何度も書いたように、「くるみ割り人形」はあまり好きでない。というより、AMP版を除いて、面白い演出にはまだ出会ったことがない。12月末になると、日本中のバレエ団が上演するが、どれも観る気になれない。
音楽はいい。舞台が少々ひどくても、音楽を聴いているだけで愉しい。ベートーヴェンからブルックナーに繋がる線をクラシック音楽の主流とするならば、明らかにチャイコフスキーは傍流である。彼は本質的にメロディ・メイカーであり、その意味でポピュラー音楽の作曲家に似ている。「くるみ割り人形」の音楽も、どこかミュージカル音楽という感じだ。とくに、シンプルなところがいい。グランパのアダージョなんて、主旋律がドーシラソファミレドの繰り返しである。
でも、オケの音にはいつも不満である。もっと、ウィーン・フィルみたいな甘い音が出せないものかと思う。チャイコフスキーの通俗的甘美さがなかなかうまく出ない。
さて、つまらない演出が多い中で、いちばん見応えのあるのは、やはりピーター・ライト版である。ご存じのように、ライト版はふたつある。コヴェント・ガーデン版と、サドラーズ・ウェルズ(バーミンガム)版である。スタダンが上演しているのは後者である。前者のほうが面白いが、大規模なので、日本では上演できないだろう。まだ観ていないが、最近、英国ロイヤルがこれを復活させたらしい。
ちなみに、休憩時間にピーター夫妻に会うことができた。二年前にロンドンのベジャール公演のときに偶然会って以来だ。お元気そうで何よりである。
閑話休題。「くるみ」は、クララを大人が踊る場合と子どもが踊る場合とがある。前者の場合、クララがシュガープラムに変身するわけだが、マハリナのような背の高い女性が演じると、とても少女には見えず、無理がある。子どもの場合は、シュガープラムが最後のグランパしか踊らない。
ライト版のクララはシュガープラムの精とは別のダンサーが踊るので、吉田都は最後の最後にしか登場しない。前にも書いたが、ロンドンでクリスマスに吉田都の「くるみ」を観にコヴェントガーデンにいったら、休憩時間に、日本からきた観光客らしい若い女性たちが、「吉田都が出ると聞いていたのに、出ないわね」と話していた。
さて、ライト版のクララは、子どもではない。かの有名なビデオではサンドラ・マジックが踊っている。子どもを使う演出とどこが違うかといえば、クララは第二幕を通じて、かなり踊るのである。以前、ピーター・ライトに、吉田都が最後だけ踊るのはもったいない、クララもやらせたらどうかと言ったところ、「それは体力的に無理だろう」という答だった。
したがって、相当踊れるダンサーでないとつとまらない。8日にクララを踊った鈴木美波は、たぶん私はこの子を初めて観たが、素晴らしい出来だった。可愛らしいし、踊りもしっかりしている。体型は今風ではなく、ちょっとずんぐりしていて、顔も小さくないが、また観たいものである。
雪の踊りや花のワルツは、多くのバレエ団では女性だけで踊られるが、ライト版では従者的な役割の男性たちが登場する。たぶんライトは、プティパの「眠り」に準じているのだろう。今回は外国人ダンサーたちが踊っていた。
花のワルツのリーダー、つまり薔薇の精を踊った小林ひかるが素晴らしかった(この人のことは全然知らない。どこの誰なのか、ご存じの方、教えてください)。
それとは対照的に、雪の精の小山恵美はいただけない。いつものことだが、この人は体がガチガチに固い。
王子役の佐々木陽平は上品で優雅な踊りを見せた。ジャンプした後の着地音が小さいのがいいし、グラン・ジュテの前脚の爪先がぴんと上がっていていい。惜しむらくは、ちょっと地味で、ダンスール・ノーブルのオーラに欠ける。ちなみに、ロンドンに住んでいた頃、彼の舞台はたくさん見た。ソリストというのは、プリンシパルよりも主演回数が多いからである。
ご存じだと思うが、例の「くるみ」のビデオでの、吉田都とムハメドフのパ・ド・ドゥは奇跡のように素晴らしい。とくに都のピルエットは奇跡としかいいようがない。完璧を絵に描いたようなピルエットだ。都を見るたびに、あの奇跡が再現されないだろうかと期待するのだが、なかなかお目にかかれない。彼女は時どき、何を考えているのかよくわからないような踊り方をするし。
でも、今回は素晴らしかった。大満足である。