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データ
アメリカ映画(ワーナー) 99分
制作 メナハム・ゴラン、ヨラム・グローバス
監督 ハーバート・ロス
脚本 サラ・カーチャノン
撮影 エンリオ・グァルニエリ
制作総指揮 ノラ・ケイ
配役 トニー(ミハイル・バリシニコフ)
リサ(ジュリー・ケント)
フランチェスカ(アレッサンドラ・フェリ)
ナディーヌ(レスリー・ブラウン)
公開 1987年
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バリシニコフとフェリ
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ケントとブラウン
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ブラウンとマッケロウ
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ストーリー
ABTとおぼしきバレエ団がイタリアで、トニー(バリシニコフ)の演出・主演による『ジゼル』公演の準備をしている。トニーはプレイボーイで、何人ものダンサーに手を付けてきた。彼のお気に入りになったバレリーナは主役が得られるのだった。ジゼル役のフランチェスカ(フェリ)はドライな娘で、トニーとベッドをともにしているが、べつに深く愛しているわけではない。ナディーヌ(ブラウン)は、かつてトニーに棄てられ、いまは中堅ダンサーとして『ジゼル』ではミルタを踊る。そこへ新入りのリサが、アメリカからやってくる。さっそくトニーは彼女に目を付け、接近する。リサはうぶな少女で、トニーの愛をすぐに受け入れるが、相手の本性を知って絶望し、トニーの演出する『ジゼル』をみて、我が身をジゼルの運命に重ねるが、若さのおかげで、じきに立ち直る。
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メモ ストーリーがつまらなく、映画としては二流あるいは三流だが、特筆すべきことは、ジュリー・ケントが眩いばかりに可愛いこと。最近ではいささかガリガリ・ギスギスになってしまったが、当時、ABTに入団したばかりで(おそらく19歳くらい)、女優顔負けに美しい。映画でスターになったダンサーが、本業ではその後大した仕事をしない、という例もあるが、彼女はその後、ABTのプリンシパルになった。なお、フェリも美しく撮れている。
一般論として、歌手やダンサーの美貌は女優には叶わない。突飛な例で恐縮だが、むかし、『愛の水中花』がヒットして、松坂慶子が初めて歌番組に出演したとき、その美しさにスタジオが騒然としていたのを鮮烈に記憶している。その点、ケントの美貌もフェリの美貌も、しっかりキャメラに耐えている。
ABTのダンサーたちが出演していて、リン・シーモアやアマンダ・マッケロウの姿も見える。
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劇中バレエ バリシニコフとフェリの『ジゼル』をたっぷり見ることができる。第二幕後半は二度も映される(二度目はこの映画オリジナルの音楽に合わせて)。
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ハーバート・ロス(監督) 映画監督になったダンサーは、後にも先にもこの人くらいだろう。1926年にニューヨークに生まれ、ブロードウェイで踊った後、ABTでたくさんバレエを創作している。1960年に、妻のノラ・ケイとともにバレエ・オブ・トゥー・ワールズを結成したが、その解散後はミュージカルの演出と映画監督で活躍をしてきた。監督作品には、ピーター・オトゥールとペトラ・クラーク主演の『チップス先生さようなら』(1969)、『ボギー! 俺も男だ』(1972)、『ファニー・レディ』(1975)、『グッバイガール』(1977)、『フットルース』(1984)、『摩天楼<ニューヨーク>はバラ色に』(1987)その他多数ある。
ミハイル・バリシニコフ(トニー) このページを参照。
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ノラ・ケイ(1920-87) この映画の制作総指揮にあたっており、冒頭に「ノラ・ケイに捧ぐ」というクレジットが入る。完成直前に亡くなったのだと記憶している。ニューヨーク出身で、フォーキン、ヴィリザークらに師事した後、1935年にアメリカン・バレエに参加、39年からバレエ・シアターの看板スターになる。チューダーの『火の柱』(1942)で世界的名声を得る。1950年代前半はニューヨーク・シティ・バレエで、後半はABTで踊った。ハーバート・ロスと結婚して、ふたりでバレエ・オブ・トゥー・ワールズを結成、カンパニー解散後はロスの映画製作を手伝った。
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