2007年4月の日記(↑時間軸)
 
4月29日(日)
 
 きょうは暖かい一日だった。この冬はあまり寒くなかったが、そのぶん、春になってから、いつになっても寒い。ゴールデンウィークに入ったというのに。
 
 本日は久しぶりに実家に夕食を食べに行く。夕方、鎌倉駅まで歩いていくと、小町通りも駅も観光客でごった返している。ホームに人が溢れていて、線路に落ちんばかりである。階段のところで入場規制している。
 世の中が不景気だと鎌倉に来る観光客が増える言われている。みなさん、遠出をしなくなるからだ。東京から日帰りの観光で、最も手頃なのが鎌倉なのである。
 
 実家は、いくつかの駅から行くことができるが、鎌倉から行くときは横須賀線の西大井駅を使う。が、実家から西大井駅までは歩いていけるのだが、西大井駅から実家までの道は、いまだに覚えられない。きょうも途中で道に迷い、見当違いの方向に行ってしまい、2倍の時間がかかってしまった。
 20代まで実家に住んでいたのだが、家の周りというのはだいたい半径300メートルくらいの範囲は「面」で知っているが、それを超えると最寄り駅までの「線」しか知らず、ちょっとそこから外れると、目の前に見知らぬ街が出現する。
 むかし通学にはもっぱら大崎駅を使っていたが、あるとき、ふと駅から家までの道を逸れ、ふらふらと歩いているうちに、すっかり道に迷ってしまったことがある。
 西大井駅から実家までの道を覚えられない理由はもうひとつあって、私が実家に住んでいた頃には、西大井という駅はなかったのである(西大井駅が開業したのは1986年である)。
 道に迷ったのには、まだ他の原因がある。私は無類の方向音痴なのである。
 見知らぬ土地で道に迷ったときにどうするかで、人は二種類に分かれる。人に道を聞くか、自力で探すか、である。かみさんは割と気楽に人に道を聞くが、私はまず聞かないで、地図を見ながら目的地をめざす。ところが、方向音痴なものだから、外国でもしばしば道に迷う。
4月25日(水)
 
 ↓
先日散歩した、鎌倉の鏑木清方美術館の入口と庭
 
 
 
 

 〈散歩老人、35年ぶりに摩周湖で鹿に会うが熊には会わず

 土曜日、北海道立釧路芸術館にて講演。全国を回る予定の「舞台芸術の世界」展(東京は8月)が始まり、それにちなんだ講演である。朝6時に起床して出かける。
 パソコンに格納していった動画がなかなか映らず、会場設営にけっこう時間がかかった。はやめに着いてよかった。前にも書いたが、講演を頼まれたとき、たぶん作家なら、手ぶらでふらりと出かけていって話をすれば、それでよいのであろう。聴衆は話の内容よりも、自分が愛している作家の話が聞ければそれでいいのであるから。が、私のように、解説というかお勉強というか、何かテーマがあって、それについていわば教育的な話す場合は、仕込みが必要になる。
 学会でも同じだが、もし準備していった映像が見えなかったら、「アウト」である。言葉でバレエを説明するのはまことにむなしい行為である。それで、国際学会で研究発表するときは、映像をパソコンに格納し、外付けHDDにも入れていき、また同時にDVDに焼いてもっていく。今回も、3通りの方法でもっていったので、万が一、パソコンの映像がうまく映らなくても、他の方法でなんとかなったはずである。
 
 釧路に関しては、小学校のとき、地理の時間に、「根釧台地」というのを習った記憶しかない(釧路では釧根台地というのだそうだ。早慶戦と慶早戦みたいなものか)。後に述べるように、大学1年か2年のときに車で北海道を一周したが、そのときに釧路の町に寄ったかどうか、記憶がない。
 釧路芸術館は10年前に開館した美術館で、ウォーターフロントにあり、モダンな建物である。
 講演の後、館長や学芸員の方々と食事に出かける。学芸員のおふたりはどちらも関東出身であった。北大で勉強され、そのまま北海道に住み続けておられるらしい。館長はもとスピード・スケート選手で、清水宏保くんも彼の後輩だそうである。「釧路はなんといっても炉端焼きですよ」、というわけで、ほっけ、ししゃも、コマイ、じゃがバター、焼きおにぎりなどを頂く。その炉端焼きのお店の女将さんは日本舞踊の名取で、美人で、はっとするほどスタイルのいい女性であった。
 じゃがバターというものはどこにでもある。とはいえ、やはり北海道が本場であるが、釧路地方ではバターだけでなく、そのうえにイカの塩辛をのせて食べる。これは知らなかったが、じつに美味であった。家でもやってみることにしよう。
 ほっけも、いつも感じるのだが、なぜか北海道で食べると、東京よりも遙かに旨い。品質がずいぶんと違うようである。
 翌日は夕方の飛行機で帰ることにしてあったので、レンタカーを借りて、半日で200キロほど走る。車を借りた時間は6時間だから、昼食とウォーキングの時間を除くと、1時間40キロ以上走っていたわけである。それにしても、北海道のドライブは快適である。
 まず摩周湖に行く。
 先に述べたように、35年前、親友とふたりで北海道を一周した。東京から車で行ったのである。まだ東北自動車道もなく、一日目はまだ暗いうちに東京を出発し、夜、八戸に着いたことを覚えている。翌日、青函連絡船で北海道に渡る。北海道に入ると、とたんに道が広くまっすぐになり、車が少なくなるので、誰もがとばしたくなるらしく、道南はやたらにパトカーが多かったことを覚えている。草原にパトカーが隠れていたりもした。
 そのとき、知床まで行った後、阿寒湖と摩周湖に寄った。摩周湖は、着いたときには霧に包まれていて、どこに湖があるのか、わからなかったが、さっと霧が晴れて、全貌が見えた。と思ったら、すぐにまた霧に覆われてしまった、という鮮烈な記憶がある。
 今回は霧の季節ではないらしく、ずっとよく見えていた。水深200メートルときくと、ちょっと怖い感じがする。
 摩周湖から降りてくる途中、ふと前方を見ると、道路を鹿が二頭走っている。たぶん夫婦であろう。横の草原に行けばいいものを、ずっと路上を走っていて、急に止まったりするものだから、あやうく轢いてしまうところだった。そういえば、レンタカーを借りたときに、カウンターで「鹿に注意」というパンフレットをもらったことを思い出した。まさかと思っていたのだが、けっこういるようだ。その後も、10頭ほどの群れを見た。
 その後、釧路湿原の展望台と、コッタロ湿原の展望台にいく。湿原だから、木で遊歩道をつくってあるのだが、季節柄まだ途中までしかオープンしていなかった。日曜日なのに、ほとんど人に会わない。ぼんやり歩いていたら、「ひぐまに注意」という看板があり、「ひとりで歩かないでください。鈴やラジオなどで、音を出しながら歩いてください」と書かれている。道の途中でそんなことを言われても・・・最初はぶらぶら歩いていたのだが、なんとなく落ち着かなくなり、足早に出発点に戻った。
 
 一昨日から、かみさんは仕事でイタリアに行っている。鬼の居ぬ間に命の洗濯という言葉がある。子どもの頃、「鬼の居ぬ間に洗濯じゃぶじゃぶ」と覚えていて、何を洗濯するのだろう、どうして鬼が居ると洗濯ができないのだろう、と不思議でならなかった。
 それはともかく、命の洗濯どころか、毎日、自分の衣服の洗濯をしなければならない。

4月20日(金)
 

 久しぶりの好天に恵まれたので、かみさんと、鏑木清方美術館まで散歩する。とくに何かが見たかったわけではなく、ふと、そういえば鎌倉に越してきてからまだ一度も行ったことがない(かみさんはあるそうだが)、ということに思い至ったのである。
 平日にもかかわらず、小町通りは観光客でごったがえしていたが、美術館のほうに曲がると、深閑としていて、人っ子ひとり歩いていない。
 この美術館は、鏑木清方が晩年住んだ家である(彼は生まれも育ちも東京都心である)。ちなみに、画家が住んでいた家がその没後に美術館になる、という例はたくさんあるのだろうが、私にとっていちばん印象的なのはパリのモロー美術館だ。若い頃はパリに行くたびに訪れたものだが、それは30年以上前の話である。
 鏑木に話を戻すと、大学の1年か2年の頃だったと思うが、鏑木清方展があった。場所は忘れた。たぶんどこかのデパートだったのではあるまいか。その頃は、私の「和時代」で、あちこちの小さな美術館で日本画、茶器、焼き物などを見て歩き、夜は能か文楽を見るという、20歳にしてすでにご隠居さんみたいな生活をしていた。どうして大学に行かなかったかというと、入学して半年もすると、学生運動が激しくなって、ロックアウトされて授業がなくなってしまったのである。
 さて、その展覧会で、鏑木の最も有名な作品である(切手にもなっている)「築地明石町」を見て、全身に鳥肌が立つほどの衝撃を受けた。日本にはこんなに美しいものがあるのだなあ、と思ったことを今でも覚えている。この絵は、所有している人がケチなのか、それとも状態がわるくなったのか、理由は知らないが、めったに公開されないそうだ。たしかに1999年に竹橋の近代美術館で大々的な鏑木清方展が開かれた際にも展示されなかった。私も、35年くらい前に一度見たきりである。
 きょう、美術館から帰った後、そのときの図録を探したのだが、見つかるはずもない。あるとき、私は「西洋崇拝者」として生きることに決め、「和」と別れを告げ、和物に関する書物も資料もいっさい処分してしまったのであった。若気の至りとは、こういうことを言うのである。
 
 美術館からの帰り、そばが食べたくなり、小町通りにある「山路」に入る。この店は、10年くらい前まではうちの比較的近く、鎌倉宮の門前にあったのだが、しばらくして小町通りに引っ越した。うちの近くにあった頃には何度か行った。ビールを頼むと、つまみにそばを揚げてくれたりした。小町通りに引っ越してからは、たいへん立派な店構えになってしまったので、なんとなく入りづらくなって、きょうまで一度も行かなかったのだが、脱サラをしてそば屋を始めたご主人は、あいかわらず店先でそばを打っていた。
 
 そばを食べたあと、八幡宮のぼたん園を覗こうと思ったが、なんと入場料500円とあるので、かみさんと顔を見合わせ、やめることにする。その代わり、明治32年創業という近所の和菓子屋で豆大福を買って、家に帰ってお茶を入れる。
 静かな一日であった。
4月18日(水)
 

 昨日は本年度第1回目の教授会。3時間だったが、これはまあ標準的な時間である。が、その後に続けて大学院の教授会。これがまた長い。終わった頃にはもうまったく思考能力がなくなっていた。血圧もさぞかし上昇していたにちがいない。
 
 18年ぶりにキッチンの全面改修工事がおこなわれていて、一時は水道もストップしていたため、バケツの水でトイレを流さなくてはならなかったが、ようやくその工事も終わり、かみさんが25年間「欲しい、欲しい」と言い続けてきた食洗機が設置された。ぱちぱち。
4月15日(日)
 

 前にも書いたように、隠居たるもの散歩をしなければならんと思うのだが、同時に、車を動かさないと、バッテリーがすぐに老化してしまう。以前は娘が車で大学に通っていたのだが、家を出てしまってから、車を利用する機会がめっぽう減ってしまった。保険屋さんも、トヨタの営業のお兄さんも、走行距離を見て苦笑している。いわく、「もう少し乗ってくださいね」。
 私自身もそう思うが、忙しくなればなるほど、車を使う時間は少なくなる。
 車と散歩を両立させるためには、イギリス式に、車でちょっと遠出して、車を停めてそこから2時間ほど散歩すればいいのである。
 というわけで、きょうは金沢自然公園という所に行ってみる。
 家の近くに、こんな広大な公園があるなんて、すばらしい。
 
 散歩をしていると、たくさんの花が咲いていることに気づく。
 ただし、私は都会育ちということもあり、また園芸にとくに興味がなかったということもあり、花の名をおよそ知らない。かみさんも同様なので、ふたりで散歩していても、「××が咲いたね」「今年は××の開花が早いね」といった会話はない。おたがいに、「これ、なんの花かね」「この花、なんていうのかね」と聞き合っている。もちろん聞き合っても、答えは出てこないのである。
 


  
4月13日(金)
 

 今週から新年度の授業が始まる。新学期を迎えるのは、大学教師になってから21回目(非常勤時代も入れれば23回目)、法政大学に来てから19回目である。ただしそのうちの3回はサバティカル(在外研究、国内研究)だったので、授業はなかった。
 計算が苦手なので、1年くらい間違えているかもしれないが、現在のところ定年は65歳だから、今年を含めてあと11年間授業をやれば、それで本当の「ご隠居」である。いやもう一回サバティカルがあるので、授業はあと10年だ。そう考えると、もう残りもわずかである。人生は短い。
 毎春、しっかり準備をして授業に望もうと思うのだが、何しろ1月から3月まではばたばたと忙しく、今年も例によって、気がついたら授業が始まっていた。早くもゴールデンウィークが待ち遠しい。
4月8日(日)
 

 先日、加藤秀俊の『隠居学』『続・隠居学』(講談社)を続けて読んだ。「隠居に関する学 Studies on Retirement 」だと勝手に解釈し、これは隠居にとっての必読書にちがいないと思い、購入したのだったが、なんのことはない、隠居となった加藤先生の学問、つまりご隠居さんによる学(Studies by a Retired Scholar)なのだった。がっかり。著者は「これは雑学ではない」と強調しているが、もともと加藤先生は社会学者である。社会学というのは、私から見ると雑学に他ならない。ただしこれは悪口ではない。私自身は雑学が大好きだから。
 
 ところで、隠居にとって日々欠かしてはならないのが散歩である。目的があってどこかまで行くのではなく、歩くために歩く。これが隠居生活におけるメインイベントである。
 というわけで、きょうは、あまりに天気がいいので、かみさんと、(ローカルな地名が続出して申し訳ないが)、岐れ路の脇から尾根まで一気に登り、「祇園山ハイキングコース」と呼ばれている山道を、終点である大町の八雲神社まで歩く。祇園山の山頂からはよく海が見える。
 平日とちがって、10人ほどのハイカーとすれ違う。あるグループは山頂近くでお弁当を広げていた。
 大町のそば屋でざるそばを食べ、並びの和菓子屋で桜餅と柏餅を買って、家に帰ってお茶を飲む。2時間半のコースであった。
 
 
 
 
4月7日(土)
 

 同じ市内に住むNさん夫妻を誘って、「桜花見クルーズ」に行く。20人ほどしか乗れない小さな船で、横浜の大桟橋から出航し、大岡川に入り、川沿いの桜を観賞するというクルーズである。すでに満開を過ぎてはいたが、まだ七分くらい花が残っており、「滑り込みセーフ」であった。好天にも恵まれた。
 が、大岡川というのは日ノ出町、黄金町、伊勢佐木町あたりを流れているので、桜を堪能することは出来たのだが、その桜の背景に見えるのはソープランド、元ちょいのま(柳美里の「ゴールド・ラッシュ」の舞台)、ラブホテル、等々である。
 
 帰りに中華街に寄り、大新園で昼を食べる。関帝廟通りにある、「すごくおいしいのに、いつでもテーブルがあいている」という不思議な店である。ここのいちばんのお勧めは「つけわんたん」。これだけを目当てに来る人も多い。これをつまみながらビールを飲んでいれば、そのまま昇天である。
 最近できた媽祖廟(媽祖というのは海の女神。「天上聖母」ともいう)に詣でた後、あれこれ食材を買って帰る。中華街は物価が高いが、近所のスーパーでは手に入らないものがいろいろ買える。
 
 夜、録画してあった「HAZAN」を観る。板谷波山の伝記映画である。五十嵐匠監督は「昔の日本の自然、きれいでしょう!」を強調しすぎで、途中でいささか食傷してしまうが、まる(妻)役の南果歩と、ろくろ師役の康すおんがすばらしい。
 
 同じく録画してあった「剣鬼」を観る。柴田連三郎原作、三隅研次監督、市川雷蔵主演。主人公は、人間の女性と犬との間にできた子どもだというので(そんなわけないのだが)、「犬っこ」と呼ばれている。土の匂いをかぎ分けられるために、花作りの名人で、走ると馬より速い。おまけに独学で居合をマスターしてしまう。内田朝雄がいやらしい悪役ではなく、居合の達人(じつは幕府のお庭番)の役をやっていて、しぶい。姿美千子がなつかしくて、涙がでる。
4月5日(木)
 

 たばこをやめたのは、心臓疾患の疑いがあったからだ。だから、正確には「やめた」のではなく、「もはや吸うわけにはいかない」という状態に追い込まれたのである。
 さいわい、うちの近くには湘南鎌倉総合病院という徳州会系の病院があり(悪口を言う人も多いが、私は信頼している)、この病院にはかつて須磨久善という伝説の心臓外科医がいたが、現在は斎藤滋というカテーテル治療の第一人者がいるので、そのドクターに診ていただく。
 先週、負荷心電図、CTスキャン、超音波などの検査をしたら、あやしい箇所が発見され(どうみても、血管が1本切れている)、カテーテル検査をしたほうがいいということになり、昨夜から入院して、その検査を受けてきた。結果は「異常なし」ということで、ほっとした。
 どうして前夜から入院しなくてはならないのかは、よくわからなかったが、検査そのものは10分くらいなのに、全部で24時間近く病院にいなければならなかったので、原稿を1本書き、書評を頼まれた本を読み、検査後は両手とも不自由になった(左腕は点滴、右腕は動脈に穴をあけた)ので、DVDを2本観た。
 というわけで、結果的には、たばこをやめる必要はなかったのだが、あんなにひどい禁断症状(眠くてたまらない、めまいはする、吐き気はする、思考力はなくなる、仕事は出来ない)にもう一度苦しめられるのはごめんなので、たぶんもう吸わないだろう(って、前は半年で復活したのだが)。
4月2日(月)
 

 きょうは、われら夫婦にとっては25回目の結婚記念日である。銀婚式というわけだ。あと数年で、「結婚前」と「結婚後」が同年数になるのだが、人生最初の数年間は忘却の闇に包まれており、記憶が始まるのは4歳くらいだから、その意味ではすでに結婚生活が人生の半分に達している。
 
 最近のバレエやダンスを一語で特徴づけるとしたら、それは「アスレチック」だということだ。なんと訳したらいいか、わからないのだが、強いて訳せば「体操的」「スポーツ的」だろうか。1960年代まで、バレエもダンスも今よりもずっと演劇的・表現主義的だった。そのために、現代的感覚で40〜50年前の映像をみると、古臭く感じる。
 この現代的傾向を体現していたのが、シルヴィ・ギエムであることはいうまでもない。
 このことはバレエやダンスに限らず、隣接ジャンルについてもいえる。バレエやダンスの隣接ジャンルとは、体操、新体操、フィギュア・スケートである。
 東京でオリンピック大会があったのは、私が小学6年生のときだった。ナマで見たのはひとつだけで、あとはテレビ鑑賞だった。ナマで見たのは、どこか知らない国どうしのバスケット・ボールだったが、皇太子ご夫妻(現在の天皇皇后)が臨席されていたことをよく覚えている。
 あの頃は、体操もまだ大人のものだった。その後、体操も新体操もどんどん「中国雑技化」していった。いま、チャスラフスカが出てきたら、みんなは「あれ、保護者がでてきた」と思うんじゃないかしら。
 余談ながら、今でもよく覚えているが、メキシコ・オリンピックは、ソ連軍のプラハ侵攻の直後だったから、チャスラフスカは弾圧に対する抵抗の象徴的存在だった。そのせいでかわいそうな思いをしたのが、稀代の美少女ナタリヤ・クチンスカヤである。いや、ほんと、思い出すだけでも胸がどきどきするくらいの美少女であった。クチンスカヤは、今から15年くらい前、体操指導のために大阪に2年くらい滞在していた。むろん、おばさんになっていたけれど、きれいなおばさんだった。
 
 
 
 新体操は、体操よりもずっとバレエに近いので、比較研究の題材になると思って、あるときアマゾンでDVDを検索して驚いた。たくさんあるのだが、どれもアダルト・ビデオなのだ。買わなかったからわからないが、新体操の選手がAV女優に転向したのだろうか、それともAV女優が新体操選手という設定でポルノを演じているのだろうか。
 かろうじて、「カバエバの新体操教室」というDVDが見つかった。ご存じ、アテネの金メダリストだ。その後さっさと引退してしまった。ウズベキスタン人だが、この子はすごい。美少女というだけでなく、中国雑技に対抗できる。体がぐにゃぐにゃである。DVDのなかで、バーレッスンを披露するのだが、バレエのバーレッスンよりもすごい。あんなのは、彼女しかできないであろう。
 
 
 
 が、いずれにせよ、体操も新体操も中国雑技化し、「子供の芸」化している。いや、日経新聞にシルク・デュ・ソレイユの批評を書いた際に書いたが、世のエンターテインメントすべてが中国雑技化しているのである。
 フィギュア・スケートもそうだ。安藤美姫やら淺田真央を見ていたら、きゅうにカタリナ・ヴィットが見たくなって、80年代の映像を何本か見たが(ユーチューブというのは便利だ)、今見てもセクシーですばらしい。
 ついでにカタリナ・ヴィットをGoogleのイメージ検索にかけたら、いきなりヘア・ヌードが出てきたので、びっくりした。
4月1日(日)
 

 昨夜は、以前お向かいに住んでいた(その後シロガネーゼとなった)Hさんが、おいしい店を教えてくれるというので、かみさんと3人で逗子の「いづみ」に飲みに行く。市役所の裏の、12,3人も入るといっぱいという小さなお店。
 刺身の盛り合わせ、煮魚、焼き魚、豆腐、せりなどをばくばくと食べ、北雪とか越乃寒梅とかをぐびぐび飲む。どの料理もひじょうに旨い。
 そのまま3人で今度は鎌倉の「あけみ」まで飲みに行く。名物おばさん(おばあさん)がやっている店。きょう採れたというアジをご馳走になる。
 う〜、久しぶりに日本酒を1升ほど飲んだ。
前にも書いたが、Hさんがお向かいに住んでいた頃は、よく魚をいただいた。かさご、かわはぎ、あじ、いわし。
 
 ゆえあって、しばし禁煙することにした。「禁煙ほど簡単なことはない。何度でもできる」というジョークがあるが、本気で禁煙するのは3度目である。
 以前禁煙したときもそうだったが、最初の1〜2日はこんこんと眠り続ける。20時間眠ってもまだ眠り足りない。世の中にはタバコをやめると眠れないという人もいるそうで、そういう人たちの場合はタバコが睡眠薬の役割を果たしていたのだが、私の場合は、昼間目が覚めているのはニコチンの覚醒作用のおかげだったわけである。ニコチンが切れたとたん、目を開けていられなくなったというわけだ。
 当然、酒を飲むと、むしょうにタバコが吸いたくなる。前に禁煙したときも、酒を飲んでいるときに挫折した。「酒を飲むときだけは吸ってもいいことにしよう」という悪魔のささやきに負け、実際しばらくは酒の席だけで吸っていたが、そのうちに酒なしでも吸うようになり、全面的に戻ってしまった。
 食後や、コーヒーを飲むときも、つらい。
 たばこの最大のメリットは時間がつぶれることである。手持ちぶさたのとき、誰かを待っているとき、たばこさえ吸っていれば、自然に時間がたっていくのである。
 たばこを吸っているときには「最近、喫煙者が減ったなあ。私のまわりでは、吸っているのは私だけだ」という疎外感を味わったが、禁煙していると、「まだまだ喫煙者は多いなあ。吸っていないのは私だけなんじゃないか」という妄想に襲われる。
 10年喫煙していた人の肺がきれいになるには20年かかるそうだ。私は40年近く吸っていたのだから、130歳を超えないと、私の肺はきれいにならないということだ。
 白人から黒人、あるいは黒人から白人になったようなもので、生活空間が変わってしまった。これまでは喫煙席にいったところを、禁煙席にいく。文字通り違った世界を生きることになってしまった。いつまで続くか、わからないけど。
 「とりあえず一服しながら考える」という習慣がなくなってしまったので、まったくものを考えなくなってしまった。たばこなしでは、仕事も全くはかどらない。そういえば、むかし、ある作家が、たばこをやめたら全然原稿が書けなくなり、編集者に「お願いですから、たばこをやめないでください」と言われたそうだ。
 私も、仕事が出来ない状態が1ヶ月も2ヶ月も続くようなら、「禁煙の見直し」を考えなくてはならない。
 すでに、かなり禁断症状がひどく、かみさんが「たばこ、やめないほうがいいかもしれない」と言うほどである。
 
 →最新の日記に戻る