例年なら、正月はレニングラード国立バレエをいくつも観るのに、今年は新年早々に体調をこわしたため、なんとこれが初めて。
主役はゲストのルジマトフと、オクサーナ・クチュルク。
大道の踊り子がバビブリナ、闘牛士エスパーダがシャドルーヒン、森の女王がシェスタコワであるから、全体にひじょうにレベルの高い公演といえる。
ただ、このカンパニーの版は、第三幕が、つまらない群舞のせいで冗長。だれる。この幕はやめてしまって、グランパを第二幕の後ろにくっつけたほうがずっといい。
『ドン・キホーテ』のバジルはルジマトフにとって、とくに日本では、「当たり役」のひとつだが、けっしてルジマトフ向きの役柄ではない。バジルは二枚目だが、おどけた二枚目で、笑いを取る必要がある。これはルジマトフがもっとも苦手とするところである。ルジマトフがハンサムかそうでないかは、意見が分かれるとことであろうが、それはともかく、彼はいつでも「二枚目」を演じる。というか、彼はカチカチの二枚目しか演じられない。おどける、ふざける、ということができない。彫りが深いせいもあるが、笑い顔ひとつ作れない。どんな役柄を演じるときも「憂い顔」である。その意味では、役者としては大根である。言い換えれば、彼は役者ではなく、スターなのだ。スターは何を演じてもスターなのである。
衰えは隠せないが(疲れが目立つようになった)、体の線はあいかわらず美しい。かつてのようなオーラはまったく見られなくなったし、かつてデュポンと火花を散らした頃のような、体から噴出する熱いエネルギーも感じられなくなった。役柄からはみだすような、「過剰」なところがなくなってしまった。しかし、そのためにかえって、踊りがじつに端正になり、無駄な部分、余計な部分が削ぎ落とされ、「わびさび」の世界に近づいてきた。このまま、上手に老いていくことを期待する。これからも長く踊って欲しいものだ。きっと渋いダンサーになるのではなかろうか。
彼はもともとノーブルなダンサーではない。王子をやっても、王子には見えない。なんたって、奴隷が十八番だからね(ちなみに、ニジンスキーもそうだった)。その踊りのスタイルもけっしてノーブルではない(『眠れる森の美女』のビデオがあるが、王子のヴァリアシヨンには笑ってしまう。全然王子に見えないのだ)。彼の魅力は、豹のような、あるいは爬虫類のような、野性味のある、独特の妖しさである。最近ではその妖しさがだんだん渋い味を出すようになってきた。
いっぽうのクチュルクは、ペレンと並び、世界でも屈指の美人ダンサーだ(当然、私は彼女の礼賛者である)。オペラグラスでみていると、頭がぐらぐらするくらいの美人である。体型は、顔が小さく手足が長いという今風のダンサーの典型的タイプからはちょっと外れるが、テクニックもしっかりしているし、エクステンション(開脚)もすごい。グラン・ジュテのときも脚は180度以上開いている。しかし、森の女王と並んで踊る場面で、シェスタコワの優美なクラシック・スタイルと見比べると、いささか粗が目立つ。踊りが微妙に雑なのだ。でも、きょうは本当に溌剌と楽しそうに踊っていた。