映画なのであろう。
 
 久しぶりに『ティファニーで朝食を』を観る。☆☆☆
 公開は1961年だが、東急名画座で観た記憶があるので、私が観たのは63年頃のことだろう。
 中学から電車通学になった。渋谷で乗り換えるのだが、御多分に洩れず、入学早々、学校の帰りに寄り道をするようになった。いちばんよく行ったのは大盛堂という書店である。当時は渋谷で唯一の大型書店であった。
 そして毎週、東急名画座に通った。毎週、映画が変わるのである。入場料は100円だったような気がするが、あるいはもう少し高かったかもしれない。
 ロングドレスを着てサングラスをかけたヘップバーンが、パンをかじりながらティファニー宝石店のウィンドウを眺める、という冒頭から、オードリー・ヘップバーンの魅力全開である。今回あらためて、彼女のオーラのものすごさを再認識した。いやあ、すばらしい。いまだにファンが絶えないというのがよくわかる。私自身、あまり気にしたことはなかったが、ヘップバーン主演の映画はほぼすべて観ている。その多くは中学生のときに観た。
 ちなみにヘップバーンは十代の頃、マリー・ランベールの学校でバレエを習っていた。ランベールは、ニネット・ド・ヴァロワと並ぶ、イギリスのバレエの母である。
 多くの日本人同様、私もこの映画ではじめてティファニーを知った。まさか日本の企業が買収するなんて、当時は夢にも思わなかったし、銀座にあんな大きなビルが建ち、クリスマスやヴァレンタイン・デーに若者が押し寄せるようになるなんて、想像だにしていなかった。ニューヨークも、海の彼方の知らない街だったし、ティファニーも別世界にある店にすぎなかった。
 内容は原作(トルーマン・カポーティ)の方がずっといいが、それはともかく、いまみると、登場人物たちがやたらにタバコを吸うのが目に付く。階上に住む日本人写真家ユニヨシを演じているのがミッキー・ルーニーであることは今回知った。眼鏡に出っ歯、という日本人のステレオタイプである。それにしても、どうしてユニヨシなんていう名前をつけたのだろうか。いかにも日本人の名前らしい響きがあるんだろうか。
 映画では原作と違って、語り手的な役を演じている青年作家(ジョージ・ペパード)が金持ちのマダムにかこわれている。そのマダムを演じているのがパトリシア・ニールだったことも今回初めて知った。『チョコレート工場の秘密』で有名なロアルド・ダールの奥さんである。
6月15日(金)
 
 ふとジョーン・フォンテインの顔が見たくなって、ヒッチコックの『レベッカ』を引っ張り出してきて観る。☆☆☆
 彼女は、父親が東大で教えていたため、東京で生まれた。赤ん坊のときにアメリカに帰るが、15歳のときにまた来日して、聖心女学院に学んだ。むろん女優になったのはアメリカに帰ってからである。
 話はとぶのだが、私は中学1年のときに、同級生の、今は亡き杉山太郎とふたりで演劇同好会というのを結成した。仲間を募った結果、数人の同級生が入会してきた。四方田犬彦もそのひとりである。第一回例会では、東大のギリシア悲劇研究会の公演を見に行った。
 顧問になってくれたのは美術の白木先生である。この先生はとにかく生徒に毎週デッサンをやらせたのであるが、われわれがせっせとデッサンしているあいだ、1時間じゅう、いろいろな話を聞かせてくれた。先生の話はものすごく面白かったので、その多くを今でも覚えているが、ある日、種痘の話になって、腕に種痘の跡があるのは美しくないから、欧米の女性は足の裏にするのだ、ジョーン・フォンテインは日本で生まれたので腕に種痘の跡がある、という話をしてくれた。この女優の名前を知ったのはそのときである。
 さて、ジョーン・フォンテインと姉のオリヴィア・デ・ハビランドは一生ものすごく仲が悪かったそうだ。ふたりは『風と共に去りぬ』のメラニーの役を取り合い、結局、姉が手に入れたのだが、それでジョーンは自殺しかけたという。
 
 『インソムニア(不眠症)』を観る。アメリカでリメークされたほうではなく、オリジナルのノルウェー映画のほうである。どうしてこれがアメリカでリメークされたのか、私にはよくわからない。白夜の、あのなんともけだるい雰囲気だけは伝わってくる。☆
 
 ハリソン・フォードの『推定無罪』を観る。昔、スコット・トゥローの原作を読んだので、犯人が誰かを覚えていたから、「犯人を知っているとつまらねえな」と思いながら観ていたのだが、最後になって、犯人を間違えて記憶していたことに気づいた。まあ、珍しいことではないが。それにしても、ミソジニー(女性嫌悪)まるだしの映画である。肉体を武器にして出世していく(つまり、すごくセクシーな)女性が「ビッチ」と呼ばれ、殺される話である。☆
 
 『ペリカン文書』を観る。『ザ・ファーム』もそうだが、グリシャムの小説は、一度読み始めたら絶対に途中でやめられないほど面白い。が、読み終わった後、何も残らない、というよりなんとなくむなしい。エンタメなのだから、仕方がないが。この映画も、原作を読んで知っていたので、結局、最後まで面白くなかった。『ザ・ファーム』のほうは、結末が原作とはずいぶん違っていたので、なんとか最後まで見られたが。☆
6月13日(水)
 
 日曜日は、胃潰瘍で入院している母を見舞った後、トロカデロ・デ・モンテカルロ・バレエ団を観に行く。あらためて紹介するまでもなく、「男性バレリーナ」たちのバレエ団である。今回で来日は23回目だという。私は25年ほど前、初来日の頃に観て以来である。昔に比べると、ギャグが減って、まじめに頑張っているという印象を受けた。そのひたむきさには頭が下がる。それにしても毎年来日し、2ヶ月全国を回り、チケットはほぼ完売である。観客のほとんどは、おばさま連である。
 
 ロシア語のS先生からルバーブを頂く。S先生の話では、同僚の先生にプレゼントしようとしたら断られたのだそうだ。たぶんその先生は忙しくてジャムをつくるのは面倒だったのであろう。その直後に私が通りかかり、「ちょうだい、ちょうだい」と言って、ちゃっかり頂いてしまったというわけである。
 家に帰って、さっそくジャムをつくる。柑橘類のジャムに比べたら、はるかに簡単である。ざくざくと切って、砂糖をまぶすだけ。しばらくすると水分が出てくるので、火にかけて20分ほど煮ればいい。アクさえこまめに取ればよい。砂糖控えめで作ったのだが、われながら、上出来であった。
 
 昔みた『死の棘』をまた観る。いまになって観ると、岸部一徳がすごく若い。むかし観たときには、松坂慶子のノーメイクが衝撃的だったが、いま観ると、すでにかなり肉付きがいい。☆☆☆
 
 『21グラム』を観る。マドンナの元夫のショーン・ペンと、「ザ・リング」のナオミ・ワッツが出ている。人間は死ぬと21グラム軽くなるのだそうだ。それが魂の重さということか。☆☆
 
 『ダニエラという女』を観る。どうしようもなくフランス的な映画、というよりモニカ・ベルッチの体を見せることだけが目的、みたいな映画。登場する男たちがそれって「こんなに美しい女はいない」とか「こんなに魅力的な女は観たことがない」とか言うので、まるでモニカ・ベルッチのプロモーション映画みたい。ギャングの親分役でジェラール・ドパルデューが出ているのがご愛嬌。それにしても、モニカ・ベルッチの体は、いつみてもお見事。☆
6月9日(土)
 
 昨夜はミラノ・スカラ座バレエ団を観に行く。はっきりいって、世界的レベルのバレエ団ではない。
 演目は『ドン・キホーテ』。主役は上野水香とサラファーノフ。いまスカラ座には主役を踊れるスターがいないのである。19世紀には、スター・バレリーナといえば9割がイタリア人であった。どういうわけか、20世紀になるとイタリアから名バレリーナが出現しなくなった。ここ100年間のスターは、カルラ・フラッチ、アレッサンドラ・フェリ、ヴィヴィアナ・デュランテの3人だけである。
 前半、水香の踊りは歯がゆくてならなかった。下半身がもたつくのである。早いテンポの部分になると、それが目立つ。対照的に、サラファーノフはじつに軽やかなフットワークを見せた。お見事。
 だが水香も、最後のグランパでは、それまでの悪印象を吹き飛ばし、すばらしい踊りを見せた。
 全体的には、なにせヌレエフ版なので、少々しつこい。バリシニコフ版のほうが引き締まっていて、よい。
 会場で、つい2日前にお目にかかったばかりの山岸涼子さんにお目にかかった。
 
 きょうは久しぶりにオペラを観に行く。「オペラとバレエのどちらのほうが好きか」と問われたら答えられないくらい、私はオペラが好きなのであるが、バレエを観るのに精一杯で、なかなかオペラに行けない。だが今回は、ジョナサン・ミラー演出の『ばらの騎士』なので、見逃すわけにはいかない。
 日本の観客というのは、じつに奇妙で、バレエを観る人はバレエしか観ない。オペラを見る人はバレエを観ない。面白いものだったら、オペラもバレエもミュージカルも観るという人は、きわめて少ない。
 さてロンドンにいたとき、イングリッシュ・ナショナル・オペラで、ずいぶんとミラーの演出を観た。どれも面白かった。彼は演出家であると同時に精神分析医である。
 そういえば、先日の朝日新聞に大きく取り上げられていたが、和田秀樹はもともと映画監督志望で、映画を作りたくて精神科医になったのだそうだ。
 『ばらの騎士』は、私が最も好きなオペラのひとつである。ヨーロッパにいたときに何度も観た。私にとっての極めつけは、コヴェントガーデンで観た、アンネ=ゾフィー・フォン・オッターのオクタヴィアンだ(DVDになっている、ウィーンのライヴと同じプロダクションだったと思う。これは来日しているのだが、貧乏人の私は行けなかった。ヨーロッパなら行けるのである)。「最高」である。彼女はとにかく「でかい」ので、女中役の場面はいささか「?」であるが、めちゃくちゃ美人で、しかもちょっと男っぽいので(北欧女性だからねえ)、本当に彼女のオクタヴィアンにはうっとりしたものである。マルシャリンやゾフィーが誰だったか、忘れてしまった。
 もちろん、映像でしか知らないが、シュワルツコップのマルシャリンも素晴らしいの一言に尽きる。
 きょうは、序曲が始まってすぐに、ちょっとがっくり。音が硬い。ウィーン並みにとまではいわないが、もう少し甘い音を出してもらいたいものである。だって、この序曲って、セックスを音楽で表現しているのだ。クライマックスに達し、幕が開くと、ベッドの上で疲れ果てた男女が寝そべっていて、「すごくよかったよ」とか言うのである。
 しかも男の方を女性が演じているのだから、ベッドシーンはレズビアンでもあり、爛熟というか退廃というか、とろけてしまうのである。
 マルシャリン役のソプラノはよかった。が、ゾフィーはいただけない。下町の姉ちゃんという感じ。しかも銀のばらを手にしてうたうアリアでは、高音部に不満。
 オクタヴィアン役のメゾソプラノはなかなかよかった。先に述べたように、私はフォン・オッターのイメージがすり込まれてしまっているのだが、考えてみれば、女装がよく似合うことだから、ある程度小柄であるべきなのだろう。初演のときはどうだったのだろうか。
 『ばらの騎士』は、ある面、おとなの遊び的なオペラでもある。貴族は婚約者に銀のばらを贈るなどという偽の伝統をでっちあげたり、設定は18世紀なのに、あの有名なワルツが奏でられたりする。
 「自分はもうおばあさん」だと嘆き、年下の愛人を手放すマルシャリンは、まだ32歳だ。オクタヴィアンは17歳である。これに比べたら、私なんかもう仙人だね。
 
 ヨーロッパに滞在していたときには、とにかくよくオペラを観た。早めにご飯を食べて、オペラに行き、終わった後は余韻を楽しみながら、バーでシャンペンを飲む、というのが習慣だった。日本ではそうもいかないが、さいわい新宿から鎌倉までは湘南新宿ラインというのがあり、新宿駅には成城石井があるので、シャンペンの小瓶とオリーヴを買って、ちびちびやりながら帰る。
6月8日(金)
 
 今年はゼミで、スラヴォイ・ジジェクを購読しているのであるが、学生たちは音を上げている。
 ジジェクの英語はたいへん易しい。だが、精神分析のことを多少知らないと、ちんぷんかんぷんかもしれない。たとえば、「狼男にとっては、よつんばいになった女性の後ろ姿が『引き金』である」という一説があるが、まず狼男が、月夜に変身するあの狼男ではなく、フロイトの一番有名な症例であることを知らなければならないし、彼の原光景が、両親の後背性交を目撃したことだということを知らないと、理解できない。
 また、これはジジェクに限ったことではないが、基礎的な教養が必要であることはいうまでもない。Paul said in Romans とあったら、これがパウロの「ローマ人への手紙」であることが即座にわからなければ、英語の本なんか読めやしない。「21グラム」という言葉が出てきたら、それがイニャリトゥ監督の映画のタイトルであることが即座にわからなくてはならないし、それが魂の重さであることを知らなければならない。知らなくても、調べればそのうちわかるけれど、いちいち調べていたら、1冊読み終えるのに1年以上かかってしまう。
 ジジェクの英語は易しいと書いたが、その割には日本語訳は読みやすくない。とくに青土社から出ている松浦なんとかさん訳は、どうしようもない。どうしてこんなに読みにくくなるのであろうか。
 そういえば昨日のゼミで、学生から、ラカンの『エクリ』のある箇所について、「これ、誤訳じゃないでしょうか」という質問があった。そう、その通り、誤訳です。しかも、学生にすらわかるような誤訳である。すでに有名な話であるが、『エクリ』の翻訳は誤訳だらけである。でも、時代的に無理もないのであって、私としては誤訳を責めるつもりは毛頭ない。問題は、そういう誤訳をそのまま出版し続けるという呆れたセンスである。
6月6日(水)
 
 麻疹休講も終わり、授業再開。
 この季節は、入試問題作成もあるので、やたら忙しい。
 
 きょうは手塚治虫文化賞の授賞式に出る。山岸涼子『テレプシコーラ』が大賞を受賞したので、お祝いを述べるためである。
 ふつうなら、山岸さんとのツーショットをここに掲載するところであるが、山岸さんは有名な写真嫌いなので、それができない。会場でも、「ご本人のご要望により、山岸さんの撮影はいっさいお断りします」というアナウンスが一度ならず流れていた。受賞者と選考委員全員の記念撮影にも、山岸さんは入らなかった。どうしてそんなにご自分の顔を隠すのか、それは他人にはわからないが、とても美しい方であることは明記しておいてもいいだろう。
 いつも手紙のやりとりだけなので、山岸さんにじかにお目にかかるのは初めてである。心から崇拝している漫画家なので、緊張する。そばにいたかみさんもがちがちに緊張していた。
 うちにはもちろん『日出処の天子』が全巻あるが、厳重にひもで縛られている。縛っておかないと、かみさんは何度でも繰り返し読みふけってしまうからである。すでに30回くらいは読んでいるにちがいない。
 『アラベスク』と『テレプシコーラ』はバレエ漫画の金字塔である。外国語に翻訳されないのが不思議である。
 授賞式の会場はびっしり人が押しかけていたが、漫画業界の人ばかりなので、知人は、小谷真理さん、選考委員の藤本由香里さん、それに井上バレエ団の人たちだけであった。
 
 帰りの横須賀線の中で、ばったり恩師の川端先生にお目にかかり、鎌倉までおしゃべりしながら帰る。今年で73歳になられるはずだが、なんと週に9コマ教えておられるという。しかも多い日は一日5コマだそうである。私には絶対にできない。
 さらに副学長であるから、毎週たくさんの会議があることはいうまでもない。かみさんの友人であり、川端先生と同じ大学につとめている上橋菜穂子さん(あの「守り人」シリーズの上橋さん)は、川端先生のことを「宇宙からやってきたブルドーザー」と評しているそうだ。言い得て妙である。
 博士課程では、ドイツ文学を専攻する院生、フランス思想を専攻する院生など、すべての院生の指導をされている。英仏露のみならずラテン・ギリシアもこなす川端先生にしかできない芸当である。一方、ロシア語の初級・中級のクラスまで担当しておられるとのこと。逆立ちしても真似が出来ない。この先生の前では、私は隠居ですから、などとは口が裂けても言えないのである。
6月3日(日)
 
 翻訳の仕事がらみで、ここのところ「記憶もの」映画ばかり観ているのだが、きょうは『ペイチェック』(日本公開2004)。監督は『男たちの挽歌』『フェイス/オフ』のジョン・ウーだから、ジャンルとしてはアクション映画ということになる。原作は『ブレードランナー』のP・K・ディックだが、ウー監督は大のSF嫌いだから、プロダクション・デザインはあまり近未来風ではない。
 『北北西に進路を取れ』をすごく意識しているところが面白い。主人公役のベン・アフレックは見るからにケイリー・グラントを意識している。とはいえ、恋人役の「でかい」女、ユマ・サーマンがエヴァ・マリー・セイントを意識しているというわけではない。
 この映画でも、コンピュータのディスプレイに脳の内部が映され、それをレーザーのようなもので消していく。
 
 翻訳をしていると、他の本への言及、他の本からの引用、あるいは映画への言及に頻繁に出会う。言及とか引用というのは、著者は自分でわかっているつもりなのだろうが、元をみないとよく意味がわからないということがよくある。そのため、1冊の本を訳すために数十冊の本を読み、数十本の映画をみる、ということも珍しくない。そういう意味では、翻訳という仕事は手間がかかるのである。インターネットのおかげで格段に楽になったとはいえ。
 スラヴォイ・ジジェクなどは、ものすごいB級映画ファンなものだから、例に挙げる映画がこちらの知らない映画ばかりで、ビデオも出ていなかったりする。そういう場合は、仕方がないから、観ないで訳すわけだが、やはり後で気持ちがわるいものだから、訳し終わった後でも、たまたまテレビで放映していたりすると、かならず観ずにはいられない。
 
 昨日は露文学会の関東支部の例会。運営委員会のあと、研究会。ことし修論を提出した若い研究者たちがその修論の要旨を発表する催しである。私が司会(座長)を仰せつかった東大のKさんのテーマはコロンタイ。
 コロンタイといっても、若い人は知らないでしょうねえ。昭和初期、日本で大流行した女性作家である。1872年に生まれ、21歳で結婚し、息子をもうけるが、5年で離婚し、メンシェヴィキとして活動した後、革命まで海外に亡命し、ドイツ社会民主党に入党、15年にボリシェヴィキとなる。レーニンに高く評価され、革命後、唯一の女性人民委員(大臣)となる。その後、外交官となり、1943年からはスウェーデン大使。語学と演説の天才で、7カ国語以上を操ったという。
 日本で大ベストセラーになったのは彼女の『赤い恋(原題ワシリーサ・マルイギナ)』である。性の解放を描いているというので、日本では「共産主義社会では性関係がこんなに乱れている」ことの実例として紹介され、反共宣伝に利用された。
 彼女の小説をいま読むと、現代の風俗小説みたいで面白い。革命家どうしが結婚し、恋愛と革命を両立させようとするが、ネップ(新経済政策)時代になると、夫は懐が豊かになり、若い愛人を囲うようになり、奥さんのほうは「男に金を持たせるとすぐに浮気する」と苦悩する、といった感じ。共産主義は夢と消えたが、こういう男女問題は古今東西永遠不滅である。
 
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