ダンスと文学1 デビット・ゾペティ『アレグリア』(「すばる」00/2月号、その後単行本化、集英社)


 映画にもなった『いちげんさん』で文壇デビューしたガイジン作家の第2作。

 語り手イヤンはニューヨーク出身の青年で、高校時代に交換留学生として京都で1年過ごし、その間に日本画に惹かれ、ニューヨークに戻って高校を卒業した後、東京の美術大学に入った。銭湯に下宿して、風呂掃除のアルバイトをしていたが、銭湯は閉じることになり、彼はそこを借り受けて、改造してアトリエにしている。最初は日本画に魅せられていた彼は、ヨウコとの出会いを通じて、ダンスの絵を描くようになる。
 アルバイトを探していたイヤンは、ローザンヌとおぼしき「有名な国際コンクールで優勝し、カナダの名門バレエ学校への留学が決まった」少女、ヨウコの英会話の家庭教師となり、カナダまで彼女を送っていく。このヨウコが物語の主人公である。
 彼女はトロントにあるバレエ学校(つまり、カナダ国立バレエ学校)に留学し、優秀な成績で卒業し、明らかにナショナル・バレエ・オブ・カナダをモデルにしているバレエ団に入団し、瞬く間にソリストになり、世界ツアーにも参加する。
 学校時代、彼女の寮のルームメートは香港出身の少女ベキーで、この少女はやがて同じ香港出身の副芸術監督と結ばれる。
 担任教師のヒラオカ先生は、日系2世で、戦前シアトルでバレエを習っていたが、開戦と同時に収容所に送られ、その途中で足の靱帯を切ってしまい、バレリーナへの道を断たれたが、戦後、カナダに移住してバレエ教師になった。彼女の独白で、戦死した恋人との恋が語られる。
 ヨウコはリフトでペアを組んだトム(イタリア系アメリカ人)と恋仲になるが、やがてトムはバレエ団から離れていく。
 リフトの描写・・・「私は高くジャンプし、トムに支えられたまま、魔法の風にあおられたかのようにふわっと宙に浮いて、頭の上に両腕で大きな輪を描いた。大胆ではあるが、ひどく不安定な姿勢だった。私は解放感を覚えた。高々と持ち上げられる心許なさを感じながらも、私の太股の内側と腹部を押さえるトムの手の感触を、強く意識しないわけにはいかなかった」
 ヨウコの独白・・・「私は小さい時、天才少女バレリーナと騒がれていたけれども、そもそもダンスの世界に魅せられたのは、遠い将来、有名なプリマになって舞台に立ちたい、と夢見ていたからではない。踊りが単純に好きだった。踊っていると、体も心も鮮烈な喜びの膜に包まれ、不思議な昂揚感を覚えた。踊りは私の中の何かを激しく揺さぶり、私が抱えている名状しがたい飢えを満たしてくれる唯一のものに思えた」
 やがてヨウコはバレエに幻滅しはじめる・・・「魔法のスカーフで命を落とす妖精や、一度のキスで百年の眠りから目ざめるお姫様、スリッパを投げつけられただけで王子に変身する歯並びの悪いくるみ割り人形など、どれを取ってみても、滑稽に近い題材ばかりだった。もちろん、優雅で美しい世界だった。この世のものとは思えないほど華麗で輝かしい世界。しかし、リハーサルで一時的に没頭できても、舞台の上で短い陶酔感を味わうようなことがあっても、そこには結局、本当の炸裂もトランス状態もエクスタシーもなかった」
 世界ツアーを終えてトロントに戻ったヨウコは、ある日、ふらりとフラメンコ酒場に足を踏み入れる・・・「不思議な興奮のうねりが私を包み込んだ。息が普通にできないくらいだった。[……]舞踊手の二人は絡み合い、誇り高く挑発し合い、相手を突き放したり、引き寄せたりしながら踊っていた。[……]私は底に豊穣な官能性を感じた。ぎりぎりの線まで寄り添い、まとわりつくように誘惑し合う二人の姿は私をひどく混乱させた。体の重心を高くして、常に外へ、上への広がりを求めるバレエの軽快で華やかな動きとは対照的な踊りだった。二人は地に深く潜り込むように重心を低く下げて、それでいて弾けるような生々しい迫力で光と影、怠惰と情熱、激流と停滞を交互に表現していた」
 すっかりフラメンコに魅了されたヨウコは、バレエのレッスンはさぼって、フラメンコを習い始める。やがてトロントのフラメンコ・アーティストたちはスペインに帰って行く。彼らはしきりにヨウコにスペインにいっしょに来るように誘うが、結局、ヨウコはバレエ団をやめ、日本に戻ってくる。
 その間の一部始終を、かつての家庭教師、イヤンに向かって語るのである。

 この小説のテーマはダンスではない。巻末に、桜井多佳子『感じるバレエ』、パセオ編集部『フラメンコへの誘い』、マーゴ・フォンテーン『バレリーナの世界』などが参考文献に挙げられているが、にわか勉強でダンスを題材にしているだけのことである。
 日本語で小説を書くガイジン作家として、ゾペティは異文化の境界線上における自らのアイデンティティの探求を、自分のテーマとしているらしい。
 主人公ヨウコは、自分の進むべき道がわからず、最初はバレエの世界に解決を求めるが、それに飽きたらず、今度はフラメンコにのめりこむ。しかし、そこに自分が本当に求めている世界があるとは思えず、結局、進むべき方向を失い、日本に帰ってくる。
 また、彼女の恩師ジェーン・ヒラオカは日系人としてアメリカ社会の中でアイデンティティの問題と直面せざるをえなかった。
 しかし、そうした「自分探し」がどれも中途半端で、小説としては駄作である。テレビ・ドラマくらいにはなるだろうが・・・