今週ふたつの「ジゼル」である。下村由理恵のジゼルを見逃すわけにはいかない。いまいちばん見たいと思う日本のバレリーナは下村と酒井はなである。
さて、今回の「ジゼル」の演出は、最近までENB(イングリッシュ・ナショナル・バレエ)の芸術監督だったデレク・ディーン。1994年に初演されたもので、外国のバレエ団が上演するのは初めてである。
余談ながら、ENBはかなり古いバレエ団で、昔はロンドン・フェスティバル・バレエといった。ビデオで有名なマカロワ版「白鳥の湖」(イヴリン・ハートとペーター・シャウフス主演で、ロットバルトが仮面ライダーみたいなやつ)は、このバレエ団のもの。ヌレエフの「ロミオとジュリエット」を初演したのも、たしかこのバレエ団。故レディ・ダイアナが総裁を務めていて、ダイアナ妃は口癖のように「ENBをぜひ日本に連れて行きたい。そのためなら、私自身が宣伝マン(ウーマン?)をつとめる」と言っていた。が、彼女の突然の死によって、この計画は実現しなかった。その後、「白鳥の湖」をもって日本に来たけれど(熊川が主演した)、私は行かなかった。
イギリスにいたときは、ロンドン公演はすべて見た(ふだんはツアーをしていて、年に2回しかロンドンで公演しなかった)。
さて、デレク・ディーン版「ジゼル」はどのようなものであったか。一口で言うと、ひじょうにドラマティックな(演劇的でもあり、劇的でもある)「ジゼル」だった。とくに第一幕の後半、ドラマをどんどん盛り上げようという努力がみられる。狩りの一行が去り、村の若者たちが収穫祭を祝おうというとき、アルブレヒトはジゼルの家をノックして、ジゼルを誘い出す。家の中にはバチルドがいるのだから、「ニアミス」である。観客をはらはらさせる。
次いで、踊りの途中で、ジゼルは家の中に入って、バチルドからもらったネックレスをして出てくる。それを見て、アルブレヒトは愕然とする。「やばい!」
バチルドはかなり冷たい、いやな感じの女として描かれる。楠元郁子が好演していた。
ジゼルが発狂するところでは、空が暗くなり、稲妻が光る。ジゼルが死ぬときもである。これには、不謹慎ながら笑ってしまった。イエス・キリストじゃあるまいし。
さて第二幕の冒頭は、ピーター・ライト版「白鳥の湖」の冒頭(王の葬列が舞台を横切る)に匹敵するくらい、ユニークなもの。ジゼルの母が墓参りにきて、派手に嘆き、暴れる。そういえば、第一幕でもベルタの役どころはふつうよりも大きく、かなり演技力が要求される。板橋綾子が好演していた(二日前にみたベルタがあまりにひどかったので、余計にそう感じるのかもしれない)。
余談ながら、初演版では、村の若者たちが火を焚いて、博打をしているところから始まる。
ミルタのメイクがすごい。あんなのは見たことがない。大森結城ちゃんだが、あの可愛い子がお化けになっている。眉毛を消して、目の周りに黒いシャドウを塗っている。ウィリたちも、ミルタほどではないが、眉毛を細くし、目の周りを黒く塗っている。まさにホラー・メイクである。
ウィリは演出によって、ホラー系と綺麗系に分かれるが、ディーン版は前者。ギエム版は後者のヴァリエーションである。
なお、ミルタとウィリたちは奈落から、つまり地中からドロドロと上がってきて、最後にまた地中に戻っていく。これもユニークだ。
ヒラリオンが死ぬ場面も派手である。
ウィリたちの振付・フォーメーションは、通常のもの(プティパの振付が土台になっていると考えられる)とかなり違っていて、興味深かった。
ディーンの新解釈に全面的に賛成はできないが、その努力には敬意を表したい。変えればいいってもんじゃないが、なんの創意工夫もなく、従来の振付をそのまま上演しているくせに、「××改訂振付」などと自分のところの芸術監督の名前を冠するバレエ団が多すぎる。もっといろいろな「ジゼル」があっていい。