ダンスと映画

白鳥の死 La mort du cygne


データ

フランス映画 90分
監督 ジャン・ブノワ=レヴィ
原作 ポール・モラン(→邦訳の表紙
脚色・演出 ジャン・ブノワ=レヴィ、マリー・エプスタイン
振付 セルジュ・リファール、レオーヌ・マイユ
撮影 L・H・ビュレル
音楽 J・E・ジフェール(ザイファー)
配役 ポープレ(イヴェット・ショーヴィレ)
   カリーヌ(ミア・スラヴェンスカ)
   ローズ・スーリ(ジャニーヌ・シャラ)
   ローズの母(フランス・エリス)
公開 1937年
日本公開 1941年(→日本公開時のチラシ
ビデオ ジュネス企画  JV-2203

ストーリー

 主人公ローズはオペラ座のバレエ学校に通う12歳の少女。父はなく、母は仕立屋をしながら、娘を育てている。娘にバレエを習わせてやれ、というのが夫の遺言だった。
 オペラ座には、年少の少女たちが自分の「お母さん」(petite mere)を決める伝統がある。ローズは、若くて美しいポープレに自分のお母さんになってもらい、『ジゼル』を踊ったトウ・シューズをもらって、自分の宝にする。
 ポープレは得意の『白鳥の死』の主役の座を、支配人のお気に入りのカリーヌに奪われ、意気消沈し、オペラ座をやめる決意をする。
 ローズは自分の「お母さん」のために、舞台の床をはずし、そのためにカリーヌは奈落に落ち、脚を骨折し、ダンサー生命を奪われる。
 絶望していたカリーヌは、ローズの踊りをみて、教師になる決意をし、ローズのクラスの先生になる。罪悪感に苛まれるローズは、つい親友に犯行を打ち明けてしまう。
 ローズはカリーヌのお気に入りになり、学校公演でも主役をもらうが、端役を与えられた親友が母親にローズの犯行をばらしてしまう。その母親は別の母親たちにそれをばらしてしまう。そのうちの誰かがカリーヌに匿名の手紙を出す。カリーヌがローズを呼び出して問いつめると、ローズは犯行を認める。カリーヌはローズに、「おまえを裁判にかけて、感化院に送ってやる」と言い渡す。
 いっぽう、これでお母さんはオペラ座をやめなくてすむ、と安心していたローズは、ポープレに助けを求めようとするが、ポープレは支配人に紹介された若い医者と結婚し、オペラ座をやめてしまう。
 進級試験の日、ローズは牢屋に入れられるのが怖くて、友だちから「オペラ座の地下には川が流れている。それに沿っていけば、パリの外まで逃げられる」と聞いて、地下に逃げる。罪悪感に苛まれ、ローズは踊るカリーヌの幻影をみながら眠ってしまう。ローズを探し回るカリーヌ。
 結局、職員に救い出されたローズを、カリーヌは許す。
 ちなみに、原作では、犯行のあと、ローズがポープレに「あれは私がやったの」と打ち明けるところで終わっていて、いささか後味がわるい。自分のダンサー生命を奪われたバレリーナがそう簡単に犯人を許せるだろうかという疑問は残るとはいえ、映画のほうがずっと深みのあるストーリーになっている。

メモ

イヴェット・ショーヴィレ(ポープレ役。当時20歳) オペラ座バレエ学校で、クニアセフ、グソフスキーに習う。卒業後、オペラ座バレエに入団し、1941年に24歳でエトワールになってから、1972年に55歳で引退するまで活躍を続けた。『白の組曲』をはじめ、リファールの多くの作品初演で主役をつとめた。

ミア・スラヴェンスカ(カリーヌ役。当時23歳) ユーゴスラヴィア(現在のクロアチア)出身。ザグレブ、ウィーンで勉強した後、パリでエゴロワ、クシェシンスカヤ、プレオブラジェンスカヤらに師事。1930年からザグレブ・オペラ・バレエのプリマ・バレリーナを勤める傍ら、パリではリファールと、ロンドンではアントン・ドーリンと共演。この映画に出演した後、1938〜42年、バレエ・リュス・ド・モンテカルトに参加。その後、アメリカに腰を落ち着け、ロサンゼルスで学校を開く。1952年、フレデリック・フランクリンとともにスヴェランスカ=フランクリン・バレエを創立。ヴァレリー・ベッティス振付の『欲望という名の電車』のブランシュ役が有名。現在はわからないが、比較的最近までロサンゼルスで教えていた。 関連サイト。

ジャニーヌ・シャラ(ローズ役。当時13歳) グルノーブル出身、パリでエゴロワ、ヴォリーニンらに師事し、天才少女といわれた。1941〜44年はローラン・プティと組んで数々の公演に出る。早くから振付も手がけていたが、シャンゼリゼ・バレエが上演したストラヴィンスキー曲の『かるた遊び』(1945)が最初のヒットとなる(当時21歳)。1951年にバレエ・ジャニーヌ・シャラを創立、53年にバレエ・ド・フランスと改称。ダンサーとしても振付家としても活躍を続ける。61年にはベジャールと共同で『エモンの4兄弟』を手がける。その後もヨーロッパ各地で活躍。1980年からはパリのポンピドゥーセンターの舞踊監督もつとめた。

ポール・モラン(原作 1888-1976)外交官としてスイス大使などをつとめるかたわら、詩人・小説家として活躍したモダニスト。代表作は『夜ひらく』、『夜とざす』。

ジャニーヌ・シャラ

イヴェット・ショーヴィレ

↑ショーヴィレ

↑スラヴェンスカの「白鳥の死」

↑ショーヴィレの「白鳥の死」

↑同上

↑フォワイエ・ド・ラ・ダンスで、支配人から若い医師を紹介されるポープレ。

↑ミア・スラヴェンスカ

マリー・エプスタイン(共同脚本演出) 監督はジャン・ブノワ=レヴィだが、蔭にいて強い影響を与えたのは、彼の妻で、共同で脚本・演出を担当しているマリー・エプスタインである。彼女は、サイレントの名作『アッシャー家の末裔』で知られるジャン・エプスタインの妹で、フェミニズム的映画の先駆者ともいわれている。そういえば、この映画には女性的な視線が感じられる。

フォワイエ・ド・ラ・ダンス オペラ座の支配人がポープレに若い医者を紹介する場面がある。結局、二人は結婚し、ポープレはバレエをやめるのだが、ふたりが初めて顔を合わせるのはフォワイエ・ド・ラ・ダンスという、舞台と楽屋の間にある、一種のリハーサル室である。イギリスではグリーン・ルームといった。潜り込もうとしたローズは、「女子禁制」といわれて追い出される。そこは、バレエ・ダンサーたちがパトロンを、男たちが愛人を、探す場所だったのである。

劇中バレエ 劇中では、まず『レ・シルフィード』に似たバレエが上演される。シルフィードたちに囲まれて、黒いチュニックをきた詩人が3人いる。『白鳥の死』は、「瀕死の白鳥」と『白鳥の湖』をミックスした作品で、白鳥は王子の放つ矢にあたって死ぬ。その他、学校の生徒たちがミツバチのバレエを踊り、ローズが主役の女王蜂を踊り、親友のひとりはワイヤーで吊られる役を踊り、苦しくて嘔吐する。振付は、クレジットにはリファールとあるが、これは名前だけで、実際にはマイユが手がけたとされている。

余談 深沢七郎の作品に『白鳥の死』という小説があるが、これは作家の正宗白鳥の死のこと。日本映画にもサイレント時代に『白鳥の死』という作品があるが、どんなものか、全然知らない。