2007年2月の日記(↑時間軸)
 
2月25日(日)
 

 昨日は、熊川哲也率いるKバレエカンパニーの「白鳥の湖」を観に行く。あいかわらず大盛況である。チケットは完売である。このカンパニーの観客は一般のバレエ・ファンとはあまり重なっていないようで、会場の雰囲気がかなり異なる。
 みなさん、熊川を観ることが第一の目的だから、3幕目の「黒鳥のパ・ド・ドゥ」までじっと堪えて待っている。男性ヴァリアシオンになると、「待ってました」とばかりに割れんばかりの拍手である。熊川の跳躍は少しも衰えていない。ピルエットはいささか軸がぶれるようになってきたが、回転は年を取った方がいいという説もあるから、まだまだ踊れるであろう。
 このバレエ団の観客動員力には驚かされる。悦ばしいことであるが、熊川のダンスを観ることだけが目的だとしたら、10年後にはどうなってしまうのだろうかと、他人事ながらいささか不安になる。
 それはともかく、熊川の跳躍はたんに高さがあるというだけではない。ひとを幸福にする力を持っている。おかしな比喩だが、パヴァロッティの声みたいなものだ。こんなことを書くと大勢の熊川ファンを敵に回すことになるのだろうが、きっと熊川を見に来た女性観客のなかには、実生活ではこれまでいいことが何ひとつなかったという人も多いだろう。男にもてない、恋人ができない、男に捨てられた、夫との関係が冷え切っている、等々。そんな女性も、熊川の跳躍を観た瞬間、なんともいいがたい幸福感に包まれているのではあるまいか。
 
 きょうはNBAバレエ団の「バレエ・リュス・プロ」を観に行く。演目は「ショピニアーナ(レ・シルフィード)」「カルナヴァル」「薔薇の精」「ポロヴェツ人の踊り(イーゴリ公)」である。むろんお目当ては、評論家のみなさんと同様、「カルナヴァル」である。現在、この作品を上演しているバレエ団は世界中どこを探してもない。
 休憩時間に、この公演の監修者である薄井憲二先生がわざわざ私の席までいらして、「これは、あなたのためにやるんですよ」とおっしゃる。
 その通り、このバレエを観るべき人間の筆頭はこの私である。このバレエはこれまで観たことがない。バレエ・リュスの専門家ということになっているが、年のせいもあって(20年くらい早く生まれていれば、いろいろ観ることもできたのだが)、知らないことが山ほどある。
 シューマンの「カルナヴァル(謝肉祭)」は、学生時代、一時期めちゃくちゃ好きで、一年間くらい毎日聴いていたので、全曲しっかり覚えている。
 バレエの方は、写真やイラストや版画を通して、想像するだけだったので、きょう初めてナマで観て、「なるほど」の連続であった。初演では、かのメイエルホリドがピエロ役を演じたのであるが、なぜメイエルホリドがこの役をやったのかも、よくわかった。
 
 舞踊史などというものに携わっていると、「タイムマシンがあれば・・・」と本気で願うことが頻繁にある。当たり前だが、過去のバレエは観ることができない。芝居ならば戯曲があり、音楽ならば楽譜があるが、舞踊は「ほとんど跡形もない」といっても過言ではない。ビデオ誕生以前のバレエは、音楽と、絵あるいは写真から想像することしかできないのだ。
 若い頃、「パラード」というバレエが観たくてたまらなかった。台本コクトー、音楽サティ、美術ピカソ、振付マシーン、出演バレエ・リュスという、「夢の饗宴」バレエである。おまけに公演プログラムにはアポリネールの解説が載っていて、その文中に「シュルレアリスム」という言葉が出てくる。このとき、この語が初めて使われたといわれている。
 サティのレコードを買って、すり切れるくらいまで聴きながら(だからこの曲もほとんどそらで歌える)、写真やデッサンを眺め、20年間、「どんな踊りだったのかなあ」とあれこれ想像していた。
 40を過ぎてから、南仏ニースで復元上演されるというので、観に行った(さいわい、ちょうどロンドンに住んでいたので、「ひとっとび」であった)。何しろ20年間「観たい観たい」と願い続けた作品である。始まると同時にどっと涙が出てきて、終わるまで涙がとまらなかった。
 知人がビデオを貸してくれたのはその後のことである。ダビングを繰り返したため、画質は劣悪なのだが、授業で学生に見せると、みんな感動している。
2月20日(火)
 

 新聞に法政大学のことが大きく取り上げられていた。少子化の中で着実に受験生の数を増やしてきたこの大学は、首都圏のマンモス大学のなかでも「勝ち組」なのだそうだ。私が定年を迎えるまではつぶれずにすみそうである。ありがたい。
 
 私はだいたい2〜5年遅れで映画を観ているものだから、ここで何か書くと「このおっさん、今頃何を言ってるねん。そんな映画、もう忘れちゃったよ」と言われるにちがいない。
 昔は、映画はだいたい一般公開の前に試写室で観ていた。学生のときは、親しくしていた都立高校の先生が映画評論家で、試写室に連れて行ってくれたり、試写状をくれたりしたので、ほとんど毎週試写室に通っていた。むろんそれ以外に名画座をまわっては古い映画を観ていた。その後は「キネマ旬報」に批評を書いたりしていた関係で、あちこちから試写状がきた。
 試写室のスクリーンは小さいので、映画館のほうがずっといいけれど、映画というのは「当分やっているな。そのうちに観よう」と思っているうちに、いつのまにか終わってしまい、場合によってはその後しばらく観られないという状態が続く。ビデオが普及する前はそうだった。その点、試写会は日時が決まっているので、「その日に観なければならない」という拘束感があり、見逃さずに済む。昔は試写室でタバコが吸えた。
 ところが、仕事が忙しくなるにつれ、だんだん試写会にいく暇がなくなり、ご無沙汰しているうちに、試写状もまったく来なくなった。
 昨夜はシャンペンを飲みながら(それにしてもよく飲む男である。肝臓は半分死んでいる)、「SAYURI」を観る。第一級の国辱映画であるが、先ほども書いたように、この映画をめぐる議論はとっくの昔にもうみんなが飽き飽きしているだろうから、評するつもりはない。
 
 冒頭の、サユリの生家が映った時点で、ああいやだなと思ってしまった。CGだったからだ。どうして最近の映画はやたらにCGを使うのだろう。もっと自然ならいいんだが、いかにもCGという画面が多すぎる。
 印象的だったのは、サユリの子ども時代を演じた大後寿々花がめちゃ可愛かったこと。鳥肌がたってしまった。「北の零年」にも出ていたようだが、気づかなかった。
 それと、かつてぱんぱんに太っていたコン・リーが痩せただけでなく、若々しく甦っていたこと。かなり美容整形をしたようだ(火事の場面で一瞬、首がうつるのだが、首だけたるんでいる)。
 芸者の話なのに、日本髪がまったく出てこない。西洋人には異様すぎるのであろう。女たちは西洋風に着物をきて、裾を翻して大股で闊歩している。
 踊りについていえば、あれは完全に中国の踊りだ。サユリが舞台に立つところは、明らかに玉三郎の「鷺娘」のぱくりだ。
 ただ、チャン・ツィイーは、さすが舞踊学校出身だけあって、ちゃんと腰が入っていて、踊りがさまになっていた。お見事。
2月22日(木)
 

 先日、バレリーナのピエトラガラについて、「もうずいぶん前にオペラ座を定年でやめて、その後マルセイユ・バレエの芸術監督になった」と書いたら、舞踊ジャーナリストの方から「それは間違いです」というご指摘を頂いた。エトワールの座を捨ててマルセイユ・バレエの芸術監督に就任したんだそうである。そういえば、そうだった。最近、記憶力がとみに減退して、記憶違いが続出するので、今後とも何か間違いを書いたら、どうぞ教えてくださいませませ。

 年賀状に「私は隠居です」と書くと、かならず何通か、怒りにみちたお叱りのお返事をいただく。それは本物のご隠居さんたちからである。「本当の隠居は、まわりじゅう年寄りだらけで、つまらんものだ。隠居するなどと言ってはならぬ。思ってもならん」と書いてくださったのは「群像」の元編集長である。
 世の中の人たちは「80をすぎて新しい世界にチャレンジ」とかいう話が大好きだ。その理由はわかるけど、いつまでも元気なことが本当にいいのか、疑問だ。何事にも整理と片付けが必要である。人生もまたしかり。
 それはともかく、ごく最近、本当に隠居生活から抜け出してばりばりの現役に戻らなくてはならなくなりそうな事情が生じて、困ったなあと悩んでいたのだが、その事情の方が勝手に消滅したので、当分また隠居生活を続けられそうで、めでたいかぎりである。
 
 同僚の司修さんが3月いっぱいで退職される。ゆうべはそのお別れパーティであった。数名の教師に加えて、1期生から現在の1年生まで幾世代もの教え子がきていた。私はというと、60でやめるとしてあと5年、65まで勤めるとするとあと10年。きっと、あっという間に過ぎるであろう。
2月18日(日)
 

 鎌倉じゅうで、梅が満開である。木曜は瑞泉寺まで、金曜は浄明寺まで、梅見に出かけた。
 
 一昨日の夜、ジョニー・デップ主演の「ネバーランド」を観る。かみさんがTSUTAYAの会員になったので、ネットで申し込むとDVDが郵便で送られてくる。返すときはポストに入れればよい。10日間で500円だから安いし、田舎暮らしの身にはたいへん便利だ。
 「ネバーランド」は、「チャーリーとチョコレート工場」とか「パイレーツ・オヴ・カリビアン」とは違って、デップの気持ち悪さ(=魅力)を抑えた映画だし、夫婦関係の描き方も子ども描き方も浅い。ダスティン・ホフマンの役も紋切り型だ。
 デイヴィス夫人役のケイト・ウィンスレット(「タイタニック」)は好きでない。濃すぎる。その母親を演じている老女優を、「どこかで見たことのある顔だ。それにしても、きれいなおばあさんだなあ」と思いながらみていたのだが、最後のクレジットでジュリー・クリスティであることを知った。さすが。
 ジュリー・クリスティは、「シャンプー」とか「天国から帰ってきたチャンピオン」とか「はるか群衆を離れて」とか、いろいろあるが、やはり「ドクトル・ジバゴ」のラーラが好きだ。一度、ロンドンの舞台で観たことがある。たしかハロルド・ピンターの芝居だったと思うが、そのときも、すでに伝説的女優と化していたクリスティが久々に出演するというので話題になっていた。もちろん彼女はもともと舞台女優ではないので、特別出演という感じであった。新聞の批評も「演技はともかく、独特の存在感がある」とかなんとかいう感じだった。
 「ネバーランド」は、いわばジェイムズ・バリの伝記映画であるが、いま抱えている「ピーター・パンの事例」という本を今年中になんとしても訳さなくてはならない。これを出版することは、児童文学界に爆弾を投げつけるみたいなことなのであるが、出さないわけにはいかない。だが何しろむずかしくて・・・あまりにむずかしさに、めちゃくちゃ英語ができるといわれている某東大英文科教授ですら断ったという代物である。
 いま思い出したが、ロンドンで、一度、まだ小学生だった娘を連れて「ピーター・パン」を観に行った。クリスマスの季節にはよく上演されるのである。この手の家族向け芝居をイギリスでは「パントマイム」と呼ぶ。ふつうパントマイムというと、手ぶり身ぶりだけの無言芸を指すが、イギリスではちがう。最初はたしかにせりふがなかったのだが、途中からせりふをしゃべるようになったのである。では無言劇をなんというかというと、マイムと呼ぶのである。
 私は人間がワイヤーで宙に浮くというのが大好きで、それだけでぼろぼろ涙を流してしまうくらいだ。
 これまた、いま思い出した。サバティカルでロンドンにいったとき、小学生の娘がいちばん最初に行きたがった場所は、セントラル・パークだった。そこにピーター・パンの像があることを聞いていたので、どうしてもその像が見たいと言ったのだった。
 
 昨日は一日じゅう平凡社で舞踊事典の会議。翻訳はほぼ出来上がったのだが、事典というのはそれから先がいろいろあって大変だ。いちばんの悩みは、なんと発音するのかわからない人名がたくさんあることだ。「本人にきかないとわからない」ことが多い。いや本人に聞いてもわからないという場合もあるのだ。正しい発音はと質問されたマーゴ・フォンテインは、「後ろに力点をおいてフォンテインと呼ぶひともいれば、前にアクセントをおいてフォーンティンと呼ぶ人もいますねえ」と答えたそうである。ちなみに、フォンテインというのは芸名で、本名はフッカム。
 ロシア人の名前も面倒で、たとえばかの大作家の名前をできるだけ忠実に表記すると、ダスタイェーフスキイとなるが、これじゃあ誰だかわからない。だが、ドストエーフスキイにするか、ドストエフスキイにするか、ドストエフスキーにするか、あれこれ悩むのである。チエホフ? チェーホフ?
 
 帰宅後、知人が送ってくれた、信じられないくらいおいしいイチゴをさかなにワインを飲みながら、『ラ・ピエトラ 愛を踊る女』(Quand ju vois le soleil, 2003)というフランス映画を観る。元オペラ座のエトワール、マリー=クロード・ピエトラガラが女優として出演している(といってもダンサーの役)映画である。フランス映画って、どうしてこうつまらないのだろう。ものすごい低予算で作られているようだが、低予算だからつまらないということもなかろう。
 「トイレはなくともビデはある。フランス人というのはまことにエッチな国民である」というは林望の名言だが、私も同感である。この映画では、夫は新進の漫画家、妻はバレエ・ダンサー。その妻が癌で死期が近づいている。彼女の苦悩が描かれるのだが、この夫婦、死を前にしてもエッチのことばかりを考えているのである。エッチができなくなった妻は、夫に娼婦を買い与えては、嫉妬に狂う。夫は、拒否せずに素直に娼婦と寝る。妻が死の床にあっても、夫は別の女とせっせとエッチしている。なんじゃらほい。
 むろんピエトラガラが観たくて観たのであるから、それだけでよろしい。むかし、どこかの女性雑誌で、ピエトラガラをめぐって半田良輔と対談したことがある。ものすごい肉体をもった女性である。もうずいぶん前にオペラ座を定年でやめて、その後マルセイユ・バレエの芸術監督になったが、うまくいかずにそれもやめ、今は何をしているのか、知らない。
 日本では、カロリン・カールソンの「ドント・ルック・バック」という作品が人気を博したが、、寄席芸みたいな、下らない作品である。寄席芸をバカにしているわけではない。私は寄席芸とか大道芸とかサーカスが大好き。でもこの作品は、しょせんは寄席芸なのに、それをいかにも「芸術作品」みたいなフリをしているから気に入らない。
 作品は下らないが、ピエトラガラはすばらしかった。イギリスにいたとき、オペラ座でニジンスキー版『春の祭典』をやるというので、ユーロスターで海峡を渡って観に行った。第二場の主役である犠牲の処女を、1日目はピエトラガラが、2日目はルテステュが踊ったのだが、そのあまりの落差に驚いた。ピエトラガラがエトワールだったころと現在を比べてみれば、いかにオペラ座のエトワールのレベルが落ちたか、一目瞭然である。現在のエトワールたちは、昔ならエトワールにはとてもなれなかった連中だ。マニュエル・ルグリが最後の本物のエトワールであろう。
 ピエトラガラにいちばん似ているのはギエムだろう。どちらもスーパーウーマンであり、「男っぷり」がいい。彼女たちを見ていると、自分のほうがずっと女性的だという気になってくる。
2月16日(金)
 

 私には法政大学・大学院教授という肩書きの他に、もうひとつ肩書きがある。正式名称は、じつは自分でも自信がないのだが、早稲田大学演劇博物館演劇研究センター21世紀COEプログラム客員教授である(たぶん)。簡単にいうと、早稲田の大学院の客員教授である。これは年限のある身分で、この3月でお役ご免となり、4月からはふつうの大学院非常勤講師となるはずであるが、現在の身分での最後のおつとめが上記のイベントである。
 というわけで、この日記の読者のみなさまにはぜひご参加をお願いしたいと思う次第である。前半は教授各人が秘蔵フィルムをもってきてお見せするという趣向、後半は3人の振付家が同じ曲を使って作品をつくるという企画である。面白そうでしょ?
 
 夜中にパリのオペラ座とメールのやりとりをしていたら、少々疲れてしまった。最近は辞書を引きながらでないと、フランス語の手紙が書けない。あまり使う機会がないものだから、フランス語がすっかり錆び付いてしまったのである。フランス語は発音しない語尾が多いので、しゃべるときはまだましなのだが、書くとき、動詞の活用が思い出せない。情けない。
 会話ならできるというわけでもなく、バレエの会場で写真家のアーノルドやマダム・モレシャンと会うとフランス語をしゃべることになるのだが、いつもしどろもどろで、ロシア語と英語とフランス語のちゃんぽんになってしまう。我ながら、頭がわるいと思う。
2月14日(水)
 

 昨日は1時半から大学院教授会。そのあと学部教授会。合計で6時間。なんとかならないのだろうか。
 
 今日は原宿駅近くのテントまで、日経新聞の瀬崎さんとシルク・ド・ソレイユの「ドラリオン」を観に行く。今回は中国雑技がメインなので、ちょっとシルク・ド・ソレイユらしくない。演じているのもほとんど中国人。それにしても、中国雑技には感動させられる。極限の技だ。一番驚かされるのは「軟体わざ」。空中ブランコもすごかった。もし命綱がついていなかったら、怖くてとても観ていられなかったであろう。あまりのすごさに、終わるとほっとして涙が出てしまう。
 私はサーカスが大好きである。木下サーカスも、ボリショイ・サーカスも何度も観たが、いちばん強烈な印象を受けたのは、小学生のときに親に連れて行ってもらったドイツ・サーカスである。会場は千駄ヶ谷の体育館だった。命綱も落下用のネットも使わない。綱の上をオートバイで走るという芸がいちばん印象に残っている。
 私の世代の人間は子どものころにかならず、親から、暗くなるまで外をふらついていると、人さらいにさらわれて、サーカスに売られ、毎日酢を飲まされるんだぞ、と言われたものである。
2月11日(日)
 

 きょうも6時に起きて入試監督に出かける。日曜は電車が空いていていいのだが、本数が少ないので、ふだんよりも通勤時間がかかる。さいわい暖かい好天だった。これが寒くて雪が降っていたりすると、地獄である。
 本日はデザイン工学部の入試であった。英語・数学・理科のうちから2つを選択する。ラッキーなことに私は、最初の2つを選択する教室に配置されたので、意外に早く帰宅することができた(間に2時間くらい待機させられる監督もいるわけである)。
 よその学部にけちをつけるつもりはないが、デザイン工学部(工学部から独立した学部)で、上の3つのうちから2つを選択するという方式には、「それでいいんですか」と言いたくなってしまう。英語あるいは数学あるいは理科のまったくできない学生が入ってくる可能性がひじょうに高いということである。いまの世の中、受験科目を増やすと確実に受験生が減るから、そのための策であろうということは理解できるが、それにしても・・・
 いや、私が所属している学部も、国際文化という名称を掲げておきながら、英語の代わりに小論文で受験できるのである。私はそれを知ったとき、思わず「そんなバカな」と声に出して言ってしまったのだが、いっこうに廃止される気配はない。
 やはり、ここはひとつ「教育熱心」らしい首相が強権を発動して、あえて趨勢に逆らって、高校の履修科目すべてを受験科目にしろ、とまでは言わないが、もっと受験科目を増やすことを全大学に強制すべきではあるまいか。昨年、多くの高校で必修の世界史を教えていないという恐るべき事実が明るみに出たが、誰だって自分が受験する予定のない科目は身を入れて勉強しないであろう。
2月10日(土)
 

 昨日は入試監督。
 昨年の今頃、小樽商科大学と東北大学で、受験生から「試験監督のいびきがうるさい」というクレームが出たことが新聞に報じられた。その後、大学教員たちの数多くのブログに「いやあ実際、眠たいんですよね」というぼやきが書かれていた。その通り、眠いのである。受験生の邪魔をするほど大きないびきをかくというのは、問題外であるが、眠くならないという監督の方が少ないのではなかろうか。何しろ、当たり前とはいえ、「何もしてはいけない」のである。イヤホンでラジオの競馬中継を聴くなどはもってのほか、本を読んでもいけない。私の経験では、60分の試験はまだ堪えられるのだが、90分となると拷問である。
 ってなことを書くと、「受験生は必死なのに、不謹慎だ」という人がかならずいるにちがいない。しかし、いびきをかくのは不謹慎だと思うが、睡魔に襲われるのが不謹慎だとは思わん。人間、緊張していたって、眠くなるときは眠くなるのである。
 朝、全員集合して、担当職員から「ご注意」があるのだが、今回は「こういう世の中ですから、居眠りなどするとマスコミに取り上げられるので、ご注意ください」というお達しがあった。
 そう、昔はこんなことはあまり話題にならなかった。以前つとめていた大学で試験監督をやったとき、もうひとりの先生はずっと後ろで本を読みふけっていた。
 「パノプティコン」という概念がある。「一望監視装置」と訳される。もとはジェレミー・ベンサムが考案した監獄のデザインであるが、ミシェル・フーコーによって有名になった。獄房を円形に配置して、中心に監視所をもうければ、監視はひとりで済む。いやそれよりも、囚人からみて、監視がいるのかいないのか、わからないので、かならずしも監視がいなくともよい。よく家の門や玄関に設置されているダミーのテレビカメラみたいなものである。
 入試の会場も、たくさんテレビカメラをつけておいたらどうでしょう。どれが本物で、どれが偽物か、受験生にはわからないのである。そうすれば試験監督は不要になる。
 試験用紙を配ったり回収したりしなければならないから、われわれ教師の仕事がなくなるわけではないのだが、監視はカメラにおまかせということになれば、ただいるだけでいいのだ。ずっと精神的に楽になる。でも教師に監督をやらせるのがいちばん安上がりなのであるから、大学がカメラを設置することはとても望めそうにない。
 
 きょうは二期会のオペラ『ダフネ』を観に行く。リヒャルト・シュトラウスのオペラだ。美しい曲である。旧知の大島早紀子が演出に起用されたので、観に行ったのである。
 以前、勅使川原三郎が『トゥーランドット』の演出を手がけたとき、カーテンコールで舞台に勅使川原が出てきた瞬間、20人くらいの観客がいっせいに「ブー」をやった。勅使川原の面食らった顔を今でも覚えている。どうも勅使川原に敵意をもったオペラ・ファンによる「組織的犯行」だったようだ。
 それに比べると、今回の大島の演出は、拍手の感じから察するに、オペラ・ファンにも好意を持って受け止められたようだ。お得意のワイヤー吊りもさかんに使われていた。音楽評論家がどんなふうに書くか、楽しみだ。
 
 さあ、明日も6時起床で試験監督だ。睡眠薬を飲んで(いつも遅いので、急には早寝ができない)、早く寝よう。
2月8日(木)
 

 上記のようなチョコレート屋さんの広告を出したら、「チョコレートを請求しているみたいだ」とかみさんから叱られたが、それはまったくの誤解。このお店の営業部長のようなことをしている、ゼミの卒業生から頼まれたので、宣伝しているのである。念のため。
 毎年、各方面からチョコレートを頂くが、いくらいただいても、かみさんと娘に没収され、全部、彼女たちの胃袋に入ってしまう。どこの家でもそうらしい。もちろん私が食べるぶんは、かみさんから支給(別名プレゼント)されるのである。
 
 最近車に乗ることが少ないので、バッテリーがあがってはまずいと、駅前まで買い物に行ったついでに逗子までドライブする。海風があたたかい。

 きょうは大好物の牡蠣フライ。ヨーロッパ人は、ほとんど生の海産物を食べないくせに、牡蠣だけは生で食べる。牡蠣フライを教えてあげれば、人気メニューになるのではないかと、昔から思っているのだが、ヨーロッパに牡蠣フライが普及したという話はまったく聞かない。
 
 夕食の後、ぼんやりテレビで、「えらいところに嫁にきてしまった」というドラマをみた。仲間由紀恵主演のドラマである。仲間由紀恵の男言葉は私も好きだが、このドラマの目玉は姑役の松坂慶子である。まるで京塚昌子(って、若い人は知らないでしょうね)みたいに太っている。着物をきているのだが、たぶん洋服では見られたものではないのだろう。とはいえ、美しさはあいかわらずである。いっぽう、本当の母親役は星野知子。おお、「なっちゃんの写真館」。松坂慶子は私と同い年だから55。星野知子は5歳下だから、50。この人は不気味なくらいに、いつまでも若い(ちなみに星野知子は法政大学社会学部の出身である)。
 
 最近、血圧が「高値安定」状態で(上が180、下が120くらい)、しかも時どき動悸が激しく苦しいので、かかりつけの医師に相談し、血圧降下剤を飲み始めた。これで私も立派な「高血圧爺さん」の仲間入りである。私のかかりつけの先生は、病気で診察を受けに行っても(って、当たり前だ、診察以外の目的で医者にいく人はいない)、なかなか薬を出したがらない。「問題ないでしょう」「平気でしょう」「もうしばらく様子を見ましょう」が口癖である。だが、ここ2週間ほど毎日家で血圧を測り、それを記録してもっていったので、さすがの先生も「なるほど、これは高いですね。どうします? どうしてもというなら、高血圧治療を始めましょうかねえ」と、しぶしぶ薬を出してくれたのである。おかげで、先日から苦しかった心臓の具合が楽になった。
 ついでに、先日から鼻水がとまらないので、花粉症かどうか調べてもらいたいと言ったら、「わざわざ調べてもしようがないでしょう」というお返事。「1週間でとまれば、それは鼻風邪でしょう。1ヶ月続いたら、それは花粉症でしょう。花粉症になっても、死ぬわけじゃないし」とのたまう。この「死ぬわけじゃないし」というのも、先生の口癖である。
 こういう調子で、重症患者にも薬を出し渋るので、この先生にかかっている患者さんたちの中からは定期的に死者が発生しているのではないかと思うが、何しろ鎌倉というところは、どこの医者にいっても、待合室にいるのは老人ばかりであるから、誰かが亡くなっても、誰も驚かない。「人間みんな死ぬんだし」というのも、この先生の口癖である。
 
 昨日は横浜で編集者と打ち合わせをした後、居酒屋で、大根おろしをたっぷり添えた寒ブリの刺身とか、菜の花のおひたしをつまんで、鎌倉駅についたら、10時5分前だったので、東急ストアに飛び込み、大根を買い込んで、バスに乗る。
 家に帰ってから、カラスミをあぶって、大根スライスの上にのせてばくばく食べ、シャンペンをぐびぐび飲みながら、『誰がために鐘は鳴る』を見る。ゲイリー・クーパーとイングリッド・バーグマン。バーグマンはどうみてもスペイン娘には見えない。まあ退屈な映画であるが、名前だけ知っていて(あるいは予告編だけ観て)ちゃんと観ていない映画がけっこうあるので、最近そうした映画を一つ一つ観ているのである。
 それと、先日、ヴェラ・ゾリーナ(バランシンの3番目の妻)の伝記をぱらぱらめくっていたら、ゲイリー・クーパーとゾリーナがいっしょに写っている写真が何枚ものっていて、キャプションに「『誰がために鐘は鳴る』の撮影現場」と書かれている。「えっ、あの映画のヒロインはバーグマンじゃなかったっけ?」と驚いて、あわてて本文を読んだら、最初はゾリーナが演じることになっていたのだそうだ。いや実際、撮影は始まっていたのだ(ちょうどその頃、バーグマンは「カサブランカ」の撮影中だった)。ところが、「やっぱりバーグマンのほうが売れる」と、プロデューサーとクーパーが言い出し、ゾリーナは外されてしまったのだった。ゾリーナも北欧美人で(ノルウェー人)、とてもスペイン娘には見えないが、ハリウッドというところは、そういうひどいことが起きるところなのである。
 それにしても、スペイン内戦に命をかけるクーパー(ヘミングウェイといってもいいが)を観ていると、どうしても、イラクに駐留しているアメリカ軍が思い出されてしまう。
 スペイン内戦というのも、「遠くなりにけり」状態であろう。私は学生時代、革マル・シンパだったので、大学に入って最初に読んだ本が『カタロニア讃歌』だった。オーウェルも、最近はあまり読まれていないんだろうなあ。いつだったか、学生に「『1984年』っていう未来小説を知っているか」と聞いたら、きょとんとして、「1984年? 未来小説? それって僕の生まれる前ですけど」と言われてしまった。た、たしかに。
 と、ここまで書いてアマゾンで調べてみたら、『カタロニア讃歌』も『1984年』も『パリ・ロンドン放浪記』も、文庫でちゃんと生きていた。文庫で生きているということは、安定して売れているということである(最近は、ちょっとでも売れなくなると、すぐに絶版になってしまう)。オーウェル先生、たいへん失礼しました。
 
 草刈民代ちゃんからおはがき。「あれ、ついこの間の日曜日、バレエ会場で会ったばかりなのに」と思って読むと、「近くにすわっていたのに、ゆっくりお話ができず、失礼しました」、という内容。まあ、なんていい子でしょう。もう10年以上の付き合いだが、あの「がらっぱち、べらんめえ」が、私は大好きである。美人すぎるおかげで、ずいぶん嫉妬も買っているようだが、いい意味で「強い女」である。彼女と熊川哲也の2人が、安眠をむさぼる日本のバレエ界を蘇生させてくれるのでは、と本気で期待している。
 
 内田樹先生が『狼少年のパラドクス』を送ってくださる。つい先日、『下流志向』が届いたばかりで、まだ読み終わっていないというのに。(われわれが)読むスピードよりも(内田先生が)書くスピードの方が速いのだから、ただただ驚嘆するばかりである。なんだかしょっちゅう内田先生にお礼状を書いているような気がするが、この「入超」状態を転じることは、できない相談である。
2月3日(土)
 

 大学院の入試。7時に起床してバス停にいくが、いっこうにバスがこない。土曜であることを忘れていた。とぼとぼ駅まで歩いている途中でタクシーがきたので、それで駅までいく。「曜日を忘れていた」などと書くと、サラリーマンの皆様から殴られるであろうが、今回は「うっかりミス」である。
 一般入試の修士、博士、外国人、社会人など、いろいろあって、小論文の採点のほか、20人くらいに面接する。終わったのはもう夜である。
 社会人の応募が多かったことは、喜ばしい。団塊の世代が定年になって、これからも社会人の応募者が増えるのではないか。楽しみである。大学院はいろいろな世代の人間がまじっていっしょに勉強する、というのがよい。望むらくは、いろいろな国の人がいっしょに学ぶのがよい。ひじょうによい。イギリスなどではそれが当たり前だが、これまで日本の大学院は大学を終えたばかりの日本人の若者ばかりだったので、かねてからよろしくないと私は思っていたのである。できることなら、大学を卒業後何年か社会人を経験しないと大学院に行けない、という制度をつくるべきではないか、とすら私は思っている。
 ご存じのように、昨今の大学院は研究者養成所ではない。大学院を出たって、大学に就職できる可能性はきわめて低いからである。むしろ最近の大学院は「もっと勉強したい」という人たちのためにあるのであって、これは大学院のあるべき姿であろう。
 いや、いっそ大学も、高校を卒業してから少なくとも3年間くらい社会に出て働かないと入れない、というふうにしたらいかがであろうか。すでに誰かがそんなことを言っていたような気がするが。
 
 昨日、幼稚園児を2人殺した中国人の話を書いたが(国籍は問題ではないが)、私はまちがえて被告を男と書いてしまった。実際は女性である。母親だったのである。私は子どもが殺される事件には異様に敏感なので、事件当時、「自分の子どもがいじめにあっているという妄想にとりつかれて、よその子どもを殺した母親」というのが強く印象に残っていたのだが、例によって、いつのまにか忘れてしまい、うっかり男だと思いこんでしまった。読者のかた数名からご指摘を頂いた。ありがとうございました。
 どうして男だと思ってしまったのだろうか。男性みたいな名前だったということもあるが、たぶん、「子どもがいじめにあっている」と思いこんだというところから、父親として自分が感情移入してしまったのであろう。
 私を法政大学に呼んでくださった柄谷行人先生は、息子さんがいじめられているというので、学校に乗り込み、いじめていたらしい生徒を並べてびんたをくらわした、というので有名だが(いや自分がやったのではなく、上の息子さんに殴らせたのだったかもしれない)、私だって、子どもがいじめられていると知ったら、何かせずにはいられない。それが親としてすべき最低限のことだ。これは「子どもの喧嘩に親が出て行く」というのとはちょっと違う。親は子どもをいじめから守る義務がある。
 でも、うちの娘は、いじめにあったことはないようで、むしろ男の子をいじめていたというので、その男の子のお父さんから苦情がきたことがある。
2月2日(金)
 

 北海道の知人からタラバガニの脚が大量に送られてきたので、きょうの夕飯はカニづくし。まずはアボガドと混ぜてチーズ・クリームであえる。次に、わが家の名物料理であるタラバのバター焼き。スープをはさんで最後にカニ・ピラフ。ヴーヴ・クリコをぐびぐび飲んでしまう。
 
 昨年2月に滋賀県で幼稚園児2人を殺害した中国籍の男の初公判があった。被告は「刺したけれど、砂人形なので死ぬことはない。血も出ていない。殺人ではない」と主張し、弁護側は「精神疾患の強い影響下で、心神喪失か心神消耗弱状態だった」と主張している。だが、検察側の冒頭陳述によれば、被告は幼稚園にかよう娘がいじめにあっていると思いこみ、殺害におよんだという。新聞によれば「裁判では、被告の責任能力の有無が最大の争点となる」そうである。
 娘がいじめにあっていると知ったら(もし検察側の陳述が事実だとしたらであるが)、私だって幼稚園におしかけて、いじめている子どもたちをはり倒してやりたいと思うだろう。でも、殺すというのは全然次元のちがう話だ。
 前にも書いたが、「責任能力の有無」をめぐって延々裁判を続ける愚はいいかげんにやめたらどうであろうか。
 この被告は、弁護士から「こういえば心神喪失ということで罪に問われない」と教わって、こんな陳述をしたのかもしれないが、百歩譲って、被告が本当に心神喪失状態だったとしても、それと幼稚園児2人と殺した「罪」とは直接関係がない。
 ひとを殺すときに「心神喪失」でない場合の方が少ないであろう。正月早々、2件の「バラバラ殺人」があった。どちらの場合も犯人はかなり冷静だったようだが、バラバラにすること自体、心神喪失状態といえないこともない。
 心神喪失なら罪に問われないというなら、罪に問われるのは冷静沈着に人を殺したときだけということになる。精神鑑定を否定するつもりはないが、仮にこの男が完全に「狂っていた」としても、それでどうして罪に問われないのか、私にはどうしても理解ができない。たしかに完全に狂っていた場合、その男には責任がない。男の「知らないうちに」、男の知らない部分が暴走したのである。だが、その暴走の責任はその男がとるしかないのである。責任はなくとも責任をとらなければはならない、と私は考える。現在の刑法は、殺人犯が心神喪失状態だった場合、殺害行為は「天災」のようなものだという判断にもとづいている。「神の声が『殺せ』と命じたんです」という犯人の供述と同じ判断にもとづいているのである。
 この主張は、一見すると、ついこのあいだ書いた、自己決定能力なんか信じないという私の信条と矛盾しているように見えるが、私のなかでは矛盾していない。自分の行為はかならずしも自分の「自由意志」にもとづいているわけではない。だが、その行為の責任はつねに自分がとらなくてはならないのである。
 
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